2018/09/30再編集
前回 : 旅先で出会った、忘れえぬ人たち
あのライダー達のおかげで今、俺もバイク乗り。
旅から帰って速攻で教習所申し込んで3週間後に免許取得。
連絡先とか交換してたので報告したらみんな驚いてた。
去年、その恩人たちと一緒に走ることが出来た。
凄く嬉しかったよ。
オレも奈良のYHで見かけた可愛い鉄道旅少女に
バイクのすばらしさを小一時間説けばよかった……。
こっちは初心者で排気量も小さいのに
つたない走りにあわせてゆっくり走ってくれた。
途中、家族連れの車の後ろにつけた時なんかは
後部座席からこっちを見ている子供達に向かって、一緒に手を振ったりして。
次の週末、新聞に二輪の死亡記事が載りました。
死んだのは・・・そのリッターバイク乗り。対向車と正面衝突だったんだって。
ほんのちょっと一緒に走っただけだったけど、多分忘れないだろうな。
ショッキングですな・・・
田んぼの横の道で必死に押しがけしてたが、まったくエンジンがかかる様子がない。
そのうち、その姿を見ていた軽自動車に乗った若い奥さんに話かけられた。
事情を話すと、家が近いからそこまで押してきて、と言われたので甘える事にした。
すると家では、バイクに詳しいというその主婦の夫が出てきて見てくれた。
しかしいろいろ手を施してくれたがバイクは治らず。
で、いつの間にやら爺さん婆さん、子供達が出てきて一家総出の事態に。
結局分からないという事で、家の軽トラでバイク屋まで運んでくれた。
ほんと、こんな人がいるのかと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
運ばれたバイク屋の人も良い人で、バイクもばっちり直った。
直った1ヶ月後、もみじ饅頭を持って、そのお宅までお礼に行きました。
北に向かい津軽の小さな集落の中のラーメン屋でラーメン大盛りを食う。550円。
客は俺だけ。
「ごちそうさま」とレジの前で財布を出す。
ハッと思い出す。
フェリー代で使っちゃって金ないんだったー!忘れてたー!
財布の中を確認すると、お札は・・・無し。コインは・・・100円玉3枚と10円玉6枚。
財布を開けた状態で2、3秒固まる。
「どうしようどうしようあ~どうしよう」
頭ん中真っ白のまま、有り金全部と免許証を出して
「すいません、金ないの忘れてました・・・明日の朝、郵便局で
金下ろして持ってきます。保証に免許証あずけますんで・・・」
となんとか声をしぼりだしたら、免許証の住所を見たオヤジ、
「何、どっからきたの?」「埼玉です」「一人でバイクで?」「ハイ」
「じゃ~明日もまた走ってどっか行くんだろ?いいよ今ある分だけで。」
「え、でも大盛りまで頼んで・・・明日持ってきますから」
「いやいいって」
結局、好意に甘えて三百いくらだけ払って店を出た。ありがとうでした。
新潟県のさびれた山村のバス停で雨宿り&昼寝。
バスも来そうになかったんで正午から2時間ぐっすり寝て、荷物片付けてさあ行くかと思ってたら
トラックが近くに止まってドライバーのおじさんが下りてきて隣に座った。
「北海道行ってきたんでしょ?いや、すごい荷物だからさ」
色々話した。
昔ライダーで北海道も何度も行ったとのこと。
俺が今回の旅の話をしたら、しきりに「いいなぁ、くぅ~いいなぁ~」
といっていた。
最後に別れ際に「あ、そうそう差し入れがあるんだ」と、
でかい袋にいっぱい入った醤油せんべいをもらう。
「ビンボー旅みたいだから。これモチ米だから腹持ちいいよ」と。
翌日と翌々日の昼飯になりました。
根室市内の公園でバイクを止めて、地図を見てこれからのルートと今夜の寝床を考えていると、
自転車に乗った白人の若い男から話しかけられた。
おそらくロシア人。向こうは日本語知らん、こっちはロシア語知らん、で、
お互いにたどたどしい英語。
「hello, Is this one two five(125)?」「Yes.125.」
「Do you like offroad?」「(おう!林道大好きだ!)Yes!I like offroad!」
「I like too. I have a Honda XR450.」「Oh,XR.」
「Do you come from?」「Saitama.」「in Hokkaido?」「No,no. North Tokyo.」
ってなカンジで。中学校の教科書かっつーの。
最後はお互い笑顔で親指立てて「Good luck!」「サンキュゥー!!」
おもろかった!
