ft小学生の頃から全国レベルで活躍したサッカー少年は、高校3年のときに腎臓を患うという不運に見舞われながら、1983年1月のサッカー全国高校選手権で圧倒的な存在感を示し、人気漫画「オフサイド」のモデルとなった。まちがいなく、将来の日本サッカーを背負うことを期待される逸材だった。だが・・




 だが、その8ヵ月後、彼は事故で下半身不随となり、サッカーという、人生を賭けてきた夢を根こそぎ奪われてしまう。

 そこからの半生、何度も壁に阻まれ、絶望の淵に追い込まれそうになった彼を、その度に不死鳥のように立ち上がらせたのは、人生のパートナー・まゆみさんの、おおらかで強靭な愛の力だった。

 羽中田が、妻となるまゆみさんとつき合い始めたのは、高校の卒業式直後のことだった。実は、彼は一度、まゆみさんにフラレている。

 高校3年生にとっては最後のイベントとなる文化祭が終わり、大学受験への追い込みに入った秋の土曜日の放課後。

 笑顔がかわいくて、成績がよく真面目なタイプのクラスメイト・高木まゆみさんを図書室に誘った。平静を装いながらも、内心は高校選手権の決勝より緊張していたという。前夜から何度も練り直していたシナリオは、2人きりになった瞬間にふっとんでしまい、いきなり切り出した。


・羽中田昌さん


 「オレと付き合ってくれないかな?」

 まゆみさんは無表情のまま、黙りこくっている。沈黙に耐えられなくなった羽中田は言った。

 「返事はいまじゃなくてもいい。もしOKだったら月曜日に、いまと同じスニーカーを履いてきてほしいんだ」

 落ち着かない気持ちのまま週末を過ごした羽中田は運命の朝を迎える。月曜日、授業開始ぎりぎりになって教室に現れたまゆみさん。その足下を見つめる。

 羽中田はそれから先の1日の記憶がない。土曜日に彼女が履いていたのはコンバースのスニーカーだった。そして、この日の朝、羽中田の目に映ったのはコインローファーだった。

 それでも後日、勇気を出して、「フッたことは気にしないでね」と明るく声をかけた。

 羽中田は、1年生のときから高校サッカー界のスター選手だったが、まゆみさんにとってはただのクラスメイトの1人にすぎなかった。3年生で初めて同じクラスになり、しかも、羽中田は腎臓病を患って1学期のほとんどを欠席している。話をした記憶もない相手に対して好きも嫌いもなかったのだ。

 だが、フラレた相手に気遣いができることを示したことで、羽中田は「何も知らない同級生」から「気になる人」に昇格し、言葉を交わすようになったことで、付き合いが始まったのだ・・

・詳細は(source: 現代ビジネス - 事故で半身不随…サッカー「消えた天才」を救った、妻の深くて強い愛



・奥さんの明るい性格がいいですね。物事をポジティブに考えられて。とてもお似合いの夫婦だなと思います。これからも、仲良く常に前に向いて暮らして下さい。応援しています

・「オフサイド」で思い出したが、腎臓を患っている選手が国体選抜に選ばれて時間限定ながらすごくいい仕事をするという話があった。
あれは羽中田さんがモデルだったのか…

・羽中田さまの熱意、そして奥様も理解の深い方だからこそここまで来れたのかと思います。選手としては悲しい歴史でしたが、その後の人生の糧として助け合えたことが二人を成長させたことと思います。これからも日本のサッカーを見つめて頂けると嬉しいです。

・この記事を読んで良かったです。息子も2年前に信号無視の車による事故で半身不随となりました。幼稚園の頃よりサッカーを始め、事故後はゲームでサッカーをしています。まだ自分を受け入れられずにいます。本人にしか解らない気持ちは何ともならず、是非この記事にて少しでも前を向いて進んで欲しいと思いました。

・タイトルを読んで、まるでハチウダさんの事みたいだ~と思ったら、ほんとにハチウダさんの事だった。
持病を抱えているので出場時間は後半残り15分・・・それでも記憶に残ってます。
私の兄もサッカーをしていて、ハチウダさんのファンでした。友達と自宅までサインを貰いに押しかけてました。事故の時は本人じゃないんじゃないか?と受け止められなかったようでした。
毎年全国高校サッカー大会の予選が始まると、ハチウダさんのことを思い出したりします。

・うまくいっている時には、ほっておいても人は寄ってくるものですが、不慮の出来事で状況が変わるとほとんどの人があっさり離れていくものです。
サッカーという足で闘うスポーツを頑張ってきたのに、事故でその足を使えなくなったことは、想像もつかない悲しみと絶望だったと思います。
でも、本当にまっすぐで心から愛してくれる奥様と出会えたことは、人生の中で何ものにも代えられない幸せだと思います。

・甲府市出身の私。韮崎サッカー部は女子のあこがれのまと。
当時の事故も大きく報道され事故現場もいつも通る道。車椅子の羽生田先輩の話はよく聞いてました。監督をされていることまでは知ってましたが素敵な奥様の支えのことまでは知りませんでした。


・羽中田昌さん