大きな災害のたびに取り沙汰されるようになった「被災地に千羽鶴は迷惑」論ですが、現場ではどのように捉えられているのでしょうか。2016年4月14日に起こった熊本地震の際の状況について、熊本市復興総室の室長に取材しました。
――熊本地震の際は、被災地にどれほど千羽鶴が贈られて来たのでしょうか。
室長: 量としてどれほど来たのかは、市で一元的に総括していないので具体的にはわかりません。知り合いのつてで仮設住宅所へ贈るなど、避難所、各自治体、学校などそれぞれ被災者のいる場所へ直接送るケースが多いですから。
室長: ただ正直言うと、発災直後に千羽鶴や色紙はそれほど送られてこなかったと思います。個人からの支援物資としては、やはり水や衣類といった「生きていくために必要なもの」が優先的に届きました。千羽鶴や色紙は、震災からしばらくたって現場が落ち着いてからでしたね。届いた千羽鶴の廃棄に困っているという話は聞いたことがなく、報告書としてもあがってきたこともありません。
――市役所に届いたものはどのようにしていましたか?
室長: 「熊本の子どもたちへ」とあったら教育委員会へ各学校に送ってもらう、「避難所の方へ」とあったら避難所へなど、状況に応じて届けるようにしていました。市役所のカウンターに飾ってあるのもあります。
――支援物資で処置に困ったことは何かありましたか。
室長: 処置に困ったのは折り鶴や色紙よりも、避難者が少なくなった後でも日本全国から個人の支援物資が大量に届いてしまったことです。
・熊本地震
被災地のニーズは時間がたつにつれ変わってしまいます。発災直後は水、はがき、生理用品などいろんなものが必要で、それは数があるだけ助かるもの。しかし落ち着いてきてそれらが必要十分あるにもかかわらず、水、毛布、簡易型のダンボール型ベッド、乾電池、化粧品、子ども用のミルク、おしめなどが多く送られてきました。
ニーズにマッチしない上に数もすごいので、持て余してしまいました。
――現段階で西日本の大雨の被災地へ支援するとすれば、どのような形が喜ばれるのでしょうか。
室長: まず話にあるような千羽鶴や色紙を現時点で送るのは、先方が困られるので控えた方がいいと思います。というよりも、個人からの支援物資を送ること自体をやめた方がいいでしょう。
室長: 現地ではまだ人命救助も終わっていないところもある上に、各避難所へ水や服、おにぎりといった必需品をいかに早く的確に送り届けるか、各自治体は対応に追われているところだと思います。現場のマンパワーも不足している中、そこに個人が物資を送ってしまうとさばききれず、混乱を招きかねません。
室長: 今にでも送りたい気持ちはわかりますが、被災地でボランティアや物資を受け入れる環境が整ってからの方がいいです。支援物資の申し出ようと電話も掛ける人も多くいますが、現在は他の対応で立て込んでいる状況なので、それも控えるべきかと。自治体などに、義援金を送っていただくのが最もよいかもしれません・・
(source: ねとらぼ - 「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く)
・>「折り手の優しい気持ちも少しは考えて」と反感を覚える人もいます。
だから、それが自己満足の押し付けなんだってば。
そんなにちまちまなんかやりたいなら、手芸品でも作って、チャリティーバザーで売ってお金に替えて、寄付すれば?
・言い過ぎかもしれないが、こんな言葉を思い出した。
押し付けた善意は悪意となんら変わりない。
・千羽鶴や個人的な物資より、自治体の救援品や義援金がいい。
これは普段の贈り物でも同じ。センスがなくてもらっても使わないものより金券がいい。
・呼ばれてもいないのに、子供達を連れて行って合唱を聴かせるのもやめたほうがいい。
・自分が被災した時に何が欲しいか
家族が被災した時に何を送るべきか
そこから考えれば真っ先に千羽鶴なんてことはならないと思う
送るのだとしたら入院中の友人・家族にとか
『するべきことはして、もうあとは祈るぐらいしかできることがない』時じゃないだろうか
・例えば百均で折り紙買ったとしたら、その108円でもみんな募金したらいい。
絶対お金なんだから。
・送る方は自分だけやってるって思うかもしれないけど。それがわんさか来たらどうなるか。邪魔でしょ?欲しくない手作りプレゼントをたくさんもらうことと似てる感じ、と、想像してみてほしい。それなら、募金してほしい。
大事なのは相手側に立った想像力。
・被害に遭われた地域によって、必要な物資は異なると思うので、義援金の方がいいと思う。
個々が変にお節介しないのが、被災地の方々の支援だと思う。
あとは朝から晩までマスコミの取材はウザい。
・支援物資の送り方は?
