少年と少年をずっと見守り、支え続けるリンゴの木の生涯をえがいた、児童向けの絵本「おおきな木」。
原題は「The Giving Tree」で原作はアメリカの作家、シェル・シルヴァスタインによるものだ。日本では村上春樹が翻訳して話題となった。
この絵本は、無償の愛の強さについて語る本だと記憶している人がいる一方で、読み聞かせをしているときに、子供たちを混乱させるかわいそうなお話だと思う人もいる。
どんな解釈をするにせよ、(時間はかかったが)作者のシェル・シルヴァスタインの名を世間に知らしめた、子供のための傑作であることは確かだ。
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この本のあらすじに関しては記事の最後に付け加えてあるので、内容が気になる人は参考にしてほしい。
これからあげる6つの事実は、シェル・シルヴァスタインと「おおきな木」にまつわるものだ。
1. 「おおきな木」はいくつもの出版社に断わられた
シルヴァスタインが「おおきな木」を出してくれる出版社を探していたとき、彼の実績は「ライオンのラフカディオ(人間になりかけたライオン)」ただ一冊だけしかなかった。
当の「おおきな木」は、テーマが暗くて売れないと難色を示す出版社ばかりだった。サイモン&シュスターの編集者は、子ども向けにしては悲しすぎるし、大人向けにしては単純すぎると評し、別の編集者は、タイトルの木は精神を病んでいるとまで酷評した。
少年と木の生涯にわたる関係をつづる話に感動したという出版社もあったが、結局は絵本というジャンルとしてはリスキーすぎると判断した。
出版社を探して4年後、ハーパー・チルドレンの編集者ウルスラ・ノードストロームがその可能性に目を留め、この本はやっと日の目をみることになった。
2. 「おおきな木」は予想外の大ヒットになった
この本が出たのは1964年、初版はわずか5000〜7500部だった。出版社は潜在性を過小評価していたが、まもなく爆発的に売れ出し、たちまちもっとも成功した絵本のひとつとなった。シルヴァスタインも出版界の時の人となった。
今日、初版から55年ほどたっているが、「おおきな木」は世界中で1000万部以上売れている。
image credit:おおきな木
3. 少年と木の関係についてはさまざまな解釈があり、
必ずしも肯定的なものばかりではない。
一本の木とひとりの少年の関係が、少年の子ども時代から老年になるまでの生涯に渡って描かれている。それぞれの段階で、木は少年が必要とするものを与え続け、与えるものが何もなくなっても、最後は座るための切り株を提供する。
この話は、無条件の愛の寓話だと肯定的に解釈する人もいる。本が最初に店頭に並んだとき、キリスト教のテーマをなぞらえているとして、プロテスタントの聖職者たちの間で人気が出た。
しかし、この本は不満だらけの少年の要求を満たすために、木が自分の身を削って与えるばかりの一方的・虐待的な関係を描いていると批評する人もいる。
木と少年の関係を、母親と子供、ふたりの年取った友人、母なる自然と人間にたとえる解釈もある。
4. 著者は「おおきな木」があまり好きではなかった
この本は、シルヴァスタインの代表作だが、1975年のインタビューで、自著のお気に入り作品はなにか訊かれたとき、本人はこの本をリストから外した。
"僕が好きなのは「Uncle Shelby's ABZ」や、「ゆかいないっぴきはん(おかしなおかしなきりんくん)」や「人間になりかけたライオン」──これが一番好きかな"と言っている。
だが、彼のキャリアを決定的なものにした「おおきな木」を誇りに思っていないというわけではなかったようだ。この本の人気ぶりについて、"いいことをしたと思いますよ。いいと思わなかったら、これを出さないでしょうからね"と言った。
image credit:おおきな木
5.「おおきな木」は著者が元カノに捧げたもの
「おおきな木」には、"ニッキーへ"という短い献辞がある。ニッキーは、シルヴァスタインの昔の彼女のことだ。
7. シルヴァスタインはハッピーエンドを嫌った
シルヴァスタインは1978年のインタビューで、ハッピーエンドは嫌いだと言っている。また、ニューヨークタイムズの書評では、ハッピーな結末は読者に疎外感を与えると信じている語った。
そして、自分の姿勢についてさらに説明している。「子供が、どうして僕には、あなたがお話ししてくれるような幸せがやってこないの?と疑問をもち、つかみそこねた彼の喜びが終わり、それはもう二度とやってこないと悟るようになるからだよ」
