オリジナルss 恋する乙女は頑張る。
私はどこにでもいる平凡な中学三年生の女の子だ。
我が家は4人家族。
何の変哲もないお父さんとお母さん。それにちょっと鉄オタの入った大学生のお兄ちゃん。
家はS県某所にある分譲住宅地でお父さんが35年のローンで購入した物件。
両親は月々の支払いが家計に響くと愚痴っている。
それが私の住む田中一家の現状。私の名前は田中良子。
良い子に育つようにと母方のお爺ちゃんが名付けてくれたけど本当に地味な名前だ。
そう、私の人生は何から何まで地味だ。
成績だって中の中で体育だってクラスの女子でマラソンでもすれば真ん中の順位。
つまり私は自分でも自覚しているけど自他共に認める本当にどこにでもいる平凡な女の子。
そんな私がどうしてこの物語の主人公なのか?流行りの異世界にでも行くのかって?
残念だけどそういった壮大な物語の類じゃない。
これはある日突然誰の身にも振り起こる身近な物語…
事の発端は夏休みが明けた直後。
お母さんが夕食の最中にある事を家族の前で告げたのがそもそもの始まりだ。
「実はお爺ちゃんをこの家で引き取ることになったの。」
それは先程も語った私に良子と名付けたお爺ちゃんのことだ。
お母さんが事情を話してくれたけど
お爺ちゃんはお婆ちゃんに先立たれたせいで一人暮らしを送っていた。
けれどお婆ちゃんがいなくなってからお爺ちゃんはめっきり元気がなくなり
持病のせいで足腰も悪くなりさらには痴呆症まで悪化したとか…
介護施設に入れるにしても順番待ちが続いていた簡単には入れないそうだ。
他の親戚もお爺ちゃんを引き取るつもりはないようでお母さんが引き取ることを申し出た。
「まあ…いいんじゃないか…」
「母さんが面倒見るっていうなら俺はどうでもいいよ。」
お爺ちゃんを引き取ることについてお父さんとお兄ちゃんは
お母さんが全面的に面倒を見るというのなら別に良いと言ってくれた。
うちの男たちは家事については自分から動くタイプじゃない。
自分の行動範囲に影響を及ぼさないというのなら干渉はしないようだ。
私もお爺ちゃん一人くらいなら特に問題はないと思った。
『自分で動けないなんてお爺ちゃん可哀想』程度にしか思ってなかったんだろうなぁ。
それでも引き取ろうとするお母さんにちょっとだけ違和感を抱いていた。
その理由だけどお母さんはどういうわけか家に他人が出入りすることを極端に嫌った。
私やお兄ちゃんが家に友達を連れて来た日には物凄く怒られた。
だから私とお兄ちゃんはこれまで家に友達を連れ込んだことは一度としてない。
それにペットもだ。うちには犬も猫もいない。その理由は勿論お母さんだ。
お母さんはとにかく家に問題を持ち込むのを嫌った。
だからペットなんて面倒のタネになるものは絶対に飼おうとしない。
そのペットがどんなに愛想よく振りまいてもお母さんはそれを忌み嫌った。
そんなお母さんがお爺ちゃんの介護を率先して行うなんて私はそれが少しだけ疑問だった。
それから数日後―――
我が家にお爺ちゃんがやってきた。
「あ……う……うぅ……」
殆どの歯が抜け落ちて満足に喋ることも出来ない。
おまけに隣にお母さんが支えてることでようやく立てるゾンビみたいな人…
それが私たちのお爺ちゃんだ。
「お父さん、今日からここがあなたの家ですよ。わかる?今日からここがお父さんの家よ。」
「い…え…?わ…し…の…いえ…ここ…ちが…」
やばい。正直それしか考えられなかった。
これから一緒に住む人がこんなやばい状態だなんて信じられない。
だから可哀想とかそんな同情みたいな感情はちっとも湧かなかった。
むしろこれから始まる一緒の生活に私は不安しかなかった。
「…最悪…またなの…」
祖父が来てから三ヶ月が経過した。
ある朝、私は学校へ登校しようと部屋から出ようとすると廊下に水たまりがあった。
しかも臭い。これは間違いなくおしっこだ。
トイレでもない場所でこんなおしっこの水たまりが溢れるなんてありえない。
これをやらかした犯人は間違いなくお爺ちゃんだ。
「あ…う…うぅ…」
廊下の先にはおしっこを漏らしたズボンを履き続けたままのお爺ちゃんが居た。
けどこれはまだマシな方だ。酷い時はこれが大きい方という場合もある。
私は一度だけそれを踏みつけてしまったことがあった。
その時はもう本当に最悪だった。
朝の登校前で最低な真似をされて
おまけにお風呂場に行って何度も洗い流したせいで学校まで遅刻した。
せっかく皆勤賞を目指していたのに…
もうっ!本当に最低なんだから!頭に来る!