出かけていったら、土砂崩れで道が埋まってた。
岩山に上って見ると向こう側がすぐ見える。
先行してた見知らぬオフ車3台とウチら2台の計5名が
顔を見合わせて出した結論は
「担ぎあげちゃおう。」
車体や前後ホイールにみんなで取り付いてセッセと一台づつ
ホントに2mぐらいはある岩山を乗り越えてしまった。
5台全部乗り越えた後、みんなで万歳したよ。
万歳終わった後、なぜかみんなヘラヘラ笑ってしまった。
コンビニで途方にくれていると、
いきなり二の腕に墨が入ったお兄さん方数人に囲まれた。
ヤラレル!死にたくねぇYo!って思ってたら
「バイクめげたんですか?」と聞かれて、飯食わせてもらって
家に泊めてもらった上に翌日バイク屋まで運んでくれたよ。
人って見かけによらんよね。
初めてのロング。初めての北海道。出逢いと発見の連続だった。
その旅路も終わりに近づいたころ、直江津郷津で一人の老人に出逢った。
その日の朝は快晴だった。
数日続いた雨で荷物が濡れていたこと、またキャンプ場が海水浴場を兼ねていたこともあって
俺は荷物とともに日光浴をしていた。まるで干物になったような気分だ。
「もう何日目?」
ふいに声がする。
目を開け、強い日差しのせいで青色がかった視界に入ってきたのは、白髪でサングラスのご老人と車。
話を聞けば、先々で出逢った人に聞いたおすすめの所や名所をたどる、予定のない旅をしているそうだ。
「私はね、病気で胃もほとんど取ってしまったし、もう長くはないんだ。だからね、
向こうへの土産のつもりでね、この旅してるんだよ。」
昔の人は言っていた。旅は日常から非日常へのシフトだ、と。
そして旅の終わりは、非日常から日常へと還ってゆくことだと。
またある人は教えてくれた。
旅を表す英語は色々あるんだが、特に journey は、長い旅、終わらない旅、人生の縮図という意味もあるのさ、と。
この人はその縮図の果てに、何を見たいんだろうか。
「君は北海道から帰ってきたのか! そうか、北海道も行ってみようかな。」
変わったところがいいと言うので、礼文島の桃岩荘ユースを勧めてみた。
そうだ、10月に東京でそのユースの大会が行われるそうなんで、よかったらそこで会いませんか?と日時を勧めてみる。
「じゃ私がそのユース行けばわかるから、その件は私の宿題にしましょう。その方が楽しみがあるでしょう。」
と返された。一本とられた。
「じゃ、また会いましょう。」
と言って、ご老人は行ってしまった。
俺はご老人が勧めてくれた「おわら祭風の盆」を見に、富山へ向かった。
夏は終わり、10月のユースの大会を前に、この人に手紙を出した。
東京での再会を楽しみにしています、と。
ご老人は大会に来なかった。
再度手紙を出しても、返事はなかった。
ご老人がどうなったか、わからない。
この人は人生の果ての間際に、旅という人生の縮図の中で、何を求め、何を想ったんだろうか。
南会津の中嶋さん。
俺はその答えを聞きたかったよ。
>ご老人は大会に来なかった。
>再度手紙を出しても、返事はなかった。
そりゃ、一般人に桃岩なんかをすすめるからだ。(ワラ
桃岩オタ、キモイ
確かに!そうかもしれんね(w
しかし、そんな理由であればいいのだけれど。
まああそこは個性が強すぎて好き嫌いがはっきり出るからね。
あのユースが好きな人の中の一部には実際に
「ここしかダメだ!」というコアなお方もおられます。
嫌いな人にとって、こういう人はさらに拒否感が出るのでしょうね。
おれが物心ついた頃にちょうど流行っててさー。
なんだかね、懐かしいというよりしっくり来るんですわ。
去年の夏、オイラも一念発起、桃岩荘に行って来たんですが、
あの歌と踊りはまあ、好き嫌いがあるとして
あの島を縦断するハイキングは物凄く良かったよ。
逆に今まではライダー同士で話をすることが多かったけど
中学生やおじいちゃんやお母さんや、色んな人と仲良くなれて
なんかね、旅することの原点を見たような気がした。
帰りの船が港を離れるとき、これでみんなともお別れか、と思うと
なんかホントに、珍しく泣けてきたねー。
今年はどんなドラマが待っているのだろう?
