【バンドリ】短編【その1】
- 2019年07月24日 20:10
- SS、BanG Dream!
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短い話を書いていこうと思います。
山吹沙綾「ただ君に晴れ」
冷たい風が頬を刺す。木枯らしの風だった。
自宅から外に出た山吹沙綾は、巻いたマフラーに首をすくめる。そして手にした車のキーを配達用の軽アルミバンに差し込み、それを回す。
キュルル、とセルが回る。いつもよりも少し長くその音が聞こえ、それからエンジンが始動した。
冬の朝だった。太陽はまだ東の空にも顔を出さず、街は夜の帳の中で眠っていた。
エンジンを暖気させながら、沙綾はフロントガラスにかけたカバーを外して、車庫の隅に折りたたんで置いておく。それから助手席に載せた伝票を手に取り、アルミのサイドパネルを開けて、前日に積んでおいたパンの検品をする。
「……ん、オッケーかな」
白い息とともに言葉を吐き出して、サイドパネルを閉じる。しっかりと錠が下りているのを確認してから、運転席に乗り込む。
一年半前に買い替えた軽のアルミバン。比較的新しい作りのメーターの外気温計に目を通すと、0℃という数字が表示されていた。
もうすっかり冬なんだな。そう呟いて、暖房が弱くかかり始めるくらいにエンジンが温まってから、沙綾はクラッチを踏み込んだ。
◆
冬はつとめて……とは高校の頃に授業で習った枕草子の一説だ。
確かに冬の早朝は空気も澄んでいて気持ちがいいし、霜が降りた地面に朝日が反射しているのを見ると綺麗だとは思う。
「けどあんまり寒いのはな……」
ぼやきつつ、沙綾はアルミバンのハンドルを握って、自分も歳をとったんだな、なんてぼんやり思う。
枕草子の一説を習ったのはもう何年前だろうか。指折り数えて、それが片手で収まらないことに少しだけショックを受ける。
高校を卒業してからすぐに実家のやまぶきベーカリーを手伝いはじめ、車の免許を取ったのが五年前。なるほど、もうそんなに経つんだ。
気付けばもうすっかり大人の仲間入りだ。かつての友人や親友たちももう社会人だし、気軽に顔を合わせることも難しくなってきた。
それでも昔から変わらない元気印の戸山香澄から、「今年も忘年会しようよ!」とメッセージが入っていたことを沙綾は思い出して、胸中には嬉しさと切なさを寂しさで煮込んだような曖昧な感情がやってくる。
フッと息を吐き出して、沙綾はカーステレオから流れているラジオのボリュームを上げる。
冬の朝に似つかわしい穏やかな調子で言葉を吐き出すラジオDJ。今日の気温だとか、世間ではこんなことがあっただとか、いま流行りの歌はこんなものだとか……。
そんな声を聞き流しつつ、車窓を流れる見慣れた街を横目に、車を走らせる。
早朝午前五時半。ましてや12月も半ばの日曜日。道路を走るのは「やまぶきベーカリー」というデカールをアルミに張り付けた、この車だけだった。それにやっぱり拭い難い寂しさを覚えてしまう。やたらアンニュイでセンチメンタルな気分だ。
「まぁ、たまにはいいかな」
沙綾はつとめてそんな強がりを口にしながら、目的地へと車を走らせる。
◆
今日は車で二十分ほどの隣町にて産業祭があるということで、その運営の人たちの朝食となるパンの配達だった。
注文されたパンを受け渡し、担当の妙齢の女性と頭を下げ合う。それから二言、三言世間話をしてから代金を受け取り、事前に用意していた領収書を渡す。
「わざわざありがとうございました。またお願いしますね」
「いえいえ、こちらこそ。ばんじゅうはまた後で回収に伺いますね」
「すみません、よろしくお願いします」
「はい」
もう慣れきった、テンプレート言語とも表現できるだろう言葉の応酬。大人同士のルールやマナーといった言葉たちをなんの感慨もなく喋れることは喜ぶべきことなのか、どうなのか。
そんなことを考えてしまうほどにはまだ自分は大人になりきれていないんだろうな、と思うと、沙綾は少しだけホッとした気持ちになってしまう。それも喜ばしいことなのか、どうなのか。
取るに足らない思考を頭の片隅に置いて、沙綾は隣町の公民館を出て駐車場へ向かう。
「さむ……」
陽の上っていない暗い空の下を吹き抜ける風はやっぱり冷たい。足早にまだ先ほどの暖房が薄ぼんやり残っているアルミバンへ乗り込んで、エンジンをかける。温かい風が足元から吹き出し、カーステレオからはまた穏やかな声が流れ始めた。
それらを感じながら、沙綾は復路を辿る。
『今日は懐メロ特集です。リスナーのみなさんから頂いた思い出の曲を流していこうと思います』
公民館の駐車場から出てすぐに、ラジオDJのそんな言葉が耳に付いた。
「懐メロ……かぁ」
聞いたことのない曲を聞き流しながら、私ももう懐メロを本当に懐かしむような歳なんだな、なんて思う。ドラムスティックを最後に握ったのはもう何年前だっけかな、とも思う。
高校卒業を機に、ポッピンパーティーは解散していた。
その主な理由はやまぶきベーカリーを本格的に手伝い始める沙綾自身にあったと思うけれど、大切な親友たちはそんなことは一切考えていないようだった。
一緒に音楽を奏でることはもうないけれど、それでも私たちは特別な絆できっと今も繋がっている。
大学帰り、そして今となっては仕事帰りにやまぶきベーカリーに足を運んでくれる親友たちの顔を見るのがすごく嬉しい。
ただ、それでもそれらの温み一緒に、沙綾は一抹の寂寥感をいつも感じていた。
大学へ進学した四人。実家を継ぐような形を選んだ自分。
会社に勤め、規律の下で働く四人。実家で自分の裁量で働く自分。
高校を卒業してからというもの、どこか沙綾と香澄たちの間で埋めがたい距離のようなものが出来てしまったような気がしてならなかった。
当然それは考えすぎなことだとは分かっている。
歩いて行ける場所に住むりみと有咲とはいつでも顔を合わせられるし、たえにしろ香澄にしろいつもなんでもないメッセージを送ってきて、そこから今度遊びに行こうだとかお酒を飲みに行こうだとか、そんな誘いをかけることもかけられることも多くある。
本当に考えすぎなことだ。
でも、そうだと分かっていても、整理できない気持ちがどうしても沙綾の胸の中にはあった。
みんなは高校から大学、そして会社へと、色々な場所に身を置き換え続けていた。
対して自分はどうだろうか。
高校を卒業して、それからやまぶきベーカリーに勤める。昔からなんら変わりのない日常の中に身を置き続けていた。
それを良いこととか悪いこととか定義するのは間違っているだろう。正解も不正解も何もない話だというのは分かっている。
だけど、そうだとしても、沙綾はふとした時に感じてしまうのだ。
自分だけが大切な親友たちに置いてけぼりにされているような疎外感というか、自分だけが何も変わらずに大人になったような不甲斐なさというか、そんな漠然とした不安を。
みんなにこのことを言えば、きっと笑い飛ばしてくれるだろう。あるいはものすごく心配してくれるだろう。もしくは「沙綾は沙綾だよ」という言葉をくれるだろうし、呆れたような顔で私を不器用に励ましてもくれるだろう。
だから考えすぎなことだと分かっている。
そう、分かってはいる。
しかし、分かってはいても、この言葉のあとには再び「でも」が続いてしまう。堂々巡りだ。
この思考から逃れる方法を、沙綾は1つしか知らなかった。
「……香澄、どうしてるかな」
赤信号に引っかかり、道路にぽつんと停車した車の中で、沙綾は運転席の窓の外へと視線を彷徨わせながら呟く。
いつでも明るい女の子。その明るさと優しさで、夢を諦めた私をもう一度キラキラドキドキする世界へ引っ張り上げてくれた女の子。
家族以外で一番に大切な人を上げろと言われれば真っ先に香澄の名前が思い浮かぶくらいに、沙綾は彼女のことが好きだった。……その気持ちも、高校の頃からずっと変わっていない。
我ながらどうかと思う。
大切な親友。それに間違いはないけれど、ふとした時に顔が思い浮かぶし、そして堂々巡りの思考から逃れられるのは彼女のことを考える時だけ。
まるで想い人に淡い恋慕を馳せる少女のようだ、なんて自嘲気味に笑う。
けれど確かに、ポピパの他のみんなやチスパのみんな、バンドを通じて知り合った友人たちの中で、香澄だけが沙綾の中で特別に燦然と煌めいていた。
太陽の光を山吹色と表現することはあるだろうけれど、沙綾自身にとっては香澄の方がよっぽど太陽のような明るく温かい人間だと感じている。香澄の傍にいる時ほど、なにか救われたような気持ちになることなんてない。
……だけど、きっと香澄の隣はもう埋まっている。
そんなどうしようもないことを考えているうちに、気付いたら信号が青になっていた。だけど沙綾はクラッチを踏み込む気になれなかった。
時刻は午前六時過ぎ。車通りもなく、自分以外には車どころか人影も見えない日曜日の道路。そこでもう一度信号が赤になるまで、沙綾はぼんやりと東の空を見つめていた。
「はぁ……何やってんのかな、ほんと」
ラジオから独特なタイヤのCMが流れて、沙綾はふと我に返る。そしてアンニュイな気分に全身を浸していた自分が少し恥ずかしくなる。
『追いつけないまま大人になって 君のポケットに夜が咲く』
CMが明けて、懐メロ特集で流れた曲がサビに入ったところで、信号が青になった。沙綾は努めて何も考えないように、その歌に耳を傾けたままクラッチを繋ぐ。
『口に出せないなら僕は一人だ それでいいからもう諦めてる』
聞いたこともない歌だった。ただ、透明感のある歌声が少し耳に心地よかった。
『だけ』
車を走らせる。無心でマニュアルのシフト操作が出来るくらいに、運転にもずいぶん慣れた。
『写真なんて紙切れだ 思い出なんてただの塵だ』
そうしているうちに、花咲川の街へ続く道路に出た。
『それがわからないから 口を噤んだまま』
見慣れた街を、明るみ始めた空の光が照らす。少しだけ「綺麗だな」と思った。
『俯いたまま大人になった 君が思うまま手を叩け』
朝日を山吹色と表現することもあるだろうけど、やっぱりあの綺麗な光を山吹と指すのに私は抵抗がある。
『口に出せなくても僕ら一つだ』
あの何よりも綺麗に見える光は、やっぱりどうしたって香澄と重なって見えるんだから。絶対に手の届かない、憧れの光なんだから。
『それでいいだろ、もう』
……ずっと、想うだけでなにも言えなかった私じゃ、絶対に触れられない光なんだから。
『君の想い出を噛みしめてる』
けど、それでいいのかもしれないな、なんて思った。
『だけ』
その強がりは朝日の光に溶けていった。
◆
少しだけ遠回りをした。
花咲川に沿ってゆるゆる車を走らせ、気付けば花咲川女子学園の近くの道だった。
何も変わっていない校舎へ続く道が見えて、そこを小走りで駆ける、ギターケースを背負った女の子が一人。
その影を追い抜いて、校門までたどり着く。そこにはキーボードケースを抱えた女の子が一人。
校門の前を通り過ぎた。バックミラーには、さっきの女の子二人が仲睦まじくじゃれ合う姿が映っていた。
それに何かを重ねたような気持ちになった。だけど何も言わないように口を噤んだ。
ふと、いつかの夏の想い出が頭によぎる。
海に行ったこと。みんなではしゃいだこと。
海の家で演奏をしたこと。香澄と一緒に歌ったこと。
夏の忘れ物はどこにあるんだろうか、なんてことを考えて、胸がジクリと痛んだ。
……そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。
おわり
参考にしました
ヨルシカ 『ただ君に晴れ』
https://youtu.be/-VKIqrvVOpo
診断メーカー
山吹沙綾のお話は
「冷たい風が頬を刺す」で始まり「そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ」で終わります。
https://shindanmaker.com/804548
山吹沙綾「愛してると言われたら」
「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。
「うん、いいよ」と私が応える。
冬の斜陽を受けて、二つの影が長く伸びる。その影を踏みながら、私は香澄と並んで歩き慣れた道を歩いていた。
