http://famicoroti.blog81.fc2.com/blog-entry-2828.htmlパソファミ関連サービスの終了のお知らせ 他
<ニュース>
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「パソファミ関連サービスの終了のお知らせ」>パソファミ関連サービスにつきましては、故人の遺志により以下の形で対応させていただきます。
老舗ファミコンエミュレータサイト。ジャンルが違ったのでたまに拝見する程度だったが。・
レトロゲームの攻略をAIに学習させてスーパープレイを生み出すことが可能な「Gym Retro」 - GIGAZINE 興味深い試み。・
“靴”に装着して使うコントローラー「Bcon」開発中。『PUBG』『ウィッチャー3』などにも対応するゲーマー向けの補助デバイス | AUTOMATON かっこいい。・
電撃 - 『魔界塔士 サ・ガ』『2』『3』の全楽曲を収録した映像付きサントラが8月8日に発売<任天堂>
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任天堂のUI/UXデザイナーが語るデザイン思想。UI Crunch #13 娯楽のUI【書き起こし前編】 | Goodpatch Blog あとで読む<ドラクエ>
・5月27日はドラクエの日!
みんな、この日は死ぬほど遊びまくって、持ち金を半分にする日にしよう! っていう日?<格闘ゲーム>
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あの切ないK.O.ポーズを再現!「ストリートファイター『YOU LOSE』USBフラッシュメモリー」が発売に! | そうさめも いろんなものつくるよね。たまにガチャガチャなんかで「そうくるかー!」ってのあるけどね。<ゲーセン>
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ゲーセンでゲームの鍵を盗まれてしまい潜望鏡を自作して犯人を確保した話「鍵無くしたら1000万の重みと言われる」「ガチで犯人は現場に戻ってくる」 - Togetter<ゲーマー>
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スマブラ一筋で生きてきたゲーマーがPRESSにジョインした話 - Inside PRESSBLOG >何か行動しようとツイッターでベンチャー企業のCEOさん何人かに会いに行くことに。ツ、ツイッターで会う?ツイッターで会話することを「会う」と認識するひとがいるのか。ちょっと衝撃。<レトロPC>
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パソコン通信“最後のホスト”「死ぬまで続ける」と語る理由 | 文春オンライン シンパシィを感じる<ボードゲーム>
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世界的人気のボードゲーム「モノポリー」はどうやって生まれたのか? - GIGAZINE<コレクター>
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オーストラリアで使用されているお金の種類 まとめ - キタミナ 硬貨だけでバージョン違いがいくつもあるなんて、コレクター心をくすぐられますね。<ゲーム史>
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【ゲーム批評の現在地】第3回:ときに無慈悲なゲーム史たち | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト中川大地
早川書房
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この本の序文についてはこちらで「無料公開」されているので読んだことないひとはどうぞ(アドレス名が意味不明ですが合っています)。僕は図書館で借りてトライしましたが、文体がお堅すぎて内容が入って来ず、終始チンプンカンプンでした。Amazonでの評価でも似たような指摘(もっと辛辣)が多いです。
気になる部分を引用してみましょう。
ホイジンガの批判的継承者たるフランスの批評家ロジェ・カイヨワが主著『遊びと人間』で提起した古典的な分類体系を、本書では便宜的に踏襲していく。(省略)
むろん、このカイヨワの主張そのものは、〝未開〟から〝文明〟への素朴な社会進化論や西欧中心主義といった19世紀的価値観の残滓が根強く、現代的な人類学や社会学の学説としてはアナクロかつ粗雑に過ぎるものだ。しかしながら、ホイジンガの遊戯論を具体化して文化や文明の創造作用の機序をモデル化する大枠の作業仮説として、今もって包括性において容易に替わりの見つからない、一定の現象説明能力を有し続けている。
とりわけ、日米ゲームの比較文化論的構造の抽出を必然とする本書の立論においては、章を重ねるごとに「〈模擬(ミミクリ)〉〈眩暈(イリンクス)〉寄りの土俗的な日本ゲーム」対「〈競争(アゴン)〉〈運(アレア)〉寄りの理知的な欧米ゲーム」といったカイヨワ的ステレオタイプが、確かに超時代的に再生産されていくかのような見え方が鮮明化していくはずである。しかもそれは市場競争上の勝敗に基づく興亡のストーリーテリングをも伴うものでもあるため、社会ダーウィニズム的あるいは「文明の衝突(サミュエル・ハンチントン)」的な優勝劣敗のニュアンスが、必要以上に伝わりすぎてしまうかもしれない。そうした通俗単純化の危惧を甘んじて受け入れつつも、ひとまずは後進の議論の共有基盤となりうるデジタルゲームの史観形成のための補助線として、批判的に継承し活用していくことにしたい。
この小難しい言い回しのオンパレード!(笑)
終始、この調子ですからね……
最大の疑問なんですけど、本書がこれだけエクスキューズを並べてまでも、テレビゲーム研究でカイヨワを引き合いに出す意義が僕にはわかりません。『遊びと人間』は1958年の著書ですよ。テレビゲームの「テ」の字も無い時代の枠組みなので、当然、当てはめようとすれば穴だらけになりますよね。そこに何の意味があるか。上の文章を何度読んでもわからんのです。
まあ本書は本書で一定の需要がある素晴らしい研究成果だということはわかります。ただ、これは日頃から思っていることなのですが、歴史とか研究とか、こういう小難しいテーマこそ僕は若い世代へ向けて発信していくべきだと考えています。「媚びる」必要はないですけど、「届く」必要はあるわけで、とりわけ「権威」なんてものはその際、もっとも必要ないものなんだな、と改めて感じました。そもそも研究と発信はまったく別物なのに、切っても切れない関係ってところが難しいですね。<音楽>
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アナログ盤で続々復刻、再評価されるゲーム音楽の「価値」と可能性<ファッション>
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