78このころ、貴景勝が通っていた兵庫県西宮市の仁川学院小学校は、医者の子供が多く通う私立の名門校だった・・





「近所に灘中があるので、灘中、灘高、東大に行かそうと思って、勉強はかなりさせました。家内が教えていて、毎晩深夜1時ごろまでやっていましたね。

 でも、空手を教えていたときに、この子の身体能力、闘争心などを考えると、いい大学に入れるだけではもったいないと思った。それで、空手をやめたあとに興味を持った相撲に熱を入れたわけです。

 でも、家内は勉強のほうで頑張ってほしかったようです。相撲は頭からガンガン当たるので、それもイヤがっていました(笑)」


・貴景勝関



 一哉さんには、一貫した教育方針があった。

「3歳までは、なにをしても怒らなかった。その年齢を過ぎると、もののよし悪しがわかるようになるので、悪いことをしたときは怒りました。

 相撲をやるからには、目指したのは当然、全国1位。小5か小6のとき、格下相手に不甲斐ない相撲を取った。それで、牛丼屋の駐車場だったと思いますが、鉄拳を見舞いました。

 でも、厳しく育てるのと虐待とはまったく違います。息子がいいことをしたときは、しっかり褒めてきましたから」・・

・詳細は(source: SmartFLASH - 父が語った「貴景勝」灘高→東大あきらめて大関獲り



・お母さん昔もやはり大変にお綺麗ですね。
今も妖艶さが半端ない。
美人は他にもいるけど、目を奪われるほどの美人とはこのお母さんのことです。

・かなり裕福な家庭だと思うが、その環境に溺れていないところが凄い。
勉強でもスポーツでも何かをモノにしようとしている姿勢が。奥さんも家庭を支えるという意識がしっかりしているから出来ることで、金持ちで容姿にも恵まれると普通はこうならないんだけどww

・一流にする為の徹底した英才教育だな、それにしてもお母さんの凛とした上品さが半端ない。

・もう、お母さんが美しすぎて本文の内容が頭に入らない(笑)

・こんな綺麗な細いお母様からこんなに大きな男の子が産まれたってのがすごい。

・びっくりした。灘高から角界入りしたのか?と思ってしまった。あとさぁ、いくら何でも牛丼屋の駐車場で鉄拳制裁はないでしょ。