怒り心頭だった私は
未だに酷い有様で廊下をうろつくお爺ちゃんを憎たらしい目つきで睨みつけた。
「あ…ぐ…かあさ…すま…ない…」
そんな私のことを察したのかお爺ちゃんがいきなり謝ってきた。
けどその言葉は私に対してじゃなかった。
ハッキリと聞き取れないけど…お母さん…って言ってるよね…?
この人がお母さんなんて呼ぶってつまりお婆ちゃんのことを指しているのかな。
まったくどう見たら中学生の私を自分の奥さんと勘違いするんだろ。
もう私が誰なのかちっともわからないみたいだ。
「お父さん!もうこんなに汚して…ほら…」
そんなお爺ちゃんの状態にようやく気づいたお母さんが駆けつけてくれた。
すぐに雑巾でお爺ちゃんが漏らした床のおしっこを綺麗に拭いてズボンまで交換した。
それからお爺ちゃんはお母さんに連れられて自分の部屋へと戻った。
「お……かあ…さん…かあ…さん……ごめ…ごめんな…」
「いいのよお父さん。お母さんは許してくれているから安心して。」
お爺ちゃんは私を見つめながら何度も『お母さん』と言い続けていた。
そんなお爺ちゃんを抑えながらお母さんは不安気な顔で部屋へと連れ戻した。
私はというと…お爺ちゃんが何を言っているのかちっともわからなかった。
どうせボケたせいだろうとこの時はどうでもいいと思っていたけど…
これもいつものことだと思って私はさっさと学校へ行ってしまった。
うちはお母さんが専業主婦だから家のことは全部お母さんがやってくれる。
だからお爺ちゃんの介護は全部お母さんに任せっきりだ。
私も同じ、これ以上あんなお爺ちゃんと一緒に居られない。
準備を整えると学校という逃げ場へさっさと向かった。
「おはよう良子。昨日返されたテストだけど結果はどうだった?」
学校へ着くと仲のいい女友達がテストの結果について聞いてきた。
もう11月、私たち中学三年生は志望校を決めて受験勉強の追い込みに入る時期だ。
「え…あんまり聞かないでよ…自信ないんだから…」
「そんな不安で大丈夫?良子の狙っている学校って偏差値高めでしょ。」
友達の言うように
私は中の中という成績なのに身の程を弁えず少々偏差値の高い志望校を狙っていた。
その理由だけど別に勉強をしたいってわけじゃない。
そんな話し合っている中で男子たちの笑い声が聞こえてきた。
クラスの真ん中で明るい雰囲気でバカ話に盛り上がる男子たち。
その男子たちの中心に居る180cmを超える高身長なイケメン。彼の名前は神崎くん。
彼は運動神経抜群で成績優秀、おまけに親がお金持ちとまさにすべてが完璧なリア充くん。
私たち女子の間で人気のある彼は女子の憧れ的存在。私だってそのうちの一人だ。
この学校で彼に憧れを抱かない女子はいないわ。
その彼だけど志望校はこの辺りで一番偏差値の高い学校を目指しているそうだ。
だから私も身の丈に合わないのは自覚しつつも彼と同じ志望校を目指した。
元々頭の出来がよくないと自覚しているけど4月からずっと受験勉強に集中していた。
けれどお爺ちゃんが来てから私は受験に集中出来なくなっていた。
理由は簡単だ。お爺ちゃんの奇行でストレスが祟っていた。
そのせいで成績は伸びるどころか落ちる一方だ。
この時期に成績が上がるどころか落ちるのだから最悪だ。
先生からは志望校を変えるべきだと助言されたけどそれではこれまでの努力が無駄になる。
だから志望校を変えるつもりは一切ない。
けれど今の状況のままで神崎くんと同じ学校に入るのは無理だと私だって自覚している。
一体どうしたらいいんだろ…
神崎くんの純真な笑顔を見つめながら今の環境について頭を悩ませていた。
「さようなら~」
「じゃあまた明日な。」
授業も終わり下校の時間になった。
私は一人で帰り道を歩いていると彼が、神崎くんがその視線の先にいた。
「それでな駅前に旨いラーメン屋があるんだよ。今度食いに行こうぜ。」
「いいなそれ。けど今は持ち合わせないんだよな。」
「それじゃあ日曜日行こうぜ。それならみんな都合いいしな!」
彼は仲のいい男友達と食事に行く約束をしているみたい。
明るい彼はいつも男子グループのリーダーだ。
私はそんな彼をいつも遠くから見つめている。
クラスでも平凡で地味な私にはこれが精一杯。これ以上の行動は起こせない。
本当ならすぐにでも告白したいけど今のままじゃ玉砕するのは明らかだ。
だから彼に少しでも近づきたくて志望校を同じ学校に決めた。
それで合格したら彼に告白しよう。
そう決心したからこそこれまでの努力を無駄にしたくなかった。
「あの…お爺さん大丈夫ですか…?」
そんな時、神崎くんは道で座り込んでいるお爺さんに声を掛けていた。
あぁ…もう神崎くんは優しいんだから…
けどあのお爺さんだけど…よく見ると…嘘…信じられない…
あれってうちのお爺ちゃんじゃないの!?
