441 名前:父の話[] 投稿日:2000/04/22(土) 06:16
うちの父は昭和十三年生まれ。十六年に父親を、続いて終戦の年に
母親を亡くしている。その後すぐ、母親の実家に預けられたのだが、
そこの家長(つまり父の祖父)は学校の校長先生。愛情はある人
だったが、生きるためでも法に触れたことは出来ない、ときっぱり
言う人だった。だから闇市にいけず、食事は貧しいもの。すいとん
ばかりの毎日だった。
その後、父の母親の一回忌で父のやせ衰えた姿を見た父の叔父は
自分も子供を三人抱えていたにも関わらず、このままでは父が
栄養失調で死んでしまうと確信した。そして無理矢理、父の母方
の祖父母のもとから自分の家へ父を連れ帰ったのだ。その叔父の
家は裕福ではなかったが、「生き抜くこと」が何よりも大切だと
思い、叔母が嫁入り道具の着物を全部闇市で食糧に変え、自分の
甥に当たる父にもどんどん美味しいものを食べさせた。
終戦後初めて食べた白米がどれだけ美味しいものだったか、そして
いかにその叔父に感謝しているか、言葉で言い表すことは出来ない
--そう言った父のためにこのスレッドに書き込みさせていただき
ます。大叔父さん、父を育ててくれてありがとう。それから、美味し
いご飯を食べさせてあげてくれてありがとう。あなたがいなかったら
私は今ここにいません。心からお礼を言います。この話を聞いてから
白米の味がもっと心に染みるようになりましたよ。本当にどうも
ありがとう。