もう一度桃岩に往くかどうかは、小樽港に降り立つ瞬間に決めます。
まあ、例によって風任せということで。
料金所のおっちゃんに声かけられるのはいいね。
今日も、俺が料金払う時、おっちゃんが、
「あ、雨降ってきてるからなぁ、気をつけてなぁ」とか、
「領収書は(邪魔だから)いらないか?」とかの気配りもしてくれるし。
おっちゃんを抱きしめたくなったよ(w
ハーレーが納車された日、調子に乗って100キロくらい走ってしまった
すると途中、急に止まり、セルをまわしてもうんともすんとも言わない
ハァ?と思いながらもあれを1キロ近く押し、とりあえずガソリンいれてみたら
思いのほかはいったので、ああ、ガス欠だったかと再度走ろうとしてもかからず。
氏ね!!とタンク思い切り殴ったら近くのオジサンに
「コラコラ、単車にはもっと愛情もってやれ」
と話しかけられ、
「ウッセーな、ジジィ」と思いながらもオジサンが
あちこち触ると、こりゃあかぶってるなぁと一言
車載工具渡してものの10分もしたらエンジン再始動
「全然、単車のことしらねぇみたいだから家についたらショップに持っていきな」
恥ずかしいやらうれしいやらで終わったあとも会釈するしかできなかった
あの後、他人のトラブルには進んで口を挟むようになったなぁ
オジサン、ありがとう
後ろから車でやってきたオッサンにバイク移動するの手伝ってもらった。
聞けばその人もバイク乗りらしい。
んで、バイクの横でタバコ吸いながら途方に暮れてたら、
また車で来た別のオッチャンが、「大丈夫か?」と話し掛けてきた。
俺のバイクをいろいろ見てくれて、フェンダーがわれてたんで、
テープ貼って応急処置してくれた。
聞けばその人もバイク乗りらしい。
バイク乗りはバイク乗りにやさしいんやね。
箱根迂回するために1号から246号入ったあたりでパンク。
朝5時ごろ。
途中タクシー会社見つけて、カブのタフアップチューブ(ゼリーが入っている)に望みをかけて、エアコンプレッサー貸してもらう。
が、バーストした部分が結構大きかったらしく結局意味無し。
ガソスタでもチューブのため修理は断られ、仕方なくひたすら押し歩く。
明るくなってきて、左手に富士山がどーんと見える。
「ああ、きれいだなぁ・・・」と汗だくになりながら思った。
2時間ほど押したあたりで道が片側一車線の山道に。
車も多くなってきて、トラックがクラクション鳴らしながらギリギリを抜いていく。
と、足下からビビビィッという音が。見ると、道路脇の金網にズボンが引っかかり、きれいに裂けている。
泣きたくなりながら、「親指でも立ててみようかな、映画とかテレビみたいに止まってくれないかなぁ・・・」とぼーっと考えながら山道を登っていると、先のほうに後ろの扉を開けたままハザードつけて止まっているトラックが見えた。
なにしてんだろ?と近づいてみると、おっちゃんが降りてきて、
「ホレ、乗せな。今後ろ空だから」
なんとか二人でカブを持ち上げ、そのまま麓のバイク屋まで乗せてもらった。
降りがけに、静岡でお土産に買っただんごを渡そうとすると、
「そんなんの為に助けたんじゃないから」と断られてしまった。
ほんとに助かった。
トラックの運ちゃんってのは、皆怖い人なんだと思ってたけど、それ以来、トラックへのイメージが変わったなぁ。
車の中では家族の話なんかをしてくれました。今どうしてんだろ?
ちなみに、送ってもらったバイク屋では、ツーリング中ってことで足下見られたのか、リアタイヤ交換で2万近く取られた挙句、オヤジがタフアップチューブ入れなかったもんで後にパンクで大転倒する羽目に・・・。
いろいろと忘れられないツーリングでしたわ(笑)
どこ行くんだ?ひとりか?って話し掛けてきて、缶コーヒー恵んでくれたり。
なぜにハンドル握ると人格が変わるのだろう(w
トラックの運ちゃんも何かと道路上では邪魔者扱いされますからなぁ(知らんけど...)。
運転中は気合い入れて無いといかんのでしょうなぁ。
バイク乗りとは同じ邪魔者どうし気が合うんではなかろうか。
てゆーかずっと独りで運転してんだから寂しいだけじゃないんか?
