http://famicoroti.blog81.fc2.com/blog-entry-1087.htmlファミコンコレクターが「レトロゲーム愛」を考えたらジョン・レノンの言葉にたどりついてみた
◆つぎ込んだ金額=愛?◆ 今までファミコンにいくらつぎ込みましたか?
テレビ・雑誌の取材を受けると必ずこのような質問をされます。私の場合、8割くらいはファミコンが捨て値のときにGetしているため、そんなに大した額にはなりません。したがって正直に答えると、いつもビミョウな反応をされてしまいます。なぜなら世間は
コレクションへつぎ込んだ金額でしか我々の愛の深さを測ってくれないからです……
※奥のほうが新しくつくった棚です しかしながら「レトロゲーム愛」を計る物差しはひとつではないはずです。少なくとも私は「今までつぎ込んだお金の量=愛」とは思わないし、ましてや「物量=愛」とも思っておりません。かといって「プレイした時間=愛」とも思いませんけどね、、、
じゃあ、何なんだって話を少しさせて頂きましょう。
◆Love is wanting to be loved◆ 先日、任天堂が海外の老舗・違法ROMサイトへ次々と損害賠償請求を行ったというニュースが駆け巡りました。なんとも印象的だったのは、閉鎖に追い込まれたサイトの
管理人たちが口々に「レトロゲーム愛」を叫んでいたことです。
なるほど。彼らの情熱はたしかに尋常ではありません。膨大な数のレトロゲームのROMデータを、数十年にも渡って配布・管理してきたなんてことは、それはそれは想像を絶する労力を費やしたかと思います。
すべては世のため、ひとのため。失われつつあるレトロゲームの保管・保存という大義名分を掲げ、レトロゲーム愛だけをモチベーションにがんばってきたことでしょう。しかし彼らには
致命的なまでに喪失している視点があるように思うのです。
それは、かの偉大なるミュージシャン、ジョン・レノンの曲「LOVE」の一節です。
愛とは愛されたいと思うこと
Love is wanting to be loved
私は恥ずかしながら若かりしころ、この言葉と出会って初めて
「愛とは一方的に与えるものではない」ということを知りました(
※)。相手の気持ちを何も考えず、ただただ己の欲求を満たすためだけに、ひたすら愛を叫んでいる人間のことを世間では何と言うかご存知でしょうか?
ストーカーと言うのですよ、、、
◆レトロゲームの気持ち◆ したがって、ジョン・レノンの言葉を借りるならば「レトロゲーム愛=
レトロゲームに愛されたいと思うこと」なのでしょう。愛されたいだなんて図々しいと思うなら「喜んでもらいたい」くらいでもOKだと思います。相手が生物であろうが無生物であろうが、敬意を払い、尊厳を守り、相手の気持ちになって考えてみたら、なんだか私にはしっくり来たのです。
コレクターは聖人でも何でもありません。むしろ
物欲のモンスターです。己の知的好奇心・承認欲求・整理欲を満たすため自制心をどこかへ置き去りにしたまま大人になってしまった俗も俗、、、
しかしながら、そんな私でも借金をしてまでレトロゲームが欲しいなんて思ったことはありませんでした。転売目的の買占めなどもしたこともありません。無節操にゲームを買いまくり積み上げすぎて雪崩が起きたこともありません。別にそんなことやりたいひとは勝手にやればいいと思います。私はやならい。それだけの話。
では、なぜ私はやりたくないのでしょうか。
答えは簡単でした……
もし私がファミコンだったら
そんな持ち主は嫌だからです。
私は私の理想の人間になって少しでもファミコンに喜んでもらいたいのです。まだまだ程遠いですが努力を惜しむつもりはありません。万が一、何かの拍子でファミコンが擬人化して喋れるようになったとき
「あなたが持ち主で良かった」と言ってもらえるように……
| | みたいな。 |
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※ジョンが「LOVE」で訴えたかったテーマはどちらかというと「平等」らしいが、少なくとも私はそう解釈したのだった。ちなみに、いちおう断っておくとオロチはビートルズ世代ではないよ。
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綺麗な物だけ集めてるとかそういう神経質な奴はもうその時点でただの病気で笑えるし
愛も知識も無くただの買い物依存症、承認欲求の塊だから贋作売りから平気で
シール張り替え偽サンプルやら説明書のコピーを買っちゃう
それを戦利品とか言って自慢してるのはみっともないとしか言えないわ