dsaefrty助言者を引き受けた筆者は、台本を事前に受け取り、それをチェックしていくのだが、残念なことにスタッフの経済に関する知識にひどい偏りがあった。これが大きな摩擦となった・・



「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク


そこで、スタッフと話し合いの機会を設け、筆者の不満をぶつけた上で、このままでは番組の助言者を降りるということを告げた。

ただ、話し合いのおかげでスタッフとの考えの齟齬(そご)がかなり埋まり、筆者は番組への助言を続けることにした。結果として、復興需要関連で、緊縮財政批判や積極財政や金融緩和の話を番組の中に盛り込むことにつながった。

当時の日本は民主党政権の下で、アベノミクスの「ア」の字の可能性もなく、デフレは深まっていった。しかも、政策の関心といえば、復興増税、そして消費増税という緊縮政策ばかりだった。


・話題となっている 「いけがmetoo」運動




この中で、リフレ的な主張を、人気のある池上氏の番組で放送できることは、筆者のクレジットや報酬を度外視しても最優先で行う必要があるように思えた。結果、放送された番組は、制作スタッフとの齟齬を乗り越えた、それなりにましな内容になったと思う。

ただ、後から考えても、この番組の制作スタッフの専門的な知識に対する軽い扱いは、後々も嫌な思いとして残った。筆者が強く主張しなければ、いったいどんな番組になってしまったのだろうか。

今回の池上番組MeToo運動においても、識者たちが自分たちの専門的知見を都合のいいように番組スタッフに利用されているという強い批判は、このときに筆者が感じた番組スタッフの「軽さ」につながるものだろう。

その後、筆者は扱いにくいと思われたのか、この番組とはそれっきりである。ただこの前後で、筆者と似た主張を持つ経済学者やエコノミストたちにも、別の放送内容について依頼がなされていたという。
そして、そのたびに何か摩擦めいたことを起こしたとも聞く。さらにここが肝心だが、それ1回きりの付き合いが定番のようである。

つまり、われわれ専門家はただの「使い捨てツール」でしかない。まさに、専門知を軽んじる態度である・・

・詳細はソース








・やらせ疑惑?突如として噴出した「池がMeToo運動」