【シュタゲ】相似感情のウィンドミル
- 2018年08月31日 22:40
- SS、シュタインズ・ゲート
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・シュタインズゲート無印の二次創作SSです
・オカクリです
・アニメ版SG世界線到達後がベースですがデジャヴや25話は存在していない世界線です
・完全には設定追いきれてません、申し訳ありません
21時頃から投下予定です。よろしくお願いします
*
「暑いわ……本当に暑い」
残暑厳しい夏のある日の昼前である。
大学特有の比較的長い夏季休暇もそろそろ中頃に差し掛かるといったところで、俺は特に用もなくラボに来てソファで先日買った本を読んでいた。
ラボが異常なまでの騒がしさになっていたのはもはや過去の事になっている。
というのも、少し前まではまゆりが今回用に渡すコスの衣装製作で、ダルは例年にない暑さのための対策やお目当てのブツを可能な限り入手するための作戦を立てるためにラボを頻繁に出入りしていたのだ。
――今年は間違いなく歴史に残るコミマだお。
かつてない程に真剣な表情をして出発するダルに声をかけた時に言ったアイツの言葉が今でも思い出される。
曰く、昔からずっと好きだった引退した作家が今回名義を変えて参加している、だとかなんとか。
まあ、いくら力説されたところでコミマにはさほど興味はないし、蝉の鳴き声の如く聞き流したのだが。
コミマ後その件の報告は来ていないので会えたのかどうかは知らないが、ともかく今日現在、ラボは静かな時を演出していた。
だが、それを破ったのはラボにいるもうひとりのメンバー、クリスティーナこと牧瀬紅莉栖であった。
「この知的で素晴らしい時間を妨害するとは貴様、さては機関のスパイか」
「はいはい、厨二病乙」
「……まったく。構ってほしそうだから構ってやったのに自ら会話を切るとは、やはりコミュニケーションに難があるようだな助手よ」
「助手ってゆーな!」
このラボを騒がしくするのは大体コイツが発端である。
途中まで読み進めた本に栞を挟んでテーブルに置くと、俺はソファの隣で騒ぐ助手、もとい紅莉栖を向いた。
「ではなんなのだ。この程度の暑さに耐えられんとは貴様いつのまにアイスクリームに転生したのか?」
「アイスクリームでもソフトクリームでもない!」
「形を保てなくなったからと言ってくれぐれもコンビニの冷凍ケースに飛び込まんようにな」
「んなことせんわ!」
暑さでおとなしくなるかと思えばこれである。
一度口を開けば機関銃のようにまくし立てるあたり、紅莉栖はまだまだ元気らしい。
「――それで? この鳳凰院凶真様の知的な時間を遮ってまで話したいことはなんだ?」
「ほんっとむかつくわねあんた……」
残念ながらマッドサイエンティストたる俺は紅莉栖ほど騒がしくはなれない。
強者らしく優雅に振る舞ってみせるとひどく鋭い視線を浴びせられた。
「暑いのよここ。前から何度も言ってるけど。いっそラボじゃなくてサウナに改名すれば?」
「そんなに俺の裸が見たいのかHENTAIめ」
「そういう解釈しかできないあんたの脳みそが本気で心配になるわね」
ああ言えばこう言う、とはまさにこのことである。
「クーラー……は根本的な問題で無理なのよね?」
はあ、と一息ついてから紅莉栖はいつもの声色で話した。
その通りで、そもそもこのラボにはエアコンを稼働すると電気容量が足らず、他の事をやろうものならブレーカーが即座に落ちてしまうのである。
というわけで、エアコンの設置が検討されたことはないのだ。
「まあな。だが昔の人間は耐えたんだぞ?」
一つ返してやると、紅莉栖は秒もなく更に返してくる。
「おのれは気候の変化というものを知らんのか」
「と同時に、人間も遥か昔から変化してきただろう。お前もそろそろ耐暑性獲得へ進化する時じゃないのか?」
「その前にあんたを開頭して視床下部をいじってやる」
恐ろしいことを言うなよ。
「だったら扇風機でも構わないから。とにかく冷房設備を導入しなさい。人間以前に機械がもたない」
これもまた事実である。
実際のところ過去に扇風機を導入していた頃もあったのだが、すぐさまガジェット開発のための尊い犠牲になったのだから仕方がなかろう。
開発室最奥にある壁付けの扇風機はまともな機能を果たさないのも機関の妨害である。
故に、現在このラボにはまともな冷房設備が存在しないのだ。
「だがな。セレセブにはわからんとは思うが、我がラボは資金が潤沢ではないのだ」
「セレセブ言うな! 扇風機ぐらい用意しなさいよ、所長でしょうが」
珍しく紅莉栖が俺を所長と呼ぶ。助手としての意識が芽生えてきたということか。
「では『鳳凰院凶真様の下で働けて助手として一生の幸せですぅこれからもラボのために尽くしますぅ』と言えば……考えてやろう」
「……そろそろ海馬じゃなくて頚椎に電極ぶっ刺すしかなさそうね」
「すいません調子に乗りました」
まだ海馬に電極を刺されたこともないが!
