http://famicoroti.blog81.fc2.com/blog-entry-1196.html意外と答えられない「なぜゲームには統一規格ができないのか」という問いについて
今回はお蔵入り記事の救済企画!
5年くらい前の書きかけのエントリーを発見したので、再編集してみよう。
なお、本稿においてただ単に「ゲーム」といった場合、家庭用テレビゲーム機、及びそのソフトのことを指すこととする。スマホやPCを含めるかどうかは、あえて読み手の皆さんへ委ねよう。
◆意外と答えられない質問◆ Yahoo!知恵袋を散策していたら、
普段ならスルーしていたような質問に目が止まった。
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ゲーム好きな人間の単純な疑問なんですが、どうして「ゲーム機」という統一規格は出来ないんでしょう? 質問者はCDやDVDを引き合いに出し、
「なぜゲームには統一規格ができないのか」と問うていたのだ。たしかにCDやDVDはどこのメーカーの機器でも再生できるが、ゲームの場合はあれだろう、つまり、えーと……
意外と答えられなかったりする(笑)
そこで、過去に似たような質問で、どのような回答があったのか。まとめてみたよ。
【回答1:「自由競争」経済の宿命】 まずはこれ。おそらく誰もが思いつく理由であろう。
規格の主導権争いが起こるから
それは
「誰が元締めになるか」で必ず争いが起こるからだ。多くの国の経済が「自由競争」に基づいて成り立っている限り、このような争いは宿命的である。
※任天堂ファミコン工場の様子「社会科 はこばれてくるしくみシリーズ-11 ファミコンゲームの主役たち」(PHP研究所)より 例えばファミコンの場合、(一部を除く)参入メーカーはゲームをつくったら任天堂へROM生産を委託しなければならなかった。しかもそのための初期費用(数億円規模)は前払いだったという鬼条件。任天堂は、他メーカーからあがってくるゲームを検閲し、自前工場へ流すだけで大金が舞い込んでくる仕組みをつくったのだ。
しかしそのような牙城もいつか崩れるもの。残念ながら覇権争いが止むことはないのだ。
CDやDVDが統一規格なのは、どこか一社が独占的に儲かる仕組みではないからだろう。しかしそう考えるとまたひとつの疑問が生まれてしまう。すなわち
「なぜゲームは一社独占体制を好むのか」という疑問だ。
【回答2:ビジネス的な判断から】 ハードメーカーが一人負けするから
一方でこんな意見もあった。昔から家庭用ゲーム業界には
「ハードよりもソフトで儲けろ」という教訓がある。極端な話、ハードを赤字で売ってもいいからソフトで取り返せ、みたいなところがあったのだ。
古い例では任天堂
「カラーテレビゲーム」の戦略がそうだ。セガサターンも最晩年は売れば売るほど赤字だったという。したがってハードメーカーは儲からないというイメージがこのような回答を生んだのではあるまいか。
しかしゲームが物体から解放されつつある現代において、そのような傾向は見られなくなったように思う。
【回答3:独占禁止法に抵触する恐れ】 法律的に無理
続いてこんな回答も。おそらく独占禁止法のことを言ってるのだろう。実際に過去には任天堂がアメリカでATARIから独禁法で訴えられるということがあった。近年では欧州委員会がSteamのいわゆる
「おま国問題」を独禁法の疑いで調査したりと、いろいろキナ臭い動きを見せている。
ただし、それらはあくまでも結果に付随するものであり、だからできないという理由としては苦しいのではないか。
【回答4:「ゲームの進化」の妨げになる】 つづいて多かったのがこれらの意見。
・個性がなくなる
・最低水準に合わせたゲームしか作れなくなる
・全てのハードのそれぞれ不得意な分野に合わせないといけなくなる
まとめると以下の回答に集約されるだろう。すなわち……
ゲームの進化が遅れる
進化論を唱えたダーウィン風に述べるならば、競争することで
自然淘汰が起こり、より優れたものが残るという寸法だ。
毎度毎度ファミコンの話で恐縮だが(ここはそういうブログである)、思い起こせば1986年、任天堂がディスクシステムを市場へ投入した狙いのひとつに
「クソゲーの淘汰」があったことが想起される。任天堂は「書き換え」という制度を導入することによって、つまらないゲームは子どもたちの手によって自然に淘汰されていくと睨んでいたらしいのだ。
しかし、よく考えてみると、これらの意見は統一規格ができない理由を述べているようで述べていないことに気づく。なぜなら、それは裏を返せば
「ゲームの進化が遅れるからあえて統一してない」と言っているようなもの。そんなわけなかろう!
そもそも統一規格だと進化が遅れる、という根拠に乏しいように思うのだ。
【回答5:歴史が物語る】 MSX、3DO、ことごとく散った
このような哀愁漂う回答も見つけた。その昔、幾度となく行われた統一規格へのチャレンジはことごとく失敗に終わったという。歴史が物語るといったところか……
これは回答というよりも昔話である。
【回答6:神の存在証明】 1~5、どの回答も個人的にしっくり来ないので、最後に少し神の存在の話をしよう。
古代ギリシャの哲学者たちの間で
「神は存在するのか」という命題は大人気だったわけだが、ある日、ひとりの男が画期的な答えを導き出したという。雑に要約すると、すなわち以下である。
「神」という言葉には元々「存在する」という意味が含まれている
※詳しくは「神の存在証明」でググってちょ 目から鱗とはこのことだ。なんのことはない。極端に言ってしまえば「神が存在するのか」と問うことは「存在が存在するのか」と問うようなもの。日本へ来日する、左へ左折する、と言ってるようなものだったのだ。そういうことは早く教えて欲しかった……
ではこの論法に倣い、ゲームの場合を考えてみよう。一般的な家庭用ゲーム機のソフトは
「コンピュータプログラムの塊」である。逆に言えばプログラムの塊を、わざわざ物体化したものがゲームである。汎用性の高いコンピュータプログラムを、限定されたハードでしか動かないよう、わざわざ物体化したものがゲームであると表現してもいい。つまり、もうおわかりかと思う。ゲームという言葉の中には
もともと「非統一規格化する」というニュアンスが含まれているのではないか、というのが私の見解だ。
故に、表題「なぜゲームには統一規格ができないのか」は、
質問の時点で既にトートロジー的な矛盾を孕んでいたというわけか。言うなれば、なぜ渡米するやつはアメリカばかり行くのか、なぜ左折すると右へは曲がれないのか、と問われているようなものだったのだ。そりゃうまく回答できんわ!
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