543有賀さんが病名を伏せたのは、本人の強い意思だった。乳がんだったという報道もされたが、それは事実ではないと、洋さんが初めて明かす・・






「実は、卵巣がんだったんです。さつき本人が知られたくないということで、私も隠していました。大阪に卵巣がん治療の名医がいるということで、亡くなる3年前に手術を受けました。私も立ち会ったんです。

 それで治ったと思っていたんですが、急に体調が悪くなって入院したんです。2週間たって、もう少しで退院と思っていたら、朝7時ごろに病院から連絡がきて、たった今、亡くなったと……。本当に急でした。

 退院したら、この家で一緒に住む予定だったんです……」

 有賀さんが和田氏と離婚したとき、娘は3歳。洋さんは、なんとか離婚を思いとどまらせようとした。

「和田さんとも直接会って、幼い子どもがいるんだから、なんとか離婚しないでほしいとお願いしましたが、ダメでしたね。」


・話題となった 有賀さつきさんの訃報



 でも、いま思うに、しかたがないこと。男と女ですから、いろいろあります。ただ、かつての上司だった和田さんは家庭内にもそのヒエラルキーを持ち込んでいたと聞いた。男がそれをやるのはどうかと思いますよ。まあ、いろいろ話してしまう娘もどうかと思いましたが……」・・

有賀さんの離婚以来、洋さんが和田さんに連絡することはなかった。

 シングルマザーとなった有賀さんは、仕事と家事と育児に忙殺。どれも手を抜かず、人一倍の頑張りを見せた。母娘の二人三脚で12年。有賀さんは最後までひとり娘を気にかけて、この世を去った。

「孫は今、高校1年生です。インターナショナルスクールに通っており、乗馬も習っています。昨年4月から和田さんの家に住んでいます。さつきが亡くなった後も、和田さんは再婚をしていないのは、娘への思いやりかもしれませんね。

 離婚後は孫の親権をさつきが持っていましたが、今は和田さんが持っています」・・

・詳細は(source: 週刊女性PRIME - 故・有賀さつきさん、一周忌で父がはじめて明かした本当の「病因」



・娘さんがどうなったか気になっていたので、和田さんと暮らせて良かった
なんと言っても実の父親だし、和田さん自身も近い将来きっと娘さんの存在を、心強く思う日が必ず来る
お二人とも仲良く、幸せになって欲しい

・突然の事だったので本当に驚きました。
やはり、何かしら大変な病気だったに違いないと思っていましたが、病名が解らないまま突然死とは何だかモヤモヤしてましたし、今となってお話し出来る状況となったのだと思いますが、病名が解って理解出来ました。当時、お父様も高齢ながら、お孫さんの事、自分の体力の事、様々心配は尽きないと思っていましたが、その後、お孫さんが実父と生活が出来てる事に、安心ししました。同年の子供を持つ身として、良かったなあ〜と安堵しました。お父様もどうかご自分のお身体、ご自愛下さい。

・お父さんが話すことに批判もあるかもだが、私は全くない。人は年齢重ねると話すよね。さつきさんの死因は気になっていたので、すっきりした。ずっともやもやするより一周忌をきに話したのはよかったし、和田さんが話すと話題にもなるからお父さんからでよかったのでは。

・確か亡くなった後、娘さんをどうするかって話があったんだよね。お父さんはは引っ越せないけど娘さんも引っ越せないとか色々あって、和田さんが引き取ってくれれば都合はいいんだけど、あんな別れ方してるから難しいかもって感じだったと思う。でも結局引き取ってくれたんだよね。
有賀さんは和田さんのことボロクソに言ってたけど、自分亡き後の娘さんのことは感謝しないといかんと思う。