「まあ、クリスティーナの言うことにも一理ある。ラボメンが熱中症で搬送されてはたまったものではないからな」
「ティーナ言うな」
このラボも、なんとかミスターブラウンの好意により格安で借りられているものの、その家賃を払うので精一杯なのが現状である。
それに加えてガジェット製作費、日々の知的飲料の代金もかかってくるとなると、おいそれと設備に回す金は出ないのだ。
「狂気のマッドサイエンティストにも慈悲があったんですねー」
紅莉栖が隣で白々しく感心する。
「馬鹿者。大切な仲間を想わずして何がリーダーだ」
「……ホントあんたのそういうところは……」
当然のことだろうが、と冷静に返すと紅莉栖は大きく嘆息した。
「ん? どういうところだ?」
「なっ、なんでもない! なんでもないから!」
鳳凰院凶真の素晴らしい心を褒めるが良いと聞き返すと紅莉栖は慌てて否定する。
いくら尊敬しうる存在だからといってそこまで恥ずかしがらずともよかろう。
ただ紅莉栖の顔はわずかに汗ばんでおり、やはりこの場所の気温の高さが伺えた。
「ククク――フゥーハハハ!!! よかろう、只今より我がラボのため冷房設備を入手する作戦を開始する! 作戦名は――オペレーション・ゼピュロス!」
「いつもの厨二病ですね、わかります」
立ち上がって作戦を宣言する俺を紅莉栖が冷たく切り捨てるが気にしないことにする。
「よし、任務の適任者に指示を出す!」
そのままテーブルの上に置いてある携帯電話を取り、画面を操作し始める。
「結局人任せじゃないのよ。……で、あてがあるの?」
「ああ。道中、間違いなく機関の妨害に遭うだろう……しかし、フェイリスならば必ずや遂行してみせるはずだ」
携帯電話からメールをを開く。送信相手は言葉通りフェイリスだ。
「フェイリスさん?」
「アイツは顔が広いからな。扇風機くらいならどこか余ってる人を紹介してくれるかもしれない」
俺の言葉に紅莉栖が半ば納得した表情を見せる。
紅莉栖を含め俺以外のラボメンのほとんどはフェイリスの素性をまだ知らないが、普段の様子から何やら普通の存在ではないことを察知したのだろう。
明かされていないことを本気で詮索するようなラボメンはいないので、俺も敢えて言わないようにしている。
メール本文に、どこかで扇風機が余っている人がいないか、という旨を入力する。
フェイリスほどアキバに精通した人間はいまい。
彼女なら何らかの手段を持っているはず、という期待を込めて送信した。
「まあ、岡部がそう思うならそうなんでしょうけど。結局買うという選択肢はないのね」
そんな俺の一連の行動を見ていた紅莉栖はため息混じりに言葉を吐いた。
メリケン処女らしいオーバーなアクションである。
全く、コイツはゆとりに毒されすぎている。なんでもかんでも目の前にあるものを手にしていては何も始まらないではないか。
「未来ガジェット研究所たるもの、そんな安直な手段は取らん!」
「文明の進化を安直と言うな。あんたはいつの人間だ」
「ふん。鳳凰院凶真はどの時代にも縛られん」
呆れ顔の紅莉栖は放っておくとして、俺はフェイリスの返事を待ちながら優雅に昼食でもとることにしよう。
今のラボには確か備蓄のカップラーメンがある。
醤油にするか、確かカレーもあったか――そんなことを考えながら立ち上がると、不意に紅莉栖がつぶやく。
「岡部、私は塩ね」
何故俺がカップラーメンを取りに行くことに気づいたのだろう。
そんな疑惑の視線に気づいたのか、紅莉栖は別段驚きもせず返してくる。
「ちょうど岡部が普段昼食を食べる時間帯、今のラボの備蓄はカップラーメンだけ。そしてあんたは所持金がない」
「んがっ!」
現在のラボの状態を確実に指摘する紅莉栖に思わず声を上げる。
確かに懐も寂しければラボへの食料提供もこのところ無いので台所が寂しいことになっている。
しかし完璧に見抜くその管理手腕、まさに助手に相応しい。中々に板についているではないか。
「ふむ、ではこれからはラボラトリーテンペランス、略してラボテンの称号を与えようではないか」
「要らんわ。要らんわ! 大事なことなので二回言いました!」
良い役職だと思うのだがな。
「まったく……もう、こんな暑い中無駄話に付き合わせた礼くらいしなさいよ、岡部倫太郎?」
「鳳凰院凶真だっ!」
「いいから、はっ、よっ」
懸命の指摘を無視してぽん、ぽん、と軽く膝をたたく紅莉栖。
その顔はどこか楽しそうである。
仕方ないのでヤカンに二人分の水を入れる俺であった。
*
ようやく日差しのピークを越したといった午後三時過ぎ。
外とは打って変わって秋口のような涼しい店内に入ると、秋葉原を象徴するような萌えを前面に押し出した景色が広がる。
メイド服。猫耳。女の子。
老舗といいつつ最近出てきた同じ業態の店に引けを取らないぐらいの圧倒的アキバ感を醸し出すメイド喫茶――フェイリス、そしてまゆりが働くメイクイーン・ニャンニャンだ――に俺たち二人は足を踏み入れたのである。
大体はダルやフェイリス、まゆりに会うために来ることが多いこの店だが、今回も例に違わずフェイリスに会いに来たのだ。
先に入った俺の後から視線を左右に揺らしながら入店する。
俺とは違い紅莉栖は未だにこのメイクイーン・ニャンニャンに慣れていない様子で、いつもの堂々とした態度は僅かながら影を潜めていた。
「おかえりニャさいませ、ごしゅ――あ、キョーマとクーニャンニャ!」
遠くからでも聞き分けができる独特な声が、レジ横からなんともそれっぽい仕草の本人とともに現れる。
「ククク……フェイリスよ、調達任務ご苦労だったな」
鳳凰院凶真のベストスタイルである白衣をはためかせ、ぱたぱたとやって来たフェイリスに挨拶する。
「大丈夫ニャ! 来るべき『厄災』を打ち砕くための修行に使うのなら、フェイリスは全力で手伝うニャ!」
「そうか……お前も既に『気づいていた』か……」
あ、しまった。
「勿論ニャ。生き別れた兄が残してくれた唯一の秘宝……これが、教えてくれたのニャン」
そういうつもりで来た訳ではないというのに、ついフェイリスに乗せられて参加してしまった。
「さあ、キョーマ! この百年以上大切に育て上げたフェイリスの『エンシェント・ソウル』と共に、クリムトゥ山へと旅立つのニャン!!」
こちらの言葉を何倍にも膨らまして返してくるあたり、今日も絶好調だなフェイリス。
「ゴホン。それで、扇風機はここにあるのか?」
いつまでもそれを続けていても仕方がないので、強引に話を戻すことにした。
「勿論あるニャン♪」
俺の質問に猫の手を顎に近づけて猫らしさをアピールするフェイリス。
期待通りだ。
フェイリスに頼んで正解だった。
「わざわざ探してくれて悪いな。それで提供者は誰だ? きちんと礼を言いたいのだが」
フェイリスの隣や後ろに、提供者の姿は見えない。
俺がメールを送ってから今ここに来るまでの数時間の空白がある。提供者はメイクイーン・ニャンニャンに扇風機を置いていったのだろうか。
「いや、その必要はないニャ。フェイリスのおうちにあったものだからニャン♪」