「あ…ぐ…あが…」
「お爺さん聞こえますか。おうちの場所何処か教えてくれますか!」
「お…う…ち…?」
「そう、おうちです。送っていきますから一緒に行きましょう。」
「う…ち…あ…う…ぅ…」
ダメだ。お爺ちゃんは歯がないせいで呂律も回らないから喋れないし
おまけにボケてるせいで家の住所なんてわかるはずもない。
ていうかお爺ちゃんの世話って家でお母さんがしてくれているはずじゃん。
何でお母さんいないの!信じられない!?
「あ…あの…」
とにかく声を掛けなきゃいけない。
恥ずかしいけどこれで神崎くんと知り合えるならそれもいいかなと思った。
これで二人の間に恋心が芽生えて付き合えたらいいなとか夢を抱いた。
けれどそんな甘い夢は一瞬にして砕かれた。
「うぇ…臭い…」
それは神崎くんから離れた私のところまで凄まじい悪臭が漂った。
悪臭の原因はすぐに察しがついた。お爺ちゃんが大きい方を漏らしたからだ。
酷い…本当に最低なタイミングだ…
ボケて何もわからないお爺ちゃんは自分が何をやらかしたのかまったくわからない様子だ。
この状況でなんて能天気なんだろ。
それにしてもここで神崎くんに私がお爺ちゃんの孫娘だと出たらどう思われるのかな。
きっと軽蔑される。この初恋をお爺ちゃんのお漏らしなんかで台無しにさせるもんか。
だから今はなんとかやり過ごすしかない。私は隠れながらこの場を通り過ぎようとした。
「あ…よし…こ…よし…こ…」
ちょっと…やめてよ…お爺ちゃんが私のことに気づいてしまった…
呼びかけただけじゃなく手振りしてまるでこっちに来いとジェスチャーしてきた。
それだけじゃない。このことに気づいた神崎くんが私の前に近づいてきた。
「キミは同じクラスの田中さんだよね。このお爺さんは身内の人なのかい?」
本当だったらちがうと答えたかった。けど神崎くんの前で嘘は付けない。
私は神崎くんの問い掛けに黙って頷くしかなかった。
「うん…この人は私のお爺さんだから…」
「そうか、お爺さんだけど自分の家がどこかわからないみたいなんだ。
けどキミだけじゃ大変だろ。俺たちもお爺さんを送るのを手伝うから案内してくれないか。」
きっと神崎くんは善意で申し出たんだと思う。けど私にはそんな余裕はなかった。
大好きな人に家族の恥部を見られた。
それはテストで先生から赤点を取ったとクラスのみんなの前で言い渡されるよりも恥ずかしいレベルだ。
神崎くんは善意で言ってくれてるし他の男子たちも快く協力を申し出てくれている。
それでもどうしようもなく嫌だった。
私は神崎くんたちの好意はありがたいけど自分で送ると言って申し出を断った。
こうして神崎くんたちと別れた私は惨めな気持ちでお爺ちゃんと自宅へ帰った。
自宅に帰ると居間に一枚の書置きがあった。書いたのはお母さんだ。
内容は買い物に行くから帰ってきたらお爺ちゃんの世話をお願いと記してあるだけ…
お爺ちゃんは何も言わずに黙って自分の部屋へと戻って行き私は居間に一人取り残された。
それから一人になった私はというと…
「 「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!???」 」
堪らずその場で怒鳴り声を上げた。もう限界だった。
この三ヶ月間、ずっと堪えてきた。けどもう無理だ。これも全部お爺ちゃんのせいだ!
