平成最後の夏、レンタル彼女と一緒に過ごした。
女「自分にのしかかる正体不明の呪いは既に分類されているものだったと知ることで、さっそく救われるんです」
男「古傷に対して『それは古傷です』と言われたところで何も変わらない。もう、治っているんだし、これ以上は治せないんだから」
女「青春コンプレックスです」
男「何だって?」
女「あなたの診断結果が出ました。症状、青春コンプレックスです」
女「過去に付き合った人数を聞かれて苦しむのも。街中の恋人同士を見て苦しむのも。女子高校生のスカートを見て苦しむのも」
女「青空の下のアスファルトや、プールの消毒液のにおいや、花火やクリスマスツリーに苦しめられるのも、恋愛ソングを唾棄すべきものとみなしながら縋るのも。全部青春ゾンビの特徴です」
女「治療法は確立されていませんが、治す方法は存在するそうですよ。試しに、これまでの人生で横目で見てきたことをやってみたらどうですか」
男「例えば?」
女「ハロウィンに若者が集まる街に行って、コスプレをしましょう。あなたはゾンビの格好をすればいいと思います。青春ゾンビです」
男「恐ろしそうな怪物だな。あんたは何の格好をするんだ」
女「女子高校生の格好です」
男「恐ろし過ぎる怪物だな。嫌がらせにもほどがある」
女「荒療治です」
男「厳しい医者だ」
女「私も患者ですよ」
男「病名は?」
女「まだわからないんです。だから、あなたが診断してください」
男「できるかな。こんな寂れた廃校で、まともな診断なんて」
女「できてください。さもなくば、このまま私は、病気が治らないままなんですから」
17時30分、夕焼け小焼けのメロディが流れ始めた。
今日も防災行政無線が、一つの夏に別れを告げた。
【平成最後の夏、レンタル彼女と一緒に過ごした。】
何もかもが叶わなかった10代は、その後生きていく70年間を全て否定してしまうのでしょうか。
学生時代の夏。空っぽの心を音楽と小説で満たそうとして、失敗に終わった。
男「グボボボボボ!!!!」
バタバタバタ!!
ドタドタドタ!!
ドアガラスが割れた。
カーテンレールがひしゃげた。
生存本能に逆らう状態になると、人間の身体はその状況を乗り越えようと全身で抵抗をする。
心が死を望んだにも関わらず、脳と身体は生き延びようと暴れ狂った。
男「グモモ……!!」
ベルトを首に巻き付けたまま、泥酔していた独り暮らしの大学4年生は床に落ちた。
何のために生きてきたかわからない、23年間だった。
小学校も、中学校も、高校も、大学も。
ぜんぶ、正しくなかった。
恋人が、できなかったのだから。
男「よっす」
「あ、男やっと来たよ。卒業式に遅刻なんてさすがだよ」
男「わりぃわりぃ。二度寝しちゃってさ」
「みんな、もう一回写真とろ」
「はい、チーズ!!」
まさかみんな、数週間前に、俺が自殺未遂をしていただなんて夢にも思わないだろう。
馬鹿みたいな話で笑ってくれる男友達と。
やさしく接してくれる女友達に囲まれながら。
あの日、突然の衝動に駆られ、やけ酒をしてしまって。
どういうわけか、この人生を終わらせようとしてしまった。
「じゃあねー!これからも、またみんなで集まって飲みに行こうね!!」
男「おうよ!」
「ばいばい!」
自分を大切にしてくれた人達に別れを告げた。
母「おかえり。4年間お疲れ様でした」
父「お父さんも動画いっぱい撮ったぞ」
母「おやつに葡萄買ってきてあるわよ」
両親ともに仲が良く、愛情をたくさん注いでくれた。
なのに。
男「…………」
この虚しさの正体は。
男「なんにも、なかったな」
小学校で6年間。
中学校で3年間。
高校で3年間。
大学で4年間。
おそろしいほどに長い時間、異性と過ごす機会を与えられていたと言うのに。
俺は、たった一人の女性からも、認められることがなかった。
俺は、誰かにとっての、誰かになることができなかった。
青春は、用意されるはずのものだと思っていた。
小さい頃に見上げていたお兄さんやお姉さんが手に入れていた日常の輝きは、いつしか自分も手に入れるものだと当然のように思い込んでいた。
だが、そんなことはなかった。
自分がそれを欲しいと強く思うだけのことと、それが手に入ることには、関係がなかった。
生きてる価値のない学生時代を生きたおかげで、何のために自分は生きたかったのか一つの答えを見つけた気がした。
男「自分を認めてくれる異性と、たった一人でいいから結ばれたかった」
でも、大学まで卒業した今、何もかもが手遅れだと思った。
男はそのまま社会人になった。
信用金庫の営業マンとして働いた。
男「おかしいだろ、今月のノルマ」
カード契約してこい。
旅行の契約してこい。
保険の契約してこい。
金貸してこい。
小規模企業共済の契約とってこい。
年金受給者探して契約してこい。
国債売ってこい。
投資信託売ってこい。
相続関連の話もってこい。
男「自分でもよくわかっていない商品を売らなければいけない。というか、なんで旅行の販売までしなくちゃいけねんだよ」
男「まるで複数の会社で働いているようだ。そのくせ今月で達成しなければならない項目を何一つ達成してない」
男「意味わかんねーな。でも、取れてるやつは取れてるもんな」
男「彼女が一人もできたことのない俺には、やっぱり、無理なのかな」
男「彼女のいるやつなんて、無敵に見えちゃうな」
入社してから5年目の7月、転職先も決めないまま男は退職した。
給料は世間的には高い方だったが、貯金額は160万円程度だった。同世代では500万円以上貯めている友達もいる。
自分が何に費やしたか正直なところ記憶にない。ただ、日々溜まるストレスを浪費に費やしていたのは間違いない(アマゾンからしょっちゅうダンボールが届いていたし、スマホゲームでは課金して手に入れたキャラクターがたくさんいた)。
実家に帰省すると、親はのんびりしなさいと言ってくれた。
地方公務員の一般職を目指して勉強するから1年間猶予をほしいと言うと、喜んでくれたくらいだった。
しかし、予備校探しも何もしないまま、スマートフォンでネットサーフィンをしているうちに2週間が過ぎていた。
じわり、じわりと、日々焦燥感が募っていった。
それでも、身体に重くのしかかる気怠さによって行動する気にはなれなかった。
時折、階下から両親が自分について心配そうに話し合っている声が聞こえた。
男「俺、なんで生きてるんだろうな」
男「何にもない人生だったな」
男「…………」
男「旅にでも出ようかな」
自分探しの旅、とはよくいうが。
男は、全ての知り合いから姿をくらましたいという気持ちが強かった。
男「探さないでください、の旅だな」
旅行に行く旨を告げると、気をつけて気分転換でもしてきなと両親は笑顔で送り出した。
母はどことなく涙を堪えているように見えた。
男「……つくづく甘い親だな」
胸が締め付けられる感じがした。
電車を乗り継ぎ、日本国内を行く宛もなく旅した。
九州へとたどり着いたとき、ふと、母方の祖母の家に行ってみようと思いたった。
祖父は10年以上前になくなっており、祖母は2年前から老人ホームで暮らしている。
男「宿泊費を抑えたいしな。ネットカフェで寝ても腰が痛いし」
男「それに、あそこなら、懐かしい気持ちに浸れるし」
男「なにより。人がいないからな」
最寄り駅からはタクシーを使い、山奥へと着いた。
懐かしき、ぼろぼろの木造の家にたどり着いた。
男「この家、今後どうするんだろう。お母さんの兄弟が引き取るのかな」
男「とりあえず中に入るか……って、やっぱり鍵がかかってるか」
男「鍵は誰が管理してんだろ。うちの親戚だよな多分」
無職になってここにたどり着き、しばらく泊まりたいので鍵を郵送してほしい。と電話で伝えるところを想像した。
男「……ねーわ。仕方ない」
男は、石を拾い、窓ガラスを割った
バリン!!と大きな音が山奥に響いた。
注意深く手を差し込み窓の鍵を開けると、キッチンから侵入した。
男「ご近所さんもさっきいなかったみたいだし。大丈夫だろ」
男「はは、何やってんだろ。つい一月前まで、中小企業の社長さんに融資の交渉してたのに。今じゃ自分のおばあちゃんちに、窓ガラス破って不法侵入してんだから」
試しに水道を捻ると、水が流れ出た。
電気のボタンを押すと、明かりがついた。
男「……キッチンのガスはプロパンガスだから関係ないとして。電気と水は多分自動振替で料金を支払ってるんだ」
男「家具にも埃が溜まってない。定期的に叔母さんが掃除しに来てくれてるってことか」
男「まずいな。これいつ帰ってくるかわからないぞ」
自分で割った窓ガラスを見て、じわりと汗をかいた。
焦燥感に駆られながら家の中を歩き回っていると、居間にかけられた1枚の年間カレンダーが目に入った。
男「赤丸が描いてある。スケジュールが書き込んであるな。メモ書きのつもりで書いたんだろうな」
男「うっわ、あぶね!8月19日に丸してある!おととい来てたのか!」
男「次回の訪問予定日は9月23日。秋分の日か」
男「数日泊まるくらいなら大丈夫だろう。極力、電気代とガス代は使わないようにしておかないと」
男は祖母の家に一人で泊まった。
ここまではタクシーで来ており交通手段もなかった。
近所には田んぼや民家ばかりで、何十分も歩かないと市街へと出れなかった。
男「金だけは少しあるからな」
男「その他のものは、なんにもないけどな」
男「ここ、確か廃校になったんだよな」
深夜。
男は校門を乗り越えて、元々中学校だった校舎に足を踏み入れた。
数日間泊まっただけで、男の生活は昼夜逆転していた。
昼過ぎに目が覚めては、市内まで長時間かけて歩き、必要最低限の生活品の購入や、食事を済ませるだけの日々を過ごした。
夜中に、無性に何かしなければいけないという衝動に駆られて、行く宛もなく歩き出すことがあった。
幼い頃は、夜中に歩く不審者を恐れる立場であったが、今は自分が不審者側なのだという妙な安心感があった。
男「廃校のほとんどは交流施設やら老人福祉施設やら再活用されてるってテレビで見たことあるけど、ここは今何に使われてんだろうな」
教室内には月明かりが差していた。
男「小さい頃の俺じゃ怖くて絶対来れなかったよな」
男「いつから夜が怖くなくなったんだっけ。いつから昼間にいる人間の方が怖いと思うようになったんだっけ」
男「いつから、暗闇なんかよりも、自分の闇のほうが深いって思うようになったんだっけ」
男は椅子に座った。
固くて座り心地の悪い、木製の椅子だ。
男「懐かしいな。俺の中学校となんら変わりないや」
男「俺もあの頃から、何かが変わったのかな」
男「あの時なりたかった俺って、どんな大人だったのかな」
男「よく、わかんないけどさ」
男「たった一人でいいから」
男「”彼女”がいて欲しかったよ」
数年ぶりに、涙がこぼれた。
どれだけ上司や客先に怒鳴られても、人格を否定されても泣いたことなどなかったのに。
男「……ひどいよ。ひどすぎるだろ」
男「どうして俺だけ、ずっと孤独なままなんだ」
大学時代に特に思っていたことだった。
人の輪に交じろうと、男女が半々のサークルに入った。
そこにはたくさんの男の子がいた。
自分より背の低い男がいて、綺麗な女の子と手を繋いでいた。
自分より頭の悪い男がいて、聡明な女の子と手を繋いでいた。
自分より顔の悪い男がいて、可愛い女の子と手を繋いでいた。
俺は、あいつより背が高く、あいつより頭はよく、あいつよりましな顔だったはずだ。
性格がとびきり悪いというわけでもない。
男「自分よりすべてが劣っている男にも、みんな彼女がいたのに」
男「どうして俺だけ、認めてくれる異性が現れてくれなかったんだ」
そのまま机に突っ伏していた。
もう、何もやる気がでなかった。
努力さえすれば、自分が何かを生み出せる人間だと仮に言われても。
それを提供する異性の女の子がいない人生は、あまりに生きるに張り合いがなかった。
夜の静寂が、あまりに寂しかった。
ふと、明るさを感じた。
月の角度が変わり、自分の顔を照らしたのだった。
顔を上げ、黒板を見つめた。
さきほどまで、気づかなかったのだろうか。
黒板にチョークで、こんな文字が書かれていた。
『ボーイミーツガール 一時間10,000円』
文字の下には電話番号が書かれていた。
男「……どういう意味だろう」
男「でも、あれか。こんな人気のないところで、女を呼び出すって意味だとしたら」
男「援助交際の類か」
男は携帯電話を取り出した。
電池が20%ほど残っていた。
男「初めては好きな人と、そんなことを思い続けてとうとう27才か」
男「もう、どうでもいいよ」
男は電話番号を入力した。
男「もしもし。今校舎の中に書かれた番号にかけてるんですけど……」
『お名前と生年月日をお答えください』
男「えっ、いきなり?名前は……」
オペレータの質問に淡々と答え続けた。
『ご予約を承りました。午後16時30分から17時30分までのご利用となります。規約に違反しないよう、くれぐれもお気をつけくださいませ』
男「えっ、規約違反?サービス内容聞いてないんだけど」
男の質問に対して、オペレータの無機質な声が答えることはなかった。
電話の通信が切れた。
男「今の自動音声案内か?こういうサービス利用したことないから勝手がわからないけどさ。それにしても不自然過ぎる」
男「いたずらとか、ワンクリック詐欺の類かもしれないな。やばいな、電話非通知でかけておけばよかった」
男「今深夜の1時だから……半日後じゃんかよ」
男「とりあえず、ここで寝るか」
廃校の教室の後ろ側で、男は床に横になった。
完全な昼夜逆転生活のおかげで、なかなか寝付くことができなかった。
それでもなんだか、この校舎を離れて家に帰る気にならなかった。
結局、朝日が出て、太陽がすっかり上ってきた頃になって。
男はようやく、瞳を閉じた。
懐かしい匂いがした。
隣を見ると、小学生の女の子が黒板の前で手に傘を持って笑っていた。
再び懐かしい匂いがした。
後ろを振り返ると、中学生の女の子がパンクした自転車を前に苦笑いしていた。
懐かしい匂いは続く。
前を向きなおすと、高校生の女の子が映画館のスクリーンの前で堂々と話しかけてきた。
花火の音がしたかと思うと、浴衣姿の女の子が星空を指さした。
多幸感で胸がいっぱいになった。
この気持ちを伝えなければいけない。
たった3文字で充分なのだから。
男は彼女らに向かって、叫んだ。
『近寄らないでくれ!!』
男は思わず自分の口を手で抑えた。
女の子たちは、とても悲しそうな顔を浮かべて、男のもとを去っていった。
男「うわっ!!」
夢から覚めて、男は目を見開いた。
教室には太陽が射していた。
右手に温かい感触がしていたので、目を遣ると誰かと手を繋いでいた。
上から、美女が覗き込んできた。
男「う、うわぁ!!」
男は身体をのけぞらせた。
ごつん、と、木の床に頭を打ち付けた。
男「いてて……」
女「こんにちは」
男「……何事だ」
女「膝枕をしていたんです。16時30分から始めてもう40分経過しました。さすがに足がしびれました」
女「一日もそろそろ終わりを迎えてしまいますよ」
男は顔をあげた。
頭を整理しようとした。
ボーイミーツガールと書かれた黒板の番号に電話をかけて。
昼頃に眠りに落ちて、目が覚めると、綺麗な顔立ちの女の子がいた。
男は、尋ねた。
男「君は、デリヘル?」
女「いいえ、彼女ですよ」
やけにニコニコと笑いながら、寝ていた男を起こしてくれた。
女「あなたの青春コンプレックスに、潜り込みに来たのです」
女「青春ゾンビさん」
真っ黒いワンピースを着た女性は、はにかんだ。
・・・
“青春コンプレックス”
廃校で出会った女から、男は症状を告げられた。
ありきたりに浮かぶ真夏の象徴への殺意。
それは白い入道雲。
プールの消毒液の匂い。
真夏のアスファルト。
椅子の裏に吊るされた雑巾。
掲示板に刺された画鋲。
給食袋をかけるフック。
線路の上を歩く、麦わら帽を被った、ワンピースを着た少女。
手に入れたかった、二度と手に入らない青春。
「あの時ああしていれば」
同性の親友もいた。
尊敬できる先生もいた。
愛情深い親もいた。
なのに、振り向いてくれなかった、たった一人の女の子。
隣にあの人がいないというただそれだけで、人生は絶望そのものだった。
「だから、今から過去をやり直してみませんか?自分の未来と引き換えに」
次回『持てる者のプライド。モテない者のプライド』
あり得たかもしれない過去は、諦めるには美しすぎた。
女「どうされました?具合が悪いなら保健室に行きますか?」
男「あの、質問があるんだけど」
女「どうぞ」
男「君は、俗にいう、レンタル彼女なの?」
女「はい、あなたの彼女です」
男「でもお金はかかるんだよね」
女「一時間につき10,000円頂いています」
男「それで、何をしてくれるの?」
女「こうやって、一緒にデートに行くことになります」
彼女は手を差し出して、手をつないできた。
何かのイベント事を除いては、初めて女の子と手をつないだ瞬間だった。
男「…………」
しかし、男は手を振りほどいた。
男「ぼったくりにもほどがあるだろ……」
男は頭を抱えた。
男「いくつか言っておきたいことがあるんだ」
女「なんでしょう」
男「俺は自意識が過剰な人間だということだ。これは君を傷つけたくないというよりは、俺が傷つきたくないから言うんだけど」
女「何でも話してください」
男「俺は、それなりに賢い人間だと思ってる。幼い頃から読書をしてきたし、男子の間ではそれなりに上手なコミュニケーション能力を発揮してきた。仕事でも個人と法人相手に様々な営業をかけてきた」
男「だからプライドがある。今まで女の子とまともに関われなかったのも、このプライドの大きさが原因だったとさえ思うほどにね」
男「今こうして手を繋ごうとしてくれても『この子は金銭の支給と引き換えに、恋愛の疑似体験という役務の提供をしようとしているに過ぎない』と頭の中では冷静に考えている。俺の場合、ドキドキしないどころか、少し虚しささえ感じる」
男「君はマニュアルに従って俺を落とそうとしてくれるだろうけど、おそらく俺はそれにのめり込むことができない」
男「だから、悪いけど、君が望むような良い彼氏にはなれそうにない」
女「では、ここで問題です」
男「問題?」
女「男性の占い師がいました。彼は通りすがる女性に声をかけて、無料で診断を行っていました。ある日、女性が占ってもらうと、マニアックな趣味から家族構成までことごとく内容をあてられました。何故占い師は、女性についてことごとくあてることができたのでしょう?」
男「ええー……」
女「時間切れです」
男「はやいよ」
女「第二問。このノートには何が書かれているでしょう?」
そういうと、女は黒色の背表紙のノートを取り出した。
男「なんだそれ。名前でも書くと人を殺せるのか」
女「平成3年10月31日生まれ。経済学部出身。元信用金庫営業マン。男さん、お答えください」
男「……俺の個人情報か」
女「お見せもお答えもできません」
男「学歴も職歴も伝えた覚えないぞ。1日で調べたのか?中身を見せてくれよ」
女「駄目ですよ。個人情報保護の世の中ですから」
男「俺の情報だろ」
女「でも、これで安心したでしょう?あなたは私の理想の彼氏になろうと頑張らなくたっていいのです」
女「私が、あなたの望むような、理想の彼女になるんですから」
女「男さん、これからよろしくですよ」
彼女は再び手を差し出した。
男はその手を弱い握力で握り返した。
男「……はいよ。ところで、さっきの占い師の問題の答えは、その男が興信所の社員か探偵かなんかだったからか?」
女「答えは、運命の人だったからですよ」
男「なんだそりゃ」
女はニコニコと笑っていた。
女「さて、まだお時間がありますよ。何かお話したいことはありますか?」
男「お話なんかしないよ。さっきも言ったけど、君の理想に彼氏にはなれない。今まで散々プライドを保ってきたのに、君に負けるようなことはしたくないんだ」
女「負けるとは?」
男「君を好きになるということだよ」
女「好きになっちゃいそうですか?」
男「自分の思っていることを口にだすのは一種の逃げだよ。プライドが高い人が使う言い訳の手段だ。ある意味、それはのめり込まないように気をつけるという決意表明でもある」
女「おプライドがお高いんですね」
男「プライドが高い人ほど、女性の前では無力だと思うけどね。自尊心を利用されるだけだ。キャバクラに大金を注ぎ込む馬鹿なオヤジがいかに多いか」
女「注ぎ込めるほどの大金をお馬鹿な人は稼げないと思いますよ。キャバクラ嬢に大金を注ぎ込むその行為自体が、お金を稼ぐ能ある人だと証明しているわけですから」
男「じゃあなんで能あるオヤジたちは大金を実らない恋に注ぎ込むんだ」
女「あなただって、脳内に浮かぶ実らなかった過去の恋の回想に時間を注ぎ込んでいるそうじゃないですか」
女は黒いノートを、パラパラとめくりながら言った。
男「どこまで書いてあるんだよそれ。それにしても、お客様に対して失礼な口利きだな」
女「いいえ、お客様ではなく私の彼氏ですよ。お客様は神様ですが、彼氏は対等な人間ですから、失礼な口も利きますよ」
男「あんたは彼氏に会話料を請求するのか?」
女「デート代は全部彼氏持ちとなりますね」
男「良い商売だな」
女「何がでしょう」
男「たった1時間話すだけで1万円。こんな原価のかからない商売があるかよ。あんただって、プライベートでは男友達や彼氏と何時間でも話すのに、お金は取らないんだろう?」
女「ですから彼氏からは一時間につき1万円を貰っていますって」
男「はいはい、設定を守るプロ意識は認めるよ」
男「でも、何から始めればいいかわかんないよ」
女「元々違う目的で呼んだみたいですしね」
男「悪かったよ」
女「では、何から始めれば良いかについて話し合いましょうか」
男「何から始めればいいんだ?」
女「私との恋愛です。簡単でしょ?」
男「疑似恋愛で時間を重ねるだけなんて虚しいだけだ」
女「脳内で好きな人を思い浮かべるのも疑似恋愛ですが、あなたは毎日夢中になっていたみたいじゃないですか」
男「俺の何を知ってるんだよ」
女「これから知っていきます。私はあなたと会ったのが今日が初めてですが、あなたの彼女です」
女「これってすごいことですよ。だって、女の子が告白を断る定番の言葉は、”あなたのことをまだよく知らないので……”ですもの」
女「つまりですよ。女の子は知ってからしか相手を好きにならないんです。お互いを知るために付き合うなんてことしないんです」
女「一目惚れであろうが。ハンカチを拾って貰っただけであろうが。女の子がその人との交際を認めているのなら、それはもう、ある程度自身を捧げてもいい相手だと知っているということになるんですね」
男「なるほどな。じゃあ、1時間で1万円をわたしてくれる相手は、自身を捧げてもいい相手だと知ったわけか」
女「まぁまぁ。私の使うかぼちゃの馬車の交通費を奢ってるのだと思って」
男「シンデレラか」
女「好きな人とやってみたかったこと、私とやってみたらいいんですよ」
男「急にそんなこと言われたって」
女「それじゃあ、次会う日までに考えておいてください」