「本当にいいの? 必要なものじゃない?」
たまらず紅莉栖が聞き返す。
かなり真面目な考え方をするタイプだからな、無理を通して譲ったのではないかと考えたのだろう。
だが、フェイリスはそういうことをする性格ではないはず。
こいつは見かけによらず相手が”そう思う”ことを考えて判断する聡明さを持つ。
近い意味で、フェイリス固有の能力であるチェシャ猫の微笑”チェシャー・ブレイク”とも言える。
「ノンノン。使わなくなって倉庫に眠ってたものだからこっちも助かったニャン♪」
ちょっと型が古いけど、と付け加えてキュートなポーズを決めた。
フェイリスの言う倉庫が店の倉庫なのか自宅とは別に用意してある倉庫なのかはたまた別荘のことなのか、計りかねるのがフェイリス家の恐ろしいところだ。
「そうか。ではありがたくいただくとしよう。ラボへの設備投資感謝するぞ、フェイリス・ニャンニャン!」
高らかに謝辞を述べる。
そして、その次の句で本題である扇風機の場所を尋ねようとした時であった。
「でーもー。そのかわり条件があるニャ♪」
「なぁ!? この鳳凰院凶真と取引をするというのか!?」
予想外のことである。
普通にこのまま持って帰る流れしか想像してなかった俺はたまらず声をあげてしまった。
「安心して、キョーマ。簡単なお願いニャ」
「う、うむ……そうか。では条件とはなんだ?」
平常のテンションのフェイリスの声に内心安堵する。
今の手持ちでは払えるものがメイクイーンのアイスコーヒーぐらいしかないのだ。
「クーニャン、ちょっとこっち来てニャ?」
「へ、私?」
まさか指名されると思わなかったのだろう、紅莉栖は素の声を上げて確認を取る。
「そうそう。こっち来て、手を出して……はいニャ♪」
何も分からぬままフェイリスの前に出た紅莉栖は、言う通り手を出し、そこに渡されたのは――。
「……あの、フェイリスさん。これは?」
「猫耳ニャン♪」
そう、猫耳だ。
メイクイーン・ニャンニャンで制服として使われている小道具の黒い猫耳だ。
フェイリスもまゆりも、他のメイドも着用しているものと同じもので、尖ったフォルムをしているのが特徴的な猫耳。
初めから用意してたらしい、それを紅莉栖の前に差し出したのである。
「……ごめんなさい、説明を求めるわ」
突然の猫耳に困惑する紅莉栖だが、俺は紅莉栖に手渡された猫耳を見て瞬時に理解してしまった。
相変わらずの笑顔でフェイリスがにこにこしているので埒が明かないと気づいたからか紅莉栖は俺の方を見る。
「岡部、三行」
今北産業とでも言う勢いで短く俺に問いかけた。
ラボの時から思ってたがこいつ、まだ会って長くないと言うのに@ちゃん用語を出すのにためらいがないな。
「よかろう。教えてやる」
紅莉栖の要望でもあるし、仕方ないのでのってやることにする。
「扇風機」
「条件」
「クリスティ・ニャンニャン」
うむ、実に今北産業に適した言葉だ。
「は? クリスティ・ニャンニャン……?」
対する紅莉栖は浴びせられる不可解なワードに思考がフローしかけている。
しかし、俺の説明をもってしても理解しない紅莉栖を他所にフェイリスは止まる様子を見せない。
制服のサイズがどうだの、着替えがどうだの、記念撮影がどうだのと色々まくし立てるように説明している。
その顔はまさに期待する目であった。
「M?試着? ……って、まさか――」
まるで推理をするかのようにフェイリスの言葉を一つ一つ紐解いてようやく解を得た紅莉栖。
その時の声と表情は、科学者とは無縁のものだった。
「やらない! やらないからなっ!?」
「何を言っている助手よ。お前がやらねば扇風機は手に入らないのだぞ?」
「だからってなんで私があの制服を着なきゃならんのだ!」
早速涙目になっている。まさかこんなことになるとは思っていなかった顔である。
「マユシィも言ってたんニャけどー、クーニャンは美人さんニャからメイクイーンの制服がとっても似合うと思うのニャン!」
「うっ……そう言ってもらえるのは嬉しいけど、やっぱ無理ー!」
それにしても紅莉栖のメイクイーン制服か。
今まで想像したことがなかったので、フェイリスの姿を紅莉栖に当てはめてみる。
「……ちょっとありきたりか?」
「ノンノン、キョーマ。こういうのは王道っていうのニャ♪」
ニヤリと笑みをこぼすフェイリス。どうやらコイツの頭の中でもう既に着替えが終わっているらしい。
なるほど。ツンデレメイドは昨今使い古されているが、やはり人気は健在と。
ツンデレクリスティーナのメイド姿か……ううむ。
「……見てみたい気もする」
「はあっ!?」
しまった、つい口に漏らしていた!
「あ、いや別にそういうわけではない! ただ部下の戦力は正しく把握しておく必要があってだなぁ!」
「う、嘘乙! 今のは岡部の言葉だっただろ!」
細かく突っ込んでくるな!
「ははーん、鳳凰院凶真さんはマッドサイエンティストでラボの所長でありながら助手のメイド姿を想像して興奮するHENTAIなんですねー! このHENTAIサイエンティスト!」
「うぐっ!」
紅莉栖は自棄になったのかこの状況で論破モードに入っている。
まずい。圧倒的に不利な状況だ。
「んっふっふ~。どうするのニャ、キョーマ♪」
「猫娘! お前も笑うんじゃない!」
向かい側にはフェイリスが心底楽しそうに笑みを零す。この状況を楽しんでいやがるな!?
鳳凰院になれば即刻紅莉栖に禁止命令をくらい、下手に誤魔化せば論破される。
誰かに話を振ろうにもフェイリスは完全に俺の回答を待っているし、今日はまゆりはバイトじゃないらしい。
……これは詰みとしか言いようがなかった。
一度大きく唾を飲んで、深く息を吸う。
「……事実だ。メイクイーンの制服を着た紅莉栖を、見てみたいと、思ったのだ」
俺が諦めて素直に答えた時、気が動転して熱暴走を始めている紅莉栖が途端に冷えていくのがはっきりとわかった。
――確かに、α世界線で、俺は紅莉栖に惚れた。
苦しみ、絶望し、諦めようとしていた俺を導いてくれた。
終わりの見えない、果てのないループの中で、眩いほどの希望となってくれた。
それはこのシュタインズ・ゲートでも変わらない。
あの記憶が確実なレベルで残っていないのだとしても、あの感情が紅莉栖の中から消えてしまったとしても、紅莉栖は俺の好きな紅莉栖だった。
紅莉栖の姿や声を聴く度、心が高鳴る自分が居た。
だがそれは、α世界線だけの関係だ。
この世界線では、別世界線での情報を説明していることや紅莉栖にとって俺が命の恩人であるという情報を加味しても、俺と紅莉栖はただのラボの知り合いなのである。
シュタインズ・ゲート世界線では未来は何も確定していない。それは紅莉栖の気持ちにも当てはまることだ。
そして、これまで通り俺が紅莉栖とそこまでの仲になることが必ずしも良いとは限らないことも意味していた。
紅莉栖はまさしく天才だ。世界を変えるほどの技術理論を持っている。
このまま順調に行けば、例えタイムマシンでなくても、医学など様々な分野で革新を起こすに違いない。
彼女は、そんな素質を秘めている。