あの爺が来てから家の中はあいつのおしっこやクソだらけ!
ご飯の時は食べ物をボロボロ壊すわ食べる姿は汚らしいわ本当に嫌だ!
それに他の家族もだ!
お母さんは何故か文句も言わずにお爺ちゃんの世話を淡々とやっているし…
お父さんとお兄ちゃんはこんな家の現状を知ってかこの三ヶ月はいつも夜遅く帰ってくる。
けど私はちがう。受験を控えた私に逃げ場所なんて自分の部屋くらいしかない。
どうしたらいいの?このままじゃ受験には間違いなく不合格だ。
大好きな人と同じ学校にも行けず告白もできないままで終わるの。
嫌だ。冗談じゃない。それだけは絶対に許さない。
でも私が何か言ったところでお母さんたちがすぐにお爺ちゃんを追い出してはくれない。
それならどうしたらいい。どうしたら…
こうして私は心に激しい憎しみを募らせながら十二月に入った。
この時期になるとさすがに外も寒くなりコートや手袋を手放せなくなった。
お爺ちゃんもこの頃は
風邪をこじらせるようになり毎日布団の中で寝たきりが続いていた。
そんな動かなくなったお爺ちゃんを見て
安心したのかお母さんはその頃合を伺って買い物や用事を済ませるようになった。
そして私はこの間にある恐ろしい計画を企てていた。
「ただいま…誰かいる…?」
ある日、学校が半日で終わり私は急いで家に戻ってきた。
家の中には誰もいない。お父さんとお兄ちゃんは勿論のことお母さんもいない。
お母さんは買い物に行った。最近じゃ結構遅めに帰ってくるからすぐには戻らない。
よし、今なら間違いなく実行することが出来る。
私は部屋に駆け込むとまずは男物の衣服を取り出した。
お兄ちゃんが着なくなった服だ。私にはちょっとサイズが大きいけどこの際仕方がない。
それを着て帽子を深く被るとお父さんから前借りしたお小遣いを引っ張り出した。
財布の中には一万円の現金が入っている。二人で目的地まで行くには十分なお金だ。
それを持ち出すと私はお爺ちゃんの部屋へと向かった。
お爺ちゃんは風邪のせいで布団の中でぐっすりと眠っている。
やるなら今しかない。私は眠っているお爺ちゃんを呼び起こした。
「起きてお爺ちゃん。出かけるよ。」
「でか……ける……?」
「そう、出かけるの。わかる?これから一緒にお出かけしようね。」
私の呼びかけに応じてくれたのか
お爺ちゃんは不自由な足腰でなんとか立ち上がり一緒に行くことに同意してくれた。
寝巻きのままだと不自然に思われるからズボンを履き替えてジャンパーだけは着させた。
これでOKだ。家を出た私たちは近所の人たちに見つかることもなく電車に乗った。
電車はガタンゴトンと揺れながらある場所へと向かっていた。
それはS県の外れにある山ばかりがそびえるT市。そこへ私たちは向かった。
『終点~!終点~!』
それからT市に入った私たちはさらに奥にある終点まで向かった。
そこは本当に何もない場所だ。
山々とわずかにある民家とそれに神社がある程度の辺鄙な土地。
ここが私の目的地。今からこの場所で私は恐ろしいことをやらなければならない。
「よし…こ…どうだ……たの…し…か…」
そんな私の気も知らずお爺ちゃんは何か話しかけてきた。
やめて、話さないで。唯でさえ加齢臭で臭うんだから話しかけないでよ。
けどそんなお爺ちゃんに私はある頼み事をした。それは…
「ねえお爺ちゃん。ここって学業の神さまが祀っているんだって。
私って今年受験生なんだよね。お願いだから一緒にお祈りしてくれるかな。」
その申し出にお爺ちゃんは笑顔で頷いてくれた。
そして私たちは一緒に境内へと歩き出した。
その途中お爺ちゃんが身軽になるようにと私はジャンパーを脱がした。
お爺ちゃんもちょっと汗をかいたみたいでそれならと自分のジャンパーを渡してくれた。
そして境内にたどり着いた私はある行動に出た。
「このっ!」
私は境内に向かってお爺ちゃんを突き飛ばした。
お爺ちゃんは何が起きたのかわからずその場で倒れてしまった。
それから駆け足でこの神社から出て最寄りのバス停まで急いだ。
もう電車には乗れない。
行きは二人だったのに帰りは一人だということに車掌さんに気づかれたらおしまいだ。
だから帰りの道はちがったルートを通らなければならない。
地図を頼りに私は近くの町まで走るバス亭を目指した。
急げ!急げ!急げ!一秒でも早くここからいなくならなきゃ!