話す言葉は他愛のないことばかりだ。数学が難しくなってきたとか、お昼ご飯のお弁当に好きなものが入っていたとか、最近妹や弟がどうだとか、またライブやりたいねだとか。
香澄は花咲川女子学園まで電車で通っていて、私は歩いて行ける商店街の一角に家がある。だから寄り道をしない日はいつも、高校の最寄り駅で手を振って別れることが多い。
今日もその例には漏れなかった。駅に辿り着いて、都電荒川線の可愛い風貌をした電車がやってくるまで、私は香澄とまだまだ話し続けていた。
「花の女子高生……って言うけど、あんまりそんな実感ないよね。恋とかそういうのと遠いからなのかな?」
そして尽きない話はドラマや映画の話になって、いつしか恋の話に変わっていった。
「さーや、好きな人とかいないの?」
「まぁ……そうだね。あんまり男の人の知り合いもいないし」
「女子校だもんねぇ~」
「そういう香澄はどうなの?」
「私? 私は……うーん……」
「お? なかなか意味深な反応だねぇ?」
「……うん、いることはいる……のかなぁ?」
「へぇ……あの香澄が」
どちらかというと花より団子で、いっつも元気で誰とでもすぐに仲良くなる香澄が、誰かに密かに想いを寄せている。そのことに出歯亀じみた感情が胸中に起こる。誰なんだろうなぁ。
「も、もーっ、さーやってばなんか変な笑顔になってるよ?」
「あーごめんごめん。やっぱりさ、友達のそういうコイバナみたいの聞くとついね?」
滅多なことじゃヘコまない香澄が好きな人を想って悶々と悩む姿を想像してしまい、なんとも言えないいじらしさを感じていた。
だけどよくよく考えてみれば、香澄のことだからきっと好きな人にもどんどんアタックしていくだろう。私は脳裏に思い浮かべた弱気で恋する女の子をしている香澄を打ち消した。
そうしているうちに、一両編成の路面電車がトコトコとやってくるのが見えた。
「あ、もう電車来ちゃった」
「ほんとだ。それじゃあまた明日だね、香澄」
「うん! また明日!」
「気を付けてね」
「さーやもね!」
いつも通りの挨拶を交わして、手を振り合う。なんともない、いつもの帰り道。
「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。
「うん、いいよ」と私が応える。
翌日も、私は香澄と一緒に家路を辿る。
「おたえは最近、バイトが忙しそうだね」
「そうだね。早く帰ることが多いね」
「りみりんも大変そうだよねぇ」
「ゆり先輩が遠くの大学に行っちゃうんだもんね。お姉ちゃんっ子だから寂しいだろうな」
「私もあっちゃんと離れ離れになると思ったら……ううぅ……」
「……なんだろう、明日香ちゃんが『お姉ちゃん、鬱陶しいからそんな抱き着かないで』って言ってる姿が思い浮かぶ……」
「えーそんなことないよ! あっちゃんもきっと泣きながら『おねえちゃーん! 離れたくないよー!』って言うよ!」
「そうかな……?」
たまに明日香ちゃんを校舎で見かけるたびに抱き着いて、その度に顔を赤くした妹に袖にされている香澄の姿を見ていると、少なくともそんなストレートな物言いはしないだろうなぁ、なんて思う。
「それにね、あっちゃんってたまに有咲みたいな感じになるんだ!」
「有咲みたいに?」
「うん! 有咲が嬉しいのに嬉しくなさそうな時と同じ感じ!」
「……あー」
『別に、嬉しくなんてねぇし』なんて言いながら、ちょっと赤くなった頬をぷるぷる震わせてそっぽを向く有咲の姿を思い浮かべる。
なるほど、明日香ちゃんもあんまり素直じゃない性格なんだ。
「有咲と言えば、最近有咲も忙しそうだねぇ」
「だね。生徒会の手伝いしてるんだって?」
「うん。内申点がーとか言ってた」
「そっかぁ。もうすぐ二年生だもんね。みんな色々変わってくんだ。なんだかちょっと寂しいような感じがするな」
「でも私はさーやと一緒に帰れるの、好きだよ」
「ありがと。私も香澄と一緒にいるの、好きだよ」
「……えへへ」
その言葉を受けて、夕陽に照らされた香澄の赤い顔がふわりと綻ぶ。私もそれを見て少し温かな気持ちになった。
「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。
「うん、いいよ」と私が応える。
師走はあっという間に過ぎていく。ポピパのみんなと一緒に帰る日もあるけど、十二月の放課後のほとんどはそんな香澄の誘い文句と私の相づちで始まるのが定例になっていた。
話す話題は尽きない。昨日見たテレビのこと、バンドのこと、友達のコイバナ、羽丘の同級生同士が付き合ってるとかそんなうわさ話だとか。
「羽丘の同級生同士って、女の子同士だよね」
「だと思うよ、さーや」
「そういうのもあるんだねぇ。私、ドラマとか漫画の中でしかそういうの聞いたことなかったな」
「そっか」
「そういうのが本当にあるんだって思うと、なんだか不思議な感覚がする」
「不思議な感覚って?」
「なんだろう……あんまり人に言えることじゃないとは思うんだけど、だからこそ燃え上がるんだろうな、みたいな……背徳感?」
「背徳感」
「厳密に言うと違うと思うけどね」
「やっぱり許されないことなのかなぁ?」
「世間一般じゃまだそうだろうね」
「でもでも、好きな人同士が一緒にいるのってそんなに悪いことなのかな」
「私は全然悪いことじゃないと思うよ。誰かに迷惑をかけてる訳じゃないし」
「……だけど、やっぱり世の中から見たら間違ってるんだよね?」
「うーん、そればっかりはなんとも……」
「…………」
「香澄? どうかしたの?」
「あ、ううん、なんでもないよ」
「……そう」
一瞬呆けたように考え事をしていた香澄は首を横に振る。きっと香澄のことだから、『好きな人と一緒にいるのが認められないなんて間違ってるよ』みたいなことを考えてたんだろうな。
「香澄ってさ、優しいよね」
「え? どしたの、いきなり?」
「ううん。なんとなく思っただけ」
「……そっか」
「うん」
そんな話をしながら、今日も背の高い影を二つ並べて、私たちは家路を辿っていく。
「さーや、ちょっといい?」と香澄が言う。
「うん?」と私が応える。
茜に染まる放課後の教室だった。おたえはバイトで、りみりんはゆり先輩との時間を過ごすためにもう帰ってて、有咲は生徒会の手伝いで、もう私と香澄以外に生徒の姿はない。
「どうしたの?」
「…………」
尋ねるけれど、香澄は少し俯いたまま何も言わなかった。珍しいこともあるんだな、と思いながら、私は香澄の言葉を待つ。
「ねぇ、さーや……」
「うん」
「…………」
意を決したような顔をして私を見て、そしてそれからまたすぐに香澄は俯いてしまう。
「どうしたの? 調子とか悪い?」
「ううん」
ふるふると首を振る。肩口までのロングボブの髪の毛がさらりさらりと揺れていた。
「そっか、それならよかった。ゆっくりでいいよ」
「うん……ありがと」
出会った中で数えるくらいしか見たことがない殊勝な態度で香澄は頷く。私はそれを見てなんだか穏やかな気持ちになる。
「…………」
「…………」
夕焼けの朱が差し込む教室で、ほとんど身長の変わらない香澄と向き合って立ち並ぶ。まるで昨日見たドラマのワンシーンみたいだな、なんて思ってしまう。
あのドラマの中では、茜射す教室で、ヒロインの女の子が片想いをする先生に告白をしていた。歳の差とか世間体とか、そういうのに悩んで悩んで、それでもやっぱり好きな人の隣にいたい……という言葉を投げていた。
その答えは来週までのお楽しみ、というような引きでエンディングテーマが流れだして、それに少しドキドキしながら溜め息を吐き出したのをぼんやり思い出す。
「…………」
香澄はまだ何も言わない。本当に珍しいな、と私は思う。もしかしたら何か深刻な悩みを打ち明けられるのかもしれない。
そうだったら嬉しいな、と素直に感じる。
ポピパのみんなはかけがえのない親友だし、特に香澄は私なんかのために泣きながら怒ってくれて、そして綺麗な世界へと連れ出してくれた。あの日のことがなければ、きっと私の日々はこんなに華やぐこともなく、淡々としたものになっていただろうことは想像に難くない。
そんな香澄が私を頼りにしてくれるっていうのなら、きっとこれ以上の喜びはないだろう。
私は昔から人に甘えるのが下手だし、どちらかというと甘やかす方が好きだし、大切な人が自分を頼って甘えてくれるなら、何を差し置いてもそれを叶えたいという思いがあった。
「…………」
だから私は香澄の言葉を待ち続ける。
黙ったまま向き合って、どれくらい経ったろうか。教室の机の影が少し長くなったような気がしてきたところで、香澄が口を開く。
「……あの、ね」
「うん」
「私ね、間違ってるのかなって、たまに思うんだ」
「……なにが?」
要領を得ない言葉だったから、私は首を傾げて、出来るだけ柔らかい口調で言葉を返す。
「さーや」
香澄はそれに応えず、私の名前を呼ぶ。不安げに揺らめいている、ぱっちりとした大きな瞳が私を覗き込む。そして小さく息を吸って、
「愛してる」
ポツリと紡がれた言葉が、私の鼓膜を大きく震わせた。
「え……?」
疑問の声が小さく漏れる。言葉の意味が分かるけど分からなくて、少し呆然としてしまう。
「…………」
香澄は顔を赤くさせて、少し俯いて、そして上目遣いで私を窺っていた。その様子を見て、これが冗談でもなんでもないんだということを理解した。
だから私はその言葉を真摯に受け止めて答えないといけなかった。
この前の帰り道で話した言葉の数々が脳裏を横切る。羽丘のうわさ話。背徳感がどうとか。間違っているとかいないとか。
それを再び咀嚼すると、あの時の香澄がまったく別の香澄に見えた。
愛してる。香澄が私を、そう想っている。
羽丘のうわさ話を振って、それに私がどう感じるのかを聞いて、許されないことなのかと尋ねて、やっぱり間違っているのかと不安になる。
『好きな人と一緒にいるのが認められないなんて間違ってるよ』
頭に思い浮かべた香澄のその語調はどうだっただろうか。
あの時は義憤にかられ、強い言葉で否定する言葉だった。
だけど今思い浮かべるのは、不安にかられ、人の顔色を窺い、間違いであって欲しくないと願う頼りない祈りの声だ。そうだとするのなら、私は……。
「……さーや」
思考の底へ沈んでいた意識が、風に吹かれて消えてしまいそうな声に呼び戻される。香澄が今にも泣きそうな顔をしているのが目に映った。それを見て、ああ、と私は自分の正直な気持ちに観念した。
「あの、あのねっ」
「大丈夫だよ」
焦って何かを言いかけた香澄を制した。そして、その震える身体を優しく抱きしめる。
……愛してると突然言われた。なにかを確かめるような言い方だった。まるで、自分は間違えていないと言い聞かせるような。だから、思わずその身体を抱きしめてしまう。もういいよ、なにも言わなくていい。きっと、いつの間にか香澄と同じ気持ちだった私も何も言わないから。
そう思って、ただ香澄の背をゆっくりさする。しばらくして、恐る恐るという風に香澄の腕が私の背中に回されて、頼りない力で抱き着かれた。小さな嗚咽も聞こえてくる。
いつもとはまるで正反対だな、なんて思うと少しだけおかしくて、そんな香澄が愛おしくて、私は香澄が泣き止むまでこのままでいようと思った。
「さーや、一緒に帰ろ!」と香澄が言う。
「うん、いいよ」と私が応える。
木枯らしが吹き抜ける道を、二人並んで歩く。
話す言葉は他愛のないことばかりだ。数学がもうまったく理解できない境地になってきたとか、お昼ご飯のお弁当に好きなもの入れてくれてありがとうだとか、最近妹や弟がどうだとか、またライブやりたいねだとか。
その十二月の頭から変わらない情景の中で、一つ変わったことがあった。
……右手があたたかい。
二つ並んだ背の高い影。その影に橋が架かって、一つの影になっていた。
おわり
参考にしました
診断メーカー
【山吹沙綾の場合】
愛してると突然言われた。なにかを確かめるような言い方だった。まるで、自分は間違えていないと言い聞かせるような。だから、思わずその身体を抱きしめてしまう。もういいよ、なにも言わなくていい。
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市ヶ谷有咲「ふざけんな」
――有咲の蔵――
山吹沙綾「香澄ってさ」
戸山香澄「うん?」
