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【壮絶】底辺女の19年間をここで吐き出させてほしい・・・ : 【2ch】ニュー速クオリティ

【壮絶】底辺女の19年間をここで吐き出させてほしい・・・



【壮絶】底辺女の19年間をここで吐き出させてほしい・・・

1: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 14:33:47.14 ID:ID:sRtHFtr1.net
カテ違いだったらごめんなさい。 
辛くて全てを吐き出したいけど、 
はけ口がないからここで吐き出させてほしい。


2: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 14:41:56.23 ID:ID:sRtHFtr1.net
19年間って言っても覚えてるのは3歳頃?から。 
その時は多分、本当にごく一般的な家庭だったと思う。 
家族はお父さんにお母さん、お姉ちゃんと私の4人家族で新築一戸建てに住んでました。 

私が3歳の頃、お父さんが事故をして入院したのをきっかけに母がパートに行くようになった。 
4歳年上のお姉ちゃんは既に小学校に行っていたので、私は母方の祖母の家に預けられました。 

祖母はすごく優しくて大好きだったけど、家事なんかで忙しくあまり私の相手は出来ず、毎日1人で遊んでいました。



3: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 14:48:38.30 ID:ID:sRtHFtr1.net
今思えばその頃からすごく寂しさを感じていた気がする。 
祖母の家の裏は砂利の空き地で、毎日新聞紙に大きな石を巻いて石焼き芋やさんごっこを1人でしていた。 
近くに公園もあったから、1人で遊びに行った。 
私はすごくお母さんっ子だから、毎日寂しかった。 
1人ぼっちで遊ぶのも寂しかった。



5: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 14:52:30.51 ID:ID:sRtHFtr1.net
お父さんが退院してきた頃には私は幼稚園に通ってた気がする。 
もうこの辺はあんまり記憶が無い。 
と、言うのもお父さんはほとんど家に帰って来てなかったような気がする。 
だから家族で出掛けたり、外食したり、もちろん旅行なんかは全くなかった。 
周りは夏休みの度に旅行へ行ってたりして、すごく羨ましく思ったのを覚えてる。 

そして私が底辺女と落ちこぼれていったのは小学3年生の頃だと思う。 
あんまり人のせいにするのは良くないかもしれないけれど、このあたりから私の人生はおかしくなっていってしまった。



6: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:00:25.53 ID:ID:sRtHFtr1.net


その頃、お母さんはお父さんの浮気を疑っていた。 
だからお母さんは私やお姉ちゃんに「パパの携帯開いて、メールの履歴見て」とよく頼んできた。 
何故私達にやらせたのかは未だに不明。 
そして結局、浮気はクロだった。 
そしてそんな時にお父さんが事業を始めると言い出して、借金をこさえてきた。 
そんな色々なことが原因でお母さんがうつ病になってしまった。 
私はお母さんっ子だったから、変わり果てたお母さんを見てるのは悲しかった。 
お父さんはほとんど家に帰ってこなくなって、帰って来てもイライラしてる事が多くていきなり殴られた事もあった。



7: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:03:56.51 ID:ID:sRtHFtr1.net
もともと私はお父さんの事を好きでもなく、嫌いでもなくなんだか他人のような気がしていた。 
あまり家にいなかったのが原因か、小さいながらにお父さんと話すのはすごく気を使うし 
たまに一緒に買い物に行った時に「欲しいもの買ってあげる」と言われても「いらない」と何故か全力で気を使っていた。 
欲しいものがなかったわけじゃないけど、なんだか言えなかった。 
とにかく何故かお父さんには他人行儀みたいな感じだった。 

だから殴られても、なんとも思わなかった。 
痛くて泣いたけど…



10: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:08:19.53 ID:ID:sRtHFtr1.net
それからお母さんのうつ病はエスカレートして自殺未遂するようになった。 
でも、何故か休みの日はよく海へ連れて行ってくれた。 
家の外に出たがらないお母さんが「一緒に海に行こう」と誘ってくれるのがすごく嬉しくて仕方なかった。 
私はどちらかというと明るくて元気で人懐っこい感じだったけど、お姉ちゃんはその逆で引きこもりがちだったので一緒に海に行くことはなかった。 