女がそう言うと、夕焼け小焼けのメロディーが田舎の山奥に流れ出した。
女「17時30分を告げる防災行政無線です。良い子も悪い子もお家に帰らなければなりません」
男「定刻になったのか」
男は財布から5千円を取り出した。
男「釣りはいらない」
女「足りませんよ」
男「え、だって、20分間だろ、あんたと会話していたの」
女「あなたが寝ているときから膝枕をして手を繋いでいましたよ。きっかり1時間です」
男「わかったって。払うよ」
女「言いたげですね」
男「何を?」
女「この1万円があれば、何ができただろうって言葉です」
男「ああ、ちょっとね」
女「1万円のあなたにとっての最善の使いみち、教えてあげましょうか?」
男「頼むよ」
女「私とデートすることです」
男「はぁ?」
女「それではまた明日!」
そういうと女はてくてくと、教室を出ていった。
男「お、おい!」
靴下のまま昇降口まで追いかけると、校庭には黒塗りの自動車が駐車されていた。
女はそれに乗り込み、どこかへと消えてしまった。
夕方の廃校に、男はひとり取り残された。
女「こんにちは」
教室に入った女は男のそばにより、いきなり手を繋いだ。
女「また呼んでくれたのですね、嬉しいです」
男「昨日は何が何だかわからないまま終わっちゃったからな。それにしても、また手をつなぐのか」
女「また手をつなぐんですよ」
男「手を繋ぎながら話すのって慣れないんだけど」
女「男性は2つの処理を同時に行うのが苦手だっていいますしね」
男「そういう問題じゃなくて」
女「どちらかしかできないなら、手を繋いでてくださいね」
男「しゃ、喋れるよ」
男「聞いちゃいけない質問だって思うけど聞いてもいいかな?」
女「聞いちゃいけない質問だった場合怒るので大丈夫です」
男「どうしてこの仕事をしてるの?」
女「それは彼女に、どうして俺の彼女になってくれたの?って聞くのと同じことですよ。やりたいからですよ」
男「娯楽でやってるって解釈でいいの?」
女「彼氏と会うのは確かに娯楽といえば娯楽なのでしょうね」
男「曖昧な回答は困るな。俺は命がけであんたを呼んでるんだよ。1万円っていうのは大金なんだ」
男「失業保険が支給されるまで3ヶ月かかるみたいだし、その間俺は貯金だけで暮らしていかなきゃいけない。あんたに貢いでいたら、あっという間に貯蓄が尽きる」
女「でも、お金で買えない価値を、お金で買えるチャンスがまわってきたのかもしれないですよ」
女「今から過去をやり直してみませんか?自分の未来と引き換えに」
男「餓死しろってか」
女「思い出でお腹いっぱいにさせましょうよ」
男「ああいえばこう言うやつだな」
女「ああいえばこう言う彼女です」
女「ところで、私としてみたいことは決まりましたか?」
男「……うーん」
女「悩み中ですか」
男「無いとは言わないんだけど、それが何なのかわからない」
女「でしたら、過去の思い出しごっこしませんか?」
男「なんだよそれ」
女「あなたには忘れられない女の子達との思い出があるはずです。あのときああしておけばよかったって後悔しているシーンがいくつも。それを一緒に振り返るんです」
男「過去の傷口を舐めるのを見させてくれってか。そもそも、一度傷跡がふさがった傷口を舐めるのに、意味なんてない気がするが」
女「他に何か良い提案がありますか」
男「俺に、彼女ができるように、いろいろ教えるとかどうだ」
女「彼女ならここにいるじゃないですか」
男「そうじゃなくて。旅の恥はかき捨ての精神で言うけど、26才にもなって今まで1人も彼女が出来たことがないんだ。彼女の作り方がさっぱりわからない」
男「だから、こんな俺もさ、女の子と付き合えるように……」
女「最低です!!彼女を目の前にして浮気宣言だなんて!!」
男「今そのプロ意識はいらないから!」
女「浮気はだめですよ!」
男「そんなのわかってるって」
女「でも、どうして駄目なんでしょうね」
男「はい?」
女「それは、私の遺伝子が、生存することを望むからなのだと思います」
男「急に生物の話か」
女「私とあなたの間に子供が生まれたとして、あなたが私以外の女性と関係を持ったら、私と私の子供に与える食料が少なくなってしまうじゃないですか。だから浮気は許せないのだと思います」
女「逆に考えるならば、浮気を許せなかった人達が、長い淘汰の歴史の中で多く生き残ったというわけです」
男「浮気を許容する文化のある国もたくさんあるだろう」
女「さて、どうだか。私は日本以外の国が実在しているかさえ疑っていますもの」
男「海外行ったこと無いの?」
女「ありますよ。オーストラリアです」
男「あるのかよ。どこ行ったの?」
女「その質問に答えられる一般人の方をとても尊敬してしまいます。私は旅行先でどこを見に行ったのか、覚えた試しがありません」
男「旅行が嫌いなの?」
女「脳内で考えることが好きなのです。あまりに好きすぎて、どこへ行っても考え事に夢中になるあまり、自分が今どこを歩いているかそもそもわかっていなかったのです」
男「なんだそりゃ。まあ、俺も旅行は嫌いだったけどな」
女「そうなんですか」
男「旅行にいっても楽しくないのは、どこにいってもこの自分だからだ。自分探しの旅に逃げるような奴は旅行に向いていないんだ。今いるコミュニティで輝いているような奴が、旅行に行っても楽しめる」
男「どこに行っても、自分の居場所を感じられるような恋人がいるからな。恋人がいないと一人旅も楽しめない」
女「一人旅は一人では楽しめないなんて、通なことを言いますね」
男「こんなひねくれたことを言ってるから俺は人生の一人旅をすることになったのかもな」
女「おっ、座布団2枚」
男「いらないわ」
女「そうでしたね。座布団1枚」
男「誰がお一人様だ」
男「さっき考え事ばかりしてたって言ってたけど、何を考えていたんだ?」
女「思い出せません」
男「じゃあ何の思い出もないじゃん」
女「私はそこでも何かを考えていた、という事実があれば大丈夫なのです。赤子時代に思い出がないことを嘆く人はいませんが、みんな赤ちゃんに戻りたいって言うでしょう?安心感の体験は心に残っているのです」
男「赤ちゃんに戻りたいなぁ」
女「追加料金100万円になります」
男「誰も赤ちゃんプレイしたいなんて言ってねえよ」
男「話が逸れたな。というか逸らされたな。それで、なんだったっけ」
女「あなたの過去を振り返るお手伝いはもちろんします」
男「はい」
女「新しい彼女をつくるアドバイスというのは、私にはできません」
男「ええー!」
女「当たり前です。どこの彼女が、彼氏に浮気の方法を教えてあげるんですか。そんな心構えじゃいつか大切な人と結ばれても見捨てられますよ。私を大切にすることだけ考えてほしいものです」
男「レンタル彼女は特別だろ。頼むって。今年の夏中にはつくりたいんだ」
女「どうしてですか?今好きな人でもいるんですか?」
男「そういうわけじゃないんだけどさ」
男「今年って、平成最後の夏だろう?」
男「平成3年に生まれてから、一度も恋人と夏を過ごせないまま、平成を終えてしまうなんて寂しすぎるじゃないか」
女「…………」
男「自分勝手なのはわかるよ。自分のコンプレックスのために季節を選んで彼女をこしらえようだなんてのは失礼だってこと」
男「でも、これが本音なんだ。女の子だって、クリスマスとか、バレンタインの前に彼氏がほしいっていうじゃんか」
男「俺だってさ。一度でいいから、彼女と、彼女とさ……」
女「…………」
女「大丈夫ですよ。彼女なら今ここにいます。何回でも言いますよ」
女は男と繋いだ手に、ぎゅっと力を入れた。
男「期間限定じゃないか」
女「何事も期間限定ですよ。平成だって期間限定です。人間の寿命だって」
女「どうせ終わるものを無価値だというのなら、すでに終わっていた青春を取り戻したいと嘆くのはますますおかしいことですよ」
女「一朝一夕には終わりませんが。少しずつ、あなたの青春の傷跡をなぞっていきましょう」
男「一朝一夕どころか、一夕だけだけどな」
男「まぁ、俺が全財産を失う前にリハビリが終わることを祈るよ」
女「そうですね、うかうかはしていられません。青春を急いでかき集めなくてはいけませんね」
女「まずは花火とプールと肝試しと映画と遊園地と……」
男「詰め込みすぎかよ。青春を満たすなら計画的に」
女「青春は計画的に、ですか。いいですね。平成最後の夏は、計画的な青春を」
男「どこから手を付ければいいのやら」
女「そうですね。恋愛は初歩から始めるのが一番です」
男「というと?」
女「小学生からやり直しましょうか」
・・・
猫型ロボットが未来からやってきたのは、結婚相手を変えるというただそれだけの目的だった。
小学生には、好きな人がいる。
好きな人と結婚する以外の、未来なんて描けなかった。
修学旅行の夜に、友達が好きな人を打ち明け合う輪に混ざらない者も、心の中では常に1人を考えている。
けれど、小学生の恋は、ことごとく成就しない。
あれだけ47都道府県に散らばっていた無数の片想いは、成仏しないまま蒸発して消えてしまった。
あの頃は、人を好きになるには単純すぎたのかもしれない。
教室内で一番好きな顔を見れば、世界で一番その人を好きだと思うのに充分だった。
放課後机を見るだけで、ドキドキできた。
第1章 『小学時代:Blackboard』
それにしても、大人という生き物は恐ろしかった。
好きな人には意地悪をせずに、より親切に接するのだから。
翌日。
女「じゃーん!!」
男「……まずいまずい!」
16時30分ちょうど、教室に赤いランドセルを背負い、黄色い安全帽を被った彼女が入ってきた。
同時に男の手を握った。
男「こんなところ見られたらどうするんだって!」
女「男さんが元いた会社の支店長に見られたらどう思いますかね」
男「こんなコスプレして何の真似だよ」
女「小学生の真似です。今日のテーマにふさわしい格好をしただけじゃないですか」
男「何だよ今日のテーマって」
女「恋愛を初歩からやり直すという話です。受験勉強だって、いきなり上級生の問題集は解かないでしょう?」
男「小学生相手に恋愛をやり直すってか。26才無職、小学生趣味、逮捕。俺の人生終わらせる気か」
女「いいですか、女の子相手にしなくたって恋愛はやり直せるんです。するべきことは、小学生だったあなたの過去の復習です」
女「男さんは返ってきた答案用紙のバッテンがついたところを、復習しないままゴミ箱に捨てていたのです。だから、それを拾い出して、正しい回答を確認しようという試みをするのです」
男「ある意味それは毎日俺が継続して苦悩していたことじゃないか。あの時ああしていれば、人生変わったかなって、過去に悶々とする日々のことじゃないのか?」
女「何か小学生時代にエピソードがあったんですか」
男「まあな……。一旦、廊下に出てもいい?」
女「ええ」
二人は廊下に出た。
自分から言いだしたものの、リハビリなんてしたくないな、と男は思った。
男「小学校5年生のときの話だ」
男「ある雨の日、何かの委員会の手伝いをしてたのか、俺は放課後遅くまで残ってたんだ。用事も済んで帰ろうとした時に、下駄箱でうろついてるクラスメートの女の子がいてさ」
男「それは俺が大好きだった子だった。傘を忘れたと言っていた。適当な置き傘でも持ってけばいいじゃんって言ったけど、その子は嫌がってさ」
男「俺は自分の傘を貸そうとしたけど、それじゃあ俺が濡れちゃうからって、結局相合い傘をすることになった」
男「緊張してまともに話せなかった。傘もほとんどその子の上で持ってたから俺濡れまくってたし。でも、その子の家の近くまでついて、ありがとうって言われたときには、もうこれ以上ないってくらい爆発しそうな気持ちだった」
男「それで、次の日。こうやって、教室に入るとさ」
男はドアを開けた。
男「黒板の真ん中に、相合い傘が書かれていたんだ。その下には、俺と彼女の名前が書かれていた。誰かに目撃されてたみたいだった」
男はそういって、ハートマークと、三角形と、女の子の名前と自分の名前を書いた。
女「相合い傘、ですか」
男「ああ」
女「今でもその子の名前覚えてるんですね」
男「俺さ、小学時代のクラスメートのフルネーム、全員覚えてるんだよ。みんなに驚かれる」
女「すごいですね」
男「2年生の時に転校してきたんだけど、早く学校に馴染むために校歌と名簿だけは家で必死に覚えたんだ」
女「真面目な小学生ですね」
男「話が逸れたな。俺は、このあと、この相合い傘をどうしたと思う?」
女「うーん、ちょっとまってください」
女は赤いランドセルから、黒いノートを取り出した。
女「あっ、一箇所間違えているみたいですね」
そういって彼女は、相合い傘の上のハートマークに、目と口を書き足した。
女「これでよし」
男「なんだそりゃ。そんなのあったかな……」
女「それで、あなたはどうしたんですか?」
男「なんだよ、そのノートに書かれてないのかよ」
女「あててみますね。黒板消しで消した!」
男「ハズレ」
女「女の子の手を引っぱって、教室を出た?」
男「そんなこと出来てたら後悔してないよ」
男はそういうと、赤いチョークを手に持った。
男「こうしたんだ」
男はすごい勢いで、女の子の名前上をガリガリと線で塗りつぶした。
女「…………」
男「好き避け、っていうには、あまりに残酷過ぎるだろ」
【用語解説:好き避け】
好きな人に冷たい態度を取ってしまうこと。
自己防衛行動の一つで、自分にとって重要な意味を持つ対象に直面した時に、本心とは逆向きの行動や意識を取ることで精神の均衡を保とうとする心の働き。反動形成。ツンデレ。
男「恥ずかしさとか、パニックとか、そういうのに耐えきれなくなった。自分がこの子を好きだという気持ちが、この子や周囲の人間に決して伝わってはいけないと、不明な恐怖心に襲われた」
男「女の子は泣き出した。それ以来まともに口を聞いてもいないよ」
男「あの時あんなことをしなければよかったのに」
女「…………」
女「今なら、どうしますか?」
男「……こうするべきだったのかな」
男は赤いチョークを手にして。
傘の上に、巨大なハートマークを書き足した。
女「あら、まぁ」
男「やってたらどうなってたんだろうな」
女「気になりますね」
男「気になる人生になってたよな。結ばれることになろうと、結ばれなかろうと。自分自身が結末を気になるような人生を送れていたんだろうな」
男「仮にその時大きなハートマークを書いていたとしても、その子と両思いになって、中学生になって付き合って、今頃結婚してた、なんてことはないと思うよ」
男「でも、その時にハートマークを書けている自分だったら。こんな惨めな人生送ってなかっただろうなって思う」
男「好きなものに好きだといえない人はさ。好きじゃないものだけに囲まれる人生を送ることになるんだ」
女「これが小学生時代に抱えた大きな後悔なんですね」
男「ああ。小学生の時に、一番やり直したかったこと」
女「本気で、やり直せますか?」
男「ああ、今ならな」
女「……そうですか」
男はなんとなく、黒板にぐちゃぐちゃに消されたハートマークを眺めていた。
黒板消しで消そうと、手を伸ばそうとした時。
ふと、懐かしい匂いがした。
『ど、どうしよう……』
困り果てた、か細い女の子の声が聞こえた。
男『えっ……?』
幻覚か、幻聴か、誰もいないはずの教室の空間から、一身に注目を浴びているかのような錯覚に陥った。
羞恥心で男は赤面し、足が震えた。
男『な、なんだよこれ……』
『どうしよう……』
男『ど、どうしようって……』
男は黒板の溝から、赤いチョークを手にとった。
男『……し、しらねーよ!!!』
男は赤いチョークで、女の子の名前を塗りつぶした。
チョークを投げ捨て、教室から飛び出した。
男「……ここは」
後頭部に柔らかい感触がした。
目の前には、天井と、校庭を眺めている女の横顔が見えた。
女「おはようございます」
男「あれ、俺……」
女「真夏の教室の暑さは異常です。教員志望の大学生にアンケートを取ったところ、教員志望理由の98%は職員室にクーラーがついていたのが子供時代に妬ましかったから、というものだったそうですよ。熱中症と立ちくらみには気をつけてくださいね」
額に手をやると、濡れたハンカチが乗せられていた。
男「なんだよ、さっきの」
女「さっきのとは?」
男「あの懐かしさ。匂いとか、話し方とか、持ち物とか」
男「全部、あの当時のままだった。黒板消しの後悔の日そのものだった」
女「過去の夢でも見てたんじゃないですか」
男「いや、あれは夢なんかじゃなかった」
女「結末はどうなったんですか」
男「結末は……」
女「あの日のままだったということですか」
男「…………」
女「夢にせよ何にせよ。これで確認できてよかったですね。やり直したいと思った過去に戻れたところで、やり直せないとはっきりわかって」
女「当たり前ですよ。過去をやり直せるほどの力を身に着けた人であれば、今をやり直せていますもの。そして、今をやり直せた人は、過去に拘泥しなくなりますもの」
女「過去を憂いている人は、結局過去に戻れたところで、何もできないままなんです」
女「起き上がれますか。水分補給しないとですよ」
女は男の上体を起き上がらせると、ランドセルに手を伸ばした。
女「はい、麦茶です。さっき自販機で買ったばかりです」
男「そのランドセルただのコスプレじゃなかったのか」
女「物を入れるのが本来のランドセルの機能ですもの。ほら」
男「うわ、中身ぎっしり入ってるじゃん。教科書ばかり」
女「困った時に戻るべき初歩は、教科書に書いてあるものですから」
女はそう言って、ランドセルから一冊の教科書を取り出した。
男「……高校一年生の時の、現代社会の教科書だ。ランドセルからよくもまぁ出てきたな」
男「そう。教科書なんてものは、幸せに生きていくのに全く役にたたないものだと思っていたけれど。たった1つだけ、この教科書で衝撃の言葉と出会ったんだ」
男は教科書をめくった。
男「『反動形成』」
男「好き避け。好きな人に対して意地悪をしてしまうこと」
男「もっと早くにこの言葉を知っておきたかった。そうすれば、女子に暴言を吐くような自分でいられずに済んだかもしれないのに」
男「黒板事件みたいに、好きが故に傷つけた記憶がいくつもある」
男「好きな人を自ら遠ざけるプログラムが仕込まれてるなんて、人間って訳のわからない機能が実装されているなって思うよ」
男「小学生時代はこんなものだ」
女「その子はその後、どうなりましたか?」
男「同じ中学校にあがって、俺の友達を好きになったことが発覚した。でも、その友達は他の女の子が好きだったから、見向きもしなかった。俺もクラスが別になって、次第に気持ちが離れていった」
男「大学生くらいの頃に、たまたまSNSで見つけたけど、昔好きだった面影はなくなっているように見えた」
男「俺の初恋はこれにておしまい」
女「……そうでしたか」
女「でも、男さん、今こうやって振り返ることにはきっと、意味があったと思いますよ」
男「ああ。しょうもない昔ばなしに付き合ってくれてありがとうな」
女「こちらこそ、ありがとうですよ」
女が男に笑みを返したとき、夕焼け小焼けのメロディが流れた。
男「時間だな」
女「はい」
男「ちょっとまってな」
男は財布から紙幣を取り出した。
男「どうぞ」
女は首を振った。
男「えっ?」
女「料金10,120円頂戴します」
男「お茶代自腹かよ!!」
・・・
夏休み明け、地獄の巣窟への登校日を迎えても自殺をしなかったのは、好きな人が1人いたから。
女の子にとってはたったそれだけのことが、男の子にとっては全てだったりする
恋といじめは本能で発生する。
全校生徒が恋をしない中学校が存在するのと同じ確率でしか、いじめの一切ない中学校は存在しない。
長期的に見れば非合理的な選択だとしても、いじめへの加担という選択を取ってしまう14才は少なくない。
心優しくない者も、心優しき者も、ヒエラルキーのより上に立ちたいという欲望を持っている。
自分の背中を押して貰える人間を目指す者もいれば、他人の足を引きずり下ろす人間を目指す者もいる。
いじめは、いじめた方が悪いのではない。
いじめは、いじめられた方が悪いのでもない。
いじめは、傷つけた方が悪い。
概して、初めに相手を傷つけた方に、いじめられっ子が多いという話だ。
場所を変え、時を変え、両者が入れ替わり続けるだけである。
第2章 『中学時代:Cycling』
上手に漕げる自信がなければ、押して歩いてもよかった。
女「こんにちは」
女は教室に入るなり、男の手を握ってきた。
男も仕方なく握り返した。
男「こんにちはじゃないよ」
女「こんばんは?」
男「そうじゃなくて。なんだよその格好」
女は学生服を着ていた。
女「この年で中学生の制服は痛いですかね?」
男「別にそうは言ってないけど」
女「あら、昨日の今日で成長したじゃないですか。昨日までのあなたならきっと」
女「学生卒業したババアが俺様の崇める神聖な学生服を着るんじゃないだに!」
女「って頬を赤らめながらも強がって言っていたと思いますよ」
男「もうその俺気持ち悪すぎるだろ」
女「コスプレじゃないですよ。実際に私が当時着ていたものなんですから」
男「まじか。何年前?」
女「何年前だと思います?」
男「うーん……」
男「あんたの年齢、よくわかんない。若くも見えるし大人びても見えるし」
女「褒め言葉として受け取ってもいいんですよね」
男「年齢あてって最悪のゲームだよ。低く言い過ぎてもからかってると思われるし、高く言うと不機嫌になるし」
女「あてるのが正解じゃなくて、相手を気分良くさせるのが正解ですからね」
男「思ってることって何でも口にしてはいけないらしいからな」
女「よくご存知で」
男「口に出すべきでないものを口に出す俺のような奴に限って、口に出すべきものを口に出さないんだよな」
女「下ネタは追加料金ですよ」
男「今のを下ネタだと解釈されたことに対して値引きを適応してもらいたい」
女「年齢あてへの対処は難しいですね」
男「おほん。ねえねえ、俺何才に見える?」
女「平成3年10月31日生まれの26歳に見えます」
男「そこまで当てられたら喜ぶしかないな」
女「じゃあ、今日は中学校の復習をしましょうか」
女はそういうと、学生カバンをごそごそと探り始めた。
男「何探してるんだ?」
女「あなたのノートです。おかしいな、見つからないですね」
女はごそごそと物を外にほうり始めた。
何冊かの教科書に混じって、ガラパゴス携帯、年賀状、受験票など、何に使うのかわからないものまで出てきた。
男「ちょっとなんだよこいつら、気になるんだけど」
女「あっ、ありました!」
女は真っ黒いノートを取り出した。
男「また出たよ。いい加減見せてくれ」
女「個人情報なので」
男「またそれか」
女「……ふむふむ」
女「なるほど、わかりません。さあ、あなた自ら過去のトラウマをさらけ出してください」
男「まじかよこの主治医」
女「本物の病院だって、患者さん自ら症状を話すじゃないですか。それと同じことです」
男「はいはい。わかったよ」
男「中学時代の失恋の話をすればいいんだろ……」
何から話し始めようかと、考えていると。
