今日はよろしくお願いします!しかし、いきなり鉄道ペーパークラフトがすごいですね…
特集
2018年7月25日
これが、生まれたてのふろく。
47歳の筆者にも、小学生の頃があった。そして今昔の大勢の方と同じように、小学館の学年誌にお世話になった。やはり一番の楽しみは、自分で作って遊べる「ふろく」だった。
あれから約40年…自分も何か作るようになったわけだが、ふろくとは、どうやって生み出されてきたのだろうか。 そのまさに生みの親、ふろくのアイデアから図面起こしまで担ってきた、いわば “ふろくマスター”にお話を聞けることになった。最後には、こちらからも「こんな付録はどうでしょう」という無謀な提案もしています。
乙幡啓子(おつはたけいこ)
1970年群馬県生まれ。工作をしがちなため、各種素材や工具や作品で家が手狭になってきた。一生手狭なんだろう。出したものを片付けないからでもある。性格も雑だ。もう一生こうなんだろう。前の記事:「「どうだ明るくなったろう」をハイパワーにする」 人気記事:「“ハト”ヒールでハトと仲良くなりたい」 > 個人サイト 妄想工作所 あれから40年…ついにマスターと対面小学館ということで、それらしい決めポーズで。とまどいの表情を隠せない中央が、大沢氏。
小学館別館のスタジオ、その片隅のテーブルで、ふろくマスター・大沢英海氏に話を聞く。
大沢氏は、この道もう40年ほどの大ベテランである。24歳のときに造形物を手がける事務所に入り、ふろくの仕事を数多くこなし、30歳で独立。以来、これまた多くのふろくやペーパークラフトの書籍を生み出してきた。 まずは、お持ちいただいたお仕事履歴を見つつ、ふろく話の端緒を探る。 数々のプロトタイプとともに。
鉄道ムックのペーパークラフトを手がけられた。
部品が細かい…。
このボンネットの曲線の出し方もすごいですね。
鼻先のこの優雅な曲線。我々だったら、偶然の果てにたどりつく造形であろう。
客車の屋根も地味にすごい。これ再現してあるとうれしいですね。
うれしい曲線。
大宮の鉄道博物館に実物があれば、行って観察してね。でも、”ここのカーブはこうすればできるな”、というのがもう頭の中にできてますよ。
普通は無理!紙をもんでいればたまたまできるけど…それじゃいけないんですよね。
激しい赤入れ。
鉄道は、マニアの目が厳しいので、編集部からのダメ出しがきついですね。窓の位置が微妙に違うとか、赤で直しがバンバンきました。
これは大人が作るためのものなので、難易度に遠慮はしなくていいんでね。難しくていいっていう。似てないほうが困るわけです。 ドラえもんののび太の家。私、「これは買いだ!」って店頭で一目惚れして買ったんだった。
三丁目の夕日。スバル360も3輪オートも、博物館に確認しに行って作ったそうだ。
絵しか資料のないときも。このビークルも、このような絵しかないところから↓
ここまで作る。
マクロスのレーザーディスクのふろくも、やっぱり絵だけ渡されて作ったという。
こんなロボットも。裏側がわからなかったりすると、おもちゃを取り寄せて作る。
カードキャプターさくら。立つようにと作った。本当になんでも作る。
マスクも作れるのか!と今更ながら驚く。紙でなんでも作れる、と林さんがしきりに感心してた
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