沙綾「あれだよね、すっごく優しいよね」
香澄「え、そうかな?」
沙綾「そうだよ。香澄以上に優しい人って見たことないな」
香澄「どんなところが優しい?」
沙綾「困ってる人を絶対に放っておかないよね。道端でもさ、知らない人が迷ってたり困ってそうだったら絶対に声かけるじゃん?」
香澄「それは当たり前のことをしてるだけだよ~」
沙綾「その当たり前を当たり前に出来る人がすごいんだって」
香澄「そうなの?」
沙綾「そうなの。香澄って優しいなぁ。そういうところ、好きだよ」
香澄「えへへ……ありがと、さーや。でもさーやも優しいと思うよ?」
沙綾「そうかな?」
香澄「そうだよ。面倒見がすっごくいいし、甘えさせてくれるし」
沙綾「それはほら、私は昔から純と紗南の面倒を見てるからさ……その延長線上な訳だし、全然そんなことないよ」
香澄「んーん、そんなことないよっていうのがそんなことないよ?」
沙綾「いやいや、そんなことないって」
香澄「そんなことあるのに……」シュン
沙綾「……あー、なんだか急にそんなことある気がしてきた」
香澄「でしょー!」
沙綾「うん。褒めてくれてありがとね、香澄」
香澄「どういたしまして!」
沙綾「おっと、あんまり動いちゃダメだよー、耳かきしてるんだから」
香澄「あ、ごめんね」
沙綾「ううん」
香澄「……そういえばさ」
沙綾「うん?」
香澄「さーやって絶対いいお嫁さんになるよね」
沙綾「そうかなぁ?」
香澄「そうだよ。毎日ね、仕事が終わって帰ってきてさ」
沙綾「うん」
香澄「こう、ね? 自分の家なんだけど、チャイム押してさ」
沙綾「うん」
香澄「そしたら『はーい』って声と、パタパタパタって廊下を駆けてくる足音がドア越しに聞こえてくるの」
沙綾「うん」
香澄「それでドアを開けて私のことを見てね、エプロン姿のさーやの顔がふわって綻ぶの。『もー、チャイムなんて押さなくたっていいのに』なんてちょっと叱るように言ってるのに」
沙綾「うん」
香澄「もうたまんないよね。結婚してよかったぁー! って心の底から思うよね」
沙綾「やってあげようか?」
香澄「ほんと!?」
沙綾「うん。今度香澄がウチに泊まりに来る時にでも」
香澄「やったー! さーや大好き!」
沙綾「はいはい、私も大好きだよ。だからあんまり動かないでね?」
香澄「あ、ごめんね? 膝、痛かった?」
沙綾「ううん。香澄の頭の重さ、すごく心地いいから痛いワケなんてないよ」
香澄「えへへ、私もさーやの膝枕、すっごく気持ちいいよ」
沙綾「ならよかった。さ、反対側も耳かきしてあげるから、こっちに顔向けて?」
香澄「はーい」
沙綾「よし、いい子いい子」ナデナデ
香澄「あー、さーやにこうやって頭撫でられるとダメになりそう……」
沙綾「…………」
香澄「さーや? どうかした?」
沙綾「ダメになっても……いいよ?」ポソ
香澄「ふわぁ……そんなこと耳元で囁かれたら……」
沙綾「ダメになったっていいじゃん。そしたらさ、ずっと一緒に2人で暮らそ? 香澄ならいつだっていいよ。好きなだけ甘やかしてあげるよ?」
香澄「ふみゃぁ……」
沙綾「ふふ……とろけた香澄、可愛くて大好きだよ」ナデナデ
香澄「うん……私もさーやのこと大好き……だけど、」
沙綾「……だけど?」
香澄「だからこそ、私はさーやをしっかり支えてあげられる人間になりたいっ」
沙綾「香澄……」
香澄「さーやに甘える時間は世界で一番好きだけど、もらってばっかりじゃダメだもんね! やまぶきベーカリーをさーやと2人でしっかり守れるように頑張らなくっちゃ!」
沙綾「……やっぱり香澄は優しいね」
香澄「そんなことないよ~」
沙綾「ううん、とっても優しい。世界で一番優しいよ。私が言うんだから間違いないよ」
香澄「うーん、でもそれってきっとさーや限定だと思うな」
沙綾「私限定?」
香澄「うん。だってさーやが優しくしてくれるから、私ももっともーっとさーやに優しくしたいって思うんだもん」
沙綾「……そっか」
香澄「そうだよ」
沙綾「やっぱり私、香澄のそういうところ……何よりも大好きだなぁ」
香澄「私も優しいさーやのことが世界で一番大好きっ!」
沙綾「うん……ありがとう、香澄」
香澄「ううん! 私の方こそありがと、さーや!」
沙綾「ふふ……」
香澄「えへへ……」
――有咲の蔵 階段前――
市ヶ谷有咲「…………」
有咲「…………」
有咲「いやな、確かに私がいない時はばーちゃんに言って入ってていいって言ったよ?」
有咲「だけどイチャイチャしてていいとは一言も言ってねーぞ?」
有咲「ふざけんなよ。あんな空気出されたら割って入れねーじゃんかよ」
有咲「私はどこに行けばいいんだよ。そこが一応私の部屋だって分かってんのかあいつらは」
有咲「…………」
有咲「ぜってー分かってねーな……」
有咲「はぁぁ……本当にあの色ボケ2人は……」
有咲「……マジでどうしよ。あと2時間は入れねーだろうし」
有咲「ばーちゃん家の方行くか? いやでもあっちに長く居て色々詮索されると嫌だしな……うーん」
有咲「…………」
有咲「あーいいや。りみに電話して、りみん家にちょっといさせてもらお……」
おわり
参考にしたつもりでした
診断メーカー
さーかすの場合:お互いの好きなところをひとつずつ順番に話して、くすくすふたりで笑い合いました。
#ほのぼのなふたり
https://shindanmaker.com/715149
青葉モカ「雲と幽霊」
お盆も過ぎた夏のころ。あたしはベンチに座って空を見上げる。
青々と広がる大空には入道雲があって、きっとあの中には昔映画で見たみたいなお城があるんじゃないか……って考えるんだろうな、なんてことを薄ぼんやりと考えていた。
◆
「あっついねぇ~……」
「……暑い」
あたしの言葉が聞こえているのかいないのか、少し前を歩く蘭が独り言みたいな呟きを口から漏らした。それからキョロキョロと辺りを窺って、ポケットから出したスマートフォンに目を通す。
「どこだろ、ここ……」
「考えなしに歩くからそうなるんだよ~」
「…………」
やっぱり蘭は応えずに、小さなため息を吐き出して、無造作にスマホをポケットに再び投げ込む。それを見て、だからしっかり行き先を決めればよかったのにー、と思う。
事の発端は蘭の思い付き。
夏の終わりを見に行きたい、とかそんな感じのことを呟いたと思ったら、ロクに準備もしないでお財布とスマホだけ持って家を出るもんだから、友達想いのやさし~モカちゃんはそれを放っておくことなんて出来ず、その突発的な行動に付き添うことにしたのでしたとさ。
蘭は家を出発すると、とりあえず駅まで行って電車に乗って、ただ西を目指していった。
お盆も高校野球も終わった晩夏の車内。平日の昼下がりだから人も少なくて、ガラガラの車内で肩を並べてあたしたちは車窓からの風景をただ黙って眺める。
中央線で八王子を超えると緑の割合がどんどん多くなっていって、高尾駅で電車を乗り換えてからは「本当に新宿から1時間で来れる場所なの?」って具合な山の中を電車は走り続けていた。
そして山梨のある駅で降りてから、風の吹くまま気の向くまま炎天下の中を30分ほど歩き続けたのがちょうどいま、という感じだった。
「ほらほら、蘭~。あそこの木陰にベンチがあるから休んでいきなよ」
「ベンチ……」
のったりと、まるでゾンビみたいな動きで視線を彷徨わせた蘭は、ベンチの方へ顔を向けて小さく声を出す。そしてのそのそとそこまで歩いていって、大きなため息を吐き出しながら腰を下ろす。
「そーそー、休憩は大事だよ」
あたしもそんなことを言いながら、フワリと蘭の隣に腰かけた。
「…………」
「…………」
それからしばらく、言葉もなくただ緑の多い夏の情景を眺める。
車通りのない田舎の道路。蝉の求愛の声が響き、頭上に茂った木の葉っぱはサワサワささめいていた。吹き抜ける温い風には夏の緑の匂いが混じっていて、どこか懐かしい気持ちが胸をくすぐったような気がする。
日本のどこにでもある夏の景色。その一角のここだけを切り取ったみたいに、蘭以外の人は誰もいない。
「モカ……」
また急にこんなことしだして、なんて思っていると、蘭があたしの名前を呼んだ。「ん?」て応えたけど、蘭は黙り込んでしまう。
それから再び言葉がなくなる。聞こえるのは夏の音たちと、たまに通りがかる車の排気音。
ふと見上げた空に大きな入道雲があって、きっとあの中には昔見た映画のお城があるんだろーな、とあたしは考えていた。
◆
雲が遠い。
あの雲まで行くにはどれくらい歩けばいいんだろう。そんなことを思って、少しだけ胸が苦しくなった。その気持ちが声になって、身体から零れ落ちたような気がした。
変な気持ちを誤魔化すために、今日も空が高いな、とわざとらしく思った。
◆
ベンチで空を眺めたあと、蘭はまた立ち上がって歩きだした。ただただ西の方へ、太陽が沈みゆく方へ向かって足を進める。
「どこまで行くのさ?」
晩夏とはいえまだまだ陽の長い太陽。それが傾いて、光に朱が差してきたころに、もう一度あたしは蘭にそう尋ねる。
「……どこまで行くんだろ」
蘭はそう呟くだけだった。それから途中に見つけたコンビニで買ったお茶を二口飲んで、はぁ、と息を吐き出す。ずっと歩き詰めだったから疲れているみたいだ。
「なんだかモカちゃん、眠くなってきたなぁ。もう日も暮れるし、そろそろ帰った方がいいと思うよ~?」
「でも、行かないと」
「……そっかぁ」
蘭は西日を見つめてまっすぐに歩き続ける。眩しくないのかな、なんてちょっと思った。
そうして蘭と一緒に西へ西へと足を進める。コンビニでアイスを買ったり、小さな公園で休憩したり、日本三奇橋の一つの上で黄昏たりしながら。
なんだか夏を久しぶりに感じたような気がして、一心不乱な蘭と一緒にこのままどこか遠くへ行けたらいいのにな、なんて思っちゃった。でもまぁ、リアリストのモカちゃんはそんなの出来っこないって分かってるんだけど。
◆
このままずっと遠くに行ってみたい。そんなことをふと思った。
太陽はいつしか彼方の稜線に顔を沈めようとしていて、真向かいになった朱い夕陽が目に染みた。
このままずっと歩いて行ったら何があるんだろうか。何かあるんだろうか。
少しだけ考えて、きっと何もないんだってすぐに分かって、途方もなくなって、寂しくて、足が止まった。
カナカナと鳴くひぐらしの声が頭の中で反響する。いつかの記憶も反響する。あれは冬のことだったっけ。考えたくないのに考えてしまって、しばらくその場から動けなくなってしまった。
◆
「そりゃ疲れるに決まってるよ」
立ち止まった蘭が歩きだすのを待って、そしてしばらく頼りなく足を前に進めて見つけたバス停のベンチに乱暴に腰を下ろすのを見て、あたしは呆れたように口を動かす。
「…………」
蘭は俯いて、自分の靴の先をただジッと見ていた。ここまで歩いてきた自分の足を褒めてあげてるのかな。いや、そんな訳ないか。
「はぁー……本当、どこだろうね、ここ」
「……モカ」
「んー?」
「…………」
「ふぅ、やれやれ……困った蘭ちゃんですなぁ」
蘭と同じようにベンチに座って、あたしは西の空を見上げてみる。もう陽はほとんど沈みかけていた。
それから東の空へ目を移した。入道雲はもうどこにも見当たらないけど、暗くなった空には雲がいくつか浮かんでいた。
「雲が高いねぇ」
「…………」
返事はない。蘭は俯いたまま何も言わない。
「でもさ、夜の雲って、地表の光が照らしだしてるんだって。だから目にはっきり見えるのは低い雲なんだよ」
「…………」
「これぞ108個あるモカちゃんマメ知識のうちの一つなのだった」
「モカ」
「なにー?」
蘭が呟きを落とす。あたしは空を見上げたまま言葉を返す。
返したけど、でも返ってこないよね、と思って、ものすごく寂しくなった。じわりと少しだけ雲が滲んだ。
◆
何をやっているんだろう、という気持ちしかなかった。
夏の終わり方が知りたかった。それを知ればもしかしたら、って思った。だから西へ西へ、太陽を先回りするようにして進んできた。でも気付けば太陽に追い越されていて、もう空は暗くて、雲だって遠くて、あたしはどこにも行けないって嫌でも思い知らされた。
スマートフォンのマップの現在地。山梨県の東の方。今日自分が動いた距離をマップで見ると、ちょっとの距離しか動いていない。はるか上空から日本を見下ろすように縮尺を小さくすれば、何時間もかけた辿った旅路だって僅かな点でしかない。