もう無我夢中だった。誰もいない山の中だから目撃者はいない。
けどもしも誰かに見られたら私はたちまち犯罪者扱いだ。
だからこの山道を全力で駆け抜けた。もう無我夢中で必死だった。
これはお爺ちゃんをこの山の中に捨てる計画だ。
鉄オタのお兄ちゃんが読んでいる本を盗み読みして
この近隣で人がいない駅を徹底的に調べ上げて練った計画。
もうこれ以上お爺ちゃんとの生活には耐えられない。
けど私が何か言ったところで誰も話なんて聞いちゃくれない。
だからこの強攻策に打って出た。お爺ちゃんを山の中に置き去りにする。
すべては神崎くんと同じ学校に入るため…
そして大嫌いなお爺ちゃんとさよならするためだ。
「あぁ…お父さん…どこに行ったのよ…」
数時間後、道中で自分の服に着替えて
何も知らないフリして家に戻るとお母さんが慌ただしく取り乱していた。
理由はもうわかっている。お爺ちゃんが家からいなくなってしまったからだ。
お母さんは私が帰ってきたことにも気づかないくらいに激しく動揺していた。
お父さんやお兄ちゃんに連絡してそれに警察に駆け込んで捜索願まで出した。
――――けどその日、お爺ちゃんが帰ってくることはなかった。
それから年が明けて三月になり受験の合格発表が行われた。
「やったぁっ!合格だ!」
私は志望校から合格通知を受け取り念願の志望校への入学が決定した。
やった!やった!やった!これで4月から神崎くんと同じ高校へ通える!
これで彼とずっと一緒だ。それであわよくば彼に告白して付き合うことだって夢じゃない。
恋する私は志望校への合格よりも大好きな彼と同じ高校に入れる喜びに溢れていた。
あとはこのことを家族に自慢しよう。
今まで何の取り柄もない私がこの辺りでも偏差値高めの学校に入れたんだ。
これを喜ばない親がいるはずないもの。そう思った私は学校が終わるとすぐ家に帰宅した。
「ただいま~!お母さん聞いて~!」
帰宅した私は家にいるはずのお母さんに志望校へ合格したことを知らせようとした。
けど家の中はどういうわけか不気味なまでに静かだった。
何か様子がおかしい。そう察しながらも居間に行くとお母さんは新聞を広げていた。
その新聞にある小さな記事にあることが記載されていた。それは…
「あら、お帰り。早かったのね。」
「うん…ところでさ…志望校に合格したんだ…それを伝えようと思って…」
「そう、合格したんだ。よかったわね。」
お母さんは私が志望校に合格したことをどうでもいいかのように聞き流していた。
その理由はもうわかっている。
お母さんが読んでいる新聞の記事にはある事実が記載されているからだ。
『S県T市の山奥で身元不明の男性の変死体が発見!?』
その記事を読んで私は自分の犯行について思い出していた。
あの日からお爺ちゃんのことは考えないようにしていたからだ。だって受験があったし…
それにもしかしたらお爺ちゃん生きてるかもしれないと思ったから…
だって…ほら…あの辺りには一応民家だってあったし…
もしかしたら誰か助けてくれたかもしれないし…
「この亡くなった人だけどお爺ちゃんよね。」
お母さんの問いに私は額から嫌な汗が出てきた。
まだ肌寒い三月に汗をかくなんてありえない。おまけに足が震えてる。
それからお母さんは激しく動揺する私に対してこう告げた。
――――アンタお爺ちゃんを殺したでしょ。
ちがう!ちがう!ちがう!私はお爺ちゃんを殺してなんていない!?
ただ…懲らしめようと…いなくなってほしいと思っただけなの…
だって私は受験生なんだよ。あんな厄介な人がいたら受験に響くに決まってるじゃん!
