776「足立区は、抑圧された今の日本人にとって、憧れそのものなんだと思います」
そう語るのは、『出没!  アダチック天国』(竹書房)の著者である漫画家の吉沢緑時氏だ・・




「テレビのバラエティ番組で取り上げられる無法地帯のような足立区を笑いつつも、『こんな土地で暮らしたら、もっと自由に生きられるのかな……』と内心思っている人は結構いるのではないでしょうか。
ストレスフルに生きている今の日本人が、足立区の自由さ、奔放さを羨ましいと感じるのは無理もありません」

吉沢氏は、SNSが普及したいまの日本を“告げ口社会”と評す。


・吉沢緑時氏の著書 出没!  アダチック天国


「SNSがなかった時代ならスルーしていたような些細なことでも、今では『こんなヤツがいた!』と言って、怒りをSNSで発散する人がいます。他人のやることや発言を気にしすぎて、ヒステリックになってしまっているんですよね。一方、足立区では周りの人のやることをいちいち気にしていたら、一日ともたないんです」

「足立区が良い意味で“無法地帯”と呼ばれる理由のひとつには、住民の独特な距離感ということもあります。つまり東京の下町人情が残る街なんです。
辰沼にある『ゑびすや商店・ABS卸売りセンター』に行けば、常連客がまるで従業員かのようにあれこれ教えてくれることも珍しくありません。また路上をゆけば、鉢代わりの発泡スチロールを突き破って育つアロエをよく見かけますが、それが道路をふさぐように並べられていても、誰も気にしません。足立区でそんなこと気にしてたらキリがありませんから」


・足立区



あるときは、他人の吐瀉物を気にせず踏んづけたまま、携帯電話の会話を続ける男がいた。またあるときは、公園の鳩に延々と語りかける老人がいた。住宅街を歩けば、猫よけのために並べられたペットボトルが焼酎の「大五郎」だった……。足立区を訪れるたび、ほかの22区とは違う“自由”を吉沢氏は感じるという。

「もちろん、足立区に住んだからといって心が広くなるとかそういう話ではありません。ただ、ほかの22区が臭いものに蓋をするところ、足立区では臭いものは無視するんです。『蓋なんかしなくても、そんなのどうでもいいじゃん』的な精神が強いのでしょうね」

吉沢氏の分析によれば、寛容さを失った日本人にとって、こうしたおおらかさが、衝撃的で眩しいものに映っている。だからこそいま、足立区がひとつのコンテンツとして求められているというのだ・・

・詳細は(source: デイリー新潮 - 最もホットな街“足立区”に憧れる日本人の特徴 キーワードは“無法地帯”


・足立区80年の歩み



・うちは川崎なんで、まぁいいたいことは分かります

・どこの街でもそうですが、色々な人がいて、色々な地域があって、一概に言えないですね。
千住の旧街道沿いに集まっているちょっとおしゃれな若者たちと交通インフラのない地域に巣食う人達とではライフスタイルも意識も違いますしね。
どこでも住めば都、と思えれば幸せ。

・高級住宅地特有の嫌な感じは何かと思っていたがここで言われている 臭いものにふた の意識の強さなんだなと思いました。今話題の南青山の児童相談所の問題にもそれが表れている気がする。ステータス意識が強いのもいろいろ副作用も生み出すね。ある種の心の醜さでもある。

・地元が足立区で30年近く住んでいます。
他の区や地方にも住んだことがあります。

足立区ってイメージが先行しすぎ。
ここに書いてあることも、半分以上が誇張されているか、たまたま見た印象的な場面を切り取ってるだけ。
この記事で言っている”無法地帯”の印象はあまり無い。

下町情緒は残ってるのは確か。
足立区でも場所によるし、足立区特有のものでもない。

その町の事を知りたければ、その町に根付いている「床屋さん」に話を聞いてみた方がいい。
たいていの床屋さんは情報通なので。

・足立区に住んでます。これ、褒められてるんだか、ディスられてるんだかよく分からない…
でも、この記事を読んで他の場所に住んでる人が足立区に住みたいとは思わないだろうなとは思う。文化フライ?見たことも聞いたこともない。

・ここ何十年か前までは農村地帯、また地方からの移住者も多く移り住んで、洗練されることがなかったのでしょうね。鹿浜生まれの50手前の知り合いが話している昔話は、60年くらい前の話に感じます。古すぎて、感覚が違いすぎて。

・自分は大阪出身だが、足立区はまだだいぶお上品だと思う。地元には目も当てられない地域が多いし、言葉が汚いのがそれに拍車をかけている。標準語話してるだけまだマシに見える。


・【ひろゆき】足立区出身の人でまともな人間に出会ったことがない