ついでに拾ってほしかった(悲)道戻ったけど無かったよ。当時10月、雨の中泣きそうになった
別の日、雨の中走りコンビニで休憩してるとカップルがコーヒーを持ってきてくれた
「寒いでしょ」ってね これも泣きそうになった。
またまた雨の中走ってると信号まちで地図を見てる俺の肩をたたくオバサン
バイクショップの奥さんで、隣にある無料ライダーハウスに招待してくれた
無料だというのに、灯油まで入れてもらってストーブで暖かくすごさせて頂きました。
また行きたいなぁ
その他、スタンド、バイクショップとコーヒーをご馳走して頂いた。
原因不明のエンストで往生してた時に助けてくれたSDRのお兄さん
ものの数分でタンク下ろし→プラグ焼きまでして助けてくれた…
迷彩コートの下から次々工具が出てくるのにはちょっと引いたけど。
(ちなみにメガネ6、ドライバー3、ソケット8、そしてバーナー)
フルパッキングの富山ナンバーのマグナを見かけました。
聞いてみれば、近くでキャンプできる所を探してるそう。
袖擦り合うも何かの縁。
近くの河川敷へ案内しました。
これから酒を持ってそこへ行きます。
どんな話しが聞けるかな?
ああ、やっぱり旅はいいなぁ。
また俺もふらりと出かけてみたい。
では
富山の辰君。
いい話ができてありがとう。
今となっては全てを思い出すことはできないけれど、とてもためになる話を聞けたような気がする。
明日からの旅路、気をつけて。
これを読むみんなにも、良い旅を。
支離滅裂スマソ。
自分で作ったデザイン会社を解散して住人になっている人がいた。
仕事を辞めた理由が、健康保険を払っているのに歯医者に行く時間がないといっていた。
とても親切な人で、自炊経験のほとんどない私のために蒔を集めてくれた。
お礼を言ったら、暇だから勝手に手伝っているだけだからといわれた。
昨年、久々に知床キャンプ場に出かけたけど、いなかった。
今どこにいるんだろう。。。
おれも数年前礼文島で事故って骨折して稚内のライダーハウスのおっちゃんにえらくお世話になったなあ。
最後は稚内空港まで送ってもらってホントお世話になりました。
(ライダーハウスでは記念撮影のとき包帯巻いてる私をやたら真ん中にしたがるライダーばっかり・・。
奴らはその写真を人に見せてどういう説明してるんかなあ)
ライダーハウスはみ○ばちだよね?
数年前骨折した人がいた話は聞いたことあるぞ!
(゚Д゚)y-~~
時間は深夜1時。
土砂降りの雨の中、雨宿りしながら2時間くらい旅のことを話していた。
これからどこへ行くの?
と聞いてみたところ、目的地は決まってないが西の方へ行きたいという。
その日の早朝に大宮から出てきて、ひたすら進んでみたら箱根に着いたそうだ。
今頃どのへん走ってるのかなぁ?
自分も出先でライダーに声かける時わざわざ団体には話し掛けない。
逆に自分が団体でいる時より一人で走ってる時の方がよく話し掛けられるし。
胴衣です。
連れとつるんで旅行するのも楽しいしメリットもあるけど、
連れとの輪が出来てしまって他の人と触れ合う機会が減りやすい面はあると思う。
>451の言うように、つるむ人数
が多いほど話しかけられにくい面もあるし。
ソロで旅行するときは、道に迷ったり自分では解決できないトラブルを抱えたときには
誰かに教えを乞わなければならず、誰かと話す必要性というようなものが大きくなる。
出会いを求める故、何かの縁から誰かと出逢う。てかな?
