あんなんワイが糞して寝るとかなんJに書くのと変わらんやろぶっちゃけ
五七五めんどくせえから適当に作ってやろみたいなことノリでてきたんやろ
自由律とみせかけてちゃんと17音やん
美しいやん
異端アピールにわかるぅ~してるだけや
>>6
実際そんな所なんやろけどな
でもそろそろ王様は裸や言われてもええ頃合いとちゃうか
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そもそも自由律なのに俳句って言い張るのがわからん
それは詩では
>>3
いや詩とか言われてもそれはそれで意味不明だわ
特に魅力も何もない短文にしか見えない
これもまた自由律俳句やぞ
そもそも俳句の善し悪して誰が決めとるんや
>>14
夏井いつき先生やで
俳句自体がそんなに素晴らしい文学、表現方法か?とは思ってるけど
面白さがわからないよりは
面白さがわかるほうが
人生面白い
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺
↑いやこれの何がええねん
>>20
この短文で味覚聴覚視覚を感じられてすごいやん
>>20
なっちゃんにボコボコにされそう
>>22
普通に評価するんちゃうか 分かりやすく状況を表現してるわけやし
>>70
写真次第な気もする
>>77
発想を飛ばせばなんでもセーフやぞ
この前なんか自販機から流氷まで飛んだし
>>88
ぶっ飛びすぎて視聴者が置いてけぼりやもん
ああいうのは最初にやったもん勝ち的なところあるよな
道がまっすぐで寂しいとかほんまよくできてるわ
こういうののよさわからんか
これはわかる
正統派で上手いやつが評価されるべき
正岡子規はまあいいとしても誰だっけ?高浜虚子かなあのあたりが俳句を歪めたろと思う
何を詠んだかでなく誰が詠んだか
クソみたいな世界やで
弟を裏切る兄それが私である師走(河東碧梧桐)
曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ(同)
まっすぐな道でさみしい(種田山頭火)
分け入つても分け入つても青い山(同)
うしろすがたのしぐれてゆくか(同)
たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く(荻原井泉水)
棹さして月のただ中(同)
咳をしても一人(尾崎放哉)
墓のうらに廻る(同)
いれものがない両手でうける(同)
草も月夜(青木此君楼)
光水の上にある(同)
橋をよろこんで渡つてしまふ秋の日(中塚一碧楼)
病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え(同)
シャツ雑草にぶっかけておく(栗林一石路)
こういう思想をもって黄ばんだ街路樹を仰いでいる(同)
陽へ病む(大橋裸木)
蛙の声の満月(同)
横になって夕立に逃げられちゃった(同)
うごけば、寒い(橋本夢道)
無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ(同)
妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね(同)
ずぶぬれて犬ころ(住宅顕信)
若さとはこんな淋しい春なのか(同)
夜が淋しくて誰かが笑いはじめた(同)
>>35
こうして見るとやっぱ凡人にはなかなか難しいねんな
>>35
『妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね』
こんなん草生えるわ
>>49
文学的表現ガン無視ストレートさ
>>49
季語すらなくて草
なんでこうまでして俳句を名乗りたがるんや
まっすぐな道でさみしい
ええな
こんな思いをするのなら草や花に生まれたかった
>>46
これは自由律俳句
憂いを帯びた文ならなんでも名文になりそう
ツイカスの戯言、全部自由律俳句として見たらなかなか趣がある
咳をしても一人とか普通にええやん
咳がコホンと寂しく響く余韻まで感じるわ
いやそれを575でやれやって話だよな
これが認められるなら決まりとか要らないよなとずっと思ってた
意識高い系ラーメンと同じものを感じる
プレバトよく見てるけどなっちゃんの添削ははぇ~ってなって面白いで
俳句の良さは一切分からんけど
>>90
なっちゃんが添削した方が良いのはわかるからすごいわ
>>100
五七五の凡作を字数崩していくパターンだとこれがええんか…?って結構なるわ
プレバトのババアは理屈で添削してるから俳句知らんワイでもなるほどなあってなって面白いわ
散文詩は総じてゴミや
うどん供えて 母よわたくしもいただきまする
井戸に投身自殺したお母さんのことずっと想ってるの素敵やん
いいと思う人がいるからいいんやろ
こういう人たちは今ならニューウェーブ短歌みたいな方面に行くのかね
まず俳句ってのはルールを定めてその中でやるから俳句なんやろ?
俳句のルールを破って俳句と言い張るのは意味が分からんのやが
サッカーボール持って相手ゴールに突っ込んでサッカーと言い張るようなもんやろそれはラグビーやん
>>108
だから「自由律」ってジャンルに分けたんやろアホか
>>115
アホはお前だ
俳句の定義から外れたいけど俳句の権威を利用したい
親に反抗したい一方で親の庇護を必要とする思春期のガキと同じ
独立独歩で新しいジャンルを築けないクソ雑魚のお遊びが自由律俳句じゃ
>>108
ルールを破った俳句と主張することで俳句のルールを破った俳句として俳句にカテゴライズしとるんやで
適当な文でも 種田山頭火って付ければそれっぽくなる
種田山頭火
芸術って形崩す段階まで来ると新しいの出てこなくなるよな
クラシックだと無調性音楽とか絵ならキュビズムあたりとか
>>125
そこまでいったら一昔前の潮流が再評価の流れになってまうな
>>129
結局全盛期というか古典的なのに戻るよな
ベートーベンだのルネサンスだの
前衛的って要は逆張りみたいなもんだからな
>>134
古典的かどうかはあんまり関係ない
どの芸術も大体文脈のリバイバル繰り返してる
メインカルチャーが発展してそのカウンターカルチャーが生まれてっていう文化が発達する道筋と同じこと
だから尾崎放哉なんか当時からさんざボロクソに言われてた
でも最後まで貫いた
まぁ尾崎放哉がボロクソ言われてたのは本人の性格の問題な気もするけど
でも正岡子規のいいたいことはわかるわ
古今和歌集とか教養ないとさっぱりわからんから万葉集みたいな素朴なやつの方がとっつきやすい
自由律俳句って文字数より内容のわかりやすさがメインなんじゃないか
知らんけど
>>189
大抵の文化って素朴からスタートしていつの間にか前提知識が増えてってわけわからんくなってどこかのタイミングでキチゲ解放してやりたい放題する流れになるな
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2・2・1休/2・1休・2・2/2・2・1休
ふる・いけ・や休/かわ・ず休・とび・こむ/みず・のお・と休
なのに、それが分からずに
5!休休休休7!休休休休5!休休休休
フルイケヤ~~~カワズトビコム~~~ミズノート~~~(半目でどや顔)
みたいな人らがいるから、
この5とか7とかって何の必然性があるの?
ってなって、自由律が生まれたの
俵万智とか何が良いのかさっぱり分からなかったし、学校の授業で取り上げられててそれを絶賛しなきゃいけない空気だったのすごく嫌だった
みんなも自由律俳句作ってみよう!とか言って、良いと思ってないものを作るのも苦痛だったな
オマエが無知で無能やから分からんだけやぞ
逆にオマエごときが何で全てを理解できるって勘違い出来るのかが分からん
少なくとも同じモノを共有できてる人間に噛み付くのは止めろや
血液型と性格の相関の話とかもそうやが
自分に分からんからって否定するのは止めろや
オマエみたいなアホには違いが分からんだけなんやから