……そんな人間と、ただの理系大学生である俺が共に生きる未来が、紅莉栖にとって幸せとは断言できない自分がいるのだ。
だから、そういう感情は持ち込まないようにしていた。
もし未来が変わったとしても、隣に俺がいなかったとしても、紅莉栖が幸せであれば、それでいい。
そう思っていたのに――まさか無意識に漏らしてしまうとは、いよいよ女々しいと言わざるを得ない。
笑われてもしょうがない。
「……やる」
「紅莉栖?」
俺が自責と後悔の念を抱いていると、寸刻の間の後に存外すんなりと紅莉栖は承諾した。
「い、いいのか?」
聞き間違いではないのか動揺しつつも確認する。
「べっ、別に岡部に見たいって言われたから着るんじゃないからな! 嬉しいとか全然思ってないから! これからもガジェット製作しなきゃならんのだから扇風機が必要なだけだからな!!」
「わ、わかったわかった」
ダルが居たらツンデレ乙というツッコミが入りそうだ。
すごい口数で返してくる紅莉栖に、相変わらずだなとふと思ってしまった。
「実際、扇風機を入手するにはこれしかないんでしょう? ならやるしかない、当然の結論よ」
先ほどまでの紅い顔はどこかに消えて、いつもの口調で述べてみせた。
……いや、まだちょっと紅い。
「よしきたニャ! じゃあクーニャン、あっちのドアを入って右に更衣室があるから、そこで着替えて来てニャ。キョーマは今から案内する席で待っててもらっていいかニャ?」
「……あ、ああ」
俺の言葉以降、紅莉栖は俺の顔を見ようともせず、そのままフェイリスの指示に従いカウンターから奥の部屋に入っていってしまった。
続いて俺は着替えるまでの間、店内へと案内される。
俺がよく座る席は既に他の客が使用していたので、別の目立たない席へフェイリスが誘導してくれた。
しかし椅子に座っても紅莉栖の事が気になりすぎて、何も注文をする気がおきなかった。
それを理解しているのか、何も注文を訊かず立ち去って――かと思えば、不意にフェイリスは振り返り、不敵な笑みを浮かべた。
「……楽しみだね、キョーマ?」
「んなっ!?」
楽しみなどではない、と言いたかったが、数分前の言葉と矛盾してしまう。
「ニャンニャニャーン♪ しばし待たれい、なのニャ!」
そう言い残して優雅に去っていく。
フェイリスはやはり強敵である。
有効な手立てなく、俺はフェイリスの言葉をそのまま受けることになってしまった。
「……ううむ」
着替えるのに何分掛かるのだろう。
待っていると色々考えてしまうのに、何故か店内に流れる喧騒が全く耳に入らなかった。
*
「……ふう、やっとついたな」
微妙に軽い金属音をたててドアを閉めると、見慣れた景色が眼前に広がる。
抱えていた戦利品を玄関に置くと、ようやく一息できる、と大きく息をついた。
現在時刻、午後五時。
アキバ上空は陽が傾き始め、夕方、そして夜へと変貌しつつある頃だ。
気温も下がってくる頃合いだが、いかんせん湿度があるため汗がでるのは変わらなかった。
「そうね……ごく短い距離なのに、すっごく疲れた」
後から入ってきた紅莉栖も心底疲れた表情で背中を丸める。戦利品を持っていたのは俺なのだが、まるでずっと持っていたかのような疲労感である。
代わりに紅莉栖は何やら行きには無かった紙袋を持っている。
紅莉栖に聞けば、フェイリスから店の試作品のお菓子だそうだ。今日のお礼も兼ねて、らしい。
お礼を言いたいのはこちらの方なのだが……。
紅莉栖は今、普段どおりの改造制服を着用している。
遠くからでも見つけられる、見慣れた紅莉栖だ。
そんな彼女を見ていると、メイクイーンでのことが嘘だったのではないかとさえ思えてしまう。
――あの後のことは、想像以上に瞬刻の出来事であった。
*
紅莉栖がメイクイーンの制服に着替えると決まった時から、十五分も経っていなかったように思う。
どうにも時間の経過を待てなくて携帯電話を意味なく操作していたときに、俺の前から紅莉栖の声が聞こえた。
「……岡部」
紅莉栖が小さな声で言っていたように思う。
慌てて振り上げた視線の先には、スーツによく似たパンツスタイルの紅莉栖が居たのだ。
普段からショートパンツ姿が馴染みではあったが、今来ているのは執事か何かだろうか、随所に格好よくデザインが加えられたアニメチックなスーツだった。
両手には白い手袋をはめており、メイドと執事、なるほど、そういう関係の服ということか。
流石は紅莉栖というところで、持ち前のスタイルと気品の良さで服を綺麗に着こなしていた。
だが、違う。
確かフェイリスの話ではメイクイーン・ニャンニャンの制服だったはずだ。
最初に与えられた猫耳をつけていないのだから、何かが変わったということはわかる。
「……ごめん岡部、やっぱり無理だった」
いつもの調子はどこへやら、格好いい服を着ていながらも紅莉栖はどこか情けない表情を見せていた。
当初の予定と変わったことはわかった。
しかしその過程を何も知らされていないので俺には何がどうなったのかがさっぱりわからない。
その理由を聞こうとする前に、フェイリスが口を開ける。
「用意はしてたんニャけど、直前でやっぱり無理だーって……でもせっかく来てもらったんだから、うちで昔あった別のイベントの時の制服、これならどうかなって思ってこっちを来てもらったのニャ」
「うう……だってあんなの、恥ずかしすぎる……!」
フェイリスの説明を聞きながら、紅莉栖は顔を手で覆って恥ずかしがっていた。
なるほど、そういうことか。
「説明ありがとう。……で、紅莉栖」
「……何?」
やると言っておいてできなかったのだから、その事をからかわれると思いこんでいるのだろう、少し語気を弱めて恐る恐る返事をした。
もしそう思っているならば心外である。
そこまで俺は馬鹿ではない。
ああだこうだと言ってもわからないだろうから、端的に思いを述べる。
「――無理言って悪かったな。でもその格好も似合っている。格好いいぞ」
事実、普段のクールな雰囲気といいすらっとした背筋、そして真っ直ぐ相手を捉える瞳。
予定が変わったとはいえ、その男装姿も十分に美しかった。
「っ……! あっ……あり、がと」
「あっ、照れてるニャ?」
顔を覆っていた手は外したものの相変わらずこちらに目線を合わせない紅莉栖に、フェイリスがにんまりとした顔で紅莉栖をからかう。
「てっ、照れてないから! 岡部が急にまともな事言ってくれたからびっくりしただけっ!」
「酷い言われようだな」
するとまた始まるいつもの紅莉栖の声。
最初にやると決めたのにも関わらず土壇場でやめてしまったことに内心落ち込んでないか少し不安ではあったが、そこまでの心配はいらなかったようだ。
そして、紅莉栖のその表情に安堵する自分が居た。
――ふと、周りを見ると他の客がこちらを見ていることに気づいた。
そりゃあ、メイクイーンナンバーワンメイドたるフェイリスがここにいるのだから見るよな――と思いかけて、取り消す。
男達は恐らく、男装姿の紅莉栖を見ている。
「……これは計算内か?」