個人的にはソロの方が出逢いがあると思います。
一人旅だと、なぜか地元の人も親切だったりするよね。
しかし旅先では意外と地元の人と話したりするのだが、
逆に市井で生活しているとバイクに乗った旅人と触れあう機会って全くなかったりする。
まあ23区内だからかなあ。
自動車、鉄道、歩き、自転車。免許は持っていたが
不思議とバイクで旅をしようという気が無かったころのこと。
自動車で夏の北海道一周旅行をしていたときのこと、途中でお金が尽きて野宿生活をしていたところ、羅臼のキャンプ場で、ライダーたちに声をかけられる。
5人のグループは皆もう盛り上がっていて、それはもう仲のよいグループツーリングに見えたので、躊躇したくらいだ。
が、実は数時間前にこのキャンプ場内の設営場所が近いというだけで、実はみんな名前もしらない同士。
そんななかにライダーだろうが自動車だろうが関係なく入れてくれて名前さえも知らない間でオイとかお前とか相手を呼びながら、こだわり無く旅の情報交換、楽しい話ができた。
これは本当にライダーに対するイメージが変わった。
当時の北海道ではライダーがすれ違うたびにピースピースの嵐だった頃、
ライダーの世界の閉鎖性を感じていたのだが、そんなことはなかった。
次のツーリングは絶対バイク!と決めた1年後、
ボロボロの中古でだったが行けたときの感動は今でも忘れない。
あのときの5人よありがとう。
高校卒業して就職もせずバイト、そして夏の北海道を回って旅が終わったら就職活動するつもりでしたが出会った人方が悪かった?
次の年も、その次の年も北海道に来てそしてそのまま札幌に住み着いてしまった
比布で出会ったCB750のあんちゃん
あなたのおかげで人生変わりました(ある意味感謝です)
おーっ!! 比布のpepeとは懐かしいなぁ。
もう10年以上も前に初めて北海道に行った時
あそこのライダーハウス(まだテント張りだった頃)にお世話になったよ。
そん時は台風が来ていて次の日は連泊してさ、
そん次の日に台風が去ったってんで出発しようとしたら誰かが何処から聞きつけてきたのか
「今日、旭川の女子高で学祭があるから行かないか?」と。
もちろんバイクに積みかけた荷物を降ろして皆でバイク連ねて行ったさ。
バザーで旅行用のシャンプー&リンス買ったりしてね。
北海道の女子高生は可愛かったナ~。
そんで、夜は夜で皆でお金出し合って(一人150円位)メシ作ったなぁ。
そこのライダーハウスでCB750に乗っている人がいてね、
「美味いコーヒー飲みたいから豆引き取ってくる」って出ていったんだ。
周りの人に話を聞くとその人は岩手出身の越冬ライダーで札幌に下宿を借りていて夏場走ってるらしいということだった。
世の中には色んな人がいるな~~と感動したよ。
その人のおかげでその晩、ほんっっと!ウマい珈琲が飲めたんだ。
何年かして、再び比布を訪れたとき、懐かしくてpepeに寄ったんだ。
おばちゃんは相変わらず元気で思い出話に花を咲かしながら、ふとカウンターの写真に目をやるとその時のCB氏が写っててびっくりしたよ。
あの時のCB氏、元気で走ってますか?その節は最高の珈琲ごちそうさまでした。
おかげで楽しい旅をさせてもらいました。
お互い結構いい年になってるでしょうけど又比布で会えるといいですね。
当時は何に乗ってられたのですか?
2chで同じ時間を共有した方に出会えるとは思わなかったです。
当時も今(笑)も750のカタナです。
もし、497さんがあの時のメンバーだったらすごい偶然ですよね。
ちなみに1989年の9月の終わり頃だったと思いますが。
13年前ですやね。懐かしくなってアルバム広げちゃったよ。
あの時のメンバーと言うか、漏れ当時CB750FC(赤/白)の岩ナンバーだったもので(藁
おぉっ!!
あの時のCBさんですか? その節はどうもありがとうございました。
漏れも懐かしくなって実家にからアルバム持って帰ってきちゃいました。
確か青い短パンはいてる方でしたよね?