女のカバンから出ていた、ゲームのコントローラーが目に入った。
その瞬間、男の心に、暗い影がずしりと落ちた。
男「ゲームで、最下位のやつが坊主だ」
女「えっ?」
男「4人対戦のゲームが流行っていた。それで、ビリになった人が、床屋にいって坊主にするっていう罰ゲームをすることになったんだ」
男「俺はそのゲームが得意なはずだった。でも、他の3人は明らかに俺を集中的に攻撃してきたんだ。それで俺は負けた」
女「坊主にしたんですか?」
男「坊主にしちゃったんだよ」
女「しなくてもよかったのに」
男「それは大人だから言えることだよ。中学生は、狭い牢獄に閉じ込められた囚人の共同生活でしかなかった。口約束は厳格に守るべき規則のようなものだった」
男「クラス替えで気の合う友達がみんないなくなって、威圧的なクラスメートと一緒になった。俺が他者を傷つけたことがあるのと同様、他者が俺を傷つけるのも当然許容しなければならなかった。傷つける程度の大きさが違ったとしても」
男「あんまり語りたくないから語らないけどさ。人生で一番つらかった時期だよ」
男「だけどさ、そんなクラスでも一つだけ救いがあって」
男「好きな女の子が出来たんだ」
男「違う地区の小学校から、同じ中学にあがってきた女の子だった」
男「毎日必ず声をかけてくれた。笑顔を向けてくれたし、俺のバカバカしい冗談でよく笑ってくれた」
男「その子はなぜか俺のことを面白いからかい相手だと思ってくれて、毎日話しかけてくれた。俺が全然似合わない坊主になっても爆笑してくれた。持久走で50番目くらいになっただけで褒めてくれた。休み時間に時々俺を呼んでは、勉強を教えてほしいと言った」
女「その子はかわいかったですか?」
男「あのさ、それはもうわかりきってることでしょうよ」
男「小学生と、中学生が好きになる異性なんて、容姿以外の判断なんてありえない。男も女も、お互いの顔や身長だけで判断して相手を好きになるんじゃないか」
女「でも、それは必ずしも、クラス一番の美女を好きになるということではありませんよね。顔だけが判断材料なら、全員アイドルに恋をしていますもの」
男「うん。そこが不思議なとこなんだ。たしかに好きになる異性っていうのは、容姿が優れているんだけどさ」
男「必ずしも、一番かわいい子、美しい子ではないんだよな」
男「そこに、自分に対するやさしさが含まれて、初めて恋に落ちるんだ」
男「あの子がいなかったら、俺はさ、苦痛なだけの日常に絶望してさ」
男「不登校になってたか、あるいは……」
男「…………」
女「男さん」
女「今日はプール日和ですよ。せっかくだし歩きましょっか」
男「プールだ。懐かしいな。水が入ってないけど」
女「好きな子の水着姿を覚えていますか?」
男「それがさ、その子いつも見学してたんだよ」
女「なんででしょうね」
男「女性の日くらい俺だって知ってるよ」
女「一度も入らなかったんですか?」
男「ああ、そうだな」
女「それなら単に水着姿になるのが嫌だったのかもしれませんね」
男「俺ができることは、日陰で体育座りしているその子を、水上からゴーグル越しにじっと見ていることだけだった」
女「なるほど、普段はなかなか直視できないですもんね」
男「そこは気持ち悪がるリアクションをしていいよ」
女「おうぇええええうげっぇえええええ!!!」
男「ごめん、やっぱ聞き流して」
女「夏といえば、プールの消毒液の匂いですよね」
男「女の子も同じ感覚なんだそれ」
女「さあどうでしょう。男の子が、これぞ青春、と思っているものを脳内で暗記して、それっぽく言ってるだけかもしれませんよ?プロのレンタル彼女として」
女はわざとらしく、男と繋いでいない方の手で持っていた黒いノートを見やった。
男「確かに、男が夏に感じる強烈な憧憬を、女の子も同じ強さで抱いているイメージはわかないからな」
女「男さんにとってのこれぞ青春ってなんですか?」
男「やっぱりプールの消毒液の匂いだよ。他には熱せられたアスファルトの道路。白いワンピースを着た、線路の上を歩く女の子」
女「最後のはいかにもって感じですね。実際それやってる人みかけたら、踏切の非常ボタン押しちゃいますよ」
男「それにあんたは黒いワンピース派だしな」
女「太陽の熱を一身に吸収して、いつかビームを出そうと企んでいるのです」
男「どこに向かって発射するの?」
女「過去に決まってるじゃないですか」
女はピピピピピ、と言いながら、繋いだ手の指をてっぽうの形にして撃ち出した。
夕焼け小焼けのメロディが流れた。
男「あれ、もう時間か」
女「そうですね」
男「はい、1万円」
女「毎度ありです」
男「恐ろしい勢いで金が減ってくな」
女「彼女の前でそんなこと言うのはいけませんよ。それは結婚指輪を買ってプレゼントして、これさえ買わなければ給料三ヶ月分あったのになぁ、と言ってるようなものですよ。真逆効果です」
男「わるいわるい。あんたといる時間は、ダイヤモンドみたいなものだからな」
女「うーん、まだまだキザ度が足りませんね」
男「せっかく言ったのに」
女「嬉しいですよ。もっとキザになって、女たらしになってください。そのうえで私だけの彼女でいてください」
男「はいよ」
女「それではまた明日」
男「明日も呼ぶとは限らないけどな」
女「明日は呼ばないんですか?」
男「……呼ぶとは限らない」
女「絶対呼ばないんですか?」
男「…………」
女「それでは、また明日!」
男「決めてないって!!」
女は笑顔で教室を去り、校庭に駐車されていた黒塗りの車に乗り去っていった。
女「こんにちは」
男「こんにちは」
女「今日も呼んでくれてありがとです」
男「まったく……」
今日も女は制服姿で現れた。
すぐさま男と手を繋いだ。
女「今日もいい天気ですね。快晴です」
男「ああ。暗い過去を振り返るにはぴったりだ」
女「あっ、それいいですね。どんよりとした天気の日に振り返ったら、それこそ鬱になっちゃいますもんね」
男「皮肉のつもりだったんだけど」
女「今日の心の天気予報は、くもりのち鬱です」
男「過去を振り返るのは大変だ」
女「中学時代に好きになった子の話、聞きたいです」
男「特にエピソードがあるわけでもないんだよな」
女「見た目が好きになって、日々目にする笑顔に心を打たれていたとかですか?」
男「まぁそんな感じ」
女「好きな人ができるという感覚がわからないという人もいますからね。男さんの人生には好きになれる女の子がいてよかったですね」
男「俺、惚れやすいんだよ。言っておくけどさ、小学校、中学校、高校、大学と、それぞれ1人好きな人がいたんだ。全部片想いで終わっちゃったけどさ」
女「選ばれし4人がいたのですね。社会人になってからはどうだったんですか?」
男「会社の同期は80人くらいいたんだけど、支店配属で皆散り散りになっちゃったし、そもそも同期にうまく馴染めなかったからなぁ」
男「彼女いない歴年齢のやつなんてほとんどいなくてさ。今まで付き合った人数の話題になった時に、くだらないと内心思いながらも、2人しかいないんだよねって嘘ついちゃったよ。0って言ったときの周りの反応を考えると嫌だった」
女「みんな同じだったかもしれませんよ。その場にいた5,6人が、誰一人交際経験がないのに、みんな嘘ついてお互い苦しみあっているというジレンマです」
男「滑稽な地獄絵図だな」
男「中学時代はみんな横並びでスタートしたはずだったのに。いつの間にか俺以外は恋人をつくってたなぁ」
男「俺だけあの頃出された青春の課題に取り組まなかったツケがきたんだな」
女「実際に出された夏休みの課題には取り組んでいましたか?」
男「夏休みの宿題も最終日にやる方だった。高校生になってからはついにやらなくなった」
女「いつだって宿題を提出しないのは男子です」
男「ちゃんと全員宿題を提出する女の子って何者だったんだ。宿題を提出しない女の子などいないせいで、男子は女子に幻想を抱くんだ」
女「男子って賢いのに馬鹿なイメージでした」
男「言い得て妙だな」
男「賢いといえばさ。これは自分のことを言うんじゃないんだけどさ」
男「学校の成績が比較的良かったり、読書が好きだったりするやつってさ。見た目も爽やかで、運動神経もよくてもさ」
男「恋人ができるのが比較的遅かった気がする。賢い人に限って、大学時代に初彼女が出来ていた印象がある」
女「どうしてですかね?」
男「理性が強いのと同時に、羞恥心やプライドも強かったのかもな」
男「自分とは恋愛関係になりえないような、美しすぎる子や、肥満の女の子に対しては気軽に話しかけることができたとしても。本命の好きな子に対しては目も見れない」
男「自分の異性への好意が周囲に悟られるのを恥ずかしいと思いやすいんじゃなかったのかな」
男「修学旅行の夜に好きな人を打ち明けられた男子から、恋人ができていったんだろうな」
男「はぁー。いい感じに気分が暗くなってきた」
女「予報通りですね」
男「あのさ、突然叫んじゃうことない?」
女「ぎゃああああああ!!!!!!!!!」
女「そういえばありますね」
男「話し合わせるために無理やり事実こさえなくていいから」
女「どんな時に叫ぶんですか?」
男「夜に一人で寝ている時に、過去にやらかした恥の記憶なんかを思い出したとき」
女「どんな記憶ですか」
男「好きな人を傷つけた記憶」
女「だったら思い出して苦しむしかないですね」
男「どうして嫌な記憶ってフラッシュバックしやすいんだろう」
女「脳の復習のつもりなんじゃないでしょうか。他人に危害を加えたこと、加えられたこと、それらの経験を振り返ることで、同じ過ちを繰り返すことがないようにするためとか」
男「苦痛を現実で再現しないために、苦痛の記憶を繰り返すのか」
女「傷つけられたから人の痛みを知ることができるとも言いますが。傷つけたことを自覚したからこそ人の痛みを知ることだって出来るんですよ。加害者の意識を持つことは大切です」
女「いじめはいじめるほうが悪いとか、いじめられる方が悪いとか、色々言いますけど。いじめは傷つけた方が悪いんです。最初に相手を傷つけたのが、意外にもいじめられっ子の方が多いというだけなんですね」
男「何もしてないのに、いじめられる場合もあるよ。美人な子が嫉妬されていじめられるとか」
女「生まれ持った容貌の美しさで、周囲の凡庸な女性を傷つけたことには変わりないでしょう」
男「んな無茶な」
女「それがいじめというものです」
男「これっていじめの話なの?」
女「好き避けによって、異性を傷つけたあなたの話です」
男「キモイだとか、ウザイだとか、よく言ってたな俺」
女「かわいいだとか、素敵だとか言うべきでしたね。正解と真反対でしたね」
男「そんなセリフ言ったらそれこそ女子から気持ち悪がられてたよ」
女「あなたは気持ち悪がられるべきでした」
男「嫌だよそんなの」
女「99人嫌がる中で、1人でも喜んでくれていたら、その人があなたの運命の人だったかもしれないのに」
男「好意を示して99人に拒絶されることに耐える強さなんてなかったよ」
女「振り向いて貰えないのは4人が限度ですか?」
男「いや、告白したこと自体がないから」
女「0人が限度ですか」
男「良いと思ったことを良いと言える自分だったら、送りたかった青春を送れたのかな」
女「あなたが送りたかった青春とはどのようなものですか」
男「少なくとも性的営みがメインじゃない」
女「否定から入りましたね」
男「ただ純粋に好きな人と手を繋ぐことだけを考えたい」
女「あら、今こうして手を繋いでいるじゃないですか」
男「レンタル彼女とな」
女「彼女は彼女です。手をつなぐって、純粋な望みですね」
男「あんたみたいなモテそうな奴には、冴えない孤独な男の気持ちなんてわからないだろうな」
女「むぅ。まるで私が満たされてるみたいな言い方」
男「青春を憎悪したまま大学を卒業した男友達はいたけどさ。なんか、男に比べて女はそんなに青春を憎んだりしないイメージだ」
女「どういうことでしょう」
男「大学時代に入ってたサークルが、インカレのサークルでさ。かわいい子もたくさんいたけど、彼氏いない歴イコール年齢のまま大学を卒業した女の子もこれまた少なからずいた」
男「やばいとか、彼氏欲しいとかってよくいうけど。女の子は今を嘆いてる気がして。一方、男の子は今までを嘆いてる気がする。女の子が今月だけを嘆いてる時に、男の子は今月に至るようになった過ぎ去りし日々の全てを嘆いてるみたいなさ」
男「女はいいよな。青春に溺れなくて。男を選ぶ側だもんな」
女「……そんなことないですよ。それどころか、幼い頃から恋愛市場で生きてきたのに、彼氏となるべき男性と巡り会えない自分について悩んでいた女子大学生も多いと思いますよ。送りたかった青春について、講義中に思いを馳せる女の子もたくさんいると思いますよ」
男「あんたが送りたかった青春ってどんなものなんだ」
女「今日も大好きなあの人と、大嫌いなことを語り合うようなことです」
男「大好きな人といたらきっと大好きなことについて話そうとしか思わないよ」
女「いいえ。一番信頼できる大好きな人にしかこの世に対する恨みつらみや嫌悪は語ろうとしません」
男「確かに、凡人の俺といる時は大嫌いなことについて語ろうとしないな」
女「それは私が、あなたのことが大嫌いだからじゃないでしょうか」
男「えっと、それって、つまり」
女「あなたのことが大嫌いだということです」
男「そのままかよ」
女「今日も大好きなあなたと、大嫌いなあなたについて語り合う」
女「あなたの嫌いなものはなんでしたか」
男「学校の次に、夏休みが嫌いだった」
女「それって1年中ほとんど嫌いじゃないですか」
男「幸せな気分で眠りに落ちた夜が1日もなかった気がする」
女「1番好きな人に冷たい言葉を吐いていたあなたでしたものね。当然、2番目以降に好きな人達に対してもろくな言葉を浴びせてこなかったのでしょう」
男「いかにいい言葉を毎日吐くかを意識することが重要だったんだと今になって気づいた。もしかしたらそれは、イケメンだとか、身長が高いとか、運動神経が良いことよりも、大切なことだったんじゃないのかなって」
女「今気づけてよかったですね」
男「人を思いやるのって馬鹿らしいと思ってた」
女「思いやるって、良いことですよね。思いやりのある人は、思いを遣れる人だから、きっと告白する勇気もある人なのです」
男「思いやるって難しいよ。相手に露骨にやさしさを見せなくちゃいけない時もある。そっとさせてあげるべき時があるのと同様、肩に寄り添ってあげるべき時だってあったと思う。それができなかった俺に、誰も寄り添ってはくれなかった」
男「自分を見てくれる異性が、世界でたったの1人もいない。それだけで夏休み全ての日々は台無しになった」
男「自分のことばかり考えて。相手に見てもらうことばかり考えて。はぁー……」
女「死にたい」
男「それはこっちのセリフだよ」
女「差し上げます」
男「死にたい」
女「夏休みはどんな風に過ごしてたんですか?」
男「携帯電話をいじって終わってしまった」
女「いきなり下ネタですか。追加料金ですよ」
男「いきなりアダルトサイトだと解釈ですか」
女「ネットサーフィンで何を満たそうとしたんですか」
男「虚無に浸ろうとした。憂鬱な歌詞の音楽を探してひたすら聴いていた。そして、アンダーグラウンドな雰囲気漂う憂鬱なネット小説を読んだ」
男「あと、これは言いづらいんだけど……」
女「私の前では何でもおっしゃってください」
男「俺はさ、ヒロインが最後に死んでしまう物語なんかを好んで読んだ。読み終わった後に、切ない気分に襲われて、まともに立ち上がれなくなった。1週間経っても、そのヒロインが送れるはずだった幸せな日常について妄想をした。そういう時間に浸るのが好きだった」
男「都合の良い偶然で出会った男の子と女の子が結ばれてめでたしめでたしみたいな話はとてもじゃないけど、今も手に取れない。手に入れる喜びを直視できなかった俺は、せめて失う悲しさを物語から得て満足しようとしたんだろう」
女「あなたにとって男女の出会いの物語は、絶望イミーツガールといわけですか」
男「全然うまくない」
女「思いやりのない人ですね」
男「まったくだ」
女「根暗な青春時代でしたね。まだアニメキャラに走るほうが健全ですよ」
男「その表現どうなのかね。二次元に走った、ってやつ。まるで自らすすんで二次元コーナーに向かったみたいじゃん。何もせず立ち止まってたら二次元にたどり着いたんだから、二次元に溺れた、って表現のほうが適切だと思う」
女「例文。ぼくは高校2年生の時に好きな人に気持ち悪いと陰口を言われてるのを聞いてしまい、二次元に溺れました」
男「よくできました」
女「溺れるものは姫をも囲う」
男「オタサーの姫を藁に例えないで」
女「オタクも最後は現実の女の子に縋るんですよ。惨事に始まり二次に逃げ、三次元の賛辞に終わる」
男「秋葉原に初めて行った時の話してもいい?少し下ネタ入るんだけど」
女「下ネタ用の会話料10円になります。その場で現金払いです」
男「今回は仕方ないか。というか安いな。はい」
女「毎度ありです」
男「秋葉原に初めて行った時にさ。いたるところの広告に二次元の女の子が描かれていて。この街は、性欲を可視化した街なんだと思った」
女「裸に近いきわどい絵が多いということですか?性欲を可視化するというならば、性風俗店の立ち並ぶ歓楽街こそがそうでしょう」
男「露骨な性欲の表現も確かにあるけどさ。この街を生み出した、人間の執念みたいなものに怖れを感じたんだ」
男「サラリーマンなんかが何食わぬ顔で風俗店に入ったり出てきたりするのを目撃した時みたいにさ。みんな何食わぬ顔で生きているけど」
男「この街にあふれるかわいい女の子の巨大な看板や、無数のフィギュアや、本屋に並ぶ女の子との物語で自分の心を満たさないと今日を乗り越えていけないんだなって」
女「みんな何食わぬ顔で生きてますか」
男「心の中がぐちゃぐちゃの地獄で生きてる若者のほとんどは、友達の前では爆笑しているよ」
男「何食わぬ顔って表現は改めてほしいもんだ。何も問題がないように振る舞うのが何食わぬ顔だなんてわかりづらい。何も食べていなかったら、絶望した表情になるだろう?これからは平気な表情をしている人達を、何かは食った顔っていうべきだ」
女「それなら人によって表現を変えるのがいいんじゃないでしょうか。経験人数0人なのに自信満々なオタクは何かは食った顔で、経験人数100人なのに清楚な振る舞いの姫様は何食わぬ顔で生きている」
男「巧みな使い分けだな」
女「ちなみに、男さんは今まで何を食べてきましたか」
男「自分の横を通り過ぎた女性の香りだな」
女「ううう、さっきの10円返します」
男「露骨に嫌そうな顔じゃなくて何食わぬ顔で返してよ」
女「私は好きでしたけどね、夏休み」
男「女の子が夏休みにすることって想像つかないな、ちょっと尋問していい?」
女「たった一文から変態臭がしますが、どうぞ」
男「はい、今は夏休み7日目だとします。何時に起きましたか」
女「えーっと、7時30分くらいでしょうか」
男「ほんとに?そんな早いの?」
女「すみません、見栄を張りました。12時に起きました」
男「だいぶサバ読んだな。はい、何をする?」
女「ご飯を食べますね」
男「はい、13時になりました。それから?」
女「テレビを見ます」
男「何時間見る?」
女「2時間くらいでしょうか」
男「はい、今15時になりました。何をしますか」
女「えー……携帯電話をいじりますかね」
男「何を見る?」
女「誰かと連絡を取り合ったり、ネットサーフィンをしたり」
男「どんなやりとりをしてどんなサイトを見るの?」
女「この尋問えぐいですね。これこそ会話料ほしいくらいです。えーと、仲の良い友だちと、何かとりとめもない話をしますかね。内容までは覚えていません」
女「ネットサーフィンでは、女性向けのトピックがたくさんある掲示板を見るとか」
男「はい、2時間経ちました。17時です」
女「まだ17時ですか。ええと、じゃあ夕飯まで宿題をします」
男「本当に宿題しますか?」
女「すいません、まだ夏休み7日目なのでしません。見栄を張りました」
男「虚偽の申告はおやめください。はい、17時」
女「ええー、わかんないですよ。私何をして一日18時間近く過ごしていたんでしょう」
男「それが知りたいんだよ」
女「男さんは答えられますか、夏休み1日の過ごし方」
男「尋問していいよ」
女「13時起床しました。それから3時間ゲーム、2時間大人のサイト鑑賞、夕飯、それからまた明け方までゲーム、その間にちょくちょく大人のサイトの鑑賞。はい、それ以外に何をしましたか?どうせ何もしてないんでしょ?」
男「それは尋問じゃなくて処刑だよ」
男「他にしてたことがあるよ」
女「何でしょう」
男「過去の後悔と、好きだった人のSNSを読み込むこと」
女「執着するのがお好きですね」
男「好きな人の存在に絶望もしたし、それ以上に救われていた。この人と結ばれたら俺は世界で一番に等しい幸せが手に入ると思った」
男「俺にとってはそんな神様にも近い存在の女の子がさ、その子はその子で日常に苦悩しているんだなって投稿なんかを見て知った」
男「その時の俺は分不相応な思いを持った。俺が、この子を救ってあげたいって」
女「その子は今も苦悩したままなんですかね」
男「まだ結婚はしてないみたいだけど、ペアルックの指輪の写真をSNSのホーム画面に設定してた。仮に苦悩が消えないとしても、苦悩した時に寄り添ってくれる存在が一人いれば、もう苦悩足り得ないと思うよ」
女「あなたは今も苦悩したままですか」
男「うん。ありえたかもしれない青春を想って、今日も1人で過去を生きてる」
女「海でも眺めてたほうがマシです」
男「海眺めるのって3秒で飽きない?」
女「飽きます。空想の過去を眺めるのは飽きませんか?」
男「毎日2時間費やしても足りないよ」
女「青春に溺れてるじゃないですか」
男「二次元で溺れるよりマシだろ」
女「溺れるものは、姫をも掴む」
男「掴んだらまずいよ」
女「その子のこと、どれくらい好きだったんですか」
男「ずっと」
女「そうですか」
男「って、言いたいところだけどさ」
女「はい」
男「長年の片想いをしているようなやつってさ、それだけ綺麗な異性から親切にされた経験がないんだよ」
男「だから、メインの長年の片想いの女性はちゃんといるんだけど。その間にも何人もの不特定多数の、ちょっと良いなと思った女性に強烈な恋をしている期間もあるんだよ」
女「浮気性じゃないですか。嫁が何人もいるオタクみたいです」
男「浮気じゃない。何故なら2人同時に好きになることはないし、そもそも彼氏になってない」
女「男さんはヲタクの世界に走ろうとは思わなかったんですか?」
男「現実の女の子を脳内で彼女にしていたからな。これぞ限りなく現実に近い二次元だよ。はっはっは」
女「現実と虚構の区別がつかないのは、ヲタクよりも、現実に囚われた人なのでしょうね……」
夕焼け小焼けのメロディが流れた。
男「あれ、もう時間か。それじゃあ、今日の料金」
女「ありがとうございました」
男「こちらこそ」
女「今度は市内にお出かけにでもいきませんか?」
男「えっ、いいの?」