そう言ってフェイリスを見ると、ちょいちょいと猫耳を触りながら苦笑した。
「ううん、ちょっと予想外。確かに格好いいなーとは思ったけど、ここまでお客さんを魅了するとは」
多分、普段見かけないがこんな美人がコスプレをしてここに居る、という”偏見”込みでの視線なのだろうが、それでも似合っていることに間違いはなかった。
「それで……だ。これじゃあ条件はクリアしていないことになると思うんだが」
紅莉栖の珍しい姿に向けていた意識を戻して、本来の話を思い出す。
確かフェイリスの条件はメイクイーンの正式な制服であるネコミミメイドに着替えること、だったはずだ。
俺がそう問うと、フェイリスは二、三度首を横に降ってから苦笑する。
「いや、大丈夫ニャン。むしろクーニャンのこの姿が予想以上に似合ってて良かったニャ」
「ごめんね、フェイリスさん。約束を破って」
フェイリスの隣に立つ紅莉栖が、すまなそうにそう言った。責任感の強さもいつもの紅莉栖だった。
「クーニャンもいきなり着させて悪かったのニャ。本当だったら少しの間店内でお手伝いしてもらおうとも思ってたんニャけど、それはいいニャ」
「いえ、それはやるわ」
驚いた顔でフェイリスが紅莉栖を見た。
紅莉栖の目は、普段の――ラボで真剣な話をするときのような、真っ直ぐな視線を向けていた。
「えっ、大丈夫なのかニャ?」
「ええ。約束を反故にしたのに、もらって帰るようじゃ対等な交換とは言えない」
妙に律儀なところもそうだ。
「こっちの経験は無いから、接客とかは難しいと思うんだけど。私は何をすればいい?」
途端に変わる紅莉栖の強い言葉に、フェイリスは一瞬戸惑う表情を見せたがすぐに営業スマイルを取り戻す。
「じゃ、じゃあ店に入ってきたお客さんを席に案内する役をお願いするニャ! 今の時間帯はお客さんも多くないし、流れも教えるから安心してニャ♪」
「わかったわ。……だからごめん岡部、待っててくれる?」
トントン拍子に進む話に寸刻話についていけなかったが、ワンテンポ遅れて会話に参加する。
「すまなかったな。俺にできることはあるか?」
紅莉栖がやるというのに、俺だけのんびりするのも性に合わない。
そう言う俺を、フェイリスはまるで汲みしていたように即座に返事をする。
「じゃあキョーマも着替えた後、中で簡単な手伝いをお願いするニャ!」
「俺の分もあるのか……了解した。時間はどのくらい?」
店内にいる客は夕方の中途半端な時間帯ということもあり混み合ってはいなかった。
それにフェイリスの話しによれば来店する客もそう多くないらしい。
恐らくフェイリスはそれを見越してこの時間帯で少し制服姿で居てもらおうと予定していたのかもしれない。
「三十分くらいで大丈夫ニャ。お客さんにちょっとした新鮮味を与えたいぐらいのことなのニャ♪」
このことはホームページでも告知していないのだろう。
だが、こういった風変わりで唐突で、予告のない小さなイベントをすることで、マンネリ化するリピーター客に期待感と新鮮味を与えることができるのなら、店にとっては十分プラスとなる。
こういうことも含めて動いていたのだとしたら、流石フェイリスと言わざるを得ない。
感心しつつも、俺は席を立ったのであった。
*
「……よし、これでいけるな」
ラボに戻ってくるやいなや、とりあえず今日の作戦目標である扇風機の設置にとりかかる。
とはいっても所詮はただの扇風機。
箱に丁寧に梱包されている五、六個のパーツを取り出して組み立てるだけなので十分もかからずに完成する。
コードをコンセントに挿して通電確認。
ラボにまともな冷房設備が誕生した瞬間である。
まさかラボで風を浴びる事ができようとは、と少し感慨深くなったのは内緒である。
「お疲れ様、岡部。……これ、機種は古いけどいい製品なんじゃない?」
勝者の風を浴びていると、後ろから紅莉栖が声をかけてくる。
流石に扇風機を二人がかりで組み立ててもさほど効率良くはならないので、紅莉栖は先に休ませて俺一人で組み立てていたのだ。
「うむ。扇風機に風を送る以外の機能があるとは知らなかった」
高価格帯のものなのだろう、風量の調節がやたら多かったり、いろんな機能が土台のパネルから操作できたりするらしい。
ご丁寧に説明書までしっかりと残されているので暇な時にでも読むか。
しかし、こんな品が眠っているフェイリス家とは……とりあえず考えるのはやめておこう。
「あんたも疲れたでしょ。汗かいてるぞ」
立っている紅莉栖は少し屈み、手を差し出す。
その上にはハンドタオルが握られていた。
女性的な柄の入った洒落ているタオルだ。
少し考えてみたが、ラボに置いているタオルの中にそのようなものはなかったはずだ。
「それ、紅莉栖のか?」
「別に構わないわよ、それくらい。……つ、ついでに洗面所で顔も洗ってきたら?」
一瞬まごついたように見えたが、なんでもないように紅莉栖が提案してくる。
たかだかハンドタオルということだろう。
ここで断ってもみろ、DTだのなんだの言われるのが目に見えている。
「そうか、ならばありがたく受け取ろう。顔も洗ってくる」
確かに窓を開けたぐらいのラボで座ってじっと組み立てていれば汗もでる。
紅莉栖の言葉に甘えてハンドタオルを受け取り、ついでにさっぱりするとしようじゃないか。
その言葉を紅莉栖に伝えた瞬間、紅莉栖が微妙に動揺したのがわかった。
「そ、そうね。せっかくだしゆっくり洗ってきなさい、ゆっくり!」
「……何を焦ってるんだ?」
「あ、焦ってなんかない! ほら、風邪引くから早く行ったら?」
変にそわそわしているというか、なんというか。
普段クールぶってる癖に存外態度にでるのが紅莉栖である。
「よくわからんが……まあそこで涼んでいればいい。せっかくの扇風機なんだからな」
そう言って俺は洗面所に入る。
「ええ、いってらっしゃい」
人が洗面所にいくのに一体何故最後まで言葉をかけてくるのだろうか。
女の考えていることはわからないな……。
狭いスペースにしきつめられた洗面所に来ると、早速蛇口を捻って勢いよく水を出す。
暑い時には多い水で勢いよく洗うのが気持ちいいのだ。
普段であれば水でさっと洗うだけなのだが、どういう訳かゆっくり洗ってこいという話だったので蛇口横にある石鹸を手にとって時間をかけて顔を洗うことにする。
丁寧に顔を洗うなど、朝起きたときにするぐらいのものだ。
こんな時間にやるのは少なからず違和感があったが、実際やってみるとやはり洗い上がりの気持ちよさは上々で、夏特有の不愉快な気温の中、爽やかな空気が流れているような気がした。
しかし顔を洗うのに時間をかけるというのは難しい話で、五分もせずに終わってしまう。
まあ、男だしな。
紅莉栖はゆっくり洗えと言っていたが、どういう意味だろうか。
水の滴る顔に紅莉栖から受け取ったタオルをあてて拭く。
すると、ほんのりと爽やかな香りが鼻腔を刺激した。
「……いかんな」
柔軟剤なのか、はたまた別の何かかはわからないが、紅莉栖と似た良い香りがタオルから伝わってくる。
くそ、これで恥ずかしがっては紅莉栖に絶対DTとバカにされてしまう!