「おおきな木」は、児童文学で最悪の結末話ではないにしても、おそらく、シルヴァスタインの作品の中で、もっともよく知られた悲しい結末で終わる話なのだ。
image credit:おおきな木
どうかな?おおきな木に興味が沸いたんじゃないかな。
大人になって読み返してみると子供の頃とは違った解釈が次々に出てくるかもしれない。
日本では:村上春樹翻訳版の他に、本田錦一郎が翻訳したものがあるので、読み比べてみると楽しい。
wikipedia によるこの本のあらすじ(ネタバレ注意)written by konohazuku / edited by parumo
リンゴの木と少年は友達であった。ともに遊び、心を通わせていた。しかし少年は大人になってゆきお金が必要になる。
木は「私の果実を売りなさい」と言う。少年は果実をすべて持っていった。しばらくして、大人になったその子は家が必要になる。木は「私の枝で家を建てなさい」と言う。その子は枝をすべて持っていった。
また時が経ち、男は「悲しいので遠くへ行きたい」と言う。木は「私の幹で舟を作りなさい」と言う。男は幹を持っていった。
時が経ち、男は年老いて帰ってきた。そして「疲れたので休む場所がほしい」と言う。木は「切り株の私に腰をかけなさい」と言う。男は腰をかけた。木は幸せであった。
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コメント
1.
2. 匿名処理班
しってる?切り株に新しいドングリを植え込むと、よく張った根っこを使ってそのドングリは早く立派に成長できるんだよ?
3. 匿名処理班
私の手元には1979年7月20日第7刷、本田錦一郎氏翻訳のこの本が今目の前ににあります。
当時6歳、母からのプレゼントでした。
私にとっての「おおきな木」はこれであり今でもこれからも大切な宝物です。
村上氏の翻訳でこの作品が注目されて、本当に嬉しい!
4. 匿名処理班
必要とされることを必要とする…だから木は満足だったのかな。
5. 匿名処理班
必要とされることを必要とする…だから木は満足だったのかな。
6. 匿名処理班
この本の樹のような存在が幸せになることはないんだろうかと寂しさすら感じる本だったわ
やっぱりハッピーエンドが好き
7. 匿名処理班
木は幸せであった。とあるけど木を切り倒しちゃってひどいことするなと思った
8.
9. 匿名処理班
木は、次の芽が出てるんだから大丈夫
って思った。
10. 匿名処理班
幸せと感じられるなら幸せ
初見の時に木がどうしてそこまで
この少年を好きになったのか知りたいと思ったのを覚えてる
11. 匿名処理班
個人的には木の行いは自己犠牲であるとともに自己満足だったんだと思う。全ては困っている少年の為というより、困っている少年を放っておけない木自身のための行動に思えた。だから木にとってはこれが幸せだし、少年側も気に病む必要はない。
木は間違いなく尊い存在だけど、同じような極限の自己犠牲を普通の人間に求めるのはあまりにも酷。教訓めいた寓話というよりあくまでひとつの物語として頭の隅に置いておき、誰かを助ける際に少し背中を押す材料になれば良いんじゃないかなと
12. 匿名処理班
〔彼〕の良さがわからないなー。
いっつも性的な劣等感を抱えた主人公が誰かを傷つける、この繰り返し。
P・K・ディック、ロバート・フルガムが好き。
13. 匿名処理班
物語のなかで最も重要な部分、”And the tree was happy but not really"は、本田訳ではあえて「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな」という疑問文にして、断定せずに読者に考えさせる。一方、村上訳の「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね」では「なんて」ですでに訳者の価値観が挿入され、最後が「ね」で終わることで、読者が同意することを強要するような響きになっている。口語で言うなら「そんなんで木がしあわせになるとか、あるわけないよねー、だよねー!」という印象だ。村上春樹氏には申し訳ないが、自分は本田錦一郎先生の訳のほうが好きだ。
ちなみに、家には本田訳日本語版、英語版、フランス語版がある。日本語版は本田先生の直筆のサイン入り。先生の講義が面白すぎて、もっとお話が聞きたくてよく授業の後に先生の部屋に押しかけて行ったものだなあ。先生のおかげで、あのおおきな木の気持ちを今でも考え続けている自分がいる。
14.