女「もちろんですよ。でも予約の電話は形式上かけてくださいね。平日であれば簡単に予約が取れますので」
男「はいよ」
女「それではまた」
男「ああ、また」
女「こんにちは」
男「こんにちは」
二人は市内の小さな公園で集合した。
ショッピングモールには入り口が複数有るため、直接待ち合わせると誤解する可能性があったからだ。
女「さあさ、手をつなぎましょう」
男「なかなか言いづらかったんだけどさ。俺、手汗ひどいけど大丈夫?」
女「大丈夫ですよ。全然気にしません」
男「ほんとに?ありがとう」
女「どういたしまして」
男「それにしても、大丈夫かな、その格好」
女「何がですか?」
男「制服姿じゃん。援助交際だって思われないかな」
女「なるほど、そういうことですか」
男「ん?」
女「お兄ちゃん!」
男「いやいやいや!!妹キャラとか求めてないから!!!」
女「私だって男兄弟いないのにやってるんですから、素直に萌えーと言ったらどうですか。プライドが高いです。頭が高い。控えよ、控えよ」
男「も、萌えー……」
男「昨日も電話かけて自動音声案内されたんだけどさ。君の時間って平日の16時30から17時30までの一時間しか取れないの?」
女「会員のグレードによりますね」
男「グレード?」
女「注文すればするほど、時間の指定が可能になったり、一緒にいられる時間が長くなったりします」
男「ポイント制かぁ」
女「実際の恋愛でも同じじゃないですか。最初はカフェから、お食事から。水族館、映画館に行くようになって、遊園地にも行く仲に。行く場所がどんどん増えていきます」
男「デートしたことないからわからないよ。お食事で何時間も女の子と何話せばいいか想像もつかない」
女「でも私とはこうして話してるじゃないですか」
男「それは君がリードしてくれるというか、レンタル彼女という特殊な間柄だからじゃないか」
女「特殊じゃない間柄なんてありませんよ。女の子との出会いは、十人十色、オーダーメイド、オートクチュールです。あなたが恋愛工学的な考え方をするのは想像つかないですし」
男「何言ってるかよくわかないけど。気になるのはさ、他の会員だとどういう人がいてどんな話しているの?」
女「彼女が浮気しているか気になるのであれば、それなりの巧みな聞き方をする必要があると思いますよ」
男「ただの会話さえ苦手な俺にはハードル高いな」
女「でも、確かに気になりますよね。世の中のカップルは、どんな会話を経て付き合うことに至ったのか。様々な馴れ初め会話をこっそり録音したCDでもあればいいのに」
男「俺らの会話も盗聴されてたりして」
女「トラック1を再生してみてください」
男「はい、再生」
女「君は、デリヘル?」
男「あの時は悪かったって」
女「男さんは市内にはよく来るんですか?」
男「普段君と別れたあと、漫画喫茶でシャワー浴びたり、ご飯とか食べに毎日来てるよ」
女「えっ、そうなんですか!寝床はどこにあるんですか?」
男「祖母の家に泊まってる。だけど、訳あって使った痕跡を残したくないんだ」
女「ふむふむ。それにしても、歩いたらかなり時間かかりません?」
男「学校からここに立ち寄って、家につくまでならトータルで2時間くらいはかかるな」
女「ひょえー」
男「時間だけはあるからな。とは言ってもさすがに疲れる。自転車でも買おうかな」
女「買いましょ買いましょ。自転車用品店も近くにあったはずです」
しばらく歩き、ショッピングモールの建物が見えた。
横断歩道を渡ろうとすると、青信号が点滅していた。
男「ほら、急ぐよ」
女「急ぎません」
女はぴたりと立ち止まった。
男「赤になっちゃうよ」
女「赤にさせてやりましょう」
青信号は点滅をやめ、赤色へと切り替わった。
夕方の道路は、車は全くといっていいほど通ってこなかった。
男「わたっちゃおうよ」
女「駄目ですよ。渡るなら、青まで待とう、ホトトギス」
男「時間だって限られてるしさ」
女「時間を大切にすることは命を大切にすることですが。それ以上に、命を大切にすることは時間を大切にすることです」
女「今、隣りにいる人を、1%でも危険な目に遭わせたくないという、私の意思表示の表れです」
男「それはレンタル彼女としての、彼氏に対するマニュアル通りの振る舞い?」
女「いいえ。今隣にいる人は、たとえ初対面の人でも、恋人だと思うようにしています。だから、点滅している青信号を一緒に渡ろうとしてはいけないんです」
そのまま二人は、黙って立ち尽くした。
車が一台も通過しないまま、信号は青へと切り替わった。
女は、右を見て、左を見て、右を見て、言った。
女「さっ、わたりましょ!はやくはやく!時間は有限ですよ!」
女はにっこり笑うと、男の手を引っ張っていった。
女「こんにちは」
男「こんにちは」
女「昨日はお疲れ様でした」
女は男の手を繋ぐと、校庭にとめられた自転車を見た。
女「乗ってきたんですね」
男「ずいぶん楽だった。文明の利器に頼るのが正解だった」
女「私も乗せられるように荷台付きのにしましたしね」
男「俺が後ろに乗るから漕いでくれよ」
女「わ、わかりました。がんばります」
男「冗談だよ」
女「私は本気です」
男「えっ?」
女「という冗談です」
男「本気の冗談か」
男「気になってたんだけどさ。俺と会ってる以外の時間は何してるの?」
女「何をしてると思いますか?」
男「他の男とデートしてるのかなぁって思ったけど」
女「けど?」
男「それならわざわざ一時間、俺だけのために時間を割いてここまでくるのも効率が悪いなって気もした」
女「でも、それこそが浮気の達人の方法じゃないですかね。非合理的な、非効率的な行動をあえてすることで、疑われないようにするという作戦」
男「君は浮気の達人なの?」
女「いいえ、あなたの彼女の達人です」
男「そりゃどうも」
女「でもあれですかね、素人って言ったほうが喜びますかね?」
男「好きにしてくれ」
女「さて、今日は何がしたいですか」
男「昨日気分転換もしたし。またあんたの言う、過去と向き合うということをしてみたい」
女「何かやり直したいエピソードがあるんですか」
男「……うーん。前も言ったけど、毎日話していただけだったし」
女「思い出せないだけかもしれませんよ。なにせ中学時代の頃なんですから」
男「忘れるかなぁ」
女「忘れません。思い出さないだけです」
男「何が違うの?」
女「忘れないか、思い出さないかの違いです」
男「禅問答みたい」
女「思い出すまで、自転車に乗りましょうか」
男「乗ってみたいだけじゃないのか」
青空の下。
校庭を出て、制服姿の女を後ろに乗せて、男は自転車を漕ぎ出した。
男「なんか、いけないことをしている気分だ」
女「いけないことですよ。二人乗りは禁止されています」
男「そうなんだけどさ」
女「自分以外の生命を背負って運転する気分どうですか?」
男「気を重くさせないでくれ」
女「身体は重くないですか?」
男「全然」
女「よかったです。パンクさせたら申し訳ないですもの」
男「パンク……」
女「今日は快晴。絶好の自転車日和です。張り切って漕いでいきましょう!」
快活な女とは裏腹に、男は脳内にひっかかるものがあった。
男「パンク……」
女「どうしたんですか?」
男「い、いや、別に」
女「何もないですか?」
男「う、うん」
女「何も、なかったことにしてるんですか?」
ふいに、懐かしい匂いがした。
背中をぽんと叩かれた。
『助かったよー。家まで歩くところだった!』
男『……えっ?』
『自転車は明日お父さんと車で学校まで取りに行くから大丈夫だよ』
男『ぱ、パンクしてたんだっけ』
『帰る時に気付いたんだけどね。誰かのいたづらかな』
男『だとしたら最悪だな』
『困っている私を乗せるために誰かが仕組んだいたづらなら、今なら許してあげるんだけどな』
男は脇を小突かれた。
男『ち、違うって!』
『冗談だよ。男くんはそんなことする人じゃないもんね』
男は自転車を漕ぎ続けた。
景色がセピア色になっているように感じた。
自分はさっきまでどこにいたのか。
自分は今何をしているのか。
誰と、話しているのか。
『どうしたの?さっきから黙って』
男『あ、あのさ。俺たちさ……』
『あれ、あっちいるのクラスの男子じゃない?』
男『えっ』
『ふふ。こんなところ見られたらなんて思うかね』
男『……降りて』
『えっ?』
男『降りろって』
『どうして?』
男『いいから降りろって!!』
ガシャーン、と、チーン、という音があたりに響いた。
男「うぐっ……!!」
女「大丈夫ですか!」
女は、男の上に乗っていた自転車を除けると、心配そうに男の顔を覗き込んだ。
女「男さん、起き上がって。道路の真ん中です。車が来たら大変です」
男「最低だ……最低だよ俺は……。過去への共感性羞恥で死にたくなる」
男「女の子を守るどころか、傷つけることしかできない……自分でも、どうしてあんなことを言ったのかわからない……」
女「男さん、もう大丈夫ですから。さあ」
男「恵まれていた。全く幸運のない人生ではなかった」
男「与えられてきた幸運を、全部自分の手で潰してきただけだった!!」
男「傷つきたくないから、周りを傷つけたんだ!!」
二人は学校の教室に戻った。
男「…………」
女「…………」
男「天才なんだな」
女「……何がですか」
男「懐かしさを呼び起こす天才」
男「過去に放り込まれたかと思った。結局俺は同じ状況におかれて、何もできなかった」
男「なあ、さっきのあれはさ。状況だけが過去に戻っただけなのか?それとも俺自身も、過去の俺に戻ったのか?」
男「もしも状況だけが過去に戻って、俺自身がそのままだったんなら。俺、あの頃から何も成長していないってことになるじゃないか」
女「…………」
男「なんだか酷く疲れたよ。惨めな気分だ」
女「気を落とさないでください。今日はゆっくりしましょう」
男「よく言うよ。そっちが仕掛けてきたくせに」
男「なあ、これはやっぱり、金持ちの道楽なんだろ。俺のことを徹底的にリサーチして、何かの心理学的実験でもしてるんだろ」
男は女の手をほどき、立ち上がり、教室をあるき始めた。
女「男さん?」
男「監視カメラがあるんだろ!!俺のことを記録してるんだろ!!」
男「俺の好きだった人の過去の特徴を、動画かなんか見て覚え込んだんだろ!当時の持ち物や映像を、可能な限り再現したんだろ!!」
女「男さん!」
男「楽しいかよ!!誰だよ!!誰がどんな目的でこんな実験してるんだよ!!」
男「人の青春をえぐって楽しいかよ!!青春ゾンビにスポットライトをあてて、溶けていく様を見てみたいのかよ!」
女「男さん!!!」
男「…………」
女「つらいなら、やめてもいいんですよ」
女「でもこれは、あなたが幸せになりたいのなら、乗り越える必要のある壁なんです」
男「……乗り越えた先に何があるんだよ」
女「今のあなたには、響かない言葉です」
男「いいから言ってみてよ」
女「『運命の人』ですよ」
男「……虚しいだけだ」
女「未来のあなたにとっても、同じとは限りません」
男「どうすればいいんだろう」
女「どうしようもないんでしょう」
男「なんだよそれ」
女「どうしようも無いときは、寝るのが正解です」
男「じゃあ寝るよ」
女「わかりました」
男「あんたは帰るのか?」
女「残りの時間手をつないだ後、帰ります」
男「金は時間分取るんだろ?」
女「はい」
男「…………」
男「前払いするよ。だから、時間が過ぎたら、起こさず勝手に行ってくれ」
女「わかりました」
男「……こんにちは」
女「こんにちは」
男「昨日は、悪かったな」
女「気にしないでください」
男「手、繋いでもいいかな?」
女「ええ、もちろんですよ」
男は女の手を握った。
男「あの、なんていうか」
女「はい」
男「やり直したい」
女「やり直す?」
男「生まれ変わりたい」
男「俺はさ、羞恥心が強いんだ。こんなことを言ったら引かれるんじゃないかとか。嫌われるんじゃないかとか。自分への自信のなさのせいだ」
男「実際、色んなことに挙動不審だと思う。慣れてないから、不自然だと思う」
男「でも、変わっていかなくちゃ。もちろん、君のことは実験台なんかとして見ない。ちゃんと彼女だと思って、誠実に付き合ってみようと思う。所詮レンタル彼女だからみたいな、予防線を貼ったり言い訳をするのをやめる」
男「俺、人生をやり直したいんだ。今更だけどさ」
女「男さん」
男「うん」
女「かっこいいですよ」
男「かっこいい?」
女「はい。男らしいですよ」
男「初めて言われたな、そんなこと」
女「それは、男さんが今日、生まれて初めての男さんに生まれ変わったからですね」
女「自信のない自分が一番の悪者です。期待には応えなくてはいけませんね」
男「何かしてくれるのか?」
女「ええ。男さんにしてもらいます」
男「俺?」
男「はぁ…はぁ…、疲れた」
男は自転車を商店街にとめた。
男「もう時間ほとんどないぞ。何するんだよ」
女「ナンパですよ」
男「なんだよそれ!寝取られ趣味か!」
女「そのツッコミこそなんですか」
女「男は度胸、女は愛嬌って縄文時代から言われ続けているでしょう?それほど度胸は男性に大事なんです」
男「いやいや、それは無理だよ。まじ捕まるって」
女「財布だけ用意してください」
男「何するの?」
女「精一杯の愛嬌で、商店で野菜やお肉を買ってきてくださいな」
男「それのどこがナンパなの?それと必要なのは度胸じゃないの?」
女「どっちもふりまけばいいじゃないですか。さぁ、はやくはやく」
店主「いらっしゃいませー」
男「ええーと……」
男「あ、あのー」
店主「はい、なんでしょう!」
男「え、あの、おすすめのお肉……」
店主「おすすめの肉?」
男「あー、えっと、あの……」
「こんにちはー!」
店主「おっ、こんにちは!」
男「なんだ、おばちゃんが割り込んできたぞ……」
「今日も暑いですねぇ」
店主「ほんと、参っちゃうねぇ」
「それじゃあそこの鶏肉ちょうだい」
店主「はい、まいどー!」
女「おかえりなさい」
男「ただいま」
女「どうでした?」
男「なんかさ、君といるとさ、些細なことに大きな発見を見出して、その感動を伝えきれないのが悔しいよ」
男「信用金庫の営業マンやってた頃を思い出してさ。あの頃は、知らない人の家に行って突然インターフォンを鳴らして、定期預金の契約なんかを交渉することをしててさ」
男「なのに、なんだろね。俺、八百屋のおじさん相手にはさ、ナンパ一つできないんだなって思い知らされた」
男「何か目的を果たそうとか。情報を交換しようとか。いつも、下心ありきのコミュニケーションだったから。それが無い時に、どうやって話しかければいいかわかんなかった」
男「おばちゃんは最強だね。『こんにちは。暑いですね』。その言葉に何の意味もない。でも、意味のないことを語りかけるからこそ、そこにはただコミュニケーションを取りたいっていう純粋な気持ちが相手に伝わるんだ。だから極自然なんだ」
男「男に生まれたという理由で、俺はそれをずっとさぼってきた」
男「女の子はちゃんと、花の匂いをかいで良い匂いだといい、星を見て綺麗だといい、猫を見てかわいいと言ってきた。俺は、心に思うだけで、口にしてこなかった」
男「テクニックとか、そんなんじゃないんだな。俺の、世界と関わろうとする気持ちが、あまりに希薄なのがいけなかったんだ。女性に対する勇気の出し方とかじゃなくて。俺が、この世界に対して、積極的に関わっていきたいという気持ちが欠けていたのがよくなかったんだ」
男「季節の行事も。皆が熱狂するスポーツも。花や植物の名前も。俺は自分が興味のないものについては、全く知ろうとしなかった」
男「少しずつ、生き方を変えてみるよ。それはきっと楽しいことだと思う。20年前からサボり続けてきた宿題に、いまさらだけど取り組んでみようと思う」
男「だから、見ていてほしいんだ。俺が変わるところ。俺の、青春の先生としてさ」
女「…………」
女「先生じゃないですし」
男「えっ?」
女「彼女として、隣で見ていてあげますね」
その時、夕焼け小焼けのメロディが流れた。
女「今日もありがとうございました。お代は1万円となります」
男「おっ、大特価でお安いですねー」
女「ふふ、もってけ泥棒です」
8月も幾日か過ぎていった。
その間、男は女と積極的に外に出た。
最初は人前で女と手をつなぐことに躊躇していた男だが(『レンタル彼女を自分の彼女だとみせびらかしている男だと思われたらどうするんだ』)、周囲の目を気にせずに手をつなぐようになった。
そして、ある日。
女の膝の上で、男は目覚めた。
男「……夢を見てた」
女「どんな夢でした?」
男「友達に冷やかされながら、二人乗りを続ける夢」
女「昨日見たのは黒板に大きなハートマークを描く夢でしたね。お疲れ様でした。夢の中で過去をやり直すことができたんですね」
男「過去はそのままだよ。俺が、俺をやり直すことができただけさ」
女「充分です」
女「あと二人ですね、男さんが色濃く好きになった人」
男「高校時代と大学時代に好きになった人か」
女「その人達との過去も受け入れる日は近いかもしれませんね」
男「あのさ。ずっと聞きたいことがあったんだ。というより、以前も聞いてはぐらかされたんだっけな」
女「何でしょう」
男「君は、どうしてレンタル彼女を始めたの?」
男「君も何か抱えているものがあるから、この仕事をしているんじゃないかなって思ったんだ」
男「俺だって、幸せな環境で育ってきたのに。たかが恋愛してなかっただけで、どうしてこんなに絶望したんだろうな。早く治療を終わらせたいよ」
女「……男さん」
男「うん」
女「治療の大いなる第一歩は、病名を告げられることなんです」
女「自分にのしかかる正体不明の呪いは既に分類されているものだったと知ることで、さっそく救われるんです」
女は語り始めた。
男「古傷に対して『それは古傷です』と言われたところで何も変わらない。もう、治っているんだし、これ以上は治せないんだから」
本当にそうですかね、と試すような表情で女は見てきた。
すると、背中を向けて言った。
女「青春コンプレックスです」
男「何だって?」
女「あなたの診断結果が出ました。症状、青春コンプレックスです」
淡々と症状について述べ続ける女に男は言葉を返した。
男「厳しい医者だ」
女「私も患者ですよ」
男「病名は?」
女「まだわからないんです。だから、あなたが診断してください」
男「できるかな。こんな寂れた廃校で、まともな診断なんて」
女「できてください。さもなくば、このまま私は、病気が治らないままなんですから」
17時30分、夕焼け小焼けのメロディが流れた。
『からかわれちゃったね。付き合ってると思われたかな』
男『そうかもな』
『いつもみたいに反論しないんだ』
男『反抗期はもう卒業したんだ』
『へー。ねえ男、空』
男『ん?』
『あの雲ハートマークに見えない?』
男「言われてみれば。目と口もついてるように見えるな」
『エニィっていうんだって、知ってた?』
男『そんなキャラクターいるのか、恋のキューピッドか?』
『ううん』
男『じゃあ何?』
『運命の人』
・・・
美人。
優秀な遺伝子を象徴する形状への恋。
果てしない自然淘汰の歴史の中で、合理的な効率的な遺伝子は、時には基準を盲信して誤りながらも、人間を操り己を存続させ続けてきた。
美。それは、そのものに価値があるものである。
容姿端麗。国色天香。仙姿玉質。羞月閉花。
美人を形容する言葉が中国で多数生まれたのは、やはり美しい容姿を持つことそのものに価値があったからであろう。
運命の人がいるのではない。
運命を思わせる容姿を持つ人がいるだけだ。
そんな存在から、少しでも優しくされたのなら。
好きになり、好きになって貰うことが正しい選択だと、生き残った遺伝子は考えていた。
第3章 『高校時代:Movie』
セーラー服。
青春の年齢を象徴する記号への恋。
好きな女の子が歴史の教科書を朗読した音源があれば、丸暗記できるのにとため息をついていた元高校生へ。
今の時代に新しく生まれた概念に名前をつけるのは名誉ともいえることである。
当然、青春用語においても同様である。
数多の言葉が生み出される中、市民権を得た生き残りはこれら2つの言葉であろう。
リア充。
非リア。
他にも、広く知られてはいないものの使用が認められてきた言葉はいくつかある。
未恋:恋人が出来たことがない人
青春コンプレックス:学生時代の異性との関わり方に劣等感を感じている人。
青春ゾンビ:青春コンプレックスに囚われた人。
自分の表現しきれない気持ちに名前をつけることで苦悩を昇華しようという試みはネットの海を巡っていると数多く出くわすが、ほとんどの言葉は生き残ることがなく消えてしまった。
男「OEO」
女「おーいーおー?」
男「Only for each other。自分はその人のために生まれてきて、その人は自分のために生まれてきたという、共依存的な関係を崇める思想のこと」
男「ニコニコ大百科に昔載ってたんだけど、いつの間にか消えてしまっていた」
男「執筆者は何故消したのだろう。きっと、とある日に馬鹿らしく思って消したんだ」
女「馬鹿げたことで苦しむのは、決して馬鹿じゃないと思うのに」
男「名前をつけるというのは、それだけ難しいことなんだ。みんななかなか認めたがらない」
女「だとしたら、使用を認められた青春に関する言葉は優秀ですね。私は青春ゾンビという言葉、嫌いですけどね」
男「どうして?」
女「観たかった美しい思い出に執着する人達を、ゾンビ呼ばわりだなんてあまりにも失礼だからです。たとえば、一途って言葉、女性は好きじゃないですか」
男「一途なんて馬鹿げてるよ。それを実際にやってきた男たちは、馬鹿らしい幻想だったって数年後振り返るんだよ」
女「馬鹿げたことを愛するのも、決して馬鹿なことじゃないと思いますよ」
男「それにしても、どうして今日は屋上なんだ」
女「一度入ってみたかったじゃないですか。高校時代に屋上の扉をあけようとしたら、鍵がかかっていた経験はありませんか?」
女子高校生の制服を着た女が、手を繋ぎながら言った。
空から照りつける日差しが眩しかった。
女「ゾンビなら溶けてしまいそうな天気ですね。」
男「青春ゾンビか」
男「人をゾンビ呼ばわりするのが失礼なんてのは同意だな。ただ死にかけてるだけの人間を、不死身の存在に例えるのも的がハズレてる気がするよ」
女「ゾンビは不死身じゃありませんよ」
男「ゲームの場合だと、頭部を銃で撃ち抜けば死ぬっけか」
女「生々しいですね」
男「生きてはないけどな」
女「死々しいですね」
男「ゾンビは元人間に過ぎないよ」
女「ゾンビに弱点があるなら、青春ゾンビにも当然弱点がありますね」
男「今更だけど、青春ゾンビの定義ってなんなんだ。あまり聞いたことがない」
女「学生時代に残した恋愛の未練があまりにも多過ぎるため、いつまでも過去に引きずられる人達のことです」
男「俺のことじゃん」
女「青春ゾンビは手強いですよ。銃で頭部を撃ち抜いても、チェーンソーで切りつけても、女子高校生を追いかけ続けます」
男「最強に気持ち悪いな。弱点ってどんなだよ」
女「野球部のバットで殴られるか、サッカー部に蹴られるか、テニス部のラケットで打たれるか、軽音部のギターの音色を聴かされると死にます。あと青春映画を見ると死にます」