誰かからタオルを借りるといった経験も久しい俺にはなかなか堪えてしまう。
香りを鼻腔から飛ばすように、ごしごしと荒々しく顔を拭いた俺であった。
「……あれ、紅莉栖が居ない」
洗面所という狭いスペースでは風もなく、せっかくさっぱりしたのにまた汗をかいてしまう。
理由もわからず適度に待った後で洗面所を出たら、そこに紅莉栖が居ないことに気づいたのだ。
扇風機の電源は入ったままだし、窓も空いている。何より靴が残されている。
となると、どこかに出ていった線は薄いか。
もしかして俺が居ない内に何かがあったのだろうかと一瞬嫌な光景が脳裏をよぎったが、すぐさまそれはありえないと判断する。
「開発室のカーテン、さっきは開いてたよな……?」
先ほどは全開だったはずの開発室のカーテンが、戻ってくると完全に締められていたからだ。
となれば想像は容易い。
何らかの理由で紅莉栖が開発室の中にいる、ということだ。
ただもし違っては困るので一応声をかけておくことにしよう。
「紅莉栖?」
「わひゃあ!?」
途端、中から素っ頓狂な紅莉栖の声と床をドタンと鳴らす音が響いた。
「紅莉栖!? 大丈夫か!?」
「待って! 大丈夫だから入ってこないで!!」
よくない状況なのか、心配なので入ろうとする俺を中から叫んで制止される。
あんまりドタドタと動かれるとミスターブラウンに怒られるのでそれはやめてほしいのだが。
本当に大丈夫なのかと心配したが、あれ以降紅莉栖も特に声を出さず、ただ何かをやっている音がカーテン越しに聞こえるだけだった。
もう一度訊くという選択肢もあったが、一度言われている以上訊いても仕方がない。
少し待ってもそれが終わりが見えないので、しばし考えた後とりあえず扇風機にあたりながら待つか、と踵を返した瞬間だった。
「も、もういいわよ」
振り返った背後、カーテンの向こうで紅莉栖の上ずった声が聞こえたのだ。
「いい、とは何がだ?」
「カーテンをあけてもいいって言ってるの!」
ううむ、顔を洗いに行く前といい今といい、ラボに帰ってきてからの紅莉栖はどこか様子がおかしい。
何か言えないことがあるのだろうか。
だとすればリーダーとして話を聞かねばなるまい。
紅莉栖が俺を助けてくれたように、俺も紅莉栖を助けたい。
とにかく顔を合わせてからきちんと言おう、とカーテンを開けた瞬間。
「……………………は?」
何故か、そこにはメイクイーン・ニャンニャンの制服であるメイド服を着た紅莉栖が居た。
「…………」
意味がわからない。
眼の前に居るのは果たして紅莉栖なのか?
顔を紅潮させてこちらをじっと見ている紅莉栖。
待て。
どういうことだ。
何故カーテンを開けたらクリスティ・ニャンニャンが出てくるのだ。
カーテンを開けたら何を言おうとしたのか完全に忘れてしまう程にその光景は衝撃的であった。
俺が何も言えないのを見て、堪えきれないのか少し体をくねらせていた紅莉栖がお互いの沈黙を破る。
「……見たいって言ったじゃない」
見たいって?
その言葉に数時間前の会話が即座に蘇る。
《……見てみたい気もする》
確かに、あの時不意に漏らした言葉に見たいという文字はあった。
それが見れると聞いて心の奥底で期待する俺が居たのも事実だった。
だがそれは叶わなかった。
だから、ということなのだろうか。
驚きでうまく見れなかった紅莉栖を、今改めて見てみる。
白と黒をバランスよく配置したオーソドックスなメイドスタイルでありながら、没個性にならないように各所に赤のラインを取り入れた目を引くデザイン。
そして店のコンセプトである個性的な尖った大きな黒い猫耳。
まゆりやフェイリスのように女性的なスタイルとは違うものの、長い髪と綺麗な目、そして二人にはない高い身長からくるスレンダーなスタイルが紅莉栖だけの特徴的な美しさを描いていた。
「………何か言ってよ」
口を動かせど未だに言葉の一つも言えずに居た俺を見て、紅莉栖が小さく呟いた。
そうだ。
俺が見たいと言ったのだ。
紅莉栖が今こうしてメイド服を着てくれたのは、俺の選択によるものなのだ。
であれば、その選択の責任を取らなくてはならない。
羞恥心で顔から火が出そうになるのをなんとか堪えて、”岡部倫太郎”として声を出す。
「すごく……いい、と思う」
我ながらつまらない言葉だと思う。
もっと伝えたい言葉があるのに、どうしても喉で引っかかってしまう。
だが今だけは。
今だけはそこで止まってはいけない。
こんがらがって解けない言葉の群を、必死に紐解いて声に出す。
「あ、いや。違う。――俺のためにわざわざ着てくれてありがとう。紅莉栖が思う以上に似合ってるし、可愛いぞ」
その声に、紅莉栖の肩が小さく跳ねた。
「ほ、本当にそう思う?」
「勿論だ」
短く問うた紅莉栖の言葉に迷いなくうなずく。
発言というものは不思議なもので、最初はどれだけ苦労しても一度喉から外へ通ってしまえば、その後は瓦解したようにすらりと紡ぎ出すことができるものだ。
「……どれくらい?」
特殊すぎる状況のせいか、普段なら絶対に言わないような事を紅莉栖は口にする。
科学者の紅莉栖なら、主観的で、更に定量的でない値など絶対に信用しないだろう。
返せば、それほどまでに今の彼女はただの牧瀬紅莉栖である、ということだ。
しかし、今から言う言葉を俺が言っても良いのだろうか。
変な誤解をされないか?
関係が変わってしまわないか?
