df63年間にわたる批判と今回の祝福。ベッキーさんに浴びせられたコメントの落差は、「手のひら返し」という軽いイメージではなく、さながら「天使と悪魔」のように感じてしまいます・・





なぜ普通の生活を送っている一般の人々が、まるで2重人格のようなコメントを他人に浴びせてしまうのでしょうか。

その理由は、よく言われる「無責任だから」「ストレス発散のために」「想像力に欠けるから」ではなく、誰にでも当てはまる落とし穴が潜んでいるのです。

まず「手のひら返し」のエピソードで記憶に新しいのは、1月27日に開かれた嵐の会見における「無責任質問」。活動休止や会見の内容以上に反響を呼んだのは、ある記者の「『お疲れ様でした』という声もある一方で、『無責任』という指摘もあると思う」という発言でした。

ネットニュースやテレビのワイドショーでフィーチャーされたこともあって、記者への批判が過熱。記者の実名が特定されて吊るし上げの状態となり、あまりの断罪ぶりに業界内では「しばらく仕事ができないのではないか」とすら言われました。


・話題となっているベッキーさんの報道




しかし、前回「嵐に『結婚』『SMAP』『滝沢』を聞かない不思議」(2019年1月29日配信)というコラムの中で記者の意図や他記者の忖度を挙げましたが、「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ系)でもコメンテーターの伊藤洋一さんが「あの質問は必要だった」と語り、「東京スポーツ」が「涙を流してツイッターで抗議した日本テレビの青木源太アナこそ責任放棄」と報じたことで、世間の様相は一変。
現在では「会見で聞きにくいことに切り込むのが記者の仕事」「あの質問で嵐のよさが引き出されてよかった」という声が大勢を占めています。

 この騒動では、ワイドショーのMCやコメンテーターたちも、こぞって記者を糾弾していましたが、世間のムードが変わってからはノーコメント。「手のひら返し」になることを恐れてなのか、発言の修正をしないところに無責任さが露呈しました。
また、それらの人や番組に泳がされていることが、人々の「手のひら返し」や「天使と悪魔化」を加速させているとも言えるでしょう。

 ただ、人々の「手のひら返し」や「天使と悪魔化」は、メディア報道のせいだけではありません。「誰もが当てはまる現代人ならではの落とし穴」があるのです・・

・詳細は(source: 東洋経済オンライン - 「ベッキー結婚」でさえ酷評する人の深い闇


・大きな話題となった 川谷絵音さんとベッキーさんの報道



・実際に会ったら叩かれるような人格ではないから批判するなとあるが、芸能人を一般人が評価するのは基本メディアに露出している部分だけで判断する。実際に腹黒くても露出部分が素晴らしければ好感度が高いのはどうしても当たり前。プロの記者として自分が直接会ったら好感度が良かったから読者にそれを同調しろというのはどうかと思う。

・叩かれるのが嫌なら、芸能界なんて引退するでしょ?
それでも身を置いて、いちいち発表してるんだから、メンタル強いと思うよ。
嫌ならネットから離れればいいだけだし。

・もともとベッキーはあのニュースが出るまでは、むしろ好感度が高い芸能人だったと思います。人気商売ですしCMなんかだと企業の顔にもなったりします。そのギャップもあって通常以上に叩かれて騒動になったんじゃないでしょうかね。
ただ彼女がしたことで不幸になっている人が現実的にいるわけですし、それに嫌悪感を抱く人は少なからずいるんじゃないかと。まあとくに匿名性の高い掲示板では、面白半分で酷評されているんだと思いますがね。

・記者会見でのウソが致命的だったな。

・というかこの記事の分析は言い切ってる割に薄っぺらいし間違えている。
そもそもベッキーの件は「不倫」そのものを問題にしている奴はいないがね
ベッキーの場合は良い子キャラとのギャップの点と単純にベッキーが嫌いで見たくないし、特別特出するものも無いのに、業界ごり押しで推してくる事が嫌だと言う意見でしょう。
ベッキーに関しては視聴者が求めているというよりテレビ側が出したい意向を強く感じ過ぎて、マーケットインじゃない姿勢が嫌なだけだと思います。
ネットの意見も見ると「結婚はおめでとう。今度はしっかりな!だけどテレビは出ないでくれ」と言う意見がほぼです。
つまり、手のひら返しも継続も無くほとんどの人は正直今更ベッキーなんてどうでもいいのです。

・不倫前から嫌いだった。飽きられていたと思うし。
最近、開き直ったキャラクターで出てきているのが図々しくみえる。顔立ちや話し方も元々厚かましい感じなので、生理的に無理なだけだと思う。幸せになったらいいと思うけど、テレビには出ないで欲しい。