(漏れは黒いTシャツのヤシです)
あの時のメンバーってもうみんなイイ年したおっつぁんなんでしょうね。
みんな何してるんだろ?(結構2ちゃねら~率高そう)
俺、今年もヨメさんと車で上陸する予定なんですけど、
また久しぶりにpepeに顔出すことにします。
一緒にどうですか(藁)
青い短パンじゃなく紺色のジョギングパンツだす(w
あの時のメンバーとは、今だに5人程と連絡とりあっています。
そのうち一人は確実に2ちゃねらです(w
pepeはライダーハウスが新しくなってからは一度もいっておりませぬ。
今年はソフトクリームでも喰いにいこうかなぁ。
レスさんくすデス。
漏れは一回だけ新築のライダーハウスに泊まりました。
5年位前ですが。
も~超豪華でしたよ!おそらく無料のライダーハウスの
中では全道一ではないでしょうか。
でも、なんか俺の感性には合いませんでした・・・・。
やっぱ、原体験があのボロテントだったからでしょう。
新館に宿泊中あのテントのなんともチープな感覚がとても
懐かく思い出されました。
今、ふと思い出したのですが、そ~いやみんなであんまり
蝿が多いので蝿取りのテープとか買いに行きましたねぇ。
んで、テープ一面に蝿が捕獲されて・・・。
いやぁ、楽しかったなぁ。
ところで、あの時のCBにまだ乗っておられるのですか?
CBは次の年、大型トレーラーの左折に巻き込まれあぽーんしちゃいました。
その後、紆余曲折して今はCB1000SFです。車検切れですけど(w
539です
俺ッちもピップでCB乗りに会った人間です
ちなみに89年の学園祭は行きました(行った年が違うかな?)
ナンバーに青いプレートを付けていたGF250乗りです(会ってるかな?)
ピップには88年から90年 運動会テントのライダーハウスの頃泊まったり
してました
当時の写真が見つからなくて会ってるかなぁと探してたんですけど・・・
その当時 変(?)なライダーとか覚えてませんか?
運が良けりゃ会えるかな。漏れもたぶん車かもしれんけど。
当時のメンバー(wとは数名と連絡取り合っています。ってほとんど年賀状だけですけど。
539氏はあん時のメンバーですね。
ライーダーハウスで酒宴とはいきませんが、運良く会えたらどっかで酒宴でもしやしょうか。
旅に出たくなってきちまったじゃねーか!
どうしてくれるんだYO!
原付で旅してたころ
富山あたりで地図見てたら暇なのか親切なのか
3回くらいヤンキにが「どこまで行くの?」と言われた
結構親切なんだよね
観光地の有料道路で事故直後の現場に出くわした(自分はクルマ)時のこと。
タンデムのバイクと旅館の送迎マイクロバスがブラインドコーナーで衝突していた。
一人は意識不明の様子で急がなければならないのだけど山ん中なので電話もないし(携帯なんか普及してない時代なのよ)、救急車を呼ぶためは麓まで十数km降りなければならない。
と、そうこうするウチにツーリング中らしきバイクが数台停まった。
彼らは状況が判ると負傷者の介護や交通整理また電話の有る場所へ走る者をソッコーで決め、行動に移ったのだった。
多くのクルマやバイクが素通りする中、自分達の予定を中断して緊張した顔つきながらもテキパキと動く彼らを見て、事故の場面で不謹慎な言い方かも知れないけど、実にカッコイイと感じた。
自分も人の難儀に手をかせるライダーになりたいと思った次第なのでしタ。
そうでありたいと思いますね。 肝に銘じておきます。
両親がキャンプ好きで、週末になるたびに車に道具詰め込んで家族で道内をドライブしてました。
その日の目的地は富良野。
朝からヒドイ雨降りで、金山湖(当時はまだダート)の道はグチャグチャ。
少しゆっくりと走りながら、ゆるいカーブに差し掛かった時に
助手席に座っていた母が突然「お父さん、車とめて!!」と叫んだのです。
「あの道路わきの草の倒れ方・・・下に何か落ちてったような跡じゃない?!」
慌てて車をとめて、家族で下を覗きに行ってみると・・・
荷物を満載にしたオフロードバイクと、その横に泥だらけになったライダーが倒れていました。
父が駆け下りていってライダーに声をかけると、返事がかえってきた!