慎重に考えてみたものの、どうやっても『言わない』という選択肢は存在しなかった。
「――少なくとも、俺がこれまで見てきた何よりも、だ」
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
こんな浮ついた言葉、平時なら絶対に言えない。
背けたくなる顔を無理やり固定して紅莉栖の顔を見ると、紅潮しながらもとても穏やかな表情をしていた。
「……ありがとう、嬉しい」
目を細めて笑う。
そう答えて、紅莉栖はその場を動いてラボのソファに座る。
なんとなく紅莉栖の視線が俺も座るように言っているように思えて、俺も続いて紅莉栖の隣に座った。
そのついでに紅莉栖のおかげで手に入れた扇風機をこちら側に向ける。
二人で、緩やかな扇風機の風を浴びていた。
「しかし、それにしてもよく着たな、その制服」
これまで紅莉栖のスカート姿は記憶の限りでは見たことがない。
扱いは大丈夫なのかと思ったが、スカートをちゃんと下側に畳んでおり、ソファに座った時に広がらないようにしているので心得はあるのだろう。
「ん。……まあ、恥ずかしいのは事実。でもね――」
あんたが着て欲しいって言ったから。
そう、紅莉栖は言った。
「ならばダルがもし着て欲しいと言ったら」
「絶対着ない」
冗談めかして言うと、紅莉栖はきっぱりと拒否をした。
「あ、別に橋田がダメなわけじゃないの。彼も悪い人じゃないのはラボに居てよくわかる」
流石にダルにキツく当たり過ぎだろうと思ったのか、紅莉栖は続けてフォローする。
「ただ橋田は……ね」
「……うむ」
普段とちがってスカートを履いているせいか、どことなくおしとやかな口調で理由を端的に述べる紅莉栖。
具体的なことは言わなくても間違いなく通じるあたり、ダルの普段の言動があまりにもHENTAIなのはもはやラボの常識だといっても差し支えない。
「でもあんたは、私が本当に嫌なことはしない。私の本当を、ちゃんと理解する。……それに、岡部自身の言葉だったってのもある」
「俺の?」
一瞬解釈に戸惑ったが、すぐに理解する。
鳳凰院凶真ではなく、岡部倫太郎の言葉。
「ええ。もし鳳凰院凶真の言葉だったら、私は今絶対に着ていなかった」
「俺の言葉、か」
難しい話だ。
俺がそうしてきた理由とは全く異なるが、紅莉栖もまた、科学の世界で戦っていく中で少なからず他者に対して仮面をかぶることを選んだ。
そうしなければ、あの世界でやっていけなかった。
最高の能力の代償がそれなのだとしたら、神とやらも些か意地が悪すぎる。
なにせ、紅莉栖自身には何の落ち度もないのだから。
「岡部ってさ、優しいのよね」
「……別に、優しくしようと振る舞っている訳じゃない」
長く、果てしないα世界線でのループ。
その中で感じた紅莉栖という人間の美しさ、格好良さ……そして大切さ。
それを経験している以上、不確定なシュタインズ・ゲートに居る俺はどうしても気にかけてしまっているのかもしれない。
もう二度と失いたくない、その一心のせいか。
実際に紅莉栖はそれを完全に感知していた。
「岡部が経験してきた別世界線の記憶は私にはない。厳密に言えば霞のようにあるようで無い」
穏やかな声色の中に微かに交じる、悔しそうな声。
それを打ち消すように、紅莉栖は俺を真っ直ぐに見て続ける。
「でも……なんだろうね。私にとって初めて会った時から、不思議と岡部と話しているととても暖かいのよ」
普段はあんなにむかつくのにね、とまで付け加えて、おどけたように笑った。
扇風機の風がそっと紅莉栖の髪を揺らす。
「程度の差はあれ、誰にでもリーディング・シュタイナーは存在する。それと入り混じってるからなのかもな」
「つまり、α世界線の私も今の私と同じような感じだったわけだ」
潜在的な第一印象ともいうべきか。
たとえ初対面であっても脳の奥底に楽しく過ごした記憶があれば、それを直接今の紅莉栖が思い起こさなくても浅い部分で認識できる。
この世界線で出会ってから、まだ時間はさほど経過していない。
にもかかわらず気を許せているのだとしたら、その影響もあるのかもしれない。
そう思う俺を、紅莉栖は真っ向から否定する。
「でもそうじゃない。私がラボをホームみたいに落ち着けているのは、α世界線の私の記憶があったからじゃない。ここにラボメンが……岡部がいるからよ」
一つ間を置いて続ける。
「この場所に鳳凰院凶真が居て、椎名まゆりや橋田至も居て、他のラボメンも居て……岡部倫太郎も居る。だから落ち着くの。私の感情に……私の気持ちに、私以外の牧瀬紅莉栖は関係ない」
紅莉栖は、俺が話したα世界線での出来事を信じていない訳ではない。
その上でそう言い切ったのだ。
「……物好きが居たものだな」
「あんたがそれを言うな」
示し合わせたかのようにお互い笑い合う。
「他の誰でもない、岡部の言葉でそれを聞けたから、じゃあ着てやるか、って思ったの。店だと恥ずかしくて駄目だったけど、岡部だけになら……って、意外と単純ね、私」
「複雑であるよりかはよほどいい。対人関係においてはな」
「その言葉、色んな人に聞かせてやりたいわね」
色々な物事を隠しながら生きている人間ばかりの世の中では疲れてしまう。
他のラボメンもそうだし、紅莉栖もそうだ。
ならば、ここだけはそれを排した場所にしようと、今の俺はそう思っている。
「まあ、そういうこと。あんたの疑問は解決した?」
「ああ」
話している時間は僅かであったように感じたが、実際は違ったらしい。
外は一層暗がりに沈みつつあり、点いているラボの蛍光灯が独特の雰囲気を醸し出していた。
「紅莉栖」
「何?」
名前を呼ぶと、優しい声で聞き返してくる。
たったそれだけで、例えようもない幸福感と高揚感が溢れてくるのだ。
「今日はありがとう。紅莉栖のメイド服が見れてよかった……って、これじゃ本当にHENTAIじゃないか」
「ふふ、本当にね。……でも、それは悪い気がしない」
突然紅莉栖がソファから起き上がり、テーブル越しの俺の対面に立った。
「褒めてるんでしょ? なら許すっ」
腰に手を当て、自信に満ちた表情で微笑む。
それが、絶対にありえないα世界線の紅莉栖との邂逅のように思えて。
やはりα世界線でもβ世界線でも、シュタインズ・ゲートでも紅莉栖は紅莉栖なのだと思えて。
ここが、深淵の果てで望んだ世界線なのだと改めて感じて――。
「……で? あんたはもう満足したの?」
「どういうことだ?」
立っている紅莉栖と座っている俺。見下ろされるように、堂々と紅莉栖は俺に訊く。
「私がこんな服を着るなんて滅多にないのよ? 既に夜だけど、もう着替えてもいいの?」
そこまで言われてようやく趣旨を理解する。
この言い回しはやはり紅莉栖らしいというか、相変わらずというか。
「確かに、それは勿体無いな」
「勿体無いでしょ?」
ふふん、と紅莉栖は朗らかに笑った。
「そうだな……なら、カップラーメンでも作ってもらおうか」
「ふふ、昼間の仕返しのつもり?」
まさか、と返しておく。
特に何かをやってほしい訳ではなかった。
自分の素の言葉に、紅莉栖が反応してくれただけでよかったのだ。
これ以上望んでは罰があたってしまう。
「いいわ、作ってあげる。お湯を沸かすから待ってて」
紅莉栖はそう言ってふわりとスカートをはためかせ、そのままキッチンの方へと向かう。
我ながら馬鹿なんじゃないかと思うが、もの凄く今の状況を楽しんでいる自分がいる。
……いや、これは馬鹿になっていると言うのだろう。
以前ならば色恋など興味はなかったしするつもりもなかったのだが、まるで人が変わっているかのようだ、と一人苦笑する。
言葉通り、キッチンでやかんに水を入れて火にかけた紅莉栖だが、突如何やら考え出すような仕草を見せた。
「紅莉栖、どうした?」
ソファに座っていた俺からは表情は隠れている。
何か心配事でもできたかと思い、咄嗟に近づいて訊ねてみる。
「ふむん。確かアキバではこういう時、儀式上必要なことがあったのよね。なんだったかしら」
「……すまん。俺にはわからない」
なんだ?