男「弱点多過ぎるわ」
男「好きな異性と学生時代を過ごすことだろ」
女「人によって異なる気がしますけどね」
男「青春はやり直した時が青春、とか、本人が熱中して打ち込んだものが青春、みたいなやつか?馬鹿言うんじゃないよ」
女「私馬鹿を言いましたか」
男「中学時代、高校時代、容姿と性格の優れた異性と付き合うことが青春だよ」
男「親父バンドのことを青春なんて呼ぶのはおかしい。おばさんの盆踊り大会を青春て呼ぶのはおかしい。それはおじさんおばさん達のただのレクリエーションだよ」
男「夏休みに一人で生物の研究に打ち込むのも青春だとか、古着屋さんや雑貨屋さんをまわり続けた日々も青春だとか、そんなのは違うよ」
男「異性と結ばれなかった学生はちゃんと、自分たちは青春に敗北したのだと、認めればいいのに。異性と結ばれてこそ、青春なのに」
男「恋が素晴らしいことはみんな認めるくせに。恋がないことは素晴らしくないってこと、みんな口に出して言わないんだ」
男「綺麗事だらけだよ。やんちゃでたくさん遊んできた不良を見てみろよ。泥臭い下心の先にこそ、綺麗な出会いは存在したんだよ」
男「はぁ……」
女「…………」
女「また死にたそうな表情をしていますね。自業自得だと思いますが」
男「厳しいな。励ましてくれよ、彼女としてさ」
女「励ますための名言は、一通りですが身につけています」
男「俺が今にも屋上から飛び降りようとしているとしたら、なんて言葉をかけてくれるんだ」
女「そうですね」
男「…………」
女「死ぬ気でやれよ、死なねーから!!」
男「いや死ぬだろ!」
女「やらずに後悔するより、やって後悔する方が良い!!」
男「後悔すらできなくなるんだけど!」
女「あなたが死のうとしている今日は、明日死んでいるあなたが死にたいと思って死んだ昨日なんだ!!」
男「そのままかよ!」
男「救う気ないじゃん!!」
女「すいません、自殺を止めるのに不慣れなもので……」
男「飛び降りようとしている時に、救ってくれる人が現れるなんて奇跡にすがろうとしたのがいけなかったんだ」
男「今まで誰も自分を救おうとしてくれる人が現れなかった人生だから、飛び降りようとするんだから」
男「死んではいけないなんて言う人間腐るほど見てきた。でも、あなたと生きたいと言ってくれる人は一人も現れてはくれないんだ」
男「俺だって、無理だよ。死のうとしている女の人が目の前にいたとして。自分もこの世界に絶望しているのに、どうして呼び止めることができるんだ……」
女「大好きだよ」
男「えっ」
女「ゾンビの一生分の絶望なんて、かぐや姫の如き麗しき少女が数文字の言葉を言えば一瞬で救えます。あっ、私は月におはするゾンビ程度の存在ですが」
女「まぁ、その6文字さえも何十年も貰えなかったから、絶望するんでしたっけ」
男「あんたも絶望したことってあるの?」
女「20才までに絶望したことの無い人間なんているんでしょうか」
男「今何才なんだっけ?」
女「今日は17才くらいです」
男「設定上の話はいいっての」
女「絶望って、文字通り望みが絶たれるってことですよね。絶望しても生きている人がいるということは、望みがなくても人は生きていけるということを意味しているのでしょうかね」
男「過去に絶望する人と、未来に絶望する人がいるんじゃないか。今生きている人は少なからず未来に希望を抱いているんだと思うよ。例えばさ、過去はこれ以上無いくらいにゴミクソの人生だったからこれからはもっとマシなはずだ、みたいなさ」
女「なんて後ろ向きな未来でしょうか」
男「未来に希望があるだけいい。過去が輝き過ぎて、振り返ってばかりいたら、これこそ文字通り後ろ向きな人生だ」
男「なんて言葉遊びのつもりで言ってみたけど。過去が輝いていなかったほど、輝いていたかもしれない過去を妄想して囚われてしまうんだけどな」
女「男さんは、女の人との素敵な過去が充分あるように思えてしまうのですが」
男「虚無だよ」
女「虚無ですか?」
男「自分に誇れる物語が何もない。時間を誤魔化すようにゲームをしていた時間がほとんどだ。ニアミスした女の子との数時間の思い出を、あたかも結ばれる直前だったと自他に思い込ませるように膨張させて回想するだけ」
男「女はどうなんだ。俺があんたの症状を診断するんだったよな。そろそろ過去のことを話してくれてもいいんじゃないか」
女「小学生の頃に、好きな人がいました。相合い傘をしたのですが、突き放されてしまいました。それからショックで傘をさせなくなった私は、雨の日にもずぶぬれで風邪を引いて寝込むようになってしまいました」
女「その人への気持ちが冷めて、中学生時代にまた新しい人を好きになりました。でも。二人乗りをしている時に無理やり降ろされてしまいました。それ以来私は1人で自転車に乗ると、横転して複雑骨折するほど運転が下手になってしまいました」
男「冗談にしてはきついぞ」
女「ごめんなさい。私も虚無ですよ」
男「虚無なのか」
女「好きになった人がいました。中高一貫の女子校育ちの私は、大学に入ってから初めて好きな人ができました」
女「その人から夏祭りに誘われたことがあったのです。けれど、断ってしまいました」
男「どうして?」
女「当日になって、風邪を引いて体調を崩してしまったんです」
男「他の日にまた出かけたりしなかったのか?」
女「夏祭り当日は風邪。その次の水族館に行く約束の日はインフルエンザ。映画館に行く約束の日は貧血による気絶。最後にただの食事に行こうと誘われた日は急激な腹痛」
男「凄まじい呪いだな。リア充爆発しろという言霊の呪いを一身に浴びたみたいだ」
女「文章で丁寧に謝罪をしましたし、好意も遠回しに伝えたのですが、彼は私に悪意があるのではないかと疑ってそれ以来誘ってもらえなくなりました」
男「もともと身体が弱かったのか?」
女「大事なイベントがある日は体調を崩すことがとても多かったです。ピアノ伴奏者だったのに、合唱祭当日に鼻血と頭痛が止まらなくて欠席したこともあります」
男「それどうなったの?」
女「BGM無しに合唱したそうです。間奏の間はもちろん沈黙になりますが、みんなが黙って並んでるのもおかしな光景で、さらに間奏明けの歌い出すタイミングがずれるのがおかしくて他のクラスの生徒から笑われてしまったそうです」
女「伴奏者として周りから推薦してもらって、断るのがなんだか申し訳なくて引き受けてしまったんです。本番の日に体調を崩す自分の体質は小学生の高学年頃には理解していたので、勇気を出して断るべきでした」
男「それは、何かしら名前がついているような病気なの?」
女「親が心配して近くのクリニックに連れて行ってくれたことがあるのですが、自律神経が乱れやすい体質なんじゃないかと言われました。交感神経と副交換神経のバランスが乱れて、緊張がピークに達すると体調が崩れてしまうのではないかと」
男「なるほどな」
女「私の診断結果は出ましたか」
男「ああ。緊張病だ」
女「それ、正解かもしれないです」
夕焼け小焼けのメロディが流れた。
男「もうこんな時間か。はい、本日の一万円」
女「ありがとうございます」
男「ごめん、追加で聞きたいことがあるんだけど」
女「曲が流れ終わるまでに聞かないと違約金が発生します」
男「まじか。あのさ、エニィ、って聞いたことある?」
女「何ですかそれ」
男「夢の中の話なんだけど……中学の時に好きだった人がハートマークの雲を見て言ってたんだ」
男「あんたも黒板のハートマークに顔みたいなの付け足して書いただろ、あんな感じだ。昔そういうキャラが流行ってたのか?」
女「だれでも、どれでも」
男「えっ」
女「って、英単語がありましたね。それではまた明日」
男「ああ、また明日」
女「女子高校生の制服を着たOL VS OLスーツを着た女子高校生」
女「ファイトぅっ!!!」
女は男の手を繋ぐや否や問いかけてきた。
男「なになに?なんでいきなり戦い始まった?」
女「どっちが好きですか?」
男「若い方」
女「カンカンカン!女子高生の勝利!」
女「はぁー、もう戦い終わっちゃいましたよ。結局男はロリコンですか」
男「なんだよそれ。そういう女は歳上と歳下どっちが好きなんだ」
女「歳上です」
男「おっさんずきかよ」
男「ってのと一緒じゃないの?」
女「それとは違うような」
男「聞き下手ですまない」
女「私は聞き上手ですよ」
男「頼もしい彼女だな」
女「えへん」
男「それじゃあ、ちょっと女子高生に関する聞いてくれるか。昔電車に乗って、座ってた時の話なんだけどさぁ」
女「えっ、電車に乗っていたんですか!?タクシーでもバスでもなく!!しかも、座ってたんですか!?立ってたんじゃないんですかぁ!!?車内空いてたんですかぁ!!?」
男「何にでも興味を示すのは聞き上手とは言いません」
女「それでそれで?」
男「地元が田舎だから、車内は空いててさ。俺と、おっさんとかサラリーマンが座ってたんだけどさ」
男「違う車両に移動しようと歩いてくる女性が何人かいたんだよ。で、その女性がOLとか、おばさんだと誰も目も向けない」
男「だけど、女子高生が歩く時はみんな顔をあげて露骨に見るんだよ。まるで女子高生感知装置が脳内にでも埋め込まれてるみたいに」
女「男さんの見方とか記憶に偏向があるだけじゃないですか?自分がそうだからって同じような人ばかりを見て記憶するとか」
男「遠回しに女子高生好きだと言うなよ」
女「でも、それが本当だとしたら、条件反射ではないでしょうか。パブロフの犬の実験で有名な」
男「なにそれ」
女「私達は梅干しを一度食べたことがあって、酸っぱいと知っていますよね。だから、梅干しを見たり想像するだけで、唾液を分泌するじゃないですか。そういう反射行動のことをいうのです」
男「あれ。パブロフさん家の犬は梅干しを食べるの?犬って梅干し食べて大丈夫なの?」
女「あの、話を混ぜてすみません、パブロフが行った実験はメトロノームを使った実験です。犬にメトロノームを聞かせた後に餌を与えることを繰り返したら、メトロノームを聞かせるだけで、唾液を分泌するようになったんです」
男「メトロノームを聞かせた後に梅干しを食べさせたの?犬って梅干し大丈夫なの?」
女「男性こそ聞き上手は必要だと思います!!」
男「何の話だったっけ?」
女「若くて健康的な肉体を持つ16才から18才の年齢の女子が妊娠しやすいとしますよね。制服を着ているということはその年齢である証だということです」
女「だから、雄が女子高生の制服を着ている女子だけを交尾の対象として狙うことは、子孫をより多く残す上で合理的な判断をしていることになるのではないでしょうか」
男「あなたはJK学の権威ですか!?」
女「めちゃめちゃ嫌な肩書ですね」
女「だからさっきの、JKの制服を着たOLと、OLの制服を着たJKをバトルさせるには、男性側に年齢を知らせないということが大切です」
女「制服を着ているけれどなんだか少し老けて見える女の子と、OLスーツを着ているけれど若々しく見える女の子、どちらがより魅力的に映るか」
女「合理的な判断基準に頼れば当然制服を着ている方を魅力的だと選びます。けれど、自分の目が肌質などから若さを感じ取り、OLスーツは着ているがより若々しい肉体だと判断できればそちらを選びます」
女「どちらが勝つのでしょうね」
男「理性を失って性欲が溢れるのに、それが合理的な判断によるものだとしたらとんだ皮肉だな」
女「それに、現代にとって必ずしも合理的とは言えないですものね。実際の社会も女性は、然るべき年齢になって、経済的な準備も出来てから、大切に少数の子供を育てる選択をするケースが多数ですもの」
男「でも確かに、裸を直接見るよりも、制服を見た方が肉体の年齢はわかるってことなんだろうな。だから俺もつい眺めてしまっていたのかぁ」
女「やっぱり眺めてたんじゃないですか」
男「制服なんて制度止めさせればいいのに。これだから援助交際がなくならないんだ」
女「女の子の服装変えたらいいかもしれないですね。軍服とかに」
男「セーラー服ってもともと海軍の軍服だったらしいよ。船乗りって英単語、sailorって言うだろ」
女「えっ、そうだったんですか。さすがJK学の権威です」
男「へへっ」
女「何を照れているんですか」
男「女の子がかわいい制服の高校を選ぶとかいう理由もわかった気がするよ。それは、優秀な雄に対して自分をアピールすることでもあるんだもんな。足元まで延ばした灰色のスカートなんかじゃ女子高生らしさを損なうからな」
女「かわいい制服の女子校に行く女の子は何が目的になるんでしょうね」
男「そこはオタサーの姫と一緒じゃないか。自分を求めてはほしいけれど、自分を分け与えるつもりはない」
女「ホストとキャバクラ嬢も一緒ですかね」
男「レンタル彼女を外したのはわざとかな」
女「いつまでも手に入らないからこそ見続けられる夢というのもあるじゃないですか」
男「俺の人生夢だらけだな」
女「なんにせよ、これであなたが女子高生中毒から抜け出せない理由がわかりましたね。肉体的な健康を示す女子高生の制服を見てヨダレを垂らすパブロフの犬」
男「心底気持ち悪い犬だな」
女「女子高校生のスカートの中からほとばしる呪いに毎日苦しめられていたんでしょう」
男「さっきの話をぶったぎるけどさ」
男「女子高校生が好きなんじゃない。青春時代に色濃く好きだった女の子が、その時たまたま女子高校生だっただけだよ。だから女子高生が気になるんだ」
女「さあ、どうだか。もしもいつか世界を征服することができたら、OLの制服と女子高校生の制服を取り替えてみてはいかがでしょう。どっちの服装が好きになると思いますか」
男「元々OLスーツは大好きだ!!」
女「元気に答えられても困ります」
女「今日はなんだか、女子高生の話ばっかりしてしまいましたね」
男「でもこれで全ての謎が解けた。俺たち男は制服を着た女子高生好きの変態だったわけじゃない。より健康的な肉体を持つ16才から18才の女性を意味するアイコンに惹かれていただけなんだ」
女「変態臭が一層増しておるのですが」
男「ここまで話しておいてなんだけどさ」
男「ずっと好きだった人のエプロン姿には、世界中のJKが束になってもかなわないよ」
女「奥さんを愛するのもまた男性の本能ですか」
男「俺の友達もぼちぼち結婚し始めてるよ。みんなプールで泳いでるのに、俺だけプールサイドで体育座りして見学している気分だ」
女「居心地悪いですね」
男「現実の話を思うと心がつかれるな」
女「そうですね。なら非現実の話でもしましょうか」
男「そうしよう」
男「ということで、アニメの話なんだけどさ」
女「アニメの話題ですか、いいですね」
男「風でスカートがめくれて男の子が見てしまうというよくあるシーン、よくよく考えると凄いな」
女「結局性欲の話題じゃないですか」
男「だってそのパンツの先にあるのは女性の生殖器でしょ。性の最も恥ずかしくて隠されてる部分を覆う布への露骨な興味でしょ。お茶の間で放送すべきではない、断固規制すべき」
女「しまいにはパンツの話題じゃないですか」
男「いない歴年齢の26才が、さっきは女子高生の話題を、今からはパンツについて語ろうとしてる。やばいよなこれ」
女「えっ、今からパンツについて語るつもりなんですか?」
男「えっ?」
女「えっ、違うの?って表情しないでください。私が綺麗な話題考えますから」
男「すぐ見つかる?」
女「ええーと、綺麗なもの、綺麗なもの……」
男「私、とか言わないの?」
女「言いませんよ。月に失礼ですよ」
男「月?」
女「I love you.の和訳の仕方についてネットで話題になってたことがあったの知りません?」
男「なんでパンツの話題から月の話題にさりげなく逸らそうとしてるのさ」
女「さりげなくではなく露骨に逸らそうと頑張っているところです」
男「それ俺も知ってるよ。バズってたやつだろ。文豪が訳してたんだよな」
女「夏目漱石は『月が綺麗ですね』、二葉亭四迷は『死んでもいいわ』、だったと思います。さすがの和訳です。男さんならなんて訳しますか?」
男「…………」
男「私はあなたが大好きです」
女「あら。私はその和訳が一番好きです」
男「直接気持ちを伝えることができない人生だったからな。どうせ俺は、月が綺麗ですねって言ってしまうんだろうけど」
女「この青空の下。もし当時の好きな女の子といたら、I love youはなんて訳すべきだと思いますか?」
男「日差しが眩しいですね、じゃないの?」
女「こういう時は、月が綺麗ですね、って言うのはどうでしょうか」
男「なるほど、それはストレートな愛の告白だ」
女「今日日差しが眩しいのは確かですね」
女「でも月が少し見えません?うっすらと」
女は青空の一点を指さした。
男「うーん、全くわかんない」
女「太陽の光があまりに美しくて、月が恥じらって隠れてしまっているのですね。羞月閉花です」
男「羞月閉花?」
女「あまりに美しすぎる人が通ると、月が羞恥心を覚えて逃げ出し、花は閉じるといいます」
男「月は太陽に照らされて輝いてるだろ。輝く人の隣に立てば、自分も輝くものじゃないのか」
女「白山に、あへば光の、うするかと」
男「なんて意味?」
女「『あなたのようにお美しい人に会ったので、この鉢も光を失ってしまったのでしょう』」
女「竹取物語で、かぐや姫に求愛していた皇子が言ったセリフです」
男「色恋で言葉をこねくり回すのは古来からの伝統か」
女「恋愛は地球規模の伝統行事です。竹取の翁だってこう言っていますよ」
女「この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす」
女「竹取物語のあらすじを覚えていますか?」
男「大学時代に一般教養の授業で、川端康成の全訳を読んだことがあった。かぐや姫が竹から割れて出てきて、おじいさんとおばあさんに育てられて、5人の皇子と帝の求愛を断って、やがて月の住人に連れ去られて月に帰ってしまうって内容じゃなかったか」
男「ラブストーリーとは言い難いよな。かぐや姫は誰からの求愛も受けなかったんだから」
女「帝に対しては別れ際に多少の情を筆にしたためて、不死の薬も渡しましたよ」
男「月に帰りたくないという割りには、下界の男に興味を示さないのはやはりお高くとまっている気がしたもんだよ」
女「かぐや姫症候群、なんて言葉もあるほどですからね」
男「かぐや姫症候群?」
女「モテるのにもかかわらず相手への理想が高すぎて、誰とも交際しない女性を示す言葉です」
男「モテるからこそ色んな男性の彼女をしているレンタル彼女とは異なる存在だな」
女「月の住民も、人間界の病に罹患することはあるのですかね」
男「人間界の病?」
女「恋の病です」
ごほごほ、と、咳払いをして言った。
しばらくして、夕焼け小焼けのメロディが流れた。
・・・
teen~「10代の」
teen movie「青春映画」
青春の味に関しては。
一般的に、甘酸っぱいと言われている。
実際には、単に酸っぱいのかもしれないし。
残酷にも甘いのかもしれない。
しかし、もう手に入らないが故にその味を知ることはない。
酸いも甘いも噛み分けるには、何より噛むという経験が必要だ。
次回『すっぱいぶどうが落ちてきても、狐は拾わないのでしょうか?』
何を手に入れてきたかじゃない。
手に入れられなかった時に、何を心に誓ったかなんだ。
今日は二人で市内で食事をした。
男は女に、高校時代に好きになった女の子との思い出を話していた。
夕焼け小焼けのメロディが流れた。
女「さて、男さん」
男「はいはい、時間だろ。そんな慌てなくても料金は支払うよ」
女「たった今ある規定を超えました。グレードアップです」
男「どうなるの?」
女「時間の制限が開放されました。今までは16時30分から17時30までの間でしたが、正午以降であればそれ以外の時間も大丈夫です。基本平日予約なのは変わりないですが」
男「昼も、夜もってこと?」
女「ええ。ただ、17時30分以降の時間に関しては、時間単価が1.5倍になります」
男「1.5倍!?」
女「男さんの今気にするべきところは、2時間以上私といられるという変更点だと思いますよ」
男「ということは」
女「はい。これで、思う存分映画が観れますね」
休み明け。
公園で待ち合わせた二人は、手をつなぐと、映画館へと向かって歩いていった。
男「映画館まではちょっと距離有るし。昔のことでも話しながら歩くか」
女「ええ。高校時代は、映画が好きな女の子を好きになったんですよね」
男「そうだな」
女「男さんはあんまり映画を観ないんでしたよね?」
男「昔から映画が苦手な子供だった。二時間流れてくる映像に集中し続けるというのが苦痛だった。だから滅多なこと映画館には行かなかった。あの子と出会うまではな」
女「観たい映画があって映画館に来るんじゃないのですね。一緒に映画を観たい人がいて、映画館に来るんですね」
男「よくご存知で」
女「加えて、映画を観たい人を見たかった?」
男「よくご存知で」
男「古ぼけた、レトロな雰囲気の映画館があったんだ。流行りの映画なんてまず放映されることのない、昔の洋画を流しているようなさ。どれも必ず何かの哲学があるような深い内容の映画が多かった」
男「中学時代に好きだった子のことを忘れられないまま高校3年生になった俺だったけど。このとき初めて心の移ろいを許したんだ。といっても、どっちとも付き合ってすらないんだけどさ」
男「地獄のような夏休みを過ごしていた。部活も引退して、夏休みに入った。受験生の天王山なんて言われたところで、どうしても勉強に対する拒絶反応が出て全くといっていいほど勉強しなかった」
男「自分を救ってくれる文章はないかって、3時間書店を歩きまわったけど何も買わないまま外に出たこともある」
男「高校には気の合うやさしい友達ばかりで奇跡みたいだった。なのに、俺は全く高校生活に感謝していなかった」
男「毎日毎日高校に通って、笑いのツボの合う仲間と毎日毎日腹を抱えて爆笑していたはずなのに。振り返ってみると、何も記憶が無いんだ」
男「虚無。何も思い出がない。自分が本来手に入れたかったはずの青春の思い出が一つもできていないことに気づいた」
男「やっていたことといえば、今までの人生で仲良くなりかけていた女の子と、もしかしたら送れていたかもしれない世界の妄想ばかり」
男「タイムリープ、俺だってしたかったよ。別の世界線、転送されてみたかったよ。アニメの主人公は何度も何度もやり直しても最悪の結末が待ち受けていることに苦悩するけど、俺は頭の中で自ら何度も何度も記憶をやり直して最高の結末が待ち受けていたことに絶望していた」
男「しまいには、前に言ったようにバッドエンドで評判の小説ばかり買って読んだ。自殺を歌っているような音楽ばかり聴いていた。ボーイミーツガールを渇望しておきながら、書店の青春コーナーに置いてある映画なんかは絶対借りなかった」
男「昼夜逆転していた。夜に起床した。夏休みが二週間過ぎて、この2週間何かを本気でやっていれば少しは満たされたのかなと後悔に襲われた」
男「仲の良い男友達と、この世のくだらなさについて携帯越しで語り合った」
