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アフガニスタンの最後の仏教遺跡 : カラパイア

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 戦争と過激な宗教思想によって国が分断されているアフガニスタンが、かつては平和な仏教徒の国だったとはにわかには信じがたい。

 アフガニスタンにおける仏教は長い歴史を持ち、大乗仏教の起源にまで遡ぼる。そしてイスラム教徒に征服された後も、仏教の信仰は100年ほど続いた。

 当時は、中央、南アジアじゅうから巡礼者たちがこの隔絶した山岳地域にやってきて、僧院や巨大な像を建て、砂岩に洞窟を掘って瞑想にふけったのだ。
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1世紀にアフガニスタンにもたらされた仏教


 仏教が、中央アジア、バクトリア歴史地区にあったクシャーナ帝国によって、アフガニスタンにもたらされたのは1世紀のこと。

 クシャーナ朝の有名な皇帝、カニシカ大王は熱心な仏教の擁護者で、その支配と仏教の保護政策は、シルクロードの発達とカラコルム山脈を越えてインド、中国、その他アジア諸国へ仏教が普及するのに重要な役割を果たした。

 イスラム教徒が中央アジアや、アフガニスタンのこのヒンドゥークシュ山脈地帯に侵攻してくると、宗教に不寛容な支配者たちはすべての仏教遺跡を破壊するよう命じた。そして、イスラム教が国教となり、仏教は消滅した。


2001年、タリバンにより仏像が破壊される


 何十年にもわたる戦争で、多くの重要な考古学遺跡が瓦礫と化し、博物館の所蔵品は略奪・破壊された。最後の侵略はわりと最近のことで、バーミヤンの町近くの2体の大切な仏像が、2001年にタリバンによって粉々に破壊されたのは記憶に新しい。

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アフガニスタン、バーミヤンの高さ53メートルの仏像。2001年に破壊された
image credit:Afghanistan Embassy

 バーミヤンは仏教の中心地だった。7世紀、中国の僧、玄奘三蔵はこの町のことを、10以上の僧院があり、1000人以上の僧侶が行き来する活気ある仏教の中心地としている。

 それぞれ36メートルと53メートルの2体の仏像がたっていて、"目も眩むような黄金色で、見事な宝石で装飾されていた"。

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バーミヤンの背の高いほうの仏像(左)、破壊された後(右)
image credit:Lezine / UNESCO

 歴史家たちは、この堂々たる像は3世紀から6世紀の間に崖を直接くりぬいて彫られたものと考えている。おそらくこの地域のもっとも有名な文化的ランドマークで、世界中からたくさんの巡礼者を惹きつけていた。

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かつてここには古代仏像のひとつがあった。バーミヤンの巨大な空洞の前を通り過ぎるふたりの女性。
image credit:DVIDSHUB / Flickr

仏教文化の残る古代都市サマンガン


 クルム川のほとりにある古代都市サマンガンも、仏教の重要な中心地だった。ここの仏教徒の名残は、岩を切り開いた洞窟僧院の中に今でも見ることができる。すぐそばにあるストゥーパ(仏塔)は基岩から刻まれている。

 Takht-e-Rostamのストゥーパは、丘の上のサマンガンから3キロのところにあり、伝説的なペルシャ王ロスタンがここで花嫁タミーナと結婚したという伝説がある。

 Takht-e-Rostamは、"ロスタンの王"という意味。ストゥーパは、クシャーナ帝国が終わりに近づいた、おそらく4世紀から5世紀の間に建てられた。最終的に帝国は、5世紀にエフタル族、フン族の侵略や、東のグプタ帝国の台頭によって滅んだ。

 ほかの仏教ストゥーパと違って、Takht-e-Rostamは地上にあるのではなく、山の岩をくりぬいて建てられている。エチオピアの一枚岩の教会群に似たスタイルだ。

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 こうして僧院やストゥーパを偽装して、侵略者の目をごまかしていたのかもしれない。あるいは単
に、夏の極端な暑さを避けるためだったのかもしれない。

 ストゥーパのてっぺんには、ハルミカという尖塔を取り囲む四角い柵が取りつけられていて、まわりは深さ8メートルの溝でとり囲まれている。壁の内側には瞑想のための洞窟や僧院の小部屋がいくつかある。