だから私は悪くない。悪いのはお爺ちゃんだ。それに家族だって…
「私は悪くない…悪いのはお母さんたちだ…」
「何でこの時期にあんな厄介な人を家に招いたのさ。どうなるかわかってたでしょ!」
「それにお父さんとお兄ちゃんだって露骨に逃げていたじゃん!」
「あんなお爺ちゃんを誰かに見られたらどうなる?大好きな人にだって軽蔑される!」
「だから…私は悪くない…私は…だから…」
これまで溜め込んでいた感情をすべてお母さんの前で吐き出した。
そのことで何か咎められるんじゃないかと覚悟したけど…
不思議とお母さんは落ち着いていた。いや、ちがう。むしろ諦めたとかそんな感じだ。
それから長い沈黙の時間が過ぎた。何で黙ったままなのか怖くて聞けなかった。
けど黙り続けるのも限界だったのかお母さんがあることを呟きだした。
「アンタの名前だけどお爺ちゃんが名付けたのは知っているよね。」
そんなことは知ってるよ。私をよい子に育てたいから良子なんて付けたんでしょ。
でも私はお爺ちゃんにとってよい子じゃない。むしろ悪い子だ。
「それがどうしたのさ。今更名前なんてどうだっていいじゃない!」
「いいえ、本当はそうじゃないの。
アンタの名前は私の死んだお婆ちゃんが良子だったからだよ。」
え?お母さんのお婆ちゃん?
つまり私にとってはひいお婆ちゃんでお爺ちゃんにしてみれば実のお母さんだよね?
それがどうして私の名前になったの?
「もう30年以上前の話よ。私もアンタと同じ受験生だった。」
それからお母さんはとある過去の出来事を話してくれた。
今から30年前、当時受験生だったお母さんはある悩みを抱えていた。
その悩みとは同居していた私のひいお婆ちゃんが痴呆症を患ったことにあった。
それが原因で家庭崩壊の危機に陥ったという話だ。
「当時、私は酷い受験ノイローゼに襲われたわ。
このままじゃ志望校に合格なんて出来やしない。かといって施設に空きもないし…
それにお母さんは死んでしまって本当にどうにもならない状況だった。」
ひいお婆ちゃんはいつもお父さんの名前を喚いていた。
『次郎はどこだ?何でいないの。まさか私のことを見捨てたんじゃないか。』
だからひいお婆ちゃんを宥めるのはいつもお爺ちゃんの役目だったらしい。
そんなお爺ちゃんだけどそれで一番不快だったことがあった。それは名前を呼ばれること。
お爺ちゃんは自分の名前を叫ばれるのは嫌だった。どうしてかって?
次郎という名前は単純に次男坊だからという意味合いで付けられたそうだ。
自分の名前が安易に付けられたことをお爺ちゃんは極端に嫌っていた。
なんだろ…私には良く理解できる悩みだ…
「そんな私を見かねてお父さんはある行動に出た。」
「ある日、お父さんはお婆ちゃんを連れてどこかへ行った。
帰って来た時はお父さん一人だけ。おばあちゃんの姿はどこにもなかった。」
「その数日後、近隣の山で身元不明の遺体が発見された。」
「それで察したわ。
お父さんは何も言わなかったけどお婆ちゃんを山へ置き去りにしたのよ。」
それは昔から伝えられている姥捨てという習慣らしい。
貧しい村で年老いて働けなくなった老人を子供たちが山の奥へと捨てるという習わし。
同じだ。私がやったこととまったく同じだ。
「思えばこれが報いだったのかもしれない。
お父さんはお婆ちゃんを捨てたことをこれまでずっと後悔していた。
だって実の母親を捨てるのよ。信じられないでしょ。」
「それで何で私がやったなんてわかるの…この家にはお父さんやお兄ちゃんもいるのに…」
「当然でしょ。アンタには死んだお婆ちゃんの名前が付いているもの。
本当は教えるつもりはなかったけど
アンタの名前はお父さんがお婆ちゃんを殺したことを悔いたから…
だから生まれ変わって幸せになってほしいから同じ名前を付けてあげたの。」
これまでの一部始終を聞かされて私はこれまでのお母さんの行動が理解出来た。
どうしてお母さんは家庭内に問題を持ち込むことをを嫌うのか?
それは過去にお婆ちゃんを殺したから…
トラブルに関わるのはもうゴメンだと…だから注意していたんだ…
そんなお母さんがどうしてお爺ちゃんの介護だけは積極的だったのか?
