特集
2018年7月11日
ヤマザキのパン屋、懐かしいなーっていう記事です。
大阪市にある此花区の商店街をフラフラしていたとき、『ヤマザキサンロイヤル』という看板を掲げたお店を見かけた。
おおぉ、最近すっかりご無沙汰していたヤマザキのパン屋さんだ。駄菓子屋でもなく、コンビニでもない、ヤマザキのパン屋さん。懐かしい。昔は家の近所にもあったので、一気に忘れていた思い出が湧きあがってきた。
玉置標本(たまおきゆたか)
趣味は食材採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は製麺機を使った麺作りが趣味。前の記事:「大阪のホルモンうどんを遡ったら沖縄の中身汁に辿りついた」 人気記事:「一番安い寝台車のシート、ノビノビ座席で寝てきた」 > 個人サイト 私的標本 趣味の製麺 懐かしのヤマザキショップ、サンロイヤル河野どの町内にも必ずあったイメージのヤマザキショップ。別名Yショップ。人によってはヤマパンと略すことも。いっそヤマザキだけでも通じる。
ヤマザキという名前は大手パンメーカーであると同時に、街のパン屋のことでもあった。私の家から一番近い店がまさにヤマザキショップで、買い食いを覚えたのもそこ、遠足のおやつを買うのもそこだった。 しかし、だんだんと行く機会は減って、いつしか店自体もスナックに変わってしまった。パン屋のおばちゃんがスナックのママになったのだ。 店頭に折れたアイスのあたり棒が落ちていて、おばちゃんに「これは使えますか?」とバカ正直に聞いて、「それは私が捨てたやつだからダメ」と言われたのとか思い出した訳ですよ。この店の話じゃないですよ。
そんなことを思い出しつつ、ヤマザキのパン屋って、一体どういうシステムなんだろうという疑問もあり、ちょっとお話を伺わせていただいた。
「ヤマザキは東京の会社でしょう(創業は千葉で昭和37年に本社を墨田区に移転)。昭和45年の万博の年に大阪へ本格的に進出してきて、ここも47年からヤマザキのパンを扱うようになったの」 パンはもちろんヤマザキオンリー。オンリーだからこそ、スーパーなどではなかなか見かけないヤマザキの商品に出逢うことができる。
「元々は量り売りをしていた街のお菓子屋さん。私は昭和56年に嫁いできたからその頃のことはわからないけれど、だんだん袋菓子に切り替わってきた頃にヤマザキの人が来て、『パンしませんか?』と。この辺は関西だから神戸屋が多くて、ヤマザキが新しいもんですから、どんどん売れたんです」
パン屋といえば店内でパンを焼く専門店のことだったのが、個別包装でパンが配送されてくるシステムによって、お菓子屋さんや雑貨屋さんでも、ヤマザキのパン屋になる日が来たということか。 そういえばどんな田舎にも一軒くらいあるよね、ヤマザキのパンを置くお店。そういうことか。 ヤマザキのパン限定だからこそのラインナップが楽しい。ソフトフレッシュって何味なんだ。
「個人商店からヤマザキショップになったのは平成3年からです。それまでパンの仕入れ先がヤマザキだったのが、一応フランチャイズになって。ただ私の気持ちとしては、ヤマザキショップというよりも、街のパン屋さんであり、お菓子屋さん。普通の駄菓子屋さんなんです。気持ちとしてはね」
しかし、街のお菓子屋さんとして存在するのも、なかなか大変なようだ。 このウエハースサンドと冷たい牛乳の組み合わせが最高に好きだった。
「お菓子の問屋さんが小売りをしだして、駄菓子専門店が増えたんです。私たちは定価100円のものを100円で売っていたんですが、問屋さんが小売りをすると少し安く売れるでしょ。子供もね、そういうのわかるから。素早いです、そういうとこにパッといきます」
最高100円分の買い物券が当たる10円のコイン型チョコがあって、箱内の当たりの配置を見抜いたI君が出禁になったことを思い出した。
「街中にコンビニが増えてヤマザキショップも減りました。価格がここと変わらないですけど、若い子に『コンビニとおばちゃんの店が並んでいたらコンビニいくよね?』って聞くと、『うーん、そうやなー』って。でも仕方ない、時代の流れやなーって。でも、どの商売でもそうですよね」
時代の流れ、そういわれると何も言えない。この店の広さだと、コンビニ(デイリーヤマザキ)に変わるというのも難しいのだろう。 「ただコンビニは店員さんがしゃべってくれないでしょ。お年寄りの方がお医者さんへ行くのにここで一服したり、買い物の帰りに牛乳を飲んだりコーヒー飲んだり、ちょっと荷物をおかしてなーとか。ここは井戸端です。だから私は店でずーっとしゃべっています。家の中ではしゃべらないですけど」 お年寄りが多いので、和菓子類も豊富に揃っている。
なるほど、ここは町内の井戸端なのか。
お酒を飲む人が立ち飲み屋や酒屋の角打ちで一杯やるような感じで、ヤマザキショップでコーヒー牛乳を飲みながら、ちょっとした愚痴をこぼしたいという人もいるのだ。 |