だから私とお母さん2人でたくさん海に行った。 
私が昆布やワカメを持ってふざけているとお母さんが笑ってくれるから嬉しかった。 
でも、今だから言える話だけどお母さんが私を連れて海に出掛けたのは心中しようとしてたからだと思う。



11: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:13:45.30 ID:ID:sRtHFtr1.net


なんで今になってそう思うのかと言うと、私はお母さんに「一緒に死んでほしい」と頼まれたから。 
何度も自殺未遂してる内に、1人で死ぬのが怖くなったのかな。 
その時私はなんて返事をしたのかわからないけれど、今こうやって生きてるって事は断ったんだと思う。 
私はよく覚えてないけど家の近くにある、大きな道路(大型トラックなんかがビュンビュン通る)に私とお姉ちゃんを連れて行って死のうとした事もあったって昔お母さんが自分で言ってた。



12: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:20:41.36 ID:ID:sRtHFtr1.net
そして段々とお父さんとお母さんのケンカが増えていった。 
ある日、今までとは比べものにならないくらいの大喧嘩があった。 
お父さんは携帯を真っ二つ折って家を出ていき、お母さんは血を流しながら泣いてた。 
それが最後の喧嘩で、数日後に離婚するとお母さんから聞かされた。 
その日は珍しく家にお父さんがいたから私はお父さんに「離婚しないで」と泣きついた。 
他人のように感じるお父さんだけど、やっぱり離れて欲しくはなかった。 
でもお父さんの返事は「ごめんな」の一言だった。 
その時、私は最初で最後のお父さんの泣き顔を見た。 
なんで泣いていたのか、どうゆう気持ちだったのか今になっても私にはわからないけれど 
お父さんも私と離れるのが寂しいと思ってくれたのかなって勝手に解釈してる。



13: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:25:45.54 ID:ID:sRtHFtr1.net
離婚が決まってからすぐに引越しをした。 
私とお姉ちゃんはお母さんにつくことになり、一戸建ての家を出た。 
次に住む家は見たことのないようなオンボロ長屋だった。 
今どきトイレはボットン。 
壁は土壁で、地震が来たら一発で潰れそうだった。 
部屋は二部屋しかなく、一部屋はリビング、 
もう一部屋は何故かお姉ちゃんの部屋となった。 
私も自分の部屋が欲しいと駄々をこねると「お姉ちゃんは思春期だから、あんたは我慢してね」と言われた。 
夏になれば見たこともないような虫が大量発生したり、ゴキブリやネズミなんかも当たり前のようにいた。 
大きなムカデが家の中にいた時はさすがにびびった。



15: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:30:10.29 ID:iVk7tOxj.net
はよはよ



17: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:46:40.87 ID:ID:sRtHFtr1.net
私はその頃、新しい環境を楽しむ謎の好奇心があったからボロ家に引っ越した事も新鮮で楽しんでたけどお姉ちゃんは違うかったみたいで 
親の離婚+新築一戸建てからボロ家に降格してしまった事をきっかけにグレはじめた。 

正直私からすれば親の離婚はそこまで悲しい事か?と思っていた。 

会いに行こうと思えば会いに行ける距離だし、 
信じてもらえないかもしれないけど私は昔から変に冷静なところがあって 
離婚しないでとお父さんに泣きついて、お父さんから「ごめん」って言われた時、 
心の中で「あーやっぱり無理か」とか思ってた。 
だからグレるお姉ちゃんの心境が全くわからなかった。



19: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:52:35.42 ID:ID:sRtHFtr1.net
その当時私は小学校5年生、お姉ちゃんは中学3年生だった。 
グレるといってもヤンキーになるわけでもなくただ不登校になり、どこかへ出かけては遅くに帰って来るようになりタバコなんかを吸い始めた。 
その頃から私はお姉ちゃんとあんまり仲が良くなく、不登校だろうが帰るのが遅かろうがどうでもよかったのだけど 
昭和人間でくそ真面目なお母さんはお姉ちゃんのその行動全てが気に入らなかったららしく、2人の仲は最悪だった。