……電車を使って、それから自分の足で歩き続けたって、これしか動けないんだ。そう思ってしまうと、涙が零れそうだった。
自分が情けなくて、いつまでも過去に縋る自分がみっともなくて、でもそれでもどこか遠くへ行けばまたあの姿が見えるような気がして、だけどそんなのただの夢物語でしかないってすぐに理解してしまって悲しくなる。
「モカ」
返事になんて返ってきやしないのに、これが何度目かなんて数え切れない呟きを落とす。もう何をしたって、どこに行ったって二度と会えない、遠い遠い大切な人の名前。
◆
「まあね、蘭の気持ちは分かるよ。あたしだってさ、きっと蘭が……ううん、蘭だけじゃないや。ひーちゃん、つぐ、トモちん……誰がいっちゃったってさ、きっと同じようなことをするよ」
空が遠いなぁ、なんて他人事みたいに思いながら、あたしは届かない声を発する。
「でもさ、蘭。そろそろちゃんとね、前を向いて行かなきゃいけないと思うよ、あたしは。そりゃあ嬉しいよ。嬉しい。蘭がずーっとモカちゃんを覚えててくれて、会いたいって思ってくれるの。もうあたしはお化けだけどさ、でも蘭の中でなら生き続けてるんだーって思うと嬉しい。でも、寂しいよ、それは」
聞こえていないだろうけど、それでも言葉を紡ぎ続ける。
「やっぱり、蘭にはちゃんと前を見て歩いてもらいたいなって。いつまでもいつまでも後ろ向きに歩いてないでさ、ちゃーんと陽がのぼる方に歩いて行ってほしいなって、そう思うんだ」
本当はこのまま蘭とずっと一緒にどこまでも行けたらいいのにな。そう思いながら、やっぱりリアリストなあたしの口をつく言葉はこんなものだ。
「もうさ、モカちゃんはいないんだから」
◆
大切な人が亡くなった。
それは人生の中で何度か絶対に経験しなくてはいけないことだろう。
でもきっとそういう悲しい話は歳をとってからのことだし、その頃にはあたしたちだって大人だし、割り切り方とかそんなものをずる賢くおぼえていて、自分の心をどうにか整理して生きてくことが出来るんだと思う。
だけど今のあたしたちはまだ子供だった。
交通事故だとか、そんなものはきっと漫画やドラマやニュース番組の中だけで目にするもので、身近な人間がそういう憂き目に遭うことなんて1ミリだって考えてなんかいなかった。
だからあたしは、モカがいなくなった半年前からずっと、こうして無駄なことをし続けているんだ。
何かがあればきっとモカに会える。
例えば春になれば、夏になれば、秋になれば、冬になれば、日が暮れれば、雪が降れば、桜が舞えば、歳をとれば、大学にいけば、就職すれば、飛行機に乗れば、どこか遠くへ行けば、あの夕陽を眺めれば……。
一言で言えばそれはくだらない現実逃避だ。今でもあたしはまだ、モカに会えるんじゃないか、なんて絶対に叶わない幻想を引きずっているだけなんだ。
大人ではないけれど、もう子供でもない。だから知っている。もうモカに会うことも、一緒にギターを弾くことも、寄り道してパンを食べることも、全部出来ないんだって。
それでも、無駄なことだとしても、こうしてモカの影を探し続けないと、あたしの中のモカがどんどん薄れていってしまうような気がしてならなかった。それが嫌で嫌でたまらなかった。
だからあたしは、どこにも存在しないであろうモカの幻影をこんな風に追いかけ続けている。
そうしていればいつかまた会えるような気がして嬉しくなって、でも日が沈むころにはどうしようもない徒労と一緒に痛感させられる。
もう大切な幼馴染の姿を見ることも、声を聞くことも出来ないんだって。
「モカ……」
靴のつま先を眺める視界がぐにゃりと歪んだ。鼻がツンとして、身体の奥底から生じた熱いものが喉につっかえて、上手に息が出来なくなる。
◆
「泣かないでよー、蘭~」
俯いた蘭が肩を震わせる。その姿を見るとあたしまで悲しくなって、寂しくなって、涙が出そうになる。
「モカ……」
何かに縋るような頼りない声。「らしくないよー」と返した自分の声も震えているような気がした。
「もうさ、四十九日もとっくに終わって、お盆も終わったんだから。もうすぐあたしは空の高い高ーいところまで戻るんだから。たぶん」
そう声をかけるけど、やっぱり蘭は俯いてぐすぐすと言うだけ。そんな姿が最期のお別れだと、きっとあたしもおちおち眠ってられなくなるよ。
「……だからさ、もういいんだよ、蘭」
聞こえてないんだろうなー、と思いながら、あたしは蘭の震える肩に手を置く。触れないから添えるって方が正しいのかもだけど。
「空が高いよ。本当に不思議だよねぇ。もうさ、あそこにモカちゃんはいかなくちゃなんだ」
「モカ……モカっ……」
ついに蘭からはすすり泣くような声が漏れ始めてしまった。それがとっても嬉しかった。こんなモカちゃんなんかのために親友がまだ泣いてくれることがホントのホントに嬉しい。
だけど、いない人のために流す涙ってきっともったいないよ。
「だーかーらー、いいんだって。みんなが死ぬほど泣いてくれて、蘭だってこんなにさ、ずっとあたしのこと考えてくれてさ……だからもういいんだよ。あたしはもう、やまぶきベーカリーのパンが食べられないくらいしか思い残すことはないんだよ」
届かないだろうけど、この先の言葉だけは絶対に聞こえて欲しいな。そう願いながら、あたしは隣に座る蘭の肩に手を回して、触れないけど、万感の思いを込めて、そっと抱きしめる。
「もういいんだよ。だからさ……蘭もさ、もういいんだよ」
もうこの世にいないあたしなんかのために、こんなに頑張らなくたって。
そう続けたところで、フワリと身体が浮くような感覚がした。
ああ、もうお別れなのかな。もう少し蘭と話してたかったな。そう思いながら、なんだかものすごく眠たくなった。
心地のいい夜風があたしを撫ぜていって、それに身を任せて目を瞑った。
◆
「……っ!」
ふと、声が聞こえた様な気がした。
空にはもう一番星が煌めていて、虫たちの静かな鳴き声がこだましている。その中を吹き抜けたゆるい夜風にのって、懐かしい声が聞こえた様な気がした。
辺りをキョロキョロ見回すけど、当然誰もいない。車も何も通らない田舎の道路だった。
でも確かに聞こえたような気がして、あたしはベンチを蹴り飛ばす勢いで立ち上がる。
「モカ……?」
声に出しつつ、誰かに肩を優しく抱かれているような感覚がした。ふんわりと焼き上げた菓子パンみたいな甘い香りが鼻腔をくすぐった気がした。
『蘭もさ、もういいんだよ。……あたしなんかのために、こんなに頑張らなくたって』
と、珍しく真面目で、優し気な調子の声が聞こえた気がした。
けれどそれらはすぐに夏の夜風にさらわれて、肩を抱かれたような温もりも、甘い香りも、優しい声も、全部が全部、蜃気楼のように消えてしまった。
それが寂しかった。
でもどうしてだか、モカに優しく背中を押されたような気がした。
◆
一周忌、なんて言葉は聞きたくもないし聞き慣れたくもない言葉だったけれど、気が付けばそういう言葉とも向き合わなければいけないような季節になっていたし、あたしもそれをある程度割り切って受け入れられるくらいには、あの夏の頃よりはきっと大人になったんだろう。
家を出て、肺に冬の空気を吸い込んだあたしは、商店街へ足を向ける。
足取りは軽いワケがないけれど、さりとて鎖につながれたような重苦しいものでもない。
午前9時の冬の街を歩き、みんなとの待ち合わせにしている羽沢珈琲店へ向かう前に、あたしはやまぶきベーカリーへ寄り道をした。モカへのパンを買っていくためだ。
きっとあの日の声は幻聴だと思うけれど、でもきっとモカのことだから、幽霊になったってこう言うだろうことは想像に難くなかった。
『あたしはもう、やまぶきベーカリーのパンが食べられないくらいしか思い残すことはないんだよ』
店内にただよう焼き上がったパンの甘い香りからやけにその姿が鮮明に思い浮かべられて、少しだけ笑った。
おわり
参考にしました
ヨルシカ 雲と幽霊
https://youtu.be/JJaCwW4HyVs
個体の方、モカちゃんが好きな方、本当にごめんなさい。
美竹蘭「は?」
※キャラ崩壊してます
――青葉家 モカの部屋――
青葉モカ「…………」
美竹蘭「…………」
モカ「……ねぇ、蘭?」
蘭「なに?」
モカ「あのさ、流石に冬とはいえ、ちょーっと暑いなぁってモカちゃんは思うんだよね」
蘭「それが?」
モカ「いやねぇ? そろそろさ、離れてくれないかなーって」
蘭「やだ」ギュウ
モカ「そっかー」
蘭「うん」
モカ「…………」
蘭「…………」
モカ「ねぇ、蘭?」
蘭「なに」
モカ「なんで急にこんなべったり抱き着いてきたの?」
蘭「別に」
モカ「別にじゃ分かんないよー」
蘭「……モカが悪い」
モカ「えぇ、羽丘女子学園いい子選手権準決勝まで勝ち進んだモカちゃんが悪いのー?」
蘭「そうやってふざけるモカが100%悪い」
モカ「そっかー」
蘭「うん」ギュー
モカ「…………」
蘭「…………」
モカ「ねぇ、蘭」
蘭「なに」
モカ「もしかして、怒ってたりする?」
蘭「なんで」
モカ「んーん、なんとなく」
蘭「……まぁ」
モカ「ほーほー、なるほどねぇ。それもモカちゃんが悪い系?」
蘭「モカが悪い系」
モカ「そっかぁー」
蘭「うん」ギュッ
モカ「…………」
蘭「…………」
モカ「ねぇ、蘭ちゃんさま?」
蘭「なに」
モカ「言っちゃあなんだけど、さっきのは作り話だよ?」
蘭「それが?」
モカ「いやねぇ、前にさ、みんなで考えたじゃん? 漫画のストーリー」
蘭「考えたね」
モカ「モカちゃん、あの時真面目にふざけてたからさー? 今度は普通に考えたんだよ?」
蘭「それがあの話?」
モカ「そーそー。セカイ系? っていうのが流行ってるーって聞いたんだ」
蘭「それでモカがいない世界の話なんて考えたわけ?」
モカ「そーだよー」
蘭「一応聞くけど、なんでモカがいない世界なの」
モカ「それはほら、ドラマチックに人が死ぬストーリーって売れるじゃないですか? だから――」
蘭「あたしはハッピーエンド以外認めない」
モカ「ぶー、最後まで聞いてよー蘭~」
蘭「やだ。最期とか言わないで」
モカ「たぶんそれ字が違うんじゃないかなぁ、蘭の言ってるのとあたしの言ってるので」
蘭「同じだから」
モカ「絶対違うよ~」
蘭「あたしにとっては同じだから」
モカ「そっかぁー」
蘭「うん」ギュゥゥ
モカ「…………」
蘭「…………」
モカ「ねぇ、蘭?」
蘭「なに」
モカ「モカちゃんの作り話を聞いて蘭が怒ったっていうのは分かったけどさ」
蘭「別に怒ってないし」
モカ「怒ってる時の反応だよー、それ」
蘭「モカが悪いから。あたしは悪くないから」
モカ「あーうん、ごめん?」
蘭「別に」
モカ「それはそれとしてさ、本当にそろそろ離れてくれない? 流石にモカちゃん苦しいんだ」
蘭「絶対嫌だけど」
モカ「よーし、それじゃあ質問を変えちゃおう。甘えんぼ蘭ちゃんはどうすれば離れてくれるかなぁ?」
蘭「甘えん坊じゃないし」
モカ「蘭ー、ちょっと自分の行動振り返りなって。もう1時間近くこのままだよー? ずっと抱っこちゃん人形になってるよー?」
蘭「だからそれはモカが悪いから」
モカ「……そっかぁ」
蘭「うん」ギュー
モカ「…………」
蘭「…………」
モカ「よっし、じゃあこーしよー」
蘭「うん?」
モカ「今度はちゃーんとハッピーエンドの話を考えるからさ、それで今日のところは離れてくれないかな?」
蘭「…………」
モカ「あ、これはもう一押し必要な感じですなぁ。えーっと、じゃあ……今日はウチに泊っていっていいから」
蘭「……まぁ、そこまで言うなら」スッ
モカ「ふぃー暑かったぁ……暖房つけないでおけばよかった」
蘭「まったく、モカはいつもそういうとこ抜けてるよね」
モカ「蘭? 今さらクール気取っても遅いと思うよ?」
蘭「別にそういうんじゃないし。……そういえばさっきの話だけどさ」
モカ「うん?」
蘭「だから――、って何か言いかけてたよね」
モカ「ああ、甘えんぼ蘭ちゃんに遮られたあの続きだね」
蘭「甘えん坊じゃないから」
モカ「どの口がそー言うのか」
蘭「……まぁそれは今はいいでしょ。なんでモカがいない世界なんて考えたの?」
モカ「んーほら、やっぱりさ、友達とかと永遠に会えなくなる話ってとっても悲しいじゃーん?」
蘭「うん」ジリ...ジリ...
