戻る

このページは以下URLのキャッシュです
http://world-fusigi.net/archives/9201499.html


【昭和の怪奇事件】「必ず死ぬ」の因縁つき…呪われた伝説のお化け屋敷が実在した!?(前編) | 不思議.net

まとめサイト速報+ 2chまとめのまとめ ワロタあんてな news人 カオスちゃんねる

【昭和の怪奇事件】「必ず死ぬ」の因縁つき…呪われた伝説のお化け屋敷が実在した!?(前編)

2018年08月11日:22:00

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント( 9 )

謎の新聞記事「大森のお化け屋敷」

2018年6月某日、いつものように図書館で古新聞を調べていたら奇妙な記事を発見した。
1936年(昭和11年)7月2日、読売新聞に以下のような記事と写真が掲載されていた。

夏むきのお誂へ?大森にお化け屋敷『必ず死ぬ』の因縁つき

東京都大森区馬込町(現在の東京都大田区南馬込付近)にある「磨墨の塚」の近くにはかつて「お化け屋敷」と呼ばれていた古い屋敷があったという。

図1大森お化け屋敷
読売新聞1936年7月2日号

記事によると、この「お化け屋敷」は1909年に建てられたものの持主が転々としており、関東大震災(1923年)の際に当時の有名な銀行支配人のYという人物が購入したが、改築の最中に死亡

さらに昭和10年(1935年)にはこの屋敷の隣に土地を購入した元貴族院子爵議員の井伊直安(幕末の譜代大名・井伊直弼の四男)が別荘を建てようとしたが、これも工事中に死亡。以来、近隣住民から「住民が必ず死ぬお化け屋敷」として有名になってしまい買い手がつかないという。

「お化け屋敷」の噂は数多くあれど、大手の新聞に詳しい住所そして写真が掲載されているのは珍しい。

「もしかしたら今でもお化け屋敷が残っているかも……」

筆者は、約80年ぶりに「大森のお化け屋敷」についての謎を解明するため調査を開始した。





地元の声

わかっている情報は以下の3点。

・お化け屋敷は「磨墨の塚」の近くに建てられていた。
・隣の土地には井伊直弼の次男が別荘を建てようとしていた。
・お化け屋敷は一時的にとある銀行支配人の手に渡っていた。


わずかな情報ではあるが、今から調査を行えば何か新情報が掴めるかもしれない。
筆者はまず、お化け屋敷があった現在の大田区の郷土博物館に相談してみることにした。

突然の訪問ではあったが、幸い土地に詳しい大田区立郷土博物館の学芸員の方に会うことができ、新聞記事の切り抜きを見せてみたのだが、残念ながら学芸員の方もこの「お化け屋敷」の話はいままで聞いたことがないという。

しかし、お化け屋敷の目印となる「磨墨の塚」は1900年(明治33年)当時から一切移動しておらず同じ場所にあるという。
筆者は、学芸員の方に別れを告げ、郷土博物館から徒歩20分の磨墨の塚に向かうことにした。



ヒントは「磨墨の塚」か?

ここで「磨墨の塚」について一度解説しておきたい。

大田区の公式ホームページによると、「磨墨」とは平安から鎌倉時代に活躍した武将・梶原景季の所有していた馬の名前で名馬として名が高かった。しかし、1184年(寿永3)に行われた宇治川の戦いにて磨墨は死亡。磨墨の出身地(死亡地ともされる)が現在の大田区馬込町であり、これにちなみ1900年(明治33年)に馬込村の村民の手によって建てられたという。

図2 磨墨塚
「磨墨の塚」(著者撮影)

現在、磨墨の塚の近くは閑静な住宅街となっており、昔ながらの商店や小学校が存在する。

筆者は磨墨の塚付近の住民や付近のお寺の住職さん達に新聞記事を見せ「何か情報を知らないか」と訪ねてみたが、80年以上前の記事ということもあり、さすがに知る人はいなかったほか、1時間に渡り歩いてみたが、それらしき建物は発見できなかった。

