ドイツのヘルツォーゲンアウラハが「首を曲げる町」と呼ばれた理由は…偉大な兄弟ゲンカ
The rivalry between Adidas and Puma became so fierce that the German town of Herzogenaurach
ヘルツォーゲンアウラハには、世界的に有名なスポーツ用品メーカー、プーマとアディダスの本社があります。
この両社、創業者が兄弟であることで知られています。
もともと兄弟2人でダスラー兄弟製靴工場を設立したのですが、非常に折り合いが悪く、それぞれが会社を作って対立したのです。
大企業同士の対立は地元の人々にも影響が及び、いったん頭を下げて靴のメーカーを確認しないと話が始められないほどだったといい、いつしか「首を曲げる町」との愛称で呼ばれるようになりました。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●きっとナイキはその暗黒時代の仲裁人だな。
↑ナイキはプーマやアディダスに比べると若い企業なんだ。
ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)は1920年に父親の靴ビジネスを受け継ぎ、1924年に最初の会社を設立した。互いに妬みなどもあって変な状況を生み出していた。
第二次世界大戦後、お互いにナチスの親衛隊(SS)であることを連合国側に告げ口したことで決定的に決裂した。
会社を真っ二つに分け、従業員にはどちらの下で働きたいかを選ばせた。1948年にルドルフ(兄)によりプーマが設立され、その1年後にアドルフ(弟)によってアディダスが設立された。お互いに嫌い合い、その憎しみは彼らの息子たちへ引き継がれた。
ナイキが設立されたのは1968年。
↑ナイキはアディダスの輸入業者として始まった。
●Wikipediaによると、ルドルフはアメリカ軍に捕虜にされた際、親衛隊(SS)のメンバーだと疑われたが、おそらくその情報はアドルフよって提供されたものだろうと考えられている。兄をそこまで嫌って侵略軍に告げ口する状況を想像してみよう。
↑ルドルフ(兄)はナチス党員で、戦後は1年捕虜となっていた。アドルフ(弟)はそこまでナチス党に携わってない。さらにルドルフはアドルフの妻に迫ったのでそれが2人の間の大きな亀裂を生んだ。
どちらかというとビジネスよりパーソナルな問題のようだ。
↑両方ともナチス党員ではあったよ。
●妻の家族と、妻の曾祖父が住んでいた場所を見にドイツ旅行をした。
親戚にも会ったのだが、そのうちの1人の女の子がちょうどアディダスで研修していて、春からの就職を希望していた。
彼女の兄がからかって「プーマで就職もできるしさ」と言うと、彼女はまるで恐ろしいことを言われたかのように「断じてない!」と主張し、まるでISISへ参加を促されたかのようだった。
●ヘルツォーゲンアウラハは、今日新しく学んだ最高の言葉である。
●両方の本社のすぐそばに住んでいるけど、平凡な取引をしているし、ライバル心は自分が見た感じ、もう存在しないように思う。
↑昔ほどはオープンにはしていない(少なくともアディダス側からは)。現在はお互いに大きなビルを建てて見せつけている。
メインストリートにあるガラスのブリッジのビルを見たかい? これがアディダスをかなり怒らせている。
↑自分が耳にしたストーリーはプーマが苦戦し始めたときに、両者の競争が崩壊し始めたようだ。アディダスはナイキのようなもっと大きな会社との競争に力を入れ始めることになり、そのためプーマを気にしなくなってきた。歴史はいろいろあるが、もうそれは脅威ではない。
●ヘルツォーゲンアウラハの近隣に住む者として言うと、競争はもう伝説になるほど有名だよ。「首を曲げる町」については、かつては言われていたが今ではちがう。
どちらも成功したのは反目し合った結果かもしれませんが、最も偉大な兄弟ゲンカの1つに数えられるでしょうね。
プーマは1989年、アディダスは1990年に株式を売却し、ダスラー家との資本関係はほぼなくなっているとのことです。