モカ「……めんごめんご、今のもモカちゃんが悪かったからジリジリ距離つめてこないでほしいなぁ、蘭」
蘭「詰めてないよ。で? 悲しい話だからどうしたの?」
モカ「あーうん。悲しい話って、そーいう嫌な目に誰かが遭うことになるでしょ?」
蘭「まぁ、そうだね。悲しい話だからね」
モカ「そしたらさ、やっぱり、蘭とかつぐとかひーちゃんとかトモちんにはさ、お話の中でもそんな目に遭ってもらいたくないなーって」
蘭「…………」
モカ「だから、それならあたしがそーいう役目になればいいかなぁ……みたいに思ったんだよね」
蘭「…………」
モカ「やー、やっぱりみんなにはどこでも幸せに笑ってて欲しいからさー」
蘭「……モカ……」
モカ「んー……? あれ、モカちゃんまた何か地雷踏んだ気がするなぁ……」
蘭「…………」ジリジリジリ...
モカ「蘭ちゃんさまー? どうして無言でじりじり近付いてくるんでしょーか?」
蘭「モカっ」ガバァ
モカ「うきゃー、やっぱり~……」
蘭「ほんっっとにモカはそうやって……」ギュー
モカ「はぁぁ……暖房、消し忘れたぁ……。蘭ー、だから暑いってー」
蘭「知らない」
モカ「あーもー、分かりましたよー。モカちゃんが悪かったから、もう好きなだけ抱き着いてていーよ」
蘭「言われなくたって」
モカ「……果たして甘えんぼ蘭ちゃんはいつ気が済むのでしょうか」
蘭「甘えん坊じゃない」
モカ「ちょっと鏡見てみなよ、蘭」
蘭「やだ」
モカ「……あー、これは長期戦になりそうですなぁ……」
そしてそう思った通り、翌朝まで蘭ちゃんにべったり抱き着かれたりなんだりするモカちゃんでしたとさ
おわり
ドラマチックに人が死ぬストーリーって売れるじゃないですか。
花の散り際にすら値がつくのも嫌になりました。
そんなアレでした。すいませんでした。
山吹沙綾「似た者同士のクリスマス」
――商店街――
山吹沙綾「はぁ……やっぱりクリスマスが近いとお店も忙しいなぁ」
沙綾「もう外も真っ暗だし……ん?」
羽沢つぐみ「はぁー……忙しかったなぁ、今日……」
沙綾「つぐみだ。つぐみもなんだか疲れた顔してるなぁ……おーい!」
つぐみ「うん? あ、沙綾ちゃん」
沙綾「こんばんは」
つぐみ「うん、こんばんは」
沙綾「どうしたの? ため息吐いてたけど」
つぐみ「あ、あはは……見られちゃってた? クリスマスが近いとウチが忙しくって……」
沙綾「あー、やっぱりつぐみのとこもそうなんだね」
つぐみ「うん。沙綾ちゃんのとこも忙しそうだね」
沙綾「ケーキとか、クリスマス限定のパンもあるからちょっとね。羽沢珈琲店もお客さんが多いんだ?」
つぐみ「そうだね。ウチもやっぱりクリスマスケーキとか作ってるから……それと、この時期だとカップルのお客さんが多いかな」
沙綾「そっかぁ。恋人と一緒にクリスマスをお洒落な喫茶店で……確かにちょっと憧れるなぁ」
つぐみ「あ、ありがとう。でもそんなに言うほどお洒落じゃないよ、ウチは」
沙綾「そうかなぁ?」
つぐみ「そうだよ。それよりもやまぶきベーカリーの方がクリスマスに似合うと思うな」
沙綾「そんなことないって」
つぐみ「そんなことあるよ。沙綾ちゃんのとこのパンって美味しいし、お店の雰囲気がすごくあったかくて好きだなぁ、私。ケーキだってすごく美味しそうだし、家族で一緒に食べたいもん」
沙綾「そっか、ありがと。でも……うーん、自分の家だからあんまりそういう実感が湧かないな……」
つぐみ「私も見慣れちゃってるし、ダメな部分も知ってるからあんまり……」
沙綾「…………」
つぐみ「…………」
沙綾「ぷっ、あはは」
つぐみ「ふふ……なんだかこうやって改めてそういう話すると、ちょっとおかしいね」
沙綾「だね。はぁー、それにしても、もう明後日はクリスマスかぁ」
つぐみ「早いね……今年ももう終わりなんだ」
沙綾「今年は色々あったなぁ、ポピパのみんなでちょっとケンカしたりとか……」
つぐみ「アフターグロウも少しすれ違ったりしたなぁ……」
沙綾「……なんか、こうやって一年を振り返るとちょっと老け込んだような気がする」
つぐみ「うん……やめよっか」
沙綾「つぐみは明日も喫茶店の手伝い?」
つぐみ「そうだよ。ウチはクリスマスイブが一番忙しいんだ。今年は祝日だし、なおさらだよ」
沙綾「そうなんだ。大変だね」
つぐみ「ううん、もう慣れちゃったから。沙綾ちゃんは?」
沙綾「私も手伝いだよ。ウチの方はクリスマスの夕方までほどほどに忙しいかなぁ」
つぐみ「沙綾ちゃんも大変そうだね」
沙綾「ううん、私ももう慣れちゃったよ」
つぐみ「そっか。あ、もうこんな時間……」
沙綾「ほんとだ。息抜きがてらに散歩してたけど、結構時間経ってたみたい」
つぐみ「お隣さんだし、一緒に帰ろっか」
沙綾「そうだね」
……………………
――翌日 商店街――
沙綾「はぁ……今日もやっぱり忙しかったなぁ……」カランカラン
つぐみ「はぁ……やっと終わった……」カランコロン
沙綾「ん?」
つぐみ「あれ?」
沙綾「こんばんは、つぐみ」
つぐみ「うん。こんばんは、沙綾ちゃん」
沙綾「ちょうどお店から出てきたけど……いま手伝い終わったの?」
つぐみ「そうだよ。お昼ごろからずーっとてんやわんやだったよ……」
沙綾「お昼ごろからって……もう夜の7時だよ、今」
つぐみ「うん……ずっとお客さんが途絶えなくて……」
沙綾「ウチから見えたけど、なんだか外に並んでるお客さんまでいたもんね。お疲れ様」
つぐみ「ありがとう。沙綾ちゃんもお店から出てきたところみたいだけど……」
沙綾「あーうん、私もつぐみと同じ感じ」
つぐみ「そっか。沙綾ちゃんもお疲れさま」
沙綾「ありがと。でもつぐみの方が大変そうだね」
つぐみ「そ、そんなことないよ」
沙綾「そんなことあるって。それにほら、なんていうか……喫茶店とパン屋だとあんまり共通点ないかもだけどさ、実家のお店の手伝いって部分じゃ一緒だし、つぐみの苦労もきっと他の人よりは分かるよ」
つぐみ「そう……?」
沙綾「自分の家だとさ、他でのバイトと違って店長とかには気兼ねしないけど、違うとこ気にしちゃうよね。家族が忙しそうだったりすると放っておけないし」
つぐみ「うん……そうなんだよね。お父さんとお母さんは『無理して手伝わなくていいよ』って言ってくれるんだけど……アルバイトの人たちも今日明日はお休みの人も多いし……」
沙綾「分かるよ。休憩してていいよ、って言われてもついつい気になって手伝っちゃったりしてさ」
つぐみ「そうそうっ、忙しいのに、こっちは大丈夫だからーなんて言って! そんなこと言われたって放っておけないよ」
沙綾「あはは、やっぱりそうだよね。それじゃあ、もしかしてご飯もろくに食べてないんじゃない?」
つぐみ「実は……。だから、ちょっと何か買いに行こうかなって」
沙綾「よかったらウチのパン、食べる?」
つぐみ「え、いいの?」
沙綾「いいよ。少し形が崩れちゃったパンとか、新製品の試作品とかさ、そういうのが結構あるんだ」
つぐみ「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな……」
沙綾「ん、オッケー。それじゃあちょっと待っててね」
つぐみ「うん」
沙綾「えーっと、確かキッチンの方に……」カランカラン
つぐみ「……沙綾ちゃん、優しいなぁ。自分だって疲れてるのに……」
沙綾「お待たせー」カランカラン
つぐみ「わっ、バスケットいっぱいに入ってる。本当に結構量があるんだね……」
沙綾「あはは……忙しいとついね、焦ってパンの形崩しちゃったりするんだ。お恥ずかしい」
つぐみ「そうなんだ」
沙綾「はい、じゃあこれ。バスケットは明日にでも返してくれれば――」
つぐみ「あ、沙綾ちゃん。良かったらウチでコーヒーとか飲んでいかない?」
沙綾「え?」
つぐみ「流石にこんなにいっぱいタダで貰っちゃうのは悪いし、沙綾ちゃんだってずっと手伝いしてて疲れてるでしょ?」
沙綾「まぁ……いや、でも」
つぐみ「遠慮しないで平気だよ。もうお店も閉めちゃうし、沙綾ちゃんと私の分の飲み物を入れるくらいなら全然手間じゃないから」
沙綾「あーそっか……うん。それじゃあ、ちょっとお邪魔しちゃおうかな?」
つぐみ「決まりだね。じゃあ、こっちにどうぞ」
沙綾「ありがとね、つぐみ」
つぐみ「ううん、こちらこそ」
沙綾「ごちそうになります」
つぐみ「はい、一名様ご案内です……なんて。えへへ」カランコロン
沙綾「わー、内装の飾りつけもクリスマス仕様なんだね。派手すぎなくて、なんだか落ち着くなぁ」
つぐみ「うん。今年は少しシックな感じにしたんだ」
沙綾「確かにこれは恋人と来てお茶したくなるよ」
つぐみ「そう? えへへ、それなら頑張って考えた甲斐があったな」
沙綾「つぐみが考えたの、この飾りつけ?」
つぐみ「そうだよ」
沙綾「へー、すごいなぁ」
つぐみ「褒めてくれてありがと、沙綾ちゃん。あ、なに飲む? メニューはここにあるけど……」
沙綾「えーっと、それじゃあ……このハニーティーっていうので」
つぐみ「うん、分かったよ。すぐに持ってくるから、好きな席に座ってて」
沙綾「はーい」
―しばらくして―
沙綾「はぁ……やっぱりつぐみのとこの飲み物って美味しいなぁ。飲んでるとホッとするよ」
つぐみ「沙綾ちゃんのパンも美味しかったよ。ありがとね」
沙綾「いえいえ、こちらこそ」
つぐみ「沙綾ちゃん、明日も手伝い?」
沙綾「うん。学校が終わってからすぐ手伝いかなぁ。ケーキの予約もそれなりに入ってるし」
つぐみ「そっか……大変そうだね」
沙綾「ううん、もう慣れたから。でも……」
つぐみ「でも? 何か気になることがあるの?」
沙綾「あ、ううん。ポピパのみんながさ、クリスマスは忙しい私に合わせて明後日にパーティーしようって言ってくれて……嬉しいんだけど、ちょっと申し訳ないなぁって」
つぐみ「あー……それ分かるよ、沙綾ちゃん」
沙綾「ほんと?」
つぐみ「うん。私もアフターグロウのみんなと毎年クリスマスパーティーするんだけど、今年はイブが祝日で忙しくなるからって、一昨日にしてくれたんだ」
沙綾「そっか。みんな優しいよね」
つぐみ「うん。……その優しさがすごく嬉しいんだけど、やっぱりちょっと申し訳ないなぁって」
沙綾「分かる分かる」
つぐみ「でもそう言うと、みんな口を揃えて『つぐはいつもツグり過ぎるからそんなこと気にしないでいいの』って言ってきて……」
沙綾「私もだよ。『さーやはいっつも頑張り過ぎなくらい頑張ってるんだからそんなこと気にしないで!』って」
つぐみ「嬉しいけど……」
沙綾「悪いよね……」
つぐみ「……ふふ」
沙綾「……あはは」
つぐみ「私たち、友達に恵まれてるね」
沙綾「うん。私たちのことを考えてくれる素敵な友達だよね。それと……」
つぐみ「それと?」
沙綾「こうやって、似たような苦労を吐き出して、共感できる素敵な友達」
つぐみ「……えへへ、そうだね、沙綾ちゃん」
沙綾「ねぇつぐみ」
つぐみ「なに、沙綾ちゃん?」
沙綾「明日もさ、手伝い終わってから来てもいい?」
つぐみ「うん。いつでも来て平気だよ」
沙綾「ありがと。それじゃあ、今日はこの辺でお暇するね。ハニーティー、ごちそうさまでした」
つぐみ「いえいえ、こちらこそ。ごちそうさまでした」
沙綾「それじゃあ、また明日」
つぐみ「うん。お隣だからすぐそこだけど、気を付けてね」
……………………
――翌日 羽沢珈琲店――
沙綾「疲れたぁ……」
つぐみ「お疲れさま、沙綾ちゃん。はい、ハニーティーだよ」
沙綾「ありがと、つぐみ」
つぐみ「今日は一段と忙しそうだったね、やまぶきベーカリー」
沙綾「急に大口の注文が入ってね……ただでさえケーキ用意したりで忙しいのに、そっちも用意しなきゃでてんやわんやだったよ……」
つぐみ「本当に大変だったんだね」
沙綾「うん……こっちはどうだった?」