この日は仕方なく、磨墨の塚を後にし、国会図書館にて情報を集めてみることにした。



元貴族院子爵議員・井伊直安

まず、着手したのはこのお化け屋敷の隣に土地を購入し別荘を建てようとしていた明治政府の元貴族院子爵議員・井伊直安についてだ。

図3井伊直安像(武家華族名誉伝)より
井伊直安像(武家華族名誉伝)より

井伊直安は1851年(嘉永4年)2月11日に彦根藩主・井伊直弼の四男として江戸で生まれ、文久2年(1862年)に越後伊家10代藩主となり、戊辰戦争(1868年 - 1869年)では新政府軍に属し優秀な功績をあげた。

1896年(明治29年)に貴族院議員に選出され、以来30年近くに渡り議員を勤め、1922年(大正11年)11月に長男の直方に家督を譲り隠居している。歴史の表舞台には出てこない人物であるが、長年に渡り日本を支えた大人物であった。

当時の有名人ゆえ資料はすぐに見つかり、井伊直安の訃報を伝える官報も発見できたが、住所は「お化け屋敷」のある大森区ではなく、まったく別の住所であった。

むろん井伊直安が大森区に建てようとしていたのは、本宅ではなく別荘のため最初から期待はしていなかったが、調べている途中に妙なことに気がついた。

井伊直安から家督を継いだ井伊直方(井伊直弼の孫)の没年である。
なんと、井伊直方は父・直安が亡くなった1935年(昭和10年)8月25日の半年後、1936年(昭和11年)2月3日に突然死しているのだ。

読売新聞には井伊直安の死には触れていても息子・直方の急逝には一切触れていない。つまり1936年7月2日の読売新聞誌上には書かれていない「三人目の死亡者」がいたのである……。

図4官報. 1936年02月07日
(井伊直方の死亡を伝える官報)

約80年ぶりに新事実がわかった「大森のお化け屋敷事件」。
「これは面白くなってきた」筆者は改めてこの戦前の怪事件の秘密を解き明かすべく、資料を当たりはじめた……。

<次回へ続く>

参照:読売新聞縮刷版、大田区ホームページ、官報(1922年11月18日)
文:穂積昭雪(昭和ロマンライター / 山口敏太郎タートルカンパニー / Atlas編集部



【Atlas関連リンク】
お化け屋敷にガチ「呪い人形」?提供した神社に疑問の声!
https://mnsatlas.com/?p=12335












  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【昭和の怪奇事件】「必ず死ぬ」の因縁つき…呪われた伝説のお化け屋敷が実在した!?(前編)

この記事が気に入ったら
イイね!しよう

不思議.netの最新記事をお届けします

おススメ記事ピックアップ(外部)

おススメサイトの最新記事

コメント

1  不思議な名無しさん :2018年08月11日 22:10 ID:ZaU.bFbc0*
こういうところに仮に不老不死の人間がいったらどうなる? また、仮に土地ごと宇宙にぶっ放したら宇宙幽霊になんの?
2  不思議な名無しさん :2018年08月11日 22:29 ID:lRkxFNHS0*
これ系の話ってどこにでもあるよね
人間はいつか死ぬんだし、これだけ人いたら偶然が重なる事もあるさ
3  不思議な名無しさん :2018年08月11日 22:59 ID:TMxrX.BJ0*
こういう記事を真剣に調査するの好き
4  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:00 ID:gF4ArR2B0*
島田秀平の話思い出したわ
2週間もたないで次々入居者が入れ替わる安い事故物件に後輩が住むんだが死にそうになったってやつ
5  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:01 ID:IoHo.JXX0*
自殺したい人にはうってつけやな。
6  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:05 ID:.CseZhvj0*
殺したいやつに売るにはうってつけだな。
7  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:18 ID:ESjCSOVi0*
不老不死って歳とって死ぬって意味ではないからな
8  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:28 ID:7lAZeYAn0*
この手の話は胡散臭くても好き
管理人さんファイトやで後半も楽しみ
9  不思議な名無しさん :2018年08月11日 23:45 ID:2Cm8jbvc0*
隠居の別荘を建てるような高齢者だったら
いつ突然死しても不思議ではないと思うが…。
医学の発展で今はじわじわ割合が下がって癌が増えたが、
昔は心臓発作や脳卒中で急死する中高年ってもっと多かった。

井伊直安に至っては、1851年生~1935年没ってことは、83~84歳だろ?
その長男だって50代~60前後なんだろうし。

 
 
上部に戻る

トップページに戻る