幸いなことに、大きなケガはしていなかったようでした。
バイクを道路までひっぱりあげて、ライダーに暖かいコーヒーを振舞う父と母。
ライダーさんは本州から走りに来た人で、旅の日数が残り少なくなってきたので
悪天候の中を仕方なく走っていたところ、こんな目に遭ってしまったとか。
「今度来る時は、余裕持って走りに来ます・・・」と言ってました。
今では、私があの時のライダーさんのように
オフ車にキャンプ道具を満載にして走り回るようになりました。
ちょっと長めのツーリングに出る前には、実家の父と母に連絡するようにしているのですが
必ず「雨の日に走るときは転落に気をつけなよー」と言われます。
金山湖といえば、自分も十何年か前に親切な子供連れのご夫婦に出逢いました。
北海道に渡って何日かが過ぎた頃で、それまでのオーバーペースがたたって展望台でぐったりしていたところ、声をかけていただき、オニギリを馳走になってしまいました。
さらに心配された様子で、自宅に泊まれとおっしゃる。
肉体的にも精神的にも参っている時だったのだけど、不思議と煩わしいといった気持ちにならず、心に沁みたなぁ。
でも、さすがにソコまではお世話になる事は出来なかったので、
以後はのんびり行くと約束して別れたのですが。
あの時、一緒にいた子供達も>>487のようにライダーになって ツーリングしていたら嬉しいナ。
兵庫県は妙見山の上で行き止まり(左側4:00閉鎖)になっているのを知らずに、引き返そうと急勾配な坂をUターンしてしまい初めての立ちゴケ。
考えたら当然ですね。(情けなぃ)
ガソリンとか漏れてきて「うわー」とか一人動揺しつつなんとか引き起こしていたら
右側の休憩所にいたライダーさんが駆けつけてくれて助けていただきました。
とりあえず平坦になってるとこに降ろそうと片側支えてくれました。
自分が「あぁぁ、あんまりバイクのことよく解って無くて、、えぇと、だだ、だいじょぶですかねぇ?」
と恥ずかしさとありがたさでしどろもどろしていたら
「ん~、まぁ少ししか漏れてないし大丈夫でしょう」と言ってくれ、
とにかく自分はひたすら「ありがとうございます!」連発してました。
なんだかエンジンかけるのが怖くとりあえず跨って一休みしていたら
その方がバイクで降りてきて、
「バイクずっと乗っていたら上手くなりますよ!それでは!」と
一声かけてくれ去っていきました。
当方相当無知なもんで何て言うバイクだったのかは知りませんが
とにかくあの時の方ありがとうございました!自分はバルカン400クラシック乗りです。
名前もどこから来たのかも動揺していて言葉が出なかったです。カッコイイ兄さんでした。
初めての立ちゴケ、初めて助けられ、初めて他のライダーとのふれあい。一生忘れません……
いやいや、その場の状況がなんとなく伝わってきましたよ。
もう10年くらい前の話。
バイクの免許取りたてでうれしかったからあちこちにバイクで走りに行ったんだ。
まだ未熟者で怖いもの知らずだから、下り坂のカーブでの限界スピードを把握できていなかった俺はオーバースピードでカーブに突入。
見事に膨らんでしまい、路肩の砂で滑ってバイクと俺は仲良くスライディング。
そういえば、あの当時はカーブの路肩には砂が溜まりやすいってことを理解してなかったっけ。
自分は完全装備だったので、見た目は無傷だったんだけど、
バイクを見るとフロントが完全に逝ってしまっていた。
まだ携帯も普及していない頃だったし、近くを見ても公衆電話もない。
幸い、近くに民家があったのでその家の人に電話を借りて自宅に連絡できた。
その家の人がいい人で、「バイクでこけたの?走って帰れそう?」と心配そうに言ってくれた。
俺が「いや・・・走れそうもないです」と言うと、
「うーん、近所にバイク屋はないから家の軽トラでバイク屋まで送ったる」と言ってくれて、
バイク屋まで車を出してくれた。
そのついでに「一応病院にも行っとけ」と言って病院にも連れてってくれた。
結局バイクはフロントフォーク交換だったけど、
俺は右手親指脱臼と右ひざ強打で済んだ。
1週間後、バイクの修理が終わったので引き取りに行ったついでに挨拶に行くと
「いや、あんたが元気になってくれればそれで十分」と笑ってた。
いまでも梅雨時などはその古傷が痛むけど、痛みと同時にあのときのおじさんのやさしさも思い出す。
長文、スマソ。
搬送された病院で同室になった地元の方々とその家族の人達が、動けない俺の面倒を色々みてくれて、すごく嬉しかった。
その中の1人が床屋さんで、転院の時に“ボサボサ頭にヒゲ面じゃカッコつかないだろう”と髪を切ってヒゲを剃ってくれ、最後に“生きて帰れるのだから、これに懲りずに、またいい思い出を作りに北海道に帰って来いよ”と励ましてくれた。
空港へ向かうバスの中で、景色を眺めながら、涙が出た。
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ヘッドラインニュース
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