つぐみ「ウチはそこまでは……やっぱり昨日のイブがピークだったよ。それでもいつもよりは断然忙しかったけど」
沙綾「そっか。つぐみもお疲れ様」
つぐみ「ううん。沙綾ちゃんの方がお疲れさまだよ」
沙綾「それじゃあ2人ともお疲れ様ってことで」
つぐみ「ふふ、そうだね」
沙綾「いやー、なんだかごめんね?」
つぐみ「え、なにが?」
沙綾「自分から言っておいてなんだけど……なんていうか、2日連続でお店閉まってからお邪魔しちゃって」
つぐみ「ああ、それは全然大丈夫だから気にしないで平気だよ」
沙綾「うん、ありがと。ハニーティー、もらうね?」
つぐみ「どうぞ。昨日より少し甘くしてあるよ」
沙綾「あ、ホントだ……はぁ、身体にしみわたる……」
つぐみ「お口に合ったみたいでよかったよ」
沙綾「合わないワケがないよ。やっぱり美味しいなぁ、つぐみのとこのお茶……疲れが少し飛んでった気がする」
つぐみ「それならよかった。明日はポピパのみんなとクリスマスパーティーだもんね。疲れちゃってたら楽しめないし、ゆっくり休んでいってね」
沙綾「ありがとう。……それにしても……うーん?」
つぐみ「あれ? 沙綾ちゃん、どうかした?」
沙綾「あ、ううん。なんていうか……なんだろう?」
つぐみ「?」
沙綾「上手く言葉に出来ないんだけどさ……私って、甘えるの下手だったよなぁって思って」
つぐみ「甘えるのが下手?」
沙綾「うん。ほら、家だと純と紗南の面倒みたり、お店の手伝いしたり……昔からそういうことが生活の一部だから、つい人の世話を焼きたくなるっていうか……」
つぐみ「あー……」
沙綾「だからさ、こう……ね? よく香澄たちにも『ワガママを言って、甘えてもいいんだよ』みたいなこと言われるんだけどさ、イマイチ上手にそれが出来ないっていうか、どうすればいいのか分からないっていうか、なんというか」
つぐみ「私もそれ、ちょっと分かる」
沙綾「あ、ホント?」
つぐみ「うん。沙綾ちゃんのとは少し違うかもだけど、私もどっちかというと甘えるのが苦手だし……何かあれば自分で出来ることは全部やろうって思うし」
沙綾「で、アフターグロウのみんなに『頑張りすぎ、休んで』って言われるんだ?」
つぐみ「うん……それで一回倒れちゃったこもとあって……。だからみんなに心配をかけさせないためにも休もうって思うんだけど……」
沙綾「分かるよ。頑張ってるってつもりはあんまりないんだよね」
つぐみ「そうそう。いつも通りしっかりやろうって思ってるだけなんだけど、みんなにはそう見えてないみたいで……」
沙綾「私もそうやってポピパのみんなにすごく心配されるからなぁ……」
つぐみ「そうなんだよねぇ……」
沙綾「でも、なんだろうな」
つぐみ「うん?」
沙綾「言葉にするのが難しいんだけどさ、なんだかつぐみといると、少し気を抜けるんだよね。それで、ちょっと休んでもいいかなって思えるんだ」
つぐみ「そうなの?」
沙綾「うん。なんでだろ?」
つぐみ「なんでかは分からないけど……でも、沙綾ちゃんの言いたいことはちょっと分かるかも」
沙綾「というと?」
つぐみ「私も沙綾ちゃんとこうやって話してるとね、なんだか肩の力が抜ける……っていうのかな? 無理に全部をやろうとしないでもいいかなって思えるんだ」
沙綾「……確かに私と同じだね。なんでだろ」
つぐみ「うーん……あれかな、似てるから……とか?」
沙綾「似てる……あー、確かに。家の手伝いしてたり」
つぐみ「友達にしょっちゅう心配されてたり」
沙綾「甘えるのが下手だったり」
つぐみ「どうしてか2人でいる時は気が抜けてたり」
沙綾「…………」
つぐみ「…………」
沙綾「なんだか不思議だね」
つぐみ「そうだね」
沙綾「でも、こういうのってちょっといいな」
つぐみ「うん、私もそう思う」
沙綾「あはは……」
つぐみ「ふふ……」
沙綾「あ、そうだ」
つぐみ「どうしたの?」
沙綾「そういえば言い忘れてたなって。メリークリスマス、つぐみ」
つぐみ「そういえば……。メリークリスマス、沙綾ちゃん」
沙綾「甘え下手の似た者同士、これからもよろしくね」
つぐみ「こちらこそ、よろしくお願いします。たまにはこうやってお話するのもいいね」
沙綾「ね。辛い時はいつでも甘えに来ていいよ?」
つぐみ「それは私のセリフだよ。沙綾ちゃんも疲れちゃった時は、いつでもウチに来ていいよ?」
沙綾「……ふ、ふふ」
つぐみ「くすくす……変な会話だね」
沙綾「そうだね」
おわり
嫁力が高くて可愛い、家が同じ商店街にあってご近所さんで可愛い、実家の仕事を手伝っていて可愛い、甘えるのがあんまり上手じゃない頑張り屋さんでとても可愛い……こんなにも共通点があるのにどうして未だにさーやとつぐみにアプリ内で掛け合いがないのか。おかしい。こんなことは許されない。
そんな気持ちの話でした。
今日は美しいクリスマスなので許して頂けると嬉しいです。
氷川紗夜「ドブネズミ」
家族で冬の山へ出かけた。そこは東京の外れにある山で、ロープウェイから山頂に登って、そこにある神社にて高校の合格祈願をした。
「わー、東京にもこんな山があるんだね!」
「こらこら、日菜。ちゃんと合格出来るようにお願いをしなさい」
「ダイジョーブだって! もう羽丘の模試なんて何回やったって満点取れるし!」
「……まぁ、日菜ならそうか」
神頼み。そんな迷信じみたものを信じる気にはあまりなれない私の横ではしゃぐ日菜と、それを諫めるお父さんの会話を聞いて、また私の心に何か小さな棘が刺さったような気がした。
私だって……という口からは出さない妹への対抗心が胸の中に沸き起こる。だけど、花咲川女子学園の入試に合格点は取れるだろうけど、満点を取ることは出来ないだろうな、と思って、それもすぐに暗い気持ちに変わっていった。
「ねーねーおねーちゃん! 見て見て、鳥が飛んでるよ!」
そんな私の心の機微など知らず、日菜が無邪気な声で空を指さした。
「鳥くらいどこにでもいるでしょう」……と思いながらそちらへ視線を送ると、四羽の鳥が冬の青空に翼を広げていた。
そのうちの一羽は東の方へ逸れ、他の三羽は南の空へと羽ばたいていった。
それに妙な寂しさを覚えて、わけもなく突然一人ぼっちになったような気がした。
◆
「……それで、その手に持っている鳥はなに?」
それは2月の某日のことだった。高校受験もつつがなく合格し、もう自由登校になった中学校へ行こうとしたら、珍しく慌てたような日菜が私の部屋にやってきた。
「庭でうずくまってたんだ! どうしよう、おねーちゃん!?」
そして両手を合わせたその上に鳩よりひと回りほど小さな鳥を乗せた妹は、そんなことを言うのだった。
「…………」
どうしよう、なんて言われても私にはどうしようもないわよ。喉元までやってきた言葉を飲み込み、代わりにため息を吐き出す。それから中学校の皆勤賞と日菜の掌で小さく震えている鳥を天秤にかけた。
「おねーちゃん……この子、死んじゃうのかな……?」
鳥の乗った天秤に、日菜の弱々しい言葉も乗っかった。三年間の皆勤賞がスッと持ちあがる。ああ、私の中学三年間はたったこれだけで放り出されるほど軽いものだったのか……なんて自嘲を噛み殺して、私は手に持ったバッグを机の上に置く。
「とりあえず、タオルを持ってくるからその上に乗せなさい。野生の子に人間のニオイがつくのはあまりよくないでしょう」
そしてそれだけ言って、日菜の返事は待たずに洗面所へ向かった。
◆
日菜が厄介ごとやらを何やらを私の元へと持ち込んでくるのは今に始まったことじゃない。
私があの子に対して勝手に劣等感を抱いている部分もあるけれど、天衣無縫で破天荒な妹の突拍子もない思いつきに振り回されるのもよくあることだ。
私の部屋の机の上にバスタオルを置いて、そこへ日菜がゆったりとした優しい動きで鳥を座らせる。あなたは私以外にはそんな風に気を遣うのね、という皮肉が頭の中に浮かんで、そんなことを考える自分をはたきたくなった。
「どうしよう、おねーちゃん……」
「……どうしようもこうしようも、こうなったらしばらく面倒を看るしかないでしょう」
野鳥の飼育は禁止されていると何かの授業で聞いた覚えがあったけれど、かといって飛べないほど弱ったこの鳥をこのまま見過ごすことは出来ない。
本当に日菜は厄介なことを毎度毎度持ち込んできて……と思って眉間に皺が寄るのを自覚した。私は大げさにため息を吐いて頭を振る。
「分かったよ! それじゃあ鳥かごとか用意した方がいいかな? ちょっとペットショップに――」
「待ちなさい。一時的な保護なんだからそこまでは必要ないでしょう」
そんな私と対照的に、パッと笑顔になった日菜が部屋から出て行こうとするのを引き留める。
「少し調べてみるから、それまで日菜はこの子の様子を見ていて」
「あ、そっか。やっぱりおねーちゃんは頼りになるね!」
足を止め、きっと純度100%の尊敬や信頼が込められた笑顔が私を照らし出す。
それに自身の後ろ暗い影がより濃くなったような気がして、私は何も答えずにスマートフォンを手に取った。そしてブラウザを開いて、『野鳥 保護』と検索をする。
「…………」
検索結果から東京都環境省のサイトにアクセスして、鳥獣保護のページを開く。
『野生鳥獣の本当の保護とは、人はむやみに野生鳥獣に近づかないことです』という文言が一番に目に入り、もう遅いわよ、と心の中で悪態を吐いた。
その文言は見なかったことにして、画面の上に指を滑らせる。
「怪我をした野鳥を見つけた時……」
今の状況に一番合致しているだろう項目を見つけて、そこの文章に目を通す。
『体温が低下しているのかもしれません。野鳥をダンボール箱などの中に入れ、底に新聞紙やティッシュペーパー等を敷きます。そしてぬるま湯を入れたペットボトルなどの保温剤を箱の中に入れ、暖めてみてください』
そして最後に『その上で、東京都の担当窓口までご相談ください』と書いてあった。「何か大事になってしまうんじゃないか」という抵抗が少しだけあったけれど、ルールとしてそう決まっているならそれに従わないわけにはいかない。本当に面倒なことを持ってきてくれたものだ。
「日菜、ここに書いてあるものを用意できる?」
「ん、どれどれ……」
その気持ちを胸の中に押し止めつつ、鳥の様子をジッと見ていた日菜に声をかけて、スマートフォンの画面を見せる。
「オッケー! 了解だよ、おねーちゃん!」
「それじゃあお願いするわね」
「おねーちゃんはどうするの?」
「野鳥を保護したら、動物保護を担当しているところに連絡をしないといけないみたいなのよ」
「うん、分かった! えっと、確かお父さんが通販で何か買った時に段ボールが……」
呟きながら日菜が部屋を出て行く。私はちらりとバスタオルの上に座る鳥へ視線をやる。
見たことがない鳥だった。鳩より少し小さくて、色合いは雀に似た黒褐色。胸には黒いうろこ状の斑点模様があった。
その鳥は鳴くことも暴れることもなく、大人しくバスタオルの上に鎮座し続けていて、しばらくその様子をぼうっと眺めていた私は思い出したように鳥獣保護の担当部署へ電話をかけた。
◆
特に外傷がないようだったら、身体を温めてあげるだけで動けるようになると思います。
餌などを与えてしまうと却ってストレスになることがあります。なのでサイトに書いてある通りのものを用意したらそっとしておいて、元気が出たら外へ返してあげてください。
かいつまむと、大体そんな感じのことを鳥獣保護の担当部署の人に言われた。それにお礼を言ってから電話を切るころに、日菜が段ボールとペットボトル、それから新聞紙を持って部屋に戻ってきた。
「なんだって、おねーちゃん?」
「怪我をした様子もないのであれば自然に回復するでしょうから、元気になったら外に返してあげて、ということらしいわよ」
「そっか。血が出たりとか羽がボロボロになったりって感じじゃないもんね、この子。よかったぁ」