男「何でもいいから現れてくれと思った。未来人でも、異世界人でも、幽霊でも、可愛い女の子なら何でもよかった」
男「世の中から拒絶されている存在であればあるほど、俺しか頼る男はいなくなる。俺はそんな存在を受け入れて対等な立場で恋愛したいなんて思った。ヤンデレとかいう、自分のことを殺したいくらい愛してくれる女の子と出会いたかった」
男「俺は絶望していた。非日常を渇望していた。それでいて、家から一歩も出なかった。無気力で、自堕落で、怠惰な夏休みが勝手に過ぎていった」
男「ある日親に説教をされてさ。俺はわけのわからない論理を主張して反論したけど、怒りがおさまらなくて」
男「翌日は15時に起きた。起床時からムカついていて、親の財布から金を取って、外出した」
男「ふらふらと歩いてたら、レトロな雰囲気の映画館にたどり着いた。そんな時に。あの子が現れたんだ」
男「ドン引きするようなあらすじを語って悪かったな。さて、着いたぞ」
二人は映画館に入った。
男はキップを二人分買った。
デートに関する費用は全て男が支払う約束となっている。
女「ありがとうございます。私、通路側でもいいですか?」
男「お好きにどうぞ。ポップコーンとコーラもいるか?」
女「男さん一人分でいいですよ」
男「いらないのか?」
女「欲しくなったら勝手に手を伸ばすので」
男「そっちの方が美味く感じるのは不思議な現象だよな」
座席に着くと、男は言った。
男「なるほど。会員の信頼度のランクが上がって、過ごせる時間も伸びて、結果的に映画館に行けるっていうのはうまいことできてるな」
女「どうしてでしょう?」
男「初対面相手だと、映画館だと会話もできないし、暗いから触ったりする人もいるだろうし、何より」
男「携帯電話の電源を切らなくちゃいけないからさ。外部と連絡も取れなくなるだろ」
男がそう言った時、ブザー音が鳴り、照明が落とされた。
映画の予告が流れる間、男は高校時代に好きになった少女のことを思い出していた。
古ぼけた映画館の中にいたせいか。
目を閉じて回想にふけっていると、懐かしい匂いに包まれた感じがした。
『すっぱい葡萄が落ちてきても、狐は拾わないのでしょうか?』
男『……えっ?』
映画の内容に飽きて、ずっと携帯をいじっていると、女子高生に話しかけられた。
『映画館では携帯の電源をオフにしなくちゃ駄目だよ』
男『あの、すみませんでした。今切ります』
『なんてね。私だよ。中学の時に塾で一緒だったじゃん。クラスは違かったけどさ』
男『あっ!ギャルの!』
『だからギャルじゃないってば。そのネタ好きなんだから』
女の子はムスッとした顔で言った。
男『今日は何しにここに来たの?』
『映画館に映画を観にきたんだよ』
男『でも俺と喋ってるじゃん』
『気晴らしに来たの。だから映画を観るのはやめて、男くんと話すことにしたんだ。さっきから退屈そうにしてたし』
男『私語も厳禁のはずだけど』
『私達以外に誰もいないんだしいいじゃん』
男『……ほんとだ』
古びた映画館にいたのは、二人だけだった。
『スタインベックの怒りの葡萄。男くんも渋い映画をチョイスして観にきたね』
男『受験で世界史選択なんだけどさ。勉強せずに歴史の流れを頭に入れたいなって思って。なんてね……』
『もうそんなこと言ってる時期じゃないような』
男『そっちはどうなんだよ』
『私は学校の成績良いから推薦で行くんだ』
男『ギャルなのに?』
『ギャルなのに昔から君より成績よくてごめんね。あはは』
男『…………』
男『それにしてもさ。国語とか歴史の教科書に載ってる名作って、どうしてこうも退屈なのが多いんだろうな。もっと夢中になれるようなライトな作品を載せたらいいのに』
『批判するのはいいけどさ。私がこの映画を大切に思っている女の子だったら気まずい時間が流れちゃうよ?何かを批判するなら、相手の趣味が判別するまで待ったほうがいいんじゃない?』
男『え、そうだったの?ごめん』
『まぁそんなことないんだけどさ』
男『ないのかよ』
『好き嫌いをすぐ口に出す人は、確かに相性の良い人だけにすぐ囲まれて、相性の悪い人はすぐ離れてくれるかもしれないけどね。でもたった数点だけ自分と違って、ほかは全部相性ぴったりな人と疎遠になっちゃうのはもったいないと思うな』
男『映画好きなの?この映画も名作だから観に来たの?』
『タイトルに葡萄ってついてたから観に来たんだよ』
『ねえ男くん、ぶどうジュースって美味しいって知ってた?』
男『自販機で時々買うよ。甘いの好きだし』
『2千円くらいするぶどうジュースは飲んだことないでしょう?』
『私のお父さんがワイン好きでさ。いつも美味しそうに飲んでるから、時々味見させてもらうんだけど、やっぱり苦くてたまらないのね。よくこんなの飲めるねってしょっちゅう言ってたの』
『それが関係あるのか、この間私の誕生日だったんだけど、瓶の高級なぶどうジュースを買ってきてくれたのね。それを飲んだら本当に美味しくてさ。それこそ自販機のジュースとも全然味が違うんだ』
『葡萄は不思議な果実だよね。たとえ同じ品種の葡萄でも、造られた土地、造り手、造られた年の気候、そういった条件が異なるだけでワインとしての価値も大きく変わるんだって』
『同じ葡萄は葡萄でも、何もかもが違ってしまうんだよね。葡萄って面白いなぁって思って、それで今日この映画を観に来たの。怒りの葡萄』
男『前半寝てたからあらすじわからないんだけど、これ葡萄の話だったの?』
『葡萄は全然出てこなかったかな。枯れた大地を移動する話だよ』
男『さっき俺に話しかけた時になんか言ってなかったっけ。葡萄がなんちゃらって』
『酸っぱい葡萄の話知ってる?』
男『それは知ってる。現代社会の教科書に載ってた。イソップ寓話が出自のやつだな』
男『高い木に実が成っている。狐はそれを取ろうと頑張るけど、手が届かなくて諦める。届かなかったぶどうを見て、どうせ酸っぱいに違いないと決めつけてその場を去る』
『そうそう。詳しいね』
男『取ろうと頑張っただけ狐は偉いなぁと思ったんだよ』
『変な感想』
男『この話がどうしたの?』
『もしもだよ。葡萄は酸っぱかったに違いないと決めつけてその場を立ち去ろうとした時に、葡萄が落ちてきたら狐はどうすると思う?』
男『酸っぱい葡萄が落ちてきたらどうするか……』
『男くんならどうする?』
『例えばさ。振り向いてくれなくて、もう嫌いだと諦めた女性が、自分を好きだと言ってきたら』
男「うわっ!!」
男が声をあげると、周囲の観客が振り返ってきた。
近くの高校生のカップルが一瞬こちらを見て、クスクスと笑ってきた。
女「もう一つの映画でも観ていたんですか?」
女は男の顔を覗き込むと、微笑みを浮かべながら尋ねた。
男「……ああ。ちょっとしたホラー映画をな」
いつの間にか眠っていた男は、映画を途中から観ることになった。
洋画のヒューマンドラマで、話の流れもわからず退屈ではあったが、横目で女を見ると夢中で画面を眺めていたので、終わるのを待つことにした。
二時間ほど経ち、映画のエンドロールが流れ始めた。
エンドロールはシンプルで、背景白は黒色で、白文字の制作スタッフの名前が下から流れてくるものだった。
アルファベットの羅列にまでは興味を持たない観客は、ぞろぞろと席を立った。
女「男さん、エンドロール観る派ですか?」
男「いいや」
女「じゃあそろそろ……」
男「あのカップル」
女「どうしました?」
男「席、立たないな」
さきほど男を見て笑った高校生カップルは、手を繋いだままエンドロールを観続けていた。
男「さっきまでは、いかにも付き合いたてホヤホヤの、浮かれた男女に見えたのに」
男「あの二人、きっと長く続くんだろうな。青春の正解みたいだ」
女「青春の正解ですか」
意味のない時間を、あえて共有し続けること。
それは、お互いが好きだと示すだけの行為ではないと思った。
それは、お互いの知性を認めていることを、示し合う行為でもあると思った。
女「私が点滅している赤信号を渡らない気持ち、少しわかってくれたみたいですかね」
男「ああ。たしかに、似てるかもな。周囲が進んでるのに自分たちが止まっているところ」
女「でも私はエンドロールが始まるや否やすぐに出てしまうタイプですけどね」
そう言うと、女は焦った表情を浮かべ、席を立とうとした。
男「なんで?」
女「トイレが混むんです。頻尿なのに途中で抜けられないタイプなので!!失礼します!!」
女は手を離し、男を跨ぐと、足早にお手洗いへと駆けて行った。
トイレから戻ってきた女に、男は話の続きをした。
男「酸っぱい葡萄が落ちてきても、狐は拾わないのかどうか」
男「多分、あの子には好きな人がいたんだと思う」
男「一度自分を振った、もしくは他の女の子と付き合ってたけどその人と別れた男の子がいて、その人が告白かなんかしてきて迷ってたのかもしれない」
女「それでどうしたんですか?まさか、応援する男友達になっちゃったって奴ですか」
男「黙秘します」
女「黙秘権を行使されました」
男「夏休みも終わる頃になって、俺も本格的に受験勉強をするようになった」
男「全ての男子学生が一度は妄想する受験勉強のはかどらせ方って知ってる?」
女「下ネタは追加料金だと言ったはずです。家庭教師の女の人がいて、合格したら私の身体をうんちゃらかんちゃらって契約するやつでしょう?」
男「いや、違くて」
男「自分が好きな女の子が歴史の教科書を朗読したCDがあれば、毎日聴いて全て内容を暗記できるのになぁっていう妄想なんだけど」
男「ごめん、さっきなんて言ったっけ?」
女「…………」
男「黙秘権を行使された」
男「今思うけどさ。それはきっと、あまり効果がないんだよ」
男「好きな人がいたとして。あらゆる事情を乗り越えてまで好きなら、告白していただろうし」
男「その子から振られても。あらゆる事情を乗り越えてまで好きなら、血反吐を吐いて自分を磨くよう努力していたと思う」
男「たとえ、好きな人のお古の参考書を貰っても、その人が吹き込んだ歴史の教科書のCDを貰っても、合格したらその人が一緒に寝てくれるという約束をしてくれたとしても」
男「きっと、そんなことでは、受験の合否なんかには多少の影響しか与えないと思う」
男「外国のドキュメンタリー番組なんかで、10年も、20年も、同じ相手にストーカーし続けている男がいるのを見てさ。その期間、その執念を、自分磨きに費やしていれば素敵な異性と結ばれていただろうにって思ったけどさ
男「俺だって、好きなものを好きだと思い続けるだけで、それを手に入れるための行動は何一つしてこなかったんだ」
男「好きな人に振り向いてもらうために、勉強とかスポーツを頑張れる人は健全な下心の持ち主だと思う。それが普通の男達だ」
男「逆に、好きな人を利用して、勉強とかスポーツを頑張ろうと思っても、なかなか成功しないんだろうな」
男「好きな人のために頑張っている人がいるとしたら」
男「その人は、好きな人がいなくても、きっと頑張っていた人だったんだ」
夕焼け小焼けのメロディが流れた。
男は女に時間分の料金を手渡した。
女「それでは、また明日」
男「ああ。また明日」
男はそう言うと、女を見送った。
女は、迎えに来た車に乗ると、そのまま去っていった。
男「悪いな、女……」
数秒後、白いワゴン車がその車のあとを追うように発車した。
男「俺は、こういう卑怯なことしかできないんだ」
男『もしもし。どうだ?』
友『ばっちし尾行してるよ』
男「悪いな、せっかくの仕事休みなのに」
友『仕事の都合で夏休みが少しずれたからいいんだ。大学時代の友の悩みを無下にはできねぇって』
男は大学時代の友達に、女の尾行を依頼した。
生命保険会社の総合職として就職した彼は、九州の支店へと配属されていた。彼の実家が九州にあることと人事配置に関係があったのかもしれない。
男は今まで自分に起きた出来事を洗いざらい話すべきか一瞬考えた。
しかし、友人にさえ見栄を張ろうとした男は、自分が無職であることはおろか、レンタル
彼女を毎日のように呼びつけ、貯金を食いつぶしているなどとは言うことができなかった。
『親戚の紹介で知り合った女の子と、付き合うことになった。
馴れ初めの頃はお互い都内に住んでいたが、彼女は仕事の都合で九州に帰ることになった。
SNSを見ていると、彼女が浮気をしているんじゃないかと疑わしい気配がある。
自分が久しぶりに九州に出張することになり、急遽彼女をデートに誘ったが、困った様子でどうしても夜は一緒にいられないと言う。
夜にどこに向かうつもりなのか気になるから、あとをつけてほしい』
自分でも呆れるほど、堂々と嘘をついた。
久しぶりにあった友は話を聞いて、少し切なそうな顔を浮かべたが(『せっかくできた、彼女だったのにな……』)。
背中を叩いて笑顔を見せてくれた(『任せてくれ。どうせ杞憂だろうけどな』)。
友『とまったぞ。ショッピングモールだ』
電話越しに友が報告した。
尾行はすべて友に任せていた。
一度でも相手の移動コースを把握できたら尾行は一人でも容易だと思うが、初見でどこに行くかわからない相手を尾行する場合は、他の者に任せたほうが良いと思ったのだ。
友『車から彼女が出てきた。運転手は出てこないみたいだ』
友『近づいてみる。一旦電話きるぞ』
男『ああ。頼んだ』
深夜1時。
カラオケボックスで二人は待ち合わせた。
友「盗撮っていうのは気分がいいもんじゃないな」
男「すまなかった。謝礼は払わせてくれ」
友「そういうのはいい。俺の性格は知ってるだろ」
男「今度何かあったら何でも呼びつけてくれ。力になるから」
友「そう言ってくれると助かる」
男「それで、どうだったんだ?」
友「……駄目だった」
男「駄目だった?」
友「これを見てくれ」
友は携帯電話を取り出し、写真を見せてきた。
友「おそらく、浮気相手だろう」
男は驚いた。
てっきり、自分と同じような他の客と会っているものだと思っていた。
自分のように女性経験の少ない、冴えない男を相手にしているのだと。
しかし、写真に写っていた男は、容姿の完璧に整った男だった。
切れ長の目、目元までかかるサラサラの髪。
細身で身長が高く、隣にいると安心感を与えるような柔らかい雰囲気を感じた。
学校に一人いるかいないかというほどの、パーフェクトな男に見えた。
男「彼女はこの男と何をして過ごしてたんだ?」
友「普通に恋人がやるようなことだよ。ご飯を食べて、ボーリング場に行って、ゲームセンターに行って、映画館でレイトショーをみて、解散だ」
友「不可解なことがあったんだ」
男「不可解なこと?」
友「別れ際。彼女が彼に、現金を渡していたんだ」
男は、友にお礼を言って別れを告げた。
友には、何もかも嘘の設定を言ったつもりだった。
実際、あの女の子は自分の本物の彼女ではないし、自分も本物の彼氏ではない。
彼女は金銭の支給と引き換えに、恋愛の疑似体験という役務の提供をしていたに過ぎない
頭では、そう理解していたつもりだった。
男「……くふふ。くふ……」
男「……ぐす……ぐす……」
男「ぶはははは!!」
男は涙を流した。そして爆笑した。
男「笑える。わろけるな。26才にもなって。レンタル彼女なんかに金を費やして」
男「他の男を観察してみたいだなんて言って」
男「以前会話で聞いた。あの子には男兄弟はいないって。兄でも弟でもあるわけない」
男「あの子はレンタル彼氏を利用していた!!こんな笑える話があるか!!」
男「ホストに貢ぐキャバクラ嬢と一緒じゃないか。俺は、キャバクラ嬢に貢ぐおっさんと一緒じゃないか!!」
男「いつだって、俺は、他の男に負け続けるんだ!!」
とっくに気付いていた。
見て見ぬふりをしていた。
気付いた時には手遅れだった。
自分は、どうしようもないほどに。
お金を渡して手を繋いで貰っている、レンタル彼女に。
恋をしてしまっていた。
馬鹿らしい。
あまりにも馬鹿らしい・
26才にもなって。
過去の恋愛に決着をつけるだとかなんとか言って、女の子に手伝ってもらいながら。
その女の子を好きになってしまった。
レンタル彼女。
はじめから嘘だとわかっていた恋を信じたら。
やっぱり嘘だったと、現実を突きつけられただけだった。
男「……俺なんかが、人を好きになってはいけないんだ」
・・・
みんな、お母さん以外の、何があっても受け入れてくれる存在を求めている。
人間が最も興味を抱くものは、宝石でも、食物でも、景色でもない。
人間が最も興味を抱くのは、人間である。
“誰でもよかった。”
通り魔は、殺人の動機をこう述べた。
誰でもよかったけれど。
人間でなければならなかったのだ。
誰かにとっての誰かになれなかったから、誰でもいいから殺そうとしたのだ。
“愛してくれるのであれば、誰でもよかった。”
ダイエットもする。勉強もする。一生懸命働く。
オナ禁も、風水占いも、恋愛おみくじも信じる。
だから、その代わり、誰か俺を好きだと言ってくれ
第4章 『大学時代:Fire Flower』
誰でもいいから、誰かの一番になりたい。
心理学の講義で配布された年代別の交際経験割合の表を見て吐き気を覚えながらも、卒業までには自然と恋人ができると思っていた元大学生へ。
男「遅いよ。いつまでかかってんの?」
「大変申し訳ございません……」
男「ほら、食べ終わった皿片付けてよ。気が利かないなぁ」
ファミレスで1人で食事をとりながら、男は店員に文句を言っていた。
最近行っていた、度胸を以て愛嬌をふりまくという習慣は、完全に絶たれてしまった。
女と会う以前と同様に、いやそれ以上に、自分と関わるもの全てに無愛想な態度を貫いた。
高校生の頃に、”こんな彼氏はNG”というものがネットで出回った。
とりわけ多かったのが、店員へ横暴な態度を振る舞う彼氏という意見だった。
あの頃の自分達は素直にそれをかっこ悪い男だと感じたし、店員の人に対しては気持ちの良い対応を行おうと心がけることもできた。
無駄に丁寧過ぎる感謝を述べる若者でいられた。
でもそれは、学生、つまり常にお金を払う側のお客様でいられたからだった。
社会人になって、規律の厳しい組織に属すと、学生の頃は許された大雑把さ、緩さ、適当さが、犯罪行為のように糾弾される経験をする。
上司や取引先から、今までの人生にはなかった”厳しさ”の基準を与えられる日々が続いた結果。
自分もその厳しさを、周囲の人間に求めるようになった。
社会”人”とはよくいったもので、未来人、宇宙人、異世界人同様、全く別の生き物なのだ。
自分がお金を払う側の人間になった時に、いい加減な態度でいる店員を許せなくなった。
自分が命をすり減らして稼いだお金を渡しているというのに、それを安易な態度で受け取られたら、それこそ命の一部を奪われたような気分になった。
男「お金を大切に扱わない人間が悪なんだ。それは店員に細かい注意をつける客ではなく、客に細かい注意を向けない店員なんだ」
乱暴な独り言をいってから、男は苦笑した。
男「1時間の会話に1万円払ってでも、また会いたいと思わせるような立派な店員がいて。
ずるをしてその店員の裏側を覗き見て、勝手に不満を抱えている客はどうなるんだろな」
男「ほら、最初に警告したとおりだろ」
男「君にとっての良い彼氏にはなれそうにないって」
男「ただの、ひねくれた金蔓さ」
残高明細
ジドウキ 60,000円
ジドウキ 40,000円
ジドウキ 40,000円
男「現金の出金履歴が多すぎる。ほとんど毎日あの子と会ってたせいだ。このままじゃ金の実のない蔓になるな」
男は携帯電話で預金口座の残高を確認していた。
男「馬鹿かよ。このままじゃこの数年間の労働が消えてなくなるぞ。失業手当の支給までまだ2ヶ月はかかるし」
男「何やってんだよ。馬鹿かよ俺。実家に帰って、就職活動でもしろよ」
男は吐き気を催した。
男「餓死の原因が、女の子と手をつなぎたかったからなんて、これは良いお笑い種だ」
女「もうすぐ花火大会ですね」
こんにちは、の挨拶もなしに、いきなり女は満面の笑みを向けてきた。
今日の女は私服姿だった。
女は男と手を繋いだ。
男は反射的に、昨日の男性と繋いだ手なんだなと思った。
男「そうなのか?」
女「ええ。今度の土曜日です」
男「へえ……」
女「男さん」
男「な、何だ?」
女「もうすぐ花火大会ですね」
女は再び、満面の笑みを向けてきた。
男「さっき聞いた」
女「平成最後の夏ですよ」
男「そうだな」
女「平成最後の夏の花火ですってば」
男「言いたいことはわかってるよ。いや、言わせたいことはわかってるよ」
女「ほほう、なんでしょう?」
男「一緒に花火を観に行くか」
女「えへへ、楽しみです」
男「あのなぁー」
今日は強気の態度でいようと、今朝固く誓っていたのに。
彼女の笑顔を前にして、手を繋がれると、従う他なくなってしまう。
彼女が創り上げてくれている幻想を壊さないように、自分も演者になってしまう。
17時30分以降の料金は1.5倍。
3時間一緒にいるとしたら、45,000円。
大金だ。
サラリーマンとして、苦痛に顔を歪めながら働いて得たおよそ一週間分の金だ。
馬鹿げていると思った。
かつて、キャバクラに注ぎ込む親父や、アイドルのCDを何十枚も買う人達を見て、どうかしていると思っていたように。
だが、いざ自分がその立場になると。
一生で今しか買えない特別な時間を目の前にすると。
どうしても、手に入れずにはいられないのだった。
女「今から楽しみですね」
男「でも、土日なのにいいのか?おやすみじゃなかったっけ」
女「今回は特別です」
男「それはどうも」
女「夏祭りは苦手じゃないですよね?」
男「嫌いだと自分には言い張ってきた」
女「そうなんですか。わたあめも、射的も、型抜きも、花火も、どれも素敵じゃないですか」
男「正確には、夏祭りが嫌いなんじゃない。夏祭りに楽しむことのできない人生しか送れなかった、自分が嫌いなんだ」
女「私と一緒でも夏祭りを楽しめませんか?」
男「そんなことはないけど。女が本物の彼女だったらな」
女「本物ですよ。三次元です」
男「時間になったら帰るのに?」
女「シンデレラに憧れているのだと思って」
男「お金も払うのにか?」
女「かぼちゃの馬車の乗車賃を奢ってるのだと思って」
男「前も聞いた。排気ガスを出すかぼちゃの馬車か」
女「本当に行きたくないですか」
男「……ううん。行きたい」
女「ふふ。私もですよ」
男「さっきから気になってたんだけど。どうして私服姿のワンピースなの?」
女「大学生ってみんな私服姿じゃないですか」
男「もう高校時代を語り合うのは終わりってことか」
女「制服姿がもう見れなくて残念ですか?」
男「そ、そういうわけじゃないけど。過去の心地よい記憶をなぞっただけで、結局何も乗り越えてないような気がして」
女「男さんにとって乗り越えるっていうのは、何を指すんですか」
男「なんだろうな。あれはいい思い出だったと、気持ちを片付けることかな」
女「まさにそれをやってきたんじゃないですか。美しい思い出は、トラウマと表裏一体です。手に入らなかったことを嘆くより、垣間見えたことに感謝できれば充分だと思います」
女「何もかも乗り越えなければ前に進めないなんてこともないですしね」
男「それもそうか。そうだな。中高の復習も終わらないまま受験に突入して、強引に大学生になったのと同じだな」
