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【昭和の怪奇事件】「必ず死ぬ」の因縁つき…呪われた伝説のお化け屋敷が実在した!?(後編) | 不思議.net

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【昭和の怪奇事件】「必ず死ぬ」の因縁つき…呪われた伝説のお化け屋敷が実在した!?(後編)

2018年08月18日:22:00

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コメント( 6 )

図1大森お化け屋敷

前回の「昭和の怪奇事件」でご紹介した1936年(昭和11年)の読売新聞に掲載された「大森のお化け屋敷」。前回は「お化け屋敷」の概要及び、現地の声の集めてみた。すると、当時の新聞には一切書かれていなかった「もうひとりの被害者」の存在が明らかになったところで原稿を終えた。

今回は後編ということで、さらに詳細な「大森のお化け屋敷」の正体について迫っていこう。





古地図を発見するも…

再度の調査行うため、私はふたたび国会図書館へ向かった。
今回は記事が掲載された当時の地図を手に入れ、お化け屋敷の場所を特定するためだ。結果、1934年に発行された大森区(当時)の地図の複写を手に入れることができた。

古地図

ご覧のとおり、場所のヒントである「磨墨の塚」も「名馬磨墨之塚」という名称で確認できたほか、小学校含め、土地の形状が当時からほとんど変わっていないことがわかった。

もっとも、お化け屋敷の場所が「磨墨の塚から一丁入った先」というファジーな表現である以上、やはり場所の特定には至らず、特定に関してはもう少し材料が必要そうだ。



元銀行支配人Y氏

さて、前回「お化け屋敷」の被害者ではないかとされる、元貴族員議員の井伊直安(江戸幕府の大老・井伊直弼四男)およびその息子の井伊直方の死を検証したが、今回はもうひとりの被害者である元銀行支配人である「Y氏」にスポットを当てたい。

Y氏は一般人ゆえ名前こそ発表することはできないが、当時の金融業界の大物で、詳細なプロフィールは国立公文書館のデータベースおよび『財政之人百人論』(1914年)から確認することができたので引用したい。

Y氏の履歴書


Y氏は安政2年(1855年)3月21日生まれ。石川県出身。明治10年(1877年)前後に銀行講習所の学生となり銀行マンの道へ進み。明治23年(1890)に玉金銀行の支配人となり神戸で活躍。その後はロンドンにも渡り、大正15年(1926年)4月25日に自宅で死去、という記録がある。

なお、Y氏は改築を前提としてこのお化け屋敷を購入しているが、工事中に死亡しているため、現住所は東京都大森区馬込町から数キロ離れている東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区西大井2丁目付近)となっている。

そのため、このY氏の死からはお化け屋敷特定へのヒントを得ることはできなかったが、この噂を報じている当時の読売新聞には、当時30歳だったY氏の息子のインタビューが掲載されている。

Y氏の息子はお化け屋敷について「若い人には縁起のいい場所だと思っています。老人の年回りが悪かったのでしょう。土地のせいではないでしょう」と答えており、お化け屋敷の噂を否定しているのだが、このY氏の息子の「その後」を追うと奇妙なことがわかってきた。



Y氏の息子の意外な死因

実はこのY氏の息子の正体とは、昭和の時代に活躍した著名な画家である。
特に山岳を描くことにおいてY氏の息子は数々の賞を受賞しており、現在も時々ではあるが個展が開かれている。そんな画家として一定の評価を得ていたY氏の息子は、1960年代に突如、その運命を終えることになる。Y氏の息子は1965年、取材先だったチリのアンデス山脈で遭難死しているのだ。

Y氏の息子の外国での遭難死が「お化け屋敷」の影響かどうかは定かではないが、「絵画」という一点に注目してみると、もうひとりの人物が浮かび上がってきた。

第一の被害者とされる井伊直安である。井伊直安は趣味として絵画を学んでおり、歴史の教科書にも掲載されている井伊直弼の肖像画は息子の井伊直安が手がけたものである。

つまりこの「お化け屋敷事件」には、井伊直安およびY氏の息子という絵の達者な人物が2名関わっているのだ。

井伊直安が描いた『井伊直弼画像』

むろん、井伊直安は84歳、井伊直方は62歳、Y氏は71歳、Y氏の息子は66歳と全員が比較的高齢で亡くなっていることから、これらの死が「お化け屋敷の呪い」とは一概に言えない部分もあるが、妙なシンクロ二シティを感じるのは筆者だけだろうか……。



大森は「お化け屋敷」発祥の地だった!

結果、今回の調査で「お化け屋敷」の所在、そして本当に「呪い」があったのかどうかは解明できなかったが、最後にひとつ「大森のお化け屋敷」に関して面白い逸話がある。

実は、この大田区大森地区は日本ではじめて「お化け屋敷」が誕生した場所であるという。
天保元(1830)年、この地に住んでいた医師、瓢仙(ひょうせん)という人物が自宅の庭に天井画や自作の人形を設置しお化け屋敷「大森の化け物茶屋」を開業したのが、お化け屋敷誕生の瞬間であるという。

馬込文士村リリーフ
(馬込文士村リリーフ)

また、戦前の大森地区には「馬込文士村」と呼ばれる文士や芸術家が多く暮らす地域が存在していた。この「馬込文士村」には萩原朔太郎や川端康成といった有名な文豪も住んでおり、多くの文士達がコミュニケーションをとっていたという。

今回の読売新聞の記事が掲載された頃は、ちょうど文士達が多く集まっていた時期であり、もしかするとこの「お化け屋敷」の噂は文士の間で広まった「冗談」にような話が、そのまま新聞に掲載されてしまった「ゴシップ的」な記事だったのかもしれない……。


参照:読売新聞縮刷版、国立公文書館、財政之人百人論ほか
文:穂積昭雪(昭和ロマンライター / 山口敏太郎タートルカンパニー / Atlas編集部



【Atlas関連リンク】
触れる人の体調が悪化する「呪いの人形」、ひとりでに動いた!?
https://mnsatlas.com/?p=36894












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コメント

1  不思議な名無しさん :2018年08月18日 22:31 ID:JcIf5O6r0*
そんなことより玉金銀行とは
2  不思議な名無しさん :2018年08月18日 22:49 ID:fLqpsQBC0*
僕はマヨネーズになりたい。
3  不思議な名無しさん :2018年08月18日 23:00 ID:Mbsw3Jxv0*
う・そ・ま・つ♥️
4  不思議な名無しさん :2018年08月18日 23:44 ID:dgoG4P1k0*
どの様にどうなって「必ず死ぬ」のか
胡散臭過ぎる
5  不思議な名無しさん :2018年08月18日 23:55 ID:B5.8Pj9F0*
よかった、うち南大井で
6  不思議な名無しさん :2018年08月19日 00:01 ID:nJEhBZvT0*
米1
面白い。記憶に残る銀行やな。

 
 
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