お爺ちゃんが過去にお母さんのためにひいお婆ちゃんを殺したせいだ。
そしてお爺ちゃんが
私のことをお母さんと呼んでいたのは自分の手で母親を山へ置き去りにしたから…
だからなんだ。物事には全部理由があった。けどこのことを何で私にだけ打ち明けるのさ。
「私はアンタのことを警察に通報したりしない。これ以上の厄介事は嫌だよ。」
「それでも覚悟しなさい。」
「アンタはお父さんを殺した。その昔、お父さんはお婆ちゃんを殺した。
お父さんは結局お婆ちゃんを殺した報いを最悪な形で受けた。自業自得かもしれない。」
「けれどそれはアンタにだって起こり得ることなの。アンタもいずれは…」
「ごめんなさい。わかっていたのにこんなことになってしまって…」
お母さんは私に対して謝罪の言葉を呟くとそれっきり奥の部屋へ閉じこもった。
一人取り残された私はこの事実を聞かされて愕然とした。
うちみたいな平凡な家庭にまさかそんな悲惨な過去が隠されていたなんて…
そして恐怖した。いつか私にもお爺ちゃんと同じような報いが訪れることを…
――――
―――
――
それから数十年の時が流れた。
「う…あぐ…」
足腰が痛い。呂律もろくに回らない。還暦を過ぎてから足腰が悪くなってきた。
歳なんて取りたくない。これ以上生きているのは苦痛のように感じる。
お母さんが忌まわしい真実を打ち明けてくれてからかなりの年月が過ぎた。
そのお母さんはもう亡くなってしまった。私はというとあの憧れの神崎くんと結ばれた。
私にとって人生最大の告白は大成功を収めた。
この初恋は成就しただけでなく私たちは結婚した。
それからは幸せな毎日が続いた。子供も出来て今では立派な大人に成長した。
けれど幸せばかりが続いたわけじゃない。数年前に最愛の夫が亡くなった。
彼が亡くなったことで私は気落ちしてしまい医者からは欝ではないかと診断されたわ。
だから私は息子夫婦の家に移ることになり息子は私のことを心から歓迎してくれた。
「チッ…」
けれど家族の中に一人だけ私のことを歓迎してくれない人間がいた。
それは息子の子供で次男の…名前は…そういえば私がつけたのよね。
次男で…それにあの人の名前を付けたんだわ。
――――次郎と…
この家の人間は仕事や学校に出ていて殆ど不在の状況だ。
暇を持て余した私はそんな暇潰しに廊下を歩き回ってみた。
ところで股下がちょっぴり冷たいわね。どうしたのかしら?
「………婆ちゃ……てんだ……床が……!?」
そんな私に気づいた次郎が何か怒鳴り声を上げていた。
どうしたのかしら?耳が遠くてよく聞こえない。床がどうしたですって?
さらにある時は外へ出歩いてみた。足腰が悪くなったけど私だってまだ充分動けるわ。
けど、あら?ダメね。少し歩いただけでクタクタになってしまったわ。
あぁ…どうしたらいいのかしら…
「おば……ちゃ……だいじょう……ですか……?」
そんな私にとある少女が手を差し伸べてくれた。
綺麗なお嬢さん。孫の次郎と同い年くらいかしら。
ところで…何か臭いわね…いやね…一体何なのかしら…?
「婆ちゃっ!……何して……」
そこへ次郎が駆けつけてきて何か喚いていた。
見ると次郎は顔を真っ赤にして酷く険しい表情だ。
私を介抱してくれた女の子が何かを申し出ているけどそれを次郎は固くなに拒んだ。
それから次郎は私の腕を掴むとまるで逃げ出すようにこの場を立ち去った。
何かしら?昔…同じようなことがあった気がする…
けどそれが何なのか全然思い出せない。まるで頭の中に靄が掛かったみたいな感じだ…
季節は流れて肌寒い十二月が到来した。
この頃になると私は部屋に閉じこもり寝たきりな生活を送りがちだ。
家族も仕事やら学校やら多忙で家には私一人だけの時間が増えていく。
そういえば昔…このくらいの時期に私は何かやったわね…
それが何なのかよく思い出せない。
確か死んだお爺ちゃんを連れてどこかへお出かけしたのよ。
あの場所は…どこかの山の中だったわね…
何で私はあんな山の中にお爺ちゃんを連れて行ったのかしら?