日菜はホッと息を吐き出して、それから段ボールを机の上に置く。そしてその中に新聞紙とティッシュを無造作に詰め込んでいった。
「…………」
それを手伝おうか少し迷ってやめておく。日菜が拾ったのだからこの子がやるべきことだろう、と思う。この鳥だって日菜なら平気でも私が近づいたら暴れる可能性だってある。日菜には上手く出来ることでも私には上手く出来ないことが多いのだから。
「よっし、完成! それじゃあちょっとごめんね、鳥ちゃん」
そんなことを考えて一人で勝手に傷付いていると、日菜は鳥に柔らかい声をかけて、そっとその身を両手で持ち上げる。バスタオルの上に座っていた鳥はやっぱり大人しく、されるがままその手に身を預けていた。
「大人しいね~、いい子いい子」
そして段ボールの簡易的な巣箱に優しく鳥を座らせる。それから私の方へぐるりと視線を巡らせた。やけにキラキラした瞳が胸に刺さって息苦しくなった。
「……ペットボトルに入れたお湯はどのくらいの温度?」
それを誤魔化すように、ぶっきらぼうに私は日菜に尋ねる。
「んーっと、触ったら熱いくらいのお湯?」
「それだとそのまま段ボールに入れたら熱いかもしれないわね。バスタオル……じゃ嵩張るし……フェイスタオルを巻き付けた方がいいかしら」
「分かった、そしたらちょっと取ってくるね!」
「ええ」
私の言葉に勢いよく相づちを打った日菜が部屋を出て行く。残されたのは段ボールの巣箱に入った鳥と私。
「…………」
日菜が持ってきた段ボールは側面に『天然水 バナジウム120』という商品名らしき表記とホームセンターのロゴが書いてあった。500ml×24本という文字もあった。確かにお父さんがつい先日にネットで買ったと言っていた記憶がある。
「中身、まだ全然減っていなかったわよね」
それなのにこの段ボールがここにあるということは、きっとキッチンには20本くらいのペットボトルが転がっているのだろう。買い物に出かけたお母さんが帰ってきたらそれになんて言い訳をするべきかと考えると少し頭が痛い。
「あなたも災難ね。日菜に見つかるなんて」
それはひとまず後回しにして、段ボールへ静かに近づいて行き、こちらでも大人しく座ったままの鳥に声をかける。鳥は私を見上げて、小さな地鳴きを返してきた。
「……元気になってくれればいいんだけど」
この子はなんて言ったのだろうか、と栓のないことを少し考えてから、私は小さな呟きを漏らした。
◆
日菜が洗面所から取ってきたフェイスタオルでペットボトルをくるんで、それを臨時の巣箱の脇の方に置き、段ボールの蓋を閉めた。
「えー、閉めちゃうの?」なんて日菜は言ってきたけれど、人間慣れしていない野生動物がずっと私たちの視線に晒されるのはストレスになるだろうことは想像に難くない。その旨を伝えると、あっさりと「それもそっか。分かったよ!」と頷いてくれた。
それと、物音がしていても落ち着かないだろうから、私は机の上に置いた鞄に勉強道具を詰め込んで日菜と共にリビングへ向かう。
そうしたら、通りがかったキッチンで、想像以上に乱雑に散らばったペットボトルを前に困惑しているお母さんを見つけた。
「あ、片付けるの忘れてた」
なんて言う日菜の隣で、お母さんに事の次第を尋ねられた私は、素直に「弱っていた野鳥を保護した」と伝える。
怒られるだろうか、と少し身構えたけど、お母さんは「あなたは優しいわね」と言って柔らかく笑った。
「拾ってきたのは私じゃなくて日菜だから」
それにそう返すけど、やっぱりお母さんは「そうなのね」と優しい笑顔を浮かべるだけだった。
◆
「……あなたの部屋で寝るの?」
「うん! 絶対その方がいいって!」
そしてその夜。今日の私の部屋はあの鳥が休むためのものだから一緒に寝よう、なんてことを、リビングで勉強をしていた私に日菜が言ってきた。
「だけど、それだとあなたが寝づらいんじゃないの」
「あたしは全然ダイジョーブだって! ほらほら、お布団だっておかーさんが用意してくれるし……あ、なんなら一緒のベッドで寝る?」
「それだけは絶対に断るわよ」
「えー……」
「どうしてそんなに残念そうなのよ……」
「だってだって、最近おねーちゃんってば全然あたしのこと構ってくれないんだもん」
「…………」
寂しそうな色の表情を顔に張り付けた日菜は、拗ねたように言葉を吐き出す。
それになんて返したらいいか少しだけ考えて、「もうあなたも子供じゃないんだから」と、いつまでも妹に劣等感を抱き続けている子供な私は口にする。
「それじゃあ一緒のベッドは諦めるけど、部屋は一緒でもいいでしょ? ねーねー、おねーちゃーん」
「はぁ……分かったわよ。あなたの部屋に一晩お邪魔するわ」
「ほんと!? わーい、おねーちゃんとお泊り会!」
お泊り会も何も毎日同じ家で暮らしているじゃない。そんな言葉が出そうだったけど、無邪気に喜ぶ日菜に水を差すのも少しだけ可哀想な気がしたから口をつぐんだ。
それからお母さんに布団を用意してもらって、日菜の部屋に私の臨時の寝床を作る。
「えっへへ~、おねーちゃんとこうやって寝るの、すっごく久しぶりだなぁ~」
そして寝る支度を整えてから日菜の部屋に行くと、瞳を爛々と輝かせた妹に出迎えられる。もう夜の十時だというのにまったく眠くなさそうだ。
「どうしてそんなにはしゃいでるのよ」
「こういうのって修学旅行とかみたいでワクワクするでしょ?」
「しないわよ」
「そっか~」
日菜の気の入っていない返事を聞きながら、私は部屋の照明に手をかけた。
「もう夜も遅いし、早く寝るわよ」
「えーっ、もう寝ちゃうの? もっとお話ししようよ、おねーちゃん」
「あなたの部屋に遊びに来たわけじゃないんだから」
「もー、おねーちゃんのいけず」
「電気、消すわよ」
拗ねたような言葉には返事をしないで、明かりを落とす。そしていつもとは違う感触の布団に横になる。仰向けになって見つめる天井もいつものものと少し違っていて、先ほどの日菜の修学旅行みたいだ、という言葉に少し共感してしまった。
「あの鳥ってなんていう鳥なんだろうね」
「……さぁ」
それに何とも表現しがたい気持ちになっていると、ベッドの上から言葉を投げられた。私はぶっきらぼうに声を返す。
「庭に鳥が落ちてるの見つけた時はちょっとびっくりしたなぁ。雀かな、って思ったけどおっきかったし」
「…………」
「どうしたんだろうね、あの子。寒くて疲れちゃったのかな」
「……さぁ」
暗い部屋の中に日菜の声が響く。その合間合間に、たまに私の短い返事が挟まる。
「……やっぱりおねーちゃんって優しいよね」
「…………」
そんなことを続けているうちに、いつになく大人しい響きの声が発せられる。私は何も答えなかった。
「ごめんね、おねーちゃん」
「……何が?」
「おねーちゃん、そういえば皆勤賞だったなーって」
「…………」
『今さら謝られてもどうしようもないじゃない』
『そんなものにしか縋れない私をバカにしているの?』
『数少ないあなたが出来なかったことだったのに』
……そんな嫌味や皮肉が頭の中に浮かぶ。それらが口から出ていかないよう私はキュッと口をつぐみ、寝返りを打って日菜に背を向けた。
「…………」
「…………」
「……いつもありがと、おねーちゃん」
それからしばらくお互い無言でいたけど、ぽつりと日菜からお礼の言葉を投げられる。
「……別に」
私はやっぱり不愛想な言葉を返すだけだった。
ありがとう、なんて言われるほど優しくもしていないし、心の中ではいつも日菜に嫉妬や劣等を感じていた。それだけに素直な響きの言葉が胸の奥深くに突き刺さって、いつまでもいつまでも妹と自分とを比べて落ち込み続けるちっぽけな自意識が打ちのめされる。
日菜はまっすぐな人間だ。天才で、唯我独尊で、他人のことは良くも悪くもあまり深く考えず、自分を信じてただひたむきに己が道を突き進む。
対する私はひねくれ者だ。何をしたって日菜に負かされて、ずっと妹と自分を比べて、それにウダウダと悩み続けて、素直に『ありがとう』さえ受け取れない。
私たちは双子。だけど、外見は瓜二つに近いのに、中身はこうも正反対だ。
言うなれば私はドブネズミで、日菜はハムスターだろう。
同じネズミでも、外見が似ていても、忌み嫌われる日陰者と皆に愛される人気者。
写真には写らない美しさがある、誰よりもやさしい、何よりもあたたかい……とは昔の有名なパンクロックバンドの歌で歌われているけれど、私はそんな特別なドブネズミにはなれない。
自分を信じられず、痛みの雨の中にただずぶ濡れで立ち尽くす、行き場のない雨曝しのドブネズミ。その姿がお似合いだ。
だから……これ以上私は日菜の近くにいてはいけないのかもしれない。
日菜の輝きが私の影を深く濃い色に変えてしまうから、というのが大部分を占めているのは確かなこと。
だけど、わざわざこんな薄汚い私の近くに寄ってきて、あの子の輝きまでもが汚れてしまうのに僅かながらの申し訳なさだってあった。
これでも、こんななりでも、似ているようで正反対でも……私はあの子の姉なのだ。日菜を無為に傷付けてしまいたくはないんだ。
だから、高校生になってからは、お互いあまり干渉をしないようにしよう。
そう心に強く思って、私は目を瞑った。
◆
「元気になったみたいで良かったね!」
明くる朝。日菜の部屋で起床した私は、日菜と連れ立って私の部屋に向かう。
そして昨日の段ボールを覗き込むと、翼を羽ばたかせ、「ピピ」と私たちに向かって鳴きかけてきた。元気になったなら逃げてしまうかと思ったけれど、どうにも日菜には少し懐いた様子だった。
「ご飯、あげた方がいいのかなぁ?」
「そう、ね……」
その言葉になんて返したものか少し迷う。
昨日ネットで見た通り、人間が干渉しないのが一番野生動物の保護になるのだろう。下手にエサを与えては野生へ帰った時に苦労をするだろうことは想像できる。
「……少しくらいならいいんじゃないかしら」
けれど、『ご飯をあげたい!』と大きく顔に書かれている日菜と、胸を張って私たちを見上げる鳥の姿を見て、私の口から吐き出される言葉はそんなものだった。
「分かった! それじゃあ何かパンでも持ってくる!」
私の言葉を聞いて、日菜はパッと笑顔になって部屋を出て行く。私はその背中にため息を送ってから、また段ボールの巣箱にいる鳥へ視線を戻す。
「……良かったわね、あの子に拾われて」
そして昨日と正反対の言葉を投げかけた。鳥は少し首を傾げて「ピ」と短く鳴いた。
「たっだいま~! お母さんが食パンくれたから、これあげよ!」
それから黙って見つめ合っていると、駆け足で日菜が部屋に戻ってきた。その手にはまっさらな食パンが一枚。
「まるまる一枚もいらないわよ」
「あ、そっか。それじゃあ残りはおねーちゃんと半分こだね!」
「……遠慮しておくわ」
「えー、なんで~?」
「ほら、今はそれより、この子のことでしょう」
「はーい」
日菜はやや不承不承といった風に頷いて、食パンを小さくちぎる。
「鳥ちゃん、朝ご飯だよ」
そして人差し指と親指でつまむようにしてそれを差し出すけれど、鳥はフイとそっぽをむいた。
「あれ、お腹減ってないのかな?」
「……それじゃあ食べづらいでしょう。掌に置くか、巣箱の中にそのまま入れてあげなさい」
「それもそっか。じゃあ……」
と、今度は掌にパンくずを乗せ、鳥の前に差し出す。けれどやっぱりこの子はそっぽを向いてしまう。「それなら」と巣箱の中に静かにパンを置いたけれど、それでも鳥はそのパンをつつこうとしなかった。
「グルメなのかな?」
「お腹が減ってないだけよ。無理にあげてもストレスになるし、パンは取り除いておかないと……」
私はそっと巣箱に手を入れて、日菜が置いたパンをつまむ。
「……あれ?」
「え……?」
するとどうしてだか鳥が私の手に近付いてきて、「ピピ」と鳴いた。
「……食べるの?」
そう尋ねながら、つまんだパンを広げた掌に置いて差し出す。鳥は少し辺りをキョロキョロと見回してから、ちょんとそれをクチバシでつついて飲み込んだ。