女「今日は大学時代の思い出について教えてください」
男「そうするよ」
女「大学に入ってからのあなたも反動形成のかたまりだったんですか?」
男「変わろうとしたんだ。昔の自分を捨てて、新しい自分になろうとした。昔の悪い癖を全て消そうと意識した。かわいく言えば、大学デビューってやつだ」
女「かわいく言わなければ、自分を殺そうとしたんですね」
男「そうだな。確かに、昔の自分は死んだ。でも、新しい自分にはなれなかった」
男「好きな人に嫌いだと言わない壁を超えた。でも、好きな人に好きだと伝える壁は、遥かに高かった」
女「そして青春ゾンビになったんですね」
男「ゾンビになった。いろんなコミュニティに入ったけど、心は独りの大学生活を送るようになった」
女「つらかったですね。気分転換に、今流行りの青春映画でも観に行ってもいいですよ」
男「ナメクジに塩をふるようなことを」
女「ドラキュラににんにくを食べさせるようなことともいいます」
男「ゾンビだけどな」
男は大学時代の自分について語り続けた。
語りながら、時々女にぼおーっとしてると指摘され、少し寝不足だと嘘をついた。
本当は、昨日の男がどうしても脳裏にちらついていたのだった。
そうして時間が過ぎ、夕焼け小焼けのメロディが流れた。
女「それでは、今日もありがとうございました」
男「こちらこそありがとう」
男は女に料金をわたした。
女「また」
男「またな」
男は女に手を振った。
数分の時間を置いて、男は季節外れのマスクをつけた。
そして、自転車に乗って、市内へと向かった。
男「ばれたらばれたで、もういいよ」
スーパーの前に立っている若者がいた。
ジャージ姿でクロックスを履いている。一人暮らしの大学生に見えた。
黒塗りの車がスーパーの前に到着すると。
浮気の達人、否、女が降りてきた。
服装は、先程着ていた私服ではなく、これまたジャージ姿であった。ただしエコバッグを肩からかけていた。
若者は途端に笑顔になり、女に手を振った。
女は若者に駆け寄ると、笑顔を向けて手を繋いだ。
どうやら、俺以外の他の客のようだ。
その日の尾行は1時間で終わった。
二人はただスーパーで買い物をして、その後公園に寄ってブランコに乗り、お酒をちびちび飲みながら話しているだけだった。
通学がどうの、サークルやゼミがどうのと話していたから、きっと大学生なのだろう。
何か変わっていたことといえば、女が時々黒いノートをエコバッグから取り出しては、いたずらっぽい笑みを浮かべながら読んでいることくらいだった(その度に若者は少し照れていた)。
黒塗りの車が迎えに来ると、若者は紙幣を2枚取り出して女に渡し、さよならを告げた。
距離をあけながら、男は通行人を装い徐々に若者に近づいた。
すれ違いざまに相手を捉えた時、手首を見て驚いた。
見た目のズボラさとは裏腹に、そこら辺の学生では逆立ちしても手に入らないほどの高級な腕時計を身に着けていた。
営業マンとして新卒で働き始めた時に、何かの役に立つかもしれないと高級腕時計のブランドや歴史を一通り頭に叩き込み、商談の際の話題作りに利用していた時期があったので間違いはないはずだ。
若者は、駐車していた車に乗り、その場を去っていった。
別の日。
また女と別れを告げた後、公園へと向かった。
公園には若い小太りのサラリーマンがおり、そわそわしながら立っていた。
しばらくすると、黒塗りの車から女が降りてきた。OLスーツ姿でビジネスバッグを持っていた。
サラリーマンは出会った瞬間からおどおどしていたが、女はやさしく笑った。
サラリーマンは財布からお札を二枚取り出すと、女に渡した。彼は先払いをするタイプのようだ。
二人は手を繋ぎ、しばらく歩くと、ゲームセンターに入って行った。
音楽ゲームの筐体の前で止まると、サラリーマンは荷物を地面に置き(すぐに女が持ってあげた)、鬼の形相で手を動かし始めた。
あまりに必死に叩くので、近くにいた女子高生の二人組がくすくす笑って見ていたが、女がじっと二人を見つめると、足早に去っていった。
ハイスコアを出し、汗をぐっしょりかきながらも興奮しているサラリーマンに、女は拍手をしてハンカチで汗を拭ってあげた。
サラリーマンは自信をつけて、女と二人で色んなゲームを楽しんだ。
二人で協力するゲームなんかをやっても、女が最初に死んでしまい、サラリーマンだけライフを保たせながらぐんぐん進んでいくことが多かった。
さきほどプレイした音楽ゲームのところに戻ると、女が提案をしていた。
“縛りプレイをやってみましょうよ。私と会話をしながら、どれだけ点数が取れるのか”
サラリーマンはその提案に戸惑っていたが、挑戦心が湧いたのか、コインを投入した。
女は食べ物の話題やアニメの話題を振っていた。
2つのことを同時処理することの難しさのせいか、それとも元々会話が得意じゃないせいかわからないが、サラリーマンは会話内容も曖昧でゲームミスも連発していた。
先程のスコアとは比べようもないほど低い点数を取っていたにもかかわらず、サラリーマンはとてもうれしそうな表情をして、もう一度やりたいと申し出た。
二人は1時間丸々ゲームセンターで過ごした。
サラリーマンは女にお札を言い、笑顔でさよならを告げた。
別れ際、女は言った。
“次も、私と会話しながらゲームをしてもらいますからね。宿題ですよ“
女の出した夏休みの宿題に、サラリーマンはまいったという表情を浮かべたが、嬉しそうに頷いたのだった。
田舎の地域では遊ぶ場所が限られていた。
無職でいくらでも時間のある男は、女が行きそうな場所を特定して尾行することができた。
自分以外の様々な男性客とデートをする女を見ていても、不思議と嫉妬心も虚しさも沸かなかった。
それ以上に、女がいかにレンタル彼女としての才能に溢れているかに感動するばかりであった。
男性側が投げかけた話題がどんなに平凡なものでも、奇抜なものでも、全身で興味を示して受け答えをするのだった。
あらゆる分野の話題への知識を有しており、バカバカしい冗談を混ぜながらも、相手の求める会話を見事に提供していた。
彼女といる時間、男性は様々な勘違いを起こす危険性が高い。
自分は話し上手だという勘違い。
自分は教養があるという勘違い。
自分は笑わせ上手だという勘違い。
自分には、彼女しかいないという勘違い。
いや、勘違いではないのかもしれない。
彼女といる時間は、紛れも無く、そうと確信できるほど、居心地の良い時間が過ごせるのだから。
かつて叶わなかった恋の幻想がもしも叶っていたらこんな時間を過ごせていたのではないかと、僕も何度思わされただろうか。
男は待ち続けた。
友に尾行を頼んだ日から、彼女を見る目が変わった。
自分以外の客とどんな時間を過ごしているかなど、今では大した問題ではなかった。
あれほどまでに完璧な少女が、お金を出してまで獲得しようとする時間にこそ興味があった。
そして、その日は訪れた。
日曜日のことだった。
腕時計を何度も確認しながら立っている女に、1人の男が近づいていった。
遠くから眺めているはずなのに、良い香りが漂ってきた気がした。
制服を着た女子学生も、買い物袋を両手に抱えた主婦も、すれ違ってから数秒の間を置いて振り向いた。
小さい女の子でさえ、その彼の顔をじっと見つめるのだった。
彼が女の前に立つと、手を差し伸べた。
はっきりと、嬉々とした女の声が聞こえた。
女「5分も早く来てくれたんだ」
女は封筒を取り出すと男に渡した。
女「別れ際にわたすと寂しくなっちゃうからさ。今日もよろしくね」
女「ほら、はやく行こ」
女は満面の笑みで言い、自ら腕を組み歩き始めた。
100%の男性と共に。
・・・
夜を照らすものは少ない。
月。星。LED蛍光灯と灯台。そして、花火。
昼に衣服を纏うように、夜には裸で暗闇を纏う。
誰にも見られないからこそ、安心してさらけ出せる。
告白するのがいつも夜なのは、心が裸の時にしか告白ができないからだ。
でも、真っ暗闇だとお互い相手が判別できなくなってしまうから、薄明かりが発明された。
永劫たる太陽にも、提供できない時間がある。
月だけが与えてくれる時間。
輝夜姫(かぐやひめ)。
彼女が月を見ては泣いていたのは、月に帰りたくなかったからだけではない。
地球から見る月が、あまりにも美しかったからだ。
次回『星見日和の直射月光』
明けない夜はないという希望があるように。
明けないで欲しい夜も明けてしまうという、絶望がある。
女「おまたせしました」
待ち合わせ場所に着くと、女は浴衣姿で登場した。
約束の時間より少し早かった。
男「5分早めに来てくれたのか」
女「今日は特別な日ですからね」
男「今日は最初にお金を渡してもいいかな?別れ際に渡すと寂しいからさ」
女「ええ。いいですよ」
女は少し不思議そうな表情を浮かべたが、特に気にするそぶりも見せずに現金を受け取った。
金額は45,000円。17時30分から20時30分までの3時間分。
花火大会の時刻は19時00分から20時00分の予定だ。
大金を払ってもいいと思っていた。
今日を最後の日にするつもりだった。
無謀だとわかりきっていながらも。意味がないとわかりきっていながらも。
男は、彼女に告白するつもりだった。
もう付き合っているはずの彼女に、付き合ってくださいと、好意を伝える決意を固めていた。
この地域では、夏祭りと、花火大会が同日に行われる。
打ち上げの時間が来るまで、二人は出店で食べ物を買ったり、射的や型抜きをして時間を過ごした。
男「大学時代に好きになったのは、途中でサークルに入ってきた女の子だった」
女「学園祭実行委員のサークルに入ってらしたんですよね」
男「ああ。規模が大きくて、何百人もサークル員がいてさ。チームがいくつにも分かれてるんだ。2年生の途中にうちのチームに入ってきたのがその子だった」
男「花火大会にも毎年行ってて、お酒の買い出しなんかは1年生が中心に行くんだけどさ。上級生も何人か面倒見役でついていくんだ」
男「その日はほとんどその子と二人で行動をしてた。大人しいけど見た目は可愛くて、こちらがわかりづらい冗談を言ってもちゃんと理解して笑ってくれる子だった」
男「高校が全国的に有名な進学校だったらしいんだけど、受験に失敗してうちの大学に来たって言ってた。やさぐれてるうちにサークルに無所属のまま2年生になっちゃって、このままじゃよくないって思ってうちのサークルに入りに来たって言ってた」
男「1年目の学園祭の日には大学に来なかったくらいだから、2年目は開催する側に回ろうって決めたらしいんだ」
男は花火の時間が来るまで、淡々と過去の思い出を語り続けた。
もはや、彼が大切にしまっていた大学時代の思い出は、切ない記憶を呼び起こしながらも、今では時間つぶしの話題に過ぎなかった。
男が一通り話し終えると、今度は女が夏の思い出を語り始めた。
聞いているそぶりを見せながらも、男は時計を何度も見ていた。
1分過ぎるごとに、250円が失われている。
2分経てば、今手に持っているこのやきそば等、屋台で売られている全ての食べ物をどれか1品買うことができる。
少し場所を移動したり、トイレに行ったりするだけで、5分、10分とあっという間に時間は経過していく。
大学時代に、何かの授業で教授が言っていた。
うちの大学の授業一コマ分の時間は、授業料から換算すると3000円ほどの金額になるからさぼってはいけないと。
そんなことを言われたところで、授業料は親に払ってもらっていたし、自分が大学に通うのは大学生としての身分を貰って4年間のモラトリアムを謳歌することが目的だったので、講義に価値など見出さなかった。
けれど、今のこの時間は違う。
新卒として社会に出た自分が、吐き気を催すストレスフルの毎日と引き換えに得たお金を、1人の女の子と会話する時間への対価として直接的に支払っている。
彼女から、正確には彼女を雇っている組織からしてみれば。
26年間、たった1人の異性にも振り向いて貰えなかった男と一緒にいる時間は、1分間につき250円絞り取っていいだけのものということなのだろうか。
男は胸中で何を思っているか見せないように笑いながら、女の話に相槌を打ち続けた。
ドーン。
パチパチパチ。
ドーン。
オレンジ色、茜色、緑色、ピンク色。
様々な色の花火が夜空に打ち上がった。
女「わぁー!綺麗ですね!」
女の横顔を見た。
はしゃいでいる子供のような笑顔を浮かべていた。
もしも、あの日の夜、黒板に書かれた電話番号にかけていなかったとしたら。
今、自分は、1人でどこにいたのだろうか。
今、こうして。
自分の過去の青春の傷口に寄り添ってくれる、浴衣姿の美しい女の子と、二人で手を繋ぎながら。
花火を見る時間以上に、価値のある時間を過ごすことができたのだろうか。
金銭の報酬と引き替えの疑似恋愛だの、散々嫌味を言っていたくせに。
結局のところ、俺は彼女に、どうしようもないほど救われてしまっていたのだった。
肩を並べて、黙って花火を眺めている時、男は思わずつぶやいた。
男「ああ、いやだな」
女「どうしたんですか?」
男「好きな人ができたんだ」
女「良いことじゃないですか」
男「なあ、女」
女「はい」
男「好きだ。付き合ってほしい」
女「もう付き合ってるじゃないですか」
男「ほらな、告白さえ許されない」
女「だって付き合ってるんですもの」
男「おかしくなりそうだ。君を殺してしまうかもしれない」
女「好きなのにですか」
男「好きだからだよ」
女「一人ぼっちになりたいんですか」
男「君といると余計に孤独を感じるからだよ」
女「それじゃあ私と別れますか」
男「別れたくない」
女「それじゃあ、このまま手を繋いで、花火をずっと見ていましょうよ」
流れが変わり、とめどなく花火が打ち上げられた。
女は小さな歓声をあげながら眺め続け、男はうつむきながら泣き続けた。
男が頭を女の肩に預けても、女は何も言わなかった。
ふと、懐かしい匂いに包まれ、男の意識は沈んでいった。
『場違いなこと言っていい?』
花火があがっている途中、隣にいた女子大生は男に尋ねた。
男『何?』
『私、星を見るのが好きなの』
男『そうなの?』
『うん。そして今日はね、絶好の星見日和なんだ』
男『今日ほど、みんなが空を見上げながら、星を見てない日もないと思うけど』
『うん。灯台下暗しだよ。そこら中明るいけどさ』
男『あのさ、俺、全然星座とか詳しくなくてさ』
『いいよ、教えてあげる。でも、花火見なくてもいいの?』
男『花火は毎年見てるから。星はここ数年1つも見てないんだ』
『ずっと下を向いて歩いてたのかな?それはよくないね。それじゃあ、お言葉に甘えて、説明致します』
彼女は夜空をあちこち指差しながら、天文に関する説明を始めた。
自然科学的な説明も、神話的な説明も、どちらも交えて彼女は話すことができた。
みるみる、彼女の話に惹き込まれていった。
『……以上です。ご清聴ありがとうございました』
男『すごいね。こちらこそありがとう』
『バァーっと喋り過ぎちゃったね。何か質問ある?』
男『くだらないことでもいい?』
『どうぞ』
男『うちの大学には天文サークルもあるよね。どうして入らなかったの?』
『1年生の時に見学に行ったよ。でも、雰囲気が合わなくてやめちゃった』
男『どんな雰囲気だった?』
『星目当てで入ってない人が多かったかな』
彼女は苦笑いした。
男『なんとなくわかるよ。恋愛目的の人が多いって聞く』
『星も月も、夜一緒にいる言い訳にもってこいだからね』
男『本当に星を好きな人もいるんじゃない?』
『男子は考えるの。女子は星が好きだから、俺も星を好きなふりをして、女子に好かれよう』
『女子は考えるの。女子は星が好きだと男子は思ってて、星を好きなふりをしてくれるから、私は星を好きになろう!』
『そして女子は本当に星を好きになってしまったのです』
男『それ世間一般の女の子に聞いて納得するかなぁ?」
『してくれるはずないよ。みんな自分が星を好きになった経緯さえ狡猾に忘れているんだから』
『だから私はこうして、花火を観に逃げてきたの』
そういうと、打ち上げ花火を観ながら女は歓声をあげた。
男『結局花火を観るんじゃないか』
『ねぇ、男くん』
男「何?」
『多分、私。このサークルもやめちゃうと思う』
ぴく、と身体が動いた。
目を開けると、花火はとっくに消えていた。
女「いい夢は見れましたか」
男「……いいや。悪夢を見てた」
男の頬は涙が伝っていた。
女「どんな悪夢でしたか?」
男「自分が誰かを幸せにさせてあげられなかった物語」
女「その誰かは幸せになれなかったのですか?」
男「いいや。俺がいない場所で、幸せになったって噂で聞いた」
女「だったらハッピーエンドじゃないですか」
男「そうだな。俺が主人公になれなかっただけだ」
女「立てますか」
男「ああ」
女の手を借りて、男はよろよろと立ち上がった。
女「今日もありがとうございました」
女はそう言うと、手を離した。
しかし、男は手を繋ぎなおした。
男「このあと時間あるかな」
女「もう約束のお時間ですよ」
男「1時間でいい。市内に行くだけだ」
男はそう言って、現金を差し出した。
女「……今日だけ特別ですからね」
男の不可解な行動の意味を理解するのに、女はしばらく時間がかかった。
男はゲームセンターに入った。
音楽ゲームを1Playした。
男は本屋に寄った、
立ち読みできる漫画を一冊読んだ。
男はスーパーに寄った。
そのあと公園に寄り、さきほど買ったお酒を1缶飲んだ。
男の行動の意図に気付き、女は今まで見たことがないような、冷たい表情をしていた。
女「私の定番のデートコースばかりですね。それも、あなたとはまわったことのない」
女「付けていたんですね」
男「付けてた」
女「ストーカーですよ。規約違反です」
男「悪い」
女「もう会えなくなってもいいんですね」
男「誰にも会うな」
女「どういう意味ですか?」
男「もう、俺以外の男とも会うな」
女「彼氏みたいなことを言いますね」
男「俺は彼氏じゃない。あんたも誰の彼女でもないように」
女「何が言いたいんです」
男「私の定番のデートコースって言ってたけど、違うだろ」
男「あの男の、定番のデートコースだろ?」
女は、怒りで震えていた。
女「なによ……あの人との時間を見ていたって言うの……」
女「あの人と私の時間にだけは踏み込んでほしくなかった……」
男「平日にお金を稼いで、休日にあの男に貢いでたんだろ。そこら辺のキャバ嬢と一緒だ」
女「ストーカーしてたくせに説教でもするつもりですか」
男「あんただって、虚しさに気付いてるだろ」
女は怒りの形相を浮かべ、男の頭を両手で掴むと、目を覗き込んできた。
女「何様のつもりで言ってるのよ!!レンタル彼女を利用しているくせに!!本物の彼女ができたこともないくせに!!」
女「いい思い出なんて、何もない人生のくせに!!」
視界がくらんだ。
懐かしい臭いが体内に充満した。
息苦しさを覚え、男は自分の首を押さえながら、呼吸をしようとあえいだ。
男『……ここは』
大学四年生の男は、中学の同窓会に出席した後、一人暮らしの自室にいつのまにか戻っていた。
男『……やばい、フラフラする。あれ、なんだこれ』
不得意なアルコールを散々煽った。
おまけに、ビンゴゲームで当選してワインセットを貰っていた。
男『馴染めない人生に、疲れたな』
男『顔が、痛いな。行くんじゃなかった』
グループの輪の外から、それでも必死に会話に混じろうとして、卑屈に作り笑いをし続けていたせいだろう。
大の字に寝転びながら、酔った頭で、しかし男は冷静に今までの人生を振り返った。
今日という一日が駄目だったんじゃない。
今までの全ての日が無価値だったということを、今日わかりやすい形で告げられただけだ。
過去に戻りたかった。過去からやり直したかった。
そんなことは不可能だからせめて、勇気を出して同窓会に行った。おしゃれなお店の立食パーティーに。
何かが変わるかもしれないと思った。踏み出すことで、踏み出した自分に勇気を貰えるんじゃないかって。
生まれてから彼女のいない人生だったから。そんな自分が、今までなら絶対取らなかった選択肢を取ったら、人生が好転するきっかけになるんじゃないかと思った。
でも、結果は惨めなものだった。
女の子には誰ひとり、話しかけるために近づくことなんてできなかった。
一緒に行った友達は、他の男友達や女友達のところに行って、自分は独りテーブルに取り残された。
携帯電話を必死にいじくるけれど、何も文字なんか頭に入ってこない。
周りを見渡すと、地味な女子のグループも隅でかたまってて、根暗な男の子も隅でかたまっていた。
かたまりにすら入っていないことに焦り、昔はそれなりに話してたイケてるグループの輪に混じろうとした。
全然自分がついていけない人物の話題で盛り上がるのを、必死であわせ笑いをしながら聞いていた。
みんなが二次会に行こうと言う中、明日予定があるからと嘘を言って断った。
頬がまだこわばる。
痛い。痛いよ。
14才の時の自分が、15才になる自分に押し付けた課題
15才になった自分が、16才になる自分に押し付けた課題
16才になった自分が、17才になる自分に押し付けた課題
男『14才の時の自分が未来に押し付けた課題は、未解決のまま大人になった自分に届けられてしまった』
“彼女をつくる”
高校2年生の時に、小さなメモ帳にたった1つのTODOリストを書き込んだ。
大学に入った後も、持ち続けていたそのカードの四角の枠には、ずっとチェックを入れられずにいたまま、ゴミ箱に捨ててしまった。
男『勇気が出なかった。傷つくのが怖かった』
男『ただ、それだけの理由で、ここまで絶望してしまうなんて聞いてなかった』
男『ねぇ、神様。どうしてこんなに大切なことを、俺が生まれた時に教えてくれなかったんだよ』
男『せっかく俺を、愛しかけてくれた人とすれ違えていた人生だったのに!!』
男『親も、友達も、親友も、学校の先生も!!!』
男『誰も教えてくれなかったじゃねーかよ!!!!』
男『ラノベも、漫画も、アニメも、映画も、綺麗な青春ばっか見せつけやがって!!これ見よがしに、涙を流させるだけの無数の感動をばらまいて!!』
男『俺というたった一人の男さえ、お前ら救ってくれなかったじゃねーかよ!!!』
男『もう、いらねーよ!!!』
男『俺の人生に、物語なんていらないよ……』
惨めさに打ちひしがれた。
台所から栓抜きを持ってきて、ワインの蓋を全て開けた。
一本の瓶を手に持つと、グビグビと飲み込んだ。
苦い味が一気に口のなかに広がった。
ワインも。ビールも。サワーも。お酒なんて、大っ嫌いだった。
体質的にアルコールに弱いから、というだけではない。
酒の席では、いつも孤独だったからだ。
咳き込みながら、苦さに耐えながら、既にアルコールのまわっている身体にワインをぐびぐびと注ぎ続けた。
身体が興奮していた。
何でもやってやろうと思った。
どれほど時間が経ったか。
意識が朦朧としていた。
ズボンからベルトを引き抜き、よろめきながらも椅子を移動させると、カーテンレールにベルトを巻き付けた。
男『グボボボボボ!!!!』
バタバタバタ!!
ドタドタドタ!!
