冷蔵庫に胎児の死体
1973年(昭和48年)5月17日の朝日新聞に
「死体を抱えて歌い歩く」という奇妙な見出しの記事が掲載されている。
この年の5月14日、東京都豊島区池袋のサパークラブ(現在のメンズキャバクラに近いもの)の
冷蔵庫からミイラ状になった胎児の死体が発見されるという事件があった。
ミイラ死体は、このクラブに専属歌手として勤めていたジャズ歌手の
「圭」と名乗る歌手(22歳)が店長に預け「冷蔵庫に入れて保管してほしい」と頼み込んだもので、圭はその翌日から無断欠勤していた。
そして数日後、この店の
コックが圭から預かった包みを牛肉と間違え開封してしまったところ、中には
カラカラに乾ききった胎児のミイラ死体が入っており、驚いた店主が警察に電話したことで明るみになった。
警察は圭を死体遺棄の疑いで全国指名手配。2日後の16日、宮城県仙台市内で圭の身柄が確保された。彼女はいったいなぜ胎児の死体を持ち歩いていたのだろうか。
2年に渡り続けた逃避行
圭は仙台市出身で数年前、歌手を夢見て東京に越してきたばかりだった。
彼女は生活のため、都内のサパークラブを転々とし日銭を稼いでいたが、1971年頃、
35歳の妻子ある男性と肉体関係をもち妊娠。その後、流産となった。
この際、医師から「胎児はこちらで事後処理をする」と申し出があったがが、圭は
「私が腹を痛めて産んだ赤ちゃんなので自分の手で埋葬したい」と断り、死体の埋葬および役場への死産届を自分で出すことにした。
しかし、愛する男性との愛の結晶である赤ちゃんを手放したくなかったようで、圭はこの
赤ちゃんをドリンク剤の入っていた段ボールに詰めて自宅に置いておくことにした。
そして、死んだ赤ちゃんと未婚の母である圭の2年に渡る逃避行がはじまった。
圭は死んだ赤ん坊を
生きている赤ちゃんと同じように接し、服を着させたり、添い寝したり、時には職場であるクラブにも赤ちゃん入りの段ボールを持っていき、世話をしていたという。
ところが、1972年5月、圭は故郷である仙台へ一時
帰省する際、赤ちゃん入りの段ボールを勤めていた池袋のクラブの店長に頼み預かってもらうことにした。
これまで干からびた赤ちゃんを肌身話さず持ち歩いていた圭が、なぜいきなり赤ちゃんを店長に預けたのかは不明だが、
次第に圭も「赤ちゃんは死んでいる」という現実に気が付いたということなのかもしれない。
逮捕後、圭のその後の足取りは明らかになっていない。
参考文献:朝日新聞縮刷版
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