メス・アイナックの仏教遺跡


 脅威にさらされたもうひとつの歴史的に重要な仏教遺跡は、カブールから40キロほどのところにあるメス・アイナックの古代定住地だ。

 3世紀から8世紀にかけて、メス・アイナックは多層構造の仏教僧院がいくつもあり、礼拝堂や、高い壁や監視塔に守られた建物もある宗教中心地だった。

 こうした要塞のような建物や住居の中で、多数の仏像や土でできたストゥーパ、ゴールドの装身具、古代の写本の断片、フレスコ画で装飾された壁などの人工物が発見された。

 この古代仏教徒の居住地は、世界最大の未開発の銅鉱石が眠っている鉱山の上にある。古代にここの銅が採掘されていた証拠があり、銅がここの仏教僧を豊かにしたのだろう。

「この遺跡ほど、僧院と生産や産業の中心が完璧に共存していた場所をほかに知らない」アフガニスタンの考古学者ザマーヤライ・タルツィは言う。「仏教僧院と自然資源を産業や商業のために利用しようとした者の間のこうした強い結びつきは、ほかに先例がない」

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image credit:Telegraph

 アフガニスタン政府が、中国の採掘会社にメス・アイナックでの銅の採掘権を認めた2007年に問題が始まった。

 この遺跡からは、およそ1250万トンの銅がとれ、数千億ドルの価値になると見積もられている。確かに採掘は国の脆弱な経済を助けるという景気のいい見通しがあるが、地面を掘りおこすことは、考古学的遺跡を破壊しかねない。

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メス・アイナックで発掘されたの仏教徒のストゥーパ

 国際社会の介入で計画は中断しているが、現在、国際機関からの何百万ドルという資金が、採掘がはじまる前にできるだけ多くの遺物を回収するために活用されている。

 カブールにあるアフガニスタン国立博物館は、メス・アイナックから出土した遺物でいっぱいだ。保管スペースが不足しているため、最重要のものを除いて多くは現場に戻さざるをえなくなっている。

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image credit:Simon Norfolk / Nat Geo

 博物館長のオマラ・カーン・マッソウディは、いつか地元にメス・アイナックの出土品を保管する専用の博物館を建設したいと考えている。


Afghan Buddhist relics revealed in Logar Afghanistan
References:amusingplanet/ written by konohazuku / edited by parumo
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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 22:32
  • ID:G1i5scY00 #

2001年…もうそんなに経つのか

2

2. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 22:41
  • ID:nx0R.RXm0 #

ロアナプラ

3

3. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 22:44
  • ID:zC39KtHP0 #

戻すくらいなら俺にくれ

4

4. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 23:01
  • ID:SgCF.3Xc0 #

イスラムのイメージしかなかったけど
昔は仏教国だったんですね

5

5. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 23:06
  • ID:zXCfCH5Z0 #

テロリスト共の所業には憤りを禁じ得ない
まさに世界の遺産だった素晴らしい仏像を破壊してしまった

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6. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 23:18
  • ID:Q0b2vC2e0 #

バーミヤン遺跡、全く過激派はとんでも無い事をしてくれたものだ。
外貨を稼ぐ貴重な観光資源の1つだった筈。過激派は結局、自分自身の暴力まさにdvでもって、自分の国の運営費を捨ててしまった訳だ。
カニシカ王は、授業でアショカ王と並びで習った。カニシカ王の祟りとか無いのかね?
悲しいよ。辛いよ。どうして過激派は、損になる事ばかりするの? そんな無駄な事して得をするの? 無関係で罪も無い人殺して楽しいの?

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7. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 23:36
  • ID:Goxj3DWJ0 #

>アフガニスタンにおける仏教は、数千年もの長い歴史を持ち

アフガニスタンに仏教が伝来したのが8世紀前後、そこから仏教時代が100年以上続いたとしても、数百年にしかなりません。ブッダの誕生(紀元前5世紀前後)から現在まで数えても2千数百年にすぎないので、アフガニスタンにおける仏教が数千年の歴史、というのは言いすぎじゃないでしょうか?

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8. 匿名処理班

  • 2018年07月07日 23:37
  • ID:2.AaofSk0 #

大乗仏教を信仰してたときがあったんだ。初耳だ。
イスラム教は、大昔にいた他宗教を許さぬリーダーに恵まれなかったために現在まで肩身の狭い思いをしているのが残念。
本当は優しい宗教なんだよね。

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