ドアガラスが割れた。
カーテンレールがひしゃげた。
生存本能に逆らう状態になると、人間の身体はその状況を乗り越えようと全身で抵抗をする。
心が死を望んだにも関わらず、脳と身体は生き延びようと暴れ狂った。
男『グモモ……!!』
ベルトを首に巻き付けたまま、泥酔していた独り暮らしの大学4年生は床に落ちた。
何のために生きてきたかわからない、23年間だった。
とめどなく、嘔吐し続けた。
夜食べた物も、飲んだ物も、全て床にぶちまけ続けた。
喉から葡萄の風味が広がった。
胃液を吐いても嘔吐はとまらず、身体は小さな痙攣を繰り返した。
涙がとまらなかった。
嗚咽を漏らしながら、男は独り言をつぶやかずにはいられなかった。
愛されたいな。
認められたかったな。
褒められて、抱きしめてほしかった。
女の子と結ばれたかったな。
好きなだけ身体を、触らせてほしかったな。
女『馬鹿言ってるんじゃないですよ』
黒いワンピースを着た女が、呻く男を見下ろしていた。
女『誰があなたの、彼女になんかなりますか』
よろけながらも立ち上がり、男は女の両肩を掴んだ。
吐瀉物を避けるように強引に引っ張り、床に押し倒した。
女『放してください』
男「……お前にいくら払ったと思ってる。30万円は超えてるぞ」
女『デート代じゃないですか』
男「恋人代だ」
男は女のワンピースに手をかけた。
男「いくからな……」
男は息を荒げながら脅した。
そわそわと、お腹をなでつけるように手を動かした。
男は女の反応を待った。
しかし、女は何も言って来なかった。
男も、手を微妙に動かすだけで、いつまでも服を脱がせずにいた。
男「どうした。怖くて抵抗もできないのか」
男「俺が、男を教えてやるって言ってるんだよ」
『怖くて何もできないのはあなたでしょ』
やわらかい女の子の声がした。
『さっきから私の目から目をそらして。いつまで逃げ続けるつもり?』
顔を見ると、大学時代に好きだった女の子の顔になっていた。
男「君は……」
『男を教えてやるだなんて、何を勘違いしてるの。女がいないと勃○もできないくせに』
彼女は冷たい目で男を見つめて言った。
『男の子はね、女の子から自分が男であることを教えてもらうんだよ』
『あなたが私の身体をどれだけ貪っても、あなたは私から、男であることを教えて貰えないの』
『風俗に行っても男性の心が満たされないのはね、女の子が男性に、男を教える気なんてないからなの』
『あなたは女を知らないんじゃないの。自分が男であることを、どの女の子からも教えて貰えなかっただけなの』
『男に生まれながら、自分の中の男を知らないままなの、あなたは死ぬのよ』
『ほら、おそってみなさいよ』
彼女は挑発するような目つきで男を見た。
男は震えるばかりで、何もできずにいた。
『ほらね』
『ひねくれすぎて、自己否定しすぎて気付いてないかもしれないけど』
『あなたは、傷つけられたくなかっただけじゃなくて』
『だれも、もう傷つけたくなかったのよ』
『同時に。誰からも幸せにはしてもらえないと諦めるかわりに』
『自分も誰かを幸せにすることを諦めてしまった』
『これからも、こうやって、一生罵られ続けて行きていきなさい』
『男くんはやさしいひと。男くんはいい人』
『きっといつかいい人が現れる、ってさ』
朝日で目が覚めた。
男は公園に大の字になっていた。
混乱するような記憶の数々だったにも関わらず。
不思議と、気分は落ち着いていた。
男「そっか」
男「俺はさ。自分が救いようもないクズだって、心底わかっているせいで」
男「自分自身に幸せになっていいって、一度も言ってあげられていなかったんだ」
携帯電話を取り出して、電話をかける。
“おかけになった電話番号への通話は、お繋ぎできません”
男「振られちゃったな」
男「そろそろ、こことも、過去ともお別れするか」
・・・
春の最強コーデの君と、夏の最弱汚泥の僕。
禁欲的(ストイック)の語源である、ストア哲学派のセネカは言った。
“愛されたければ、まず愛せ。”
100回目のオナ禁に失敗して自己嫌悪に陥っている男の子が苦し紛れに呻いた。
“愛されることを目的として愛するなんて、愛じゃない。”
Fall in love. 恋に落ちる。
特定の事象に対する表現が、英語と日本語で同じだった時、真理を見たように思う。
そうか、天にも昇るような気持ちだったけど、逆立ちしたまま空から落下していただけだったのか、と気付いた時みたいに。
プールの消毒液の匂いも、ひらひらのスカートも、青春映画も、SNSで流行りの言葉も、この時代に特有のものならば。
この苦しみも、今の時代にしかないものなんだ。
それが、手に入らなかったという苦しみであるならば。
この時代を生きているものにしか、手に入れられぬ喜びというものもあろう。
ハロウィンも。クリスマスも。イースターも。バレンタインも。
ハッピーニューイヤーも、ハッピーバースデーも。
カタカナの日が、待ち遠しくなる日が訪れるまで。
僕は、僕にできることをやろう。
第5章 『診断結果:Moon』
愛されたければ、まず愛されたいと思うことから。
恋の病でゾンビとなった、患者達へ。
秋分の日の前日。
平成最後の夏の、最後の一日。
男「……これでよし」
男はお世話になった家を見回した。
来た時に撮った携帯の写真を見ながら、物の位置が変わらぬように復元をした。
割れた窓ガラスは、少し綺麗過ぎるほどに直してしまったが。
窓ガラスから、鍵をかけずに外に出た。
家の中に貴重品の類は置いていなかったし、明日には親戚が来るので大丈夫だろうと思った。
平成最後の夏は終わる。
この夏ほど、人が感傷に浸る季節はそう来ないだろう。
平成最後の秋も、平成最後の冬も、新元号最初の夏も。
平成最後の夏にはかなわない。
きっとこの夏も、全国のおびただしい数の学生が、社会人が、何も成し遂げないまま過ごしてきたのだろう。
それで、よかったんだ。
季節に見合った幸せではなく、自分に見合った幸せが訪れるのが人生なのだから。
季節に合わせて無理やり作り上げた思い出など、心を満たしてはくれないのだから。
一流のレンタル彼女は、それを知っていた。
だからこそ、彼女は、自分と会ってくれた男達に楽しい時間を提供するだけでなく。
いつか本物の彼女をつくろうとする時のために、彼氏としての振る舞い方をさり気なく教えてくれていたんだ。
自転車は中古品として引き取って貰った。
そして市内を、朝から徒歩でまわった。
1人で公園を歩いた。
1人でゲームセンターに行った。
1人で映画館に行った。
1人でスーパーを歩いた。
穏やかな気分だった。
これから自分は変われるのだろうと、根拠もなく思った。
幸せが来るのを諦めるということは。
幸せを掴みに歩もうとするきっかけにもなるというものだ。
青い鳥は、元々鳥籠の中にいたのではない。
色々な場所を探し回ったから、鳥籠の中に現れたのだ。
初めから、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをして、家族や友人とギターを弾きながら楽しい夜を過ごしてきた人の老後と。
大都会での競争で走り続けてきた後に、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをして、家族や友人とギターを弾きながら楽しい夜を過ごしてきた人の老後では、きっと同じ時間の意味が違う。
この僕でしか、なれない自分というものもあるだろう。
この僕でしか、出会えない人、掴めない幸せというものも、きっとあるに違いない。
男「俺のことは、俺が救ってあげなくちゃ」
男「露骨な言葉で表現するなら」
男「クズの救済をしなくちゃな」
男「ここだけは、最後に見ておきたかった」
廃校に着いた。
時刻は17時過ぎだった。
昇降口で靴を脱いだ時、あることに気付いた。
男「靴が置いてある。男性の物と、女の物だ」
ドタドタ、という、騒がしい音が聞こえてきた。
トランクなどの荷物を置いたまま、音のする方へ走った。
教室の中に入ると。
お金持ちの大学生が、黒いワンピース姿の女を地面に押し倒していた。
大学生「俺が、男を教えてやるよ……」
そのセリフを聞いたとき、思わず吹き出してしまった。
攻撃的な目つきで見てくる大学生に、男は今日の運転手は自分なんだと嘘をついた。
車が途中で故障してしまい、携帯電話にかけても繋がらないからここまで来たのだと。
事務的な説明を、冗長に一方的に話し続けた。
不器用な人柄を演じて、話の要領を得ない、退屈な言い訳をし続けた。
喧嘩をすることもなければ、警察沙汰にすることもなかった。
大学生は気まずそうに立ち上がると、お金を余分に置いて去っていった。
男「別に、お邪魔しちゃったわけじゃないよな?」
女「え、ええ……助かりました」
女の声は震えていた。
男「立てるか?」
男は女に手を差し出した。
女「……はい」
女が差し出した手は、震えていた。
男はそれを見て、差し出した手を引っ込めた。
男「別に、立ち上がる必要もないな」
男「まだ、時間あるんだろ?」
ただ、沈黙のまま二人は座っていた。
時間だけがいたずらに過ぎていった。
男がいつまでも黙っていると、女が口を開いた。
女「ここ数日、何をしていましたか?」
男「好きなように過ごしていたよ。考え事を整理したり、運動をしたり。図書館に行って、竹取物語も読んだ」
女「竹取物語ですか」
男「そしてなぞなぞを解こうとしたりさ」
女「なぞなぞ?」
男「出会ったばかりの頃、出してくれただろ」
男「男性の占い師がいた。彼は無料で診断すると言い、通りすがる女性に声をかけていた。ある日、女性が占ってもらうと、マニアックな趣味から家族構成までことごとく内容をあてられた。何故占い師は、女性についてことごとくあてることができたのか」
男「答えはこうだ。男は全く同じ内容の占いを、通りすがる全ての女性に言い続けてきた。そして、それが見事にはまる女性が1人現れただけだった」
男「多分それは、男が自分の好みを凝縮した内容だったんだろうな。自分の理想の恋人とマッチングしたかっただけなんだ。新手のナンパだ」
男「レンタル彼女と真逆だよな。理想を探し続けるか、出会った相手に理想になってもらうか。そして君は、理想を演じる天才だった」
男「君の客になった男は、君しかいないと思うようになる。盲目的になる。だから今日みたいに、危険な目にもあう。あのまま俺が現れなかったら、どうするつもりだったんだ?」
女「……自分でなんとかできましたよ」
男「本当か?」
男は女を乱暴に地面に押し倒した。
女「……何をするんですか」
女のワンピースに手をかけて、目を見つめて言った。
男「抱いてもらえずに寂しいんだろ?あんたが金を渡してる、あの素敵な男からさ」
男の急な態度の変化に、一瞬混乱した表情を浮かべたが。
言葉の意味を理解したのか、女の表情が怒りに満ちた。
懐かしい臭いが溢れ出した。
暗い過去、悲しい過去、叫びたくなる過去が男を蝕もうとした。
意識をぎりぎりに保たせながら、男は言葉を続けた。
男「……お前、言ってたよな、大学時代に好きになった人と、結ばれなかった悲しい過去があるって」
男「あの男にお金を払って素敵な時間をやり直して。お前だっていつまでも過去に拘泥してるんじゃないよ。」
女「あなただけには言われたくないって言ってるでしょ!!彼女が出来たことも無いくせに!!」
男「ああ、出来たことも無い」
女「女の子にモテないんだから黙っててよ!!」
男「黙ってたら何も伝えられないだろ」
女「あなたの言葉に意味なんかない。誰もあなたのことを好きにならなかった!!」
男「でも俺は、ちゃんと人を好きになった」
女「一方的な理想の押しつけのくせに!!」
男「確かに、全ては勘違いの一言で済まされるような恋だった、結ばれるような恋などなかった。でも、それは偽物じゃなかった」
男「人をちゃんと、一生忘れられないくらいに、好きになることができたんだ。俺は人を好きになれる人だったんだ」
男「それは、俺が俺に、誇っていいことだったんだ」
女「誰も幸せにできなかった恋に、何の価値があるっていうのよ!!」
男「これからは誰かと一緒に幸せになれるよ」
女「誰があなたのことなんか好きになりますか!!お金を払わなければ彼女もできなかったあなたを!!」
女は男を否定し続けた。
これまでに見せたことがないほどの怒りの感情を剥き出しにしていた。
しかし、いつまでも意識を失わない男を見て、女は怯えているように見えた。
言葉の途切れた女に、今度は男が語りかけた。
男「叶わなかった恋がある人にしか与えられない、心の機微を見抜く眼っていうのがあるんだよ」
男「生きていく上で、何が大切かわかったんだよ。真実をちゃんと見抜いてあげることだったんだ」
男「相手の言ったこと、行動したこと、それらをそのまま鵜呑みにするんじゃなくて。全身全霊をかけて、相手がどんな人間なのか、相手が隠している善意はないのか、ちゃんと見抜いてあげる力が必要だったんだ」
男「付き合えば付き合うほど、ランクが上がるのは俺たち客だけじゃなかったろ?レンタル彼女達本人も、実績を積み上げることによってランクがあがって、より金払いの良い上席の客を案内されるようになる」
男「青春コンプレックスは繊細だからだ。お金で解決出来ない問題を、それでもお金で解決しようとするお金持ちを相手にするには、繊細さと経験を持ち合わせているレベルの高い彼女を同伴させなくちゃいけない」
男「今以上に稼いで、それで、自分の心を癒やしてくれる男に金をまわすのか。地獄の青春の始まりだな」
女「何よ……何が言いたいのよ……」
男「何が、ここにおはするかぐや姫は重き病をし給へばえ出でおはしますまじ、だ」
男「大学時代の男の子からのお誘いを断ったのも、ピアノの発表会を休んだのも、急激な体調不良なんかじゃなくて」
男「全部、”仮病”、だったんだろ」
パキン。
懐かしい匂いが、砕け落ちた。
女「……あぁ……」
女は抵抗する力を失い、ぐったりと腕を下ろした。
男「治療の大いなる第一歩は、病名を告げられることだって言ってたよな。仮病こそ、告げた瞬間に治る唯一の病気だ」
男「なあ。お互いもう、過去から逃げるのはやめよう。あり得たかもしれない過去を振り返り続けて、今を失ってしまうのはやめよう」
男はそう言うと、女の身体から退き、まくりかけたワンピースを直した
男「誰が付き合ってもない女に27年守り続けてきた童貞を捧げるかよ馬鹿」
女「……死ね」
女は震えながらも、上体を起こした。
女「半年ほど前、彼が結婚することを知ったんです。結婚式の案内状も届きました。式の日ももうすぐです」
男と女は少し離れた席に座った。
教室で手を繋がなかった日は、この日が初めてだった。
女「どうすればいいと思いますか?」
男「告白すればいいじゃん」
女「よくもあなたが簡単に言いますね。できません」
男「どうして?」
女「結婚するんですよ」
男「振られるなら問題ないじゃん」
女「何のために告白するんですか」
男「自分の気持ちと折り合いをつけるためだよ」
女「それで悲しむ女性が出てくるかもしれないことを、女は望まないんです」
男「それでレンタル彼氏に慰めて貰ってるのか」
女「あなただけには言われたくないですって」
男「なぁ。俺も生まれ変わるから、君も生まれ変わってくれよ」
女「生まれ変わるって、何から何に生まれ変わるんですか。人間から鳥にでもなるんですか」
男「死にたい自分から、生きてて楽しい自分にだよ。ゾンビから、人間に」
女「見栄とプライドと過去への執着でいっぱいのあなたが、変われる未来なんて想像できないですけどね」
男「今からでも間に合うよ」
女「26年間できなかったことを、どうして27年目でできるようになるんですか」
男「26年間悩み続けてきてくれた自分がいたからだよ」
女「あなたは変われません」
男「変われるよ」
女「また反動形成や臆病に襲われて、逃げ出すに決まってますよ。プライドだけは高いんですから」
男「プライドなんか捨てる。ちゃんと勇気を振り絞って立ち向かうよ」
女「それじゃあ証拠に、今からプライドを捨てるようなことをやってみてくださいよ」
彼女はニヤニヤしていた。
いつもの彼女とは違う、試すようないじわるな笑みだった。
女「できないならいいですよ」
男「……わかった」
男は、世界一の道化になるときめた。
男は携帯電話を開き、YouTubeのアプリを開いた。
女「何してるんですか?」
男「BGMを探してる。越天楽って知ってるか?」
女「えてんらく?」
男「神社とかでよく聴くプワ~ンってやつだよ。雅楽越天楽……あった」
男「では、はじめさせてもらうよ」
男は教室の後ろのスペースに移動した。
男「…………」
女「…………」
夕陽の差す教室で。
仁王立ちしている男が1人と、体育座りをしてそれを見ている女が1人。
緊張感と、奇妙さが入り交じる空間で。
日本古来の笛の音が、沈黙を破った。
男「よーお」
パン!
男は手を叩いた。
女は始まりを感じた。
男「……やあやあ。やあやあ」
ゆっくりと、相撲の四股を踏みながら男は呼びかけた。
男「遠からんものは音にも聞け。近くば寄って目にもみよ」
男「我こそは、貞操貫き27年」
男「童貞大将でござる」
そう言うと、女の周囲を非常に遅い速度で、阿波踊りをしながらまわった。
女「えっ?えっ?」
3周ほどまわると、男は阿波踊りをやめ、急に険しい顔つきをした。
男「……なにやつ!?」
突然、後ろに正拳突きをした。
男は小学生の時に習っていた空手の型を始めた。
男「成敗、成敗、成敗」
仮想の敵を、スローモーションで次々と倒して行った。
女は、意味もわからず吹き出した。
男は女の方など目もくれず、次は穏やかな表情を浮かべた。
男「……ついにたどり着いたよ、父さん。アトランティスへ……」
夜の宙を泳ぐかのように、心地よい表情を浮かべて背泳ぎをするかのように歩き出した。
越天楽のBGMが流れる間、男は奇妙な舞で寸劇をし続けた。
女「なにこれ。やばい、やばいですってこれ」
彼女はお腹を抱えて、ケタケタと笑った。
初めて聞く、下品な笑い方だった。
男はその後も、般若のような怒りの形相を浮かべながら屈伸運動をしたり、木の椅子を使ってポールダンスをしたり、常人には到底受け入れられぬ理解不能な空間を創造し続けた。
夕陽が、滑稽なピエ口のゾンビを照らし続けた。
女はお腹を抱えて、涙を流しながらひたすら笑っていた。
世界一、不器用な時間だった。
バカバカしいだけの、意味のない時間だった。
それでも。
もしも、強く生まれていたら。賢く生まれていたら。愛されるよう生まれていたら。
決して出会えぬ時間だった。
今まで与えられてきた無数の二択を、絶妙な不器用さで全て間違えて来たからこそ出会えた夕方だった。
美しいとただ一度も言われたことのない人生で。
誰かに勝ったことが一つもない人生で。
時折差し伸べられたやさしさを全てはねのけてきた自分が。
27年間生きてきて、初めて、生まれてきたことの意味を理解した。
死にたいだけの人生だったけれど。
この世に未練や執着を抱いて、ゾンビになって生きていてよかった。
憧れたり、嫉妬したり、憎んだり、絶望してきてよかった。
人々が見捨てたこの廃校という地で。
自分と手を繋いでくれた女の子を、心の底から笑わせることができたのだから。
女「わ、わかりました。まいりました。降参です」
男「プライド捨てたのわかってくれたか」
女「ええ、ええ。でも、これを見て恋に落ちる女の子はいないですよ」
男「そりゃあ参ったな」
夕日が照らす廊下を、黒いワンピースを着た女と男は歩き出した。
二人は手を繋がなかった。
男「最後の日くらい、女子高校生の制服と赤いランドセルを身に着けて貰って、自転車の後ろに乗せて星を観に行きたかったな」
女「そういう変態行為はあなたにぞっこんの彼女でもつくってお願いしてください」
男「俺にぞっこんな彼女なんて未来に実在するのかな」
女「いると思いますよ。でもいいことを教えてあげましょうか?」
男「どうぞ」
女「背が高くてイケメンの彼氏と初体験を済ませています」
女はニヤニヤしながら言った。
男「いじわるなこと言うなよ」
女「だってあなたは彼氏じゃありませんもの」
男「その背が高くてイケメンな彼氏は、黒いワンピースの女の子には金でももらわないと一緒に過ごさないわけだ」
女「ムカつくことを言い返すようになりましたね」
男「だってあんたは俺の彼女じゃないからな」
女「ムカつくことだらけですね」
男「叶わぬことだらけだしな」
男「もしもさ、これから先に俺のことを好きになってくれる異性が現れても」
男「俺は、その人が青春時代を異性と過ごしたことに嫉妬して、別れてしまうのかな」
女「急に弱気になるんですね。この前ネットサーフィンをしてたら、こんな書き込みがありましたよ」
女「婚約者の夫が謳歌してきた過去の青春時代を思うと結婚がつらい」
女「もしもあなたと結ばれる人が、あなたと同じような過去を送ってきた人ならば、あなたの青春が空っぽだからこそ救われる女性もいるということじゃないですかね」
男「空っぽ同士に満たされるカップルか」
女「男さんが好きだった人は今頃どうしていますかね」
男「さあな。でもさ、昔好きだったその人が今現れても、なんで好きになったのかわからないと思うよ」
女「よくある話ですね」
男「過去のゾンビの俺に言ってやりたいよ」
男「夏祭りだのクリスマスツリーだの、手をつなぐ純情だの色々言ってるけど。お前はつまるところ、その青春時代に、その子とセ○クスしたかっただけなんじゃないの?って」
女「別にいいじゃないですか。御セ○クスしたいと思ってたことくらい」
男「ひねくれた青年は過度に性欲を否定するもんなんだよ」
女「どうでもいいですね」
男「な。どうでもよかったな」
男「仲良くなりかけた異性をいつまでも引きずるのはさ。その人以上に優れた女の子とセ○クスできない状況だからなんだ。その人以上に優れた女の子とセ○クスできる関係になれば、過去の恋愛なんて良い思い出として引き出しかゴミ箱に投げてしまえるものなんだよ」
女「純愛主義者とは思えない発言ですね。こういう話の場合、いくら美少女をとっかえひっかえ抱いても過去のたった1人が忘れられなくて満たされない、というものじゃないんですかね」
男「それは、手に入れたくても手に入れられなかったものを、手に入れたくないと決めつけて、手に入れられるようになった時が来ても手に入れようとしない人たちの話だよ。過去の敗北を認めることになるから」
男「すっぱいぶどうが落ちてきたら、俺は拾う人間になるよ」
女「美少女をとっかえひっかえ抱いて満たされたい宣言ですね」
男「1人と出会えれば満たされるよ」
女「相変わらず中途半端な男です」
男「人生うまく行かないもんだな」
女「全くですよ」
男「今日も大嫌いなことを、大好きな人と語り合うのが夢だったんだっけ」
女「ええ。叶わぬ夢です」
男「せめて、大嫌いなことを、大嫌いな俺と語り合おうよ」
女「面白いですね。夏への未練は薄まりそうです」
男「お得意の好き避けだよ。見るからに美しいものを否定するだけ。糖度100%のすっぱいぶどうだ」
女「私からいきますね。終電の改札前で別れを惜しむカップル」
男「小学校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「浮かれた顔で一本締めをする大学生のサークル集団」
男「中学校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「自転車で二人乗りをして下校する制服姿の学生」
男「高校の夏休み最終日。終わっていない宿題」
女「ベンチに座ってイヤホンを片方ずつ差して音楽を聴く男女」
男「大学の夏休み最終日。終わっていない課題」
女「どんだけ宿題に追い詰められてきたんですか」
男「なあ、これからもあの男にお金を払い続けるの?」
女「さて、どうしましょうかね」
男「やめるべきだよ」
女「そうでしょうね」
男「レ