「木にぶら下がったブランコで遊ぶ姉弟の銅像から…木だけ失われた」切ない気持ちになる写真
アメリカ・ニューオーリンズには、実在した木からぶら下がった「ブランコで遊ぶ姉弟の銅像」があるそうですが、木だけが失われてしまったのだとか。
その結果、残った銅像部分が想像力をかき立てると、海外掲示板で人気を集めていました。
This sculpture of kids swinging from a tree that is no longer there from r/mildlyinteresting
なんと生き生きした銅像でしょうか。
ぶら下がっていた木は失われてしまいましたが、今にも動き出しそうな躍動感があります。
いったいどんな木だったのか、周囲はどんな環境だったのかなど、いろんなことを想像させられます。
海外掲示板のコメントをご紹介します。
●誰かが女の子に涙を描いてる(笑)
↑ブランコの大半が失われちゃったのだから泣かないはずがない。
↑弟が彼女をぶん投げているんだ。死なないで。
↑まだ靴を履いてるから、大丈夫だ。
↑靴を履いてたら生きのびるってどういうこと?
●ちょっと悲しい。
↑その銅像は残して、切り株を除去して、また木を植えればいいと思う。銅像とともに育つ。新しく生まれ変わるんだ。
↑それがルネサンス(文芸復興)というものだよ。アートは時間を与えるといつか生まれ変わるんだ。
↑「最初に死ななければ生まれ変われない」―ジェイデン・スミス(たぶん)
↑最初は自分も悲しいと思ったが、現在は木がなく、像だけが自立していることが興味深い。新しい側面を加えている。
●木が失われたことでこの銅像は、男の子が姉を月へ投げているように見える。
●わお、この写真はどこで撮ったの??
これと全く同じ子どもの銅像で、違うポーズの銅像がうちの通りの向かいの公園にある。同じアーティストによって作られたのだと思う。
↑(投稿者)これはニューオリンズ郊外の銀行の駐車場にあるよ。
ミロのヴィーナス像は両腕が失われたことで、かえって想像力が膨らむ作品になったと言われていますが、同じような効果が生まれていると指摘する人もいました。