そんな朧げな記憶に頭を悩ませていると部屋に誰かが訪ねてきた。
それは孫の次郎だ。見ると次郎は遠出の服装をしていた。
「…ばあちゃ……これか……いっしょに……やま……いこう。」
よく聞こえないけど次郎は私をどこかへ連れ出そうとしていた。
そうね、いいかもしれない。最近運動不足だし健康にいいかもしれない。
そう思った私は次郎の言う通りに従った。
電車を乗り継いで終着駅まで行くと人里離れた山奥までたどり着いた。
そこは粗末な神社がひとつだけ建つお世辞にも綺麗とは言えないなんとも錆び付いた場所。
どうして次郎はこんなところへ私を連れてきたのかしら。
「なあ……おれ……受験……だから……お参り……」
よく聞き取れなかったけど次郎はここへ受験の合格祈願に訪れたらしい。
そうよね。次郎だって今年は受験生。大変な時期を迎えた。
孫の受験合格祈願のためなら神社にお参りをしなきゃならないわよね。
こうして神社へとお参りしようとした時だ。私の脳裏にある忌まわしい記憶が蘇った。
それは年老いたお爺ちゃんをこの神社に置き去りにした記憶。
あれから私は当時犯した罪を忘れて生きてきた。
何故ならあれは人が犯してはならない禁忌だ。
当時の幼かった私は自分の初恋を成就させることしか考えられなかった。
けれど大人になった今ならわかる。
どんな事情があろうとあんなことやるべきじゃなかった…
「――――このっ!」
そんな過去の忌まわしい記憶を辿っていた時だった。
背後にいた孫の次郎が私を突き飛ばした。それから私のコートを奪い取った。
これは覚えがある。あの時と同じだ…
「この………ババァッ!……の……せいで……彼女に……嫌われ……どうして……んだ…」
孫は私に向かって怒鳴り散らしていた。
耳が遠くなってしまったけどその意味はすぐに理解できた。
先日会ったあの可愛いお嬢さん。孫はあの子に恋心を抱いている。
そんなお嬢さんの前で身体が不自由な身内を晒せば軽蔑されると不安になった。
だから孫は私を…
「いい……気味……ずっと……そこ……いろ……」
辛うじて聞き取れたけど…
『いい気味だ。ずっとそこにいろ。』
孫は間違いなくそう叫んだ。それから孫はどこかへと立ち去ってしまった。
私はというと哀れみな声で目の前から遠ざかろうとする孫に助けを請おうとした。
『お願い!助けて!』
けど歳を取り呂律の回らなくなったせいで大声なんて叫べない。
それから孫もいなくなり辺りは真っ暗な夜になった。
寒くて…怖くて…暗い…この辺りには電灯すらない…
私は神社の境内で丸まりながらなんとか暖を取ろうと必死だった。
こんな形で死にたくない。その思いでいっぱいだった。
「あ、あぁ…お…じいちゃ…」
一人孤独に打ち震えている中で思わず死んだお爺ちゃんのことを呟いた。
これは自業自得だ。あの日、私がお爺ちゃんをこの山に捨てなければ…
私たち家族がお爺ちゃんに歩み寄ればこうはならなかった。
数十年前、お母さんはこの地で発見されたお爺ちゃんの遺体を確認することはなかった。
私とお爺ちゃんへの罪悪感でこれ以上の面倒に巻き込まれる余裕はなかった。
そんなお母さんだけど死に様は悲惨だった。
死に際でお母さんは何度もお爺ちゃんに謝罪していた。
『ごめんなさい…私が悪かった…』
その言葉を何度も何度も叫びながらお母さんは亡くなった。
そして私もまた…あの時のお母さんよりも酷い死に様を迎えようとしている…
この寒さだ。おまけに年寄りの身体では凍え死ぬのは間違いない。
フフ…これもすべては自業自得…
確かに初恋は成就した。今まで地味に生きてきた私には身の丈にも合わない恋だった。
けどその代償は大きかった。だからこそ思う。
人生とはどこかで帳尻が合うように作られているんだ。
そしてもうひとつ危惧するのは孫の次郎。
次郎も将来きっと罰を受けるだろう。あの子にどんな罰が下されるのかわからない。
だけど思う。その罰とは間違いなくあの子にとって最悪な形で引き起こるものだ。
そう思うと次郎に恨みなどなかった。むしろ哀れみすら感じる。
あぁ…意識が遠くなってきた…もうすぐ私もあの世へ行くんだ…
夫と同じ天国に逝けたらいいなぁ。
いいえ、それは無理よね。それじゃあお爺ちゃんやお母さんと同じところかしら。
だとしたら今度はちゃんと謝ろう。
――――お爺ちゃんごめんなさい。
end
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コメント一覧
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- 2018年07月11日 23:38
- 便所のネズミが漏らしたクソ以下のSS
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