メイド服を着てやかんに火をかける行為がアキバの中でメジャーなシチュエーションだとは到底思えないのだが。
いや、ダルであれば即座に元ネタから解説を始めそうだが、生憎俺には全く覚えがなかった。
「えーと、なんだっけ――ああ、そうだわ! 確かこんな感じだったはず!」
未だ悩む俺の置いてひとり答えに思い至ったらしく、キッチン下の収納の戸を開ける。
そこは備蓄用のカップラーメンが置いてあるところだ。
余裕のある時にはカップラーメンの他にもお菓子やら他のレトルト製品やらも置いているのだが、現在は二種類の味のカップラーメンのみという寂しいことになっている。
と、そこまで言って思い出す。
カップラーメンの味をまだ指定していなかったのだ。
そうなると、次の紅莉栖の言わんとする台詞も大方想像できる。
有名な範囲で、更にアキバ慣れをそこまでしていない紅莉栖が知っている事と言えば――。
「ねえ、岡部。醤油がいい? 塩がいい? それともわ――」
やはりか!
しかも絶妙にシチュエーションとしては違うところだと思うぞ!
途中まで言ったところで察知し、最後まで台詞を言った後でその台詞の内容について問うてみようと思っていた、その瞬間であった。
――ガゴン!
突如、あまりにも聞き慣れた金属音が静かなラボに大きく響くと同時に、誰かが駆け足で入ってくる音がした。
そう、前者はラボのドアの音であり、どうみても誰かが来たとしか考えられない。
しかし、紅莉栖の事を考えていた上に、いきなりの事で俺はもちろん、紅莉栖は全く反応できず――。
「オカリンオカリン! 久しぶりだお! コミマの事がようやく落ち着いて戦利品でオカリンにオススメしたいものがあるのだぜー!」
その声は。
「あ……あああ……!」
先ほどまで浮かべていた天使のような笑みから一転、紅莉栖は呻くような声にならない声をあげる。
「あ、ダ、ダルじゃないか。久しぶりだな……うん……」
言葉に窮するあまり、なんとかこんな言葉を捻り出すが、ダルが俺の前に居るメイド服姿の紅莉栖を見つけるのにそう大した時間はかからなかった。
沈黙。
この場にいる全員が硬直し、ただヤカンにかけたガスコンロの音だけがラボ内に響く。
紅莉栖を凝視するダル。
あわあわと全身が震え、今起きている状況の絶望感をひたすらに感じている紅莉栖。
そしてそれをどうにもすることができない俺。
五秒、十秒と流れただろうか。
誰も声に出せない中、沈黙の後、最初に口を開いたのはダルだった。
何故か息を吐き姿勢を正して服を整え、メガネの位置を片手でスマートさながら調整し、ただ一言。
「写真おk?」
その言葉ともに送られたサムズアップへの紅莉栖の反応は、ネコもびっくりするほどだった。
「わあああああああああ鬱だあああああ死ぬうううううう――!!!!」
突然大きな声を上げてラボを飛び出したのだ。
多分、ダルに見られたことで我に返り、今までの事を冷静に思い直したのだろう。
「おい待て紅莉栖!!! その服で外に出るつもりか!?」
流石にそこまで錯乱していなかったのか、紅莉栖はどうやら屋上に向かっていったようだった。
「というかなんで牧瀬氏メイクイーンの制服来てるん? もしかしてバイトするとか?」
その様子を見てダルが俺に訊いてくる。
紅莉栖が騒ぐのは割と慣れてるところもあってか、極めて落ち着いているようだった。
しかし俺の方は内心穏やかではない。
それまでの経緯全てを知っている身からすれば、悶え死んでいてもおかしくない。
一刻も早くなだめに行かねば。
「えーと、とにかくすまんが行ってくる! カップラーメン作っておいてくれ! 俺たちの分!!」
「え、まあいいけど。いてらー」
本当にタイミングというものが悪すぎる。
紅莉栖のことだから、屋上のドア側の壁で三角座りをしていることは容易に想像できる。
ラボを出てから、どのように話しかけようか、悩みながら階段を駆け上がる。
だが――紅莉栖には悪いが、この時間がとても楽しかった。
数えきれない程の苦しみや悲しみを超えた先のこの世界で、誰かが死ぬこともなく、誰かに殺されることもなく。
平凡なトラブルがあって、色々駆け回って。
そこに紅莉栖が居て、一緒に騒いだり喧嘩したりして日々を過ごしていく。
こんな時間を、一体どれほど望んでいたことか!
今の状況を鑑みて紅莉栖に申し訳無さを感じつつ屋上に出ると、予想通り紅莉栖がドアのすぐ側で三角座りをしていた。
俺の姿を見て、紅莉栖が震えるように言葉を漏らす。
「……おかべぇ」
天才科学者の雰囲気はどこへやら。
ひとまず隣に座り、頬を紅潮させ涙目の紅莉栖を捉える。
「――紅莉栖」
さて、どうして慰めようか。
紅莉栖がメイド服を脱ぐのは、どうやらまだ先になりそうだった。
-終-
オカクリは延々いちゃついていればいいと思う……
「シュタインズ・ゲート」カテゴリのおすすめ
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コメント一覧
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- 2018年08月31日 23:08
- オカクリはいいぞ
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