20: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 15:58:50.40 ID:ID:sRtHFtr1.net


この頃になるとお母さんのうつ病はある程度治ったけどなんか別の意味で病んでた気がする。 
内気でいじめられっ子だった姉は友達もおらず、夜遅くまで誰とどこで何をしてたのか未だにわからないけどお母さんはよくその事でぶつぶつと怒っていた。 
そんな時、お母さんが病気で入院した。 
なんの病気かは忘れたけど手術までしなきゃいけなくなって少しの間、家には私とお姉ちゃんの2人きりだった。 

少し離れた場所に祖母が住んでたからたまに様子を見に来てくれたけど、歳も歳だし足も自転車しかないから週に1回程来てくれていた。 
ちな、祖父は私が生まれる1ヵ月前に亡くなってるから祖母は叔母さん(お母さんの姉)と叔父さんの3人暮らしでした。



21: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 16:02:55.03 ID:ID:sRtHFtr1.net
お母さんがいなくなってから、何故か私はお姉ちゃんにいじめられるようになった。 
まだ小学生だった私はお母さんの心配もしつつ、のほほんと友達と遊びに行ったりもしてた。 
今思えば私めっちゃ冷たいww 
もっとお母さんの心配しろよなww 
でも命に別状ない病気だし、なんかこの頃の私はのほほーんとしてた。 
で、夕方になって遊びから家に帰ってくると何故か家の外に私のランドセルや制服や布団なんかがばらまかれていた。 
犯人はもちろんお姉ちゃん。 
今までお母さんというイライラをぶつける場所があったけど、お母さんが入院してからは矛先が私になってしまった。



22: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 16:05:55.42 ID:ID:sRtHFtr1.net
私になんの恨みがあるのかは知らないけれど、イジメはエスカレートしていった。 
その時の家のお風呂は何故か外からは鍵の開け閉めを出来るけれど、内からは開けることも閉めることも出来ない仕組みだった。 
だから私がお風呂に入ってる間にお姉ちゃんに鍵を閉められて、外に出られないようにされた。 
その時、偶然祖母が来てくれたから助かったけど来てくれなかったら平気で1日中閉じ込められてたと思う。



23: 以下、ニュー速クオリティでお送りします 2016/10/27(木) 16:12:07.13 ID:ID:sRtHFtr1.net
そんな戦いもありながらなんとか、お母さんも退院してきた。 
それから私とお母さんは仲が良かったが、姉だけが孤立する形で時がすぎて行った。 

そして私が中学に上がる頃、校区などの関係でまた引越しする事になった。 
今度も同じようなボロボロの長屋だけど、その家から祖母の家まで歩いて3分くらいだったのでおばあちゃん子だったお姉ちゃんは少し嬉しそうだった。 

私は中学に入ってすぐ、バスケ部に入った。 
お姉ちゃんはなんとか高校に入学したけど、すぐにやめた。 
高校を辞めてからは働く事もせず、家に引きこもってゲームばかりしてた。 

私はバスケにどっぷりハマり、1年生にしてスタメンに選ばれた。 
自慢じゃないけど当時は運動神経だけはずば抜けて良く、バスケ初心者だったけど誰よりもうまかった自



  


この記事へのコメント

1.  Posted by  名無しクオリティ   投稿日:2018年05月28日 23:37

3行で頼む

2.  Posted by  名無し   投稿日:2018年05月28日 23:43

よくできた作り話

3.  Posted by  名無し   投稿日:2018年05月28日 23:55

今も生きてるのかな。読んでて精神的に辛い

4.  Posted by  名無し   投稿日:2018年05月28日 23:58

なっが

5.  Posted by  名無しクオリティ   投稿日:2018年05月28日 23:59

俺の知りあいもこんな感じだわ
この子は若くして立ち直れたからいいけど、知り合いは35も過ぎて旦那も子供もいるのにメンヘラ患ったまま過してるよ
子供も案の定、同じような面倒なメンタルで育ってる

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