――熊本地震の際は、被災地にどれほど千羽鶴が贈られて来たのでしょうか。
室長: 量としてどれほど来たのかは、市で一元的に総括していないので具体的にはわかりません。知り合いのつてで仮設住宅所へ贈るなど、避難所、各自治体、学校などそれぞれ被災者のいる場所へ直接送るケースが多いですから。
室長: ただ正直言うと、発災直後に千羽鶴や色紙はそれほど送られてこなかったと思います。個人からの支援物資としては、やはり水や衣類といった「生きていくために必要なもの」が優先的に届きました。千羽鶴や色紙は、震災からしばらくたって現場が落ち着いてからでしたね。届いた千羽鶴の廃棄に困っているという話は聞いたことがなく、報告書としてもあがってきたこともありません。
――市役所に届いたものはどのようにしていましたか?
室長: 「熊本の子どもたちへ」とあったら教育委員会へ各学校に送ってもらう、「避難所の方へ」とあったら避難所へなど、状況に応じて届けるようにしていました。市役所のカウンターに飾ってあるのもあります。
――支援物資で処置に困ったことは何かありましたか。
室長: 処置に困ったのは折り鶴や色紙よりも、避難者が少なくなった後でも日本全国から個人の支援物資が大量に届いてしまったことです。
・熊本地震
被災地のニーズは時間がたつにつれ変わってしまいます。発災直後は水、はがき、生理用品などいろんなものが必要で、それは数があるだけ助かるもの。しかし落ち着いてきてそれらが必要十分あるにもかかわらず、水、毛布、簡易型のダンボール型ベッド、乾電池、化粧品、子ども用のミルク、おしめなどが多く送られてきました。
ニーズにマッチしない上に数もすごいので、持て余してしまいました。
――現段階で西日本の大雨の被災地へ支援するとすれば、どのような形が喜ばれるのでしょうか。
室長: まず話にあるような千羽鶴や色紙を現時点で送るのは、先方が困られるので控えた方がいいと思います。というよりも、個人からの支援物資を送ること自体をやめた方がいいでしょう。
室長: 現地ではまだ人命救助も終わっていないところもある上に、各避難所へ水や服、おにぎりといった必需品をいかに早く的確に送り届けるか、各自治体は対応に追われているところだと思います。現場のマンパワーも不足している中、そこに個人が物資を送ってしまうとさばききれず、混乱を招きかねません。
室長: 今にでも送りたい気持ちはわかりますが、被災地でボランティアや物資を受け入れる環境が整ってからの方がいいです。支援物資の申し出ようと電話も掛ける人も多くいますが、現在は他の対応で立て込んでいる状況なので、それも控えるべきかと。自治体などに、義援金を送っていただくのが最もよいかもしれません・・
(source: ねとらぼ - 「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く)
熊本地震で被災した熊本市「個人からの支援物資を送ること自体やめた方が良い」https://t.co/F2IdTGPDUS
— やそう (@yasou_ika) 2018年7月11日
「やる偽善」と「ありがた迷惑」は別物です。相手が困ることはしてはいけません。
・>「折り手の優しい気持ちも少しは考えて」と反感を覚える人もいます。
だから、それが自己満足の押し付けなんだってば。
そんなにちまちまなんかやりたいなら、手芸品でも作って、チャリティーバザーで売ってお金に替えて、寄付すれば?
・言い過ぎかもしれないが、こんな言葉を思い出した。
押し付けた善意は悪意となんら変わりない。
・千羽鶴や個人的な物資より、自治体の救援品や義援金がいい。
これは普段の贈り物でも同じ。センスがなくてもらっても使わないものより金券がいい。
・呼ばれてもいないのに、子供達を連れて行って合唱を聴かせるのもやめたほうがいい。
・自分が被災した時に何が欲しいか
家族が被災した時に何を送るべきか
そこから考えれば真っ先に千羽鶴なんてことはならないと思う
送るのだとしたら入院中の友人・家族にとか
『するべきことはして、もうあとは祈るぐらいしかできることがない』時じゃないだろうか
・例えば百均で折り紙買ったとしたら、その108円でもみんな募金したらいい。
絶対お金なんだから。
・送る方は自分だけやってるって思うかもしれないけど。それがわんさか来たらどうなるか。邪魔でしょ?欲しくない手作りプレゼントをたくさんもらうことと似てる感じ、と、想像してみてほしい。それなら、募金してほしい。
大事なのは相手側に立った想像力。
・被害に遭われた地域によって、必要な物資は異なると思うので、義援金の方がいいと思う。
個々が変にお節介しないのが、被災地の方々の支援だと思う。
あとは朝から晩までマスコミの取材はウザい。
・支援物資の送り方は?