32「父親の話だと、内部進学も危ういということでした。実際、評定などから見て、ウチを受験させ、そこに少しゲタを履かせる程度では、入学できるボーダーには到底達しない印象でした」と、先の日大関係者・・




ちなみに、あの頃の大東文化大文学部(日本文学専攻)の偏差値は47強で倍率は3・1倍。他方、日芸は53弱で倍率は8・5倍だった。

そういった点から総合し、日大の現役教員が太田を直接指導して本番に臨むという「缶詰作戦」が発案されたのである。と同時に、最難関の映画学科は無理だから、演劇学科への合格を念頭にプロジェクトは進んでいく。

試験は1次が84年2月21日に行われ、国語と外国語(英仏独から1つ選択)で100点ずつの計200点、その後の2次は実技と面接で100点満点だ。

「1次試験前日くらいのタイミングで、ホテルに太田を缶詰にしました。試験日まで日にちを空けると情報漏れが怖いし、何しろ頭に詰め込んだものが抜けちゃうかもしれないし。それでも父親は“息子には裏口だってことを言ってない。知らせたくない。何とか実力で受かったことにできませんか”ってこだわったんだけど、背に腹は代えられないってことで、この条件を呑ませたんです」(同)


・話題となっている 太田光さんの報道







しかし、2次試験のあと、学内では一旦、「不合格」判定が下されてしまった。

「ゲタの履かせようがなかったんです。いや、履かせる足がなかった。学科試験は太田の場合、英語と国語なんですが、英語はもう限りなくゼロ点に近くって。

答案用紙を逆にして書いたのかなぁと疑うほどでして、なるほどそういう風に見れば満点に近づくね……といった冗談のような話を、まぁ、われわれ大人たちはしたわけです。
市ヶ谷にある日大の施設内では当時の総長(現在だと学長に相当)も参加して、“これはもう却下しよう、さすがにバレるだろう”、“いやいや、何とか方法を考えましょう”みたいな会話が繰り返されたということです」(同)

「結局、太田ひとりを合格にするとあまりに露骨なので、補欠合格者として他にも5~6人くらい一緒に名を連ねることにしたのです。それが決まったのは入学式の前日か数日前で、総長もしぶしぶ肯いたって感じだったようです」(同)

父・三郎氏は日大サイドに800万円を対価として支払った。これが、83年から翌年にかけて展開された裏口作戦のひとくさりである・・


・日本大学 芸術学部



 さて、太田本人はどう答えるか。

――裏口入学の件なんですけれども。

「僕は身に覚えはないですよ」

――試験の前にホテルで缶詰になって、勉強をしたご記憶は? 

「だってオレ勉強しないで入ったから」

――事前に問題を教えてもらって(という話がある)。

「全くありえないよ、それは。本当にもし言ってる奴がいるんなら、ちょっと直接会いたいくらい。田中(英壽・日大)理事長が言ってんの?」

――まったく勉強しないでよく入れましたね。

「地頭はイイんだよ。英(語)・国(語)でマークシートだからそんなん軽く入れるんだよ」

――受験会場で面接官に「引っ込めぇ!」などと言えたのは、事前に受かるとわかっていたから? 

「いやいや、オレは落ちるつもりだったから。落ちてもよかったし、他の専門学校も決まってたから」

 最後、「また裏口(ネタ)で売ろうとして……」と記者をイジってその場を立ち去ったのだった。

 再び、先の日大関係者に聞くと、

「ホテルに缶詰にした際、本番と同じ問題をもとに、面接の指導もしました。虎の巻じゃなくて試験問題そのもの。太田が知らないはずがないですよ」・・

・詳細は(source: デイリー新潮 - 前日にホテルに缶詰、現役教員がレク… 対価800万円「爆問・太田」の裏口入学計画


・「だって裏口入学だもん」と2000年に発言していた?


・もし本当ならこれは普通にアカンやつやと思う。

・高校が内申書を出さないなんて話がそもそもありえない。

・800万円も払うならもっといい大学にお願いすると思う。

・新潮、本気だな。
太田も今までの行状からして、逃げずに白黒ハッキリさせなきゃいけないと思う。

・今更感があるが、太田はいつ告訴するんだろう。

・これ間違いだったら大問題だよ。

・事の真偽はともかく。この先、名が売れるかどうかもわからないような子供の裏口入学を事細かに覚えていられる関係者にびっくりー。

・裏口入学ネットワークってのを、追及、報道お願いです。

・一晩缶詰で、そのまんまの問題をレクチャーしてもらったのに、限りなくゼロ点って、この文章ちょっとおかしいですね

・訴訟をチラつかせてもなお二件目くるってことは新潮に相当自信があるって事だな


・太田光 裏口入学疑惑に 生放送で新潮に大反論