221太田は「“一人で死ね”ってことは…それは“もう甘えるな”ってことだと思うんだけど、この犯人の場合は、自分も死ぬわけじゃないですか。自分の命も重く見ていないというか、自分が自分が思っているような自分じゃなかったんだと思う」と指摘・・





その上で「それは“俺って生きていてもしようがないな”と。だけど、最後に一つ大きなことをする。特定の病気ってわけではなくて、そういう思いにかられるってことは誰しもがあるもの」と自らの考えを述べた。

そして、自らは事件の容疑者と同じ50代で、高校生くらいの時に、何も感動できなくなった時があったと言い
「物を食べても味もしない。そういう時に“これはこのまま死んでもいいな”っていうぐらいまでいくんだけど、そうなっちゃうと人の命も大切には思えないよね。だけど、その時に俺のきっかけだけど、たまたま美術館行ってピカソの絵を見た時に急に感動が戻っていた」と告白。


・川崎市事件




「何を見ても感動できなかったんだけど、ピカソが理解できたってわけじゃないけど、その時の俺には“表現ってこんな自由でいいんだ”っていうことで、そこからいろんなこと感動して、いろんなものを好きになる。

好きになるってことは、それに気づけた自分を好きになるってことで、それは人でも文学でも映画でも何でもいいんだけど、そういうことに心を動かされた自分て捨てたもんじゃないなって思うと、他の生きている生物や人間たちの命もやっぱり捨てたもんじゃないってなった」と明かした。


・サンデー・ジャポン


さらに太田は「つまり、すぐ近くにいると思うの。彼のような人は。そういうところを今、誰かが助けてあげれば…」と熱っぽく語り、

「今、自分が死んでもいいって思っている人はもうちょっと先に…、それを見つけるすぐ近くにいるよってことを知ってほしい。きっかけさえあればって思うんだよね。すごい発見ができる。すぐ近くにいると思うんだよね」と強調していた・・

(source: スポニチアネックス - 爆問太田 「一人で死ぬべき」に「すぐ近くにいると思うの。彼のような人は」



・太田さんの発言は優しいね。このコメントが自暴自棄になっている人達に届くといいね。
そうすれば自身も救われるし、同じような事件を防ぐことにもなる。

・誰にでも、そうなりうるんだって事を言いたいんですよね?
自分もそうなりかけた事があったって。
「自分は関係ない」「自分の身近な人は関係ない」って他人事として考えないで
「そうならない為にはどうしたら良いのかな」って考えないと仮に同じ様な立場になった時に何も出来なくなってしまう気がします。
加害者側にも 被害者側にもなってしまうかもしれないんだって。

・太田の発言は重みがある。
今感じるのは、太田の様な経験、「自分は生きている価値が無い…死んでも構わない…。」
自ら命を絶とうとした経験がある人も、勿論含めて…
自分自身に対してそこまでの思いを抱いた経験のある人と、逆に「死のうなどと一度も考えた事の無い人…」では、捉え方が違うんだと感じた。

この番組のVTRでどっかのおっさんが「オレもドコか山奥とか、どっかで一人で死んでほしいと思う」ってあっけらかんと言ってたけど、こういう人は死にたいとか思った事ないんだろうな…と感じた。
志らくもそうだと思うよ、あんな居酒屋レベルの軽い発言をテレビで言っちゃうんだからね…。

それにしても、今回のサンジャポのメンバーは非常に冷静に話をする人が多かった。
「別々の問題で、賛成とか反対とか、議論しても仕方ない…」
全くその通り。

・テレビ見たけど、ちょっと共感した。太田はピカソに救われたんだ。
誰しも落ち込むことはある。さらにいくと自分の存在価値のなさを感じてしまうことがあって絶望感に陥る。リカバリーできないと死んでしまいたいと思う。普通はここまでだけど、行きすぎると自分の命を大切に思えないから他人の命を傷つけてもいいと思う。

・太田さんの意見が一番共感できました。
本当に孤独を感じたことのある人の意見という気がしました。
家族も友達もいなくて(いないと思っていて)仕事もお金もなくて守るものも守ってもらえるものもない状態で他人のことも自分のことも大切になんて思えないと思う。年がいけば将来の不安もあり押しつぶされそうになると思う。

・「一人で死んでくれ」って言葉は1番届かない言葉だと思う。自分の命や人生を気にかけてくれない社会を大切にする理由を探すのは難しい。私が社会を大切に思えるのは、社会に居場所があって、私を大切にしてくれた人々がたくさんいて、苦しいときに手を差し伸べてもらった経験があるからだ。


・なぜ過熱?川崎殺傷「一人で死ねばいい」論争の是非