「あたしからだと食べなかったのに……おねーちゃんずるい~!」
「そ、そんなこと私に言われてもどうしようもないわよ」
「んもー、鳥ちゃんも鳥ちゃんだよ。おねーちゃんから『あーん』してもらうなんて!」
「……怒るところはそこなの?」
「そこもだよ! 風邪ひいた時とかだけにしてもらえるレアなことなのに!」
「いつの話なの、それは」
最後に日菜が風邪を引いたのはいつだったか。記憶を掘り起こすけれど、二年ほど遡ってみないとそんな思い出はない。ましてや日菜に何かを食べさせた覚えなんてまったくなかった。
「んーと、幼稚園のころ?」
「なんでそんな昔のことをまだ覚えているのよ、あなたは」
「おねーちゃんとのことだもん!」
そのまっすぐな言葉になんて返すべきか少し迷ってから、私は「そう」と相づちを返した。
◆
それから身なりを整えて、朝食を日菜と共に摂った。そういえば最近は日菜と肩を並べて朝ご飯を食べることもしていなかったな、とぼんやり思って、それと同じことを日菜から言われてまた微妙な気持ちになった。
けれど、今日はどうしてかそれに後ろ暗い気持ちを引きずることもなかった。
朝食を摂り終えてからも本当に他愛のないことを日菜は話しかけてきて、私は不愛想ともとれる言葉でそれに応答する。それからあの鳥の話題になって、「野鳥にも懐かれるなんて、やっぱりおねーちゃんはあたしの自慢の優しいおねーちゃんだよ」と言われた。
「……がと」
「え、なに?」
「別に。なんでもないわよ」
口の中だけで反響した「ありがとう」の言葉。それをハッキリと声にすることは出来ないから、またぶっきらぼうに私はそう言った。
◆
「もうお別れだね」
「……そうね」
時計の針が十二時近くを指すころ。私は蓋を閉めた段ボールの巣箱を抱えて、日菜と並んで庭に立っていた。
エサも食べたし、羽ばたけるくらいには元気になった野鳥。これ以上保護する必要もないだろうから、もう空へ返さないといけない。
「一日だけだったけど、ちょっと寂しいなぁ……」
「本来は関わることもなかったのよ。あるべき姿に戻るだけなんだから」
少し目を伏せた日菜にそんな言葉を返すけれど、私も心中には寂しい色の気持ちが多くある。
この僅かな時間で私にちょっとだけ懐いてくれた野生の鳥。どこか認められたような気持ちになって、それが少し嬉しかった。
それと、気付けばずっと少なくなっていた日菜と共に何かをするという時間をくれた。
そのおかげで……時を経ればいずれ消えてしまう気持ちかもしれないけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、あの子に優しく接してみようと思わせてくれた。
だけどもうお別れだ。
段ボールの蓋を開く。あの鳥がひらけた空に顔を向けてから、私と日菜へ交互に視線を巡らせた。
「さぁ、もう行きなさい」
努めて何でもないように言って、空を見やる。「ピ」と短く鳴いてから、鳥は段ボールの巣箱の縁に飛び乗った。そして大きく翼を羽ばたかせ、勢いをつけて空へと飛んだ。
「ばいばーい、元気でねー!」
日菜が大きく手を振る。
「……どうか元気で」
私は空の段ボールを持ったまま、小さく声にした。
翼を広げて、北の空へと鳥が飛んでいく。寂しいけれど、ひとりぼっちだとは思わなかった。
◆
季節は秋だった。
高く晴れ渡った蒼穹の下を歩いて、私は商店街へ向かう。
ふと見上げた上空に鳥が飛んでいるのを見つけて、二年前の冬のこと……中学三年生の時に、日菜と一緒に野鳥を保護したことを思い出した。
あの時に抱いた気持ちはやっぱりいつの間にかに消えていて、また私を真似てギターを始めた日菜に言いようのない劣等感を抱いてしまった。……けれど、つい最近のことだけど、それはもう秋時雨と一緒に水に流したつもりだ。
私は今でもドブネズミなのかもしれない。だけど、痛みの雨の中でずぶ濡れでいても、行く場所はちゃんとある。嵐が来る前に帰る場所がある。そう思うだけで随分と心が軽くなったし、同時に今まで日菜にキツく当たり続けたことが申し訳なくて仕方ない。
「それにしても……」
呟きながら思う。
神頼みなんて迷信は未だに信じる気になれないけれど、七夕の夜に星に願う短冊を持っていったのも鳥だし、自分は鳥類と妙な縁があるものだな、なんて。
そうしているうちに商店街に辿り着いて、私は二年前の鳥のことを考えながら目的のお店へと足を進める。
日菜と共に保護した鳥の生態は、のちに足を運んだ科学館で知った。
渡り鳥で、十月ごろにシベリアから日本に渡り、冬を越して春になったらまた北へと帰っていく冬鳥。
それならさっき見かけた鳥たちも、もしかしたらあの子の仲間なのかもしれない。そんな取り留めのないことを考えているうちに、私は目的地である喫茶店に辿り着いた。
「……そういえば」
と、喫茶店の名前を目にして、あまり面識のない知り合いのことが頭にもたげた。
一時的とはいえ日菜と私の間をとりなしてくれて、私に懐き、少し認められたような気持ちにしてくれた野鳥。
あの鳥の名前も“ツグミ”だったな。
そんなことを思いながら、私はお菓子教室を開催する羽沢珈琲店のドアを開いた。
おわり
参考にしました
東京都環境局 鳥獣保護について
http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/faq/nature/birds_protection.html
THE BLUE HEARTS 『リンダリンダ』
amazarashi 『ドブネズミ』
紗夜さんがツグミを保護するというありきたりな話でした。すいませんでした。
湊友希那「ねとられ」
※キャラ崩壊してます。
NTR要素はまったくないです。
――CiRCLE スタジオ――
今井リサ「ねとられ?」
湊友希那「ええ」
リサ「何それ?」
友希那「さっき、まりなさんがスタッフさんと話していたのよ。やけに雄弁に語っているから、ちょっと興味が出て聞いてみたの。それはどんなものなんですか、って」
リサ「そしたら?」
友希那「身近な人と離れ離れになることで新しい境地を見出すもの……らしいわ」
リサ「へぇ~。まりなさんって物知りだねぇ」
友希那「ええ。伊達に大人じゃないわね」
リサ「それで、そのねとられ? がどうしたの?」
友希那「折角だから私もそれを体験してみて、作曲の幅を広げようかと思うの」
リサ「あーなるほどね」
友希那「だから、リサ。少し協力してくれないかしら?」
リサ「友希那の頼みだもん。断る理由がないよ」
友希那「ありがとう。それじゃあ早速なんだけど、明日からちょっとアフターグロウに出向してもらえるかしら」
リサ「本当に早速だね……蘭たちはオッケーしてくれるかな?」
友希那「誠心誠意お願いすればきっと平気よ。美竹さんとはライバルだから」
リサ「ライバルってこの件に関係あるかなぁ……?」
友希那「大丈夫。私に任せて」
リサ「ん、分かったよ。……ちょっと不安だけど」
……………………
――翌日 CiRCLE・スタジオ――
美竹蘭「……えぇっと、今日の練習はひまりの代わりにリサさんが来てくれることになったから」
リサ「やっほー。みんなよろしくね!」
青葉モカ「おーおー、ついにひーちゃんはクビになっちゃったんだねぇ……」
羽沢つぐみ「クビではないと思うけど……」
宇田川巴「どういう風の吹き回しなんだ、蘭?」
蘭「いや、なんかお昼休みに湊さんに呼び出されて、『今日一日、ロゼリアとアフターグロウでベースを交換しましょう』とかいきなり言ってきて……」
つぐみ「頷いちゃったんだ……」
モカ「蘭ってば薄情者だなぁ。幼馴染をあっさり売り渡すなんて」
蘭「違うってば。あたしも普通に断ったよ。だけど今日の湊さん、すごくしつこくて……」
巴「はー、だから昼休みになってもなかなか屋上に来なかったんだな」
リサ「あ、あはは……ごめんね、蘭」
蘭「いえ……。スタジオ代は持ってくれるって言ってましたし、リサさんは悪くないですから」
モカ「ひーちゃんの身代金はスタジオ代と同等なんだねぇ」
つぐみ「そ、それは違うんじゃないかな」
巴「まーよく分かんないけど分かったよ。そんじゃ、今日はよろしくお願いします、リサさん」
リサ「うん、よろしくね」
―スタジオの外―
友希那「上手くリサがアフターグロウに入り込めたみたいね」
上原ひまり「あのー、友希那さーん」
友希那「どうしたの、上原さん?」
ひまり「私、まだイマイチ状況がよく分かってないんですけど……どういうことですか、これ?」
友希那「そういえば説明していなかったわね。これは新しい境地を見出すために必要なことなのよ」
ひまり「新しい境地……?」
友希那「ええ。昨日、まりなさんに聞いたの。なんでも身近な人と離れると何か新しい目覚めがあるんだって」
ひまり「へぇー。遠距離恋愛みたいなものですかね?」
友希那「……恋愛ではないと思うけど、きっとそういうものよ」
ひまり「なるほどなるほど。それは分かりましたけど、どうして私もこっち側なんですか?」
友希那「ベース同士を交換と言ってしまった手前、あそこにあなたがいると約束を違えてしまうでしょう? それはいけないわ。親しき中にも礼儀あり、と言うし」
ひまり「んー、別に問題ない気がしますけど……まぁいっか、たまには」
友希那「ええ。一緒にアフターグロウとリサの練習を見学しましょう」
ひまり「はーい!」
―30分後―
ジャーン...♪
蘭「……ふぅ」
巴「やー、リサさんがベースってどうなるかと思ったけど、案外なんとかなるもんだなぁ」
モカ「だねぇ。リサさん、あたしたちの曲も覚えてくれてたんですか~?」
リサ「友希那の頼みだからね。昨日ちょっと徹夜して、とりあえず3、4曲は最低限合わせられるようにしてきたよ」
つぐみ「最低限っていう割にはアレンジも入ってたような……」
リサ「ああ、ごめんね。ちょっと弾きづらいとこあったから勝手に簡略化してたんだ。気になっちゃった?」
モカ「いえいえ~、ひーちゃんもよく音外したりビビらせちゃうとこなんで、全然気にならなかったっすよ~」
巴「ええ。フォローに気をさかなくてよかったんで、むしろスムーズに叩けましたよ」
リサ「そっか、それならよかったよ」
蘭「…………」
リサ「あれ、蘭?」
蘭「え?」
リサ「どうかしたの? なんか難しい顔してるけど」
蘭「いえ……その……」
モカ「蘭のことだから、ひーちゃんの音と違うな~って違和感バリバリなんでしょ?」
リサ「そうなんだ?」
蘭「……まぁ、正直に言えば……いつも通りの音じゃないからちょっと変な感じがするっていうか……あっ、リサさんが悪いとかそういうことじゃないですからね」
リサ「フォローしてくれてありがと。でもそう思うのは当たり前だよ。みんなは中学生の頃からずっと一緒にバンドやってたんでしょ? それでいきなりベースがアタシになって違和感がないって方がおかしいよ」
リサ「違和感があるってことは、それだけ蘭がひまりのことを大切に思ってるってことなんだし」
蘭「べっ、別にそういう訳じゃ……」
リサ「あっはは、蘭ってば照れてるな~?」
モカ「そうなんです~、蘭ってばいーっつもみんなのこと大好きオーラ放ってるのに、口では否定するんですよ~」
蘭「モカっ」
つぐみ「私も蘭ちゃんに心配されるけど、ありがとうって言うといつも『別に』ってそっけなく返してくるんですよ」
巴「なー。本当に素直じゃないやつだよなぁ」
蘭「2人まで何言って……!」
リサ「やっぱり幼馴染だねぇ。蘭のことバッチリ分かってるんだ」
モカ「そりゃあもう。ねー、蘭」
蘭「……しらない」プイッ
リサ「ありゃりゃ……ごめんごめん、ちょっとからかい過ぎたよ」
蘭「いえ、別に」
巴「……まぁ、いつものことなんで気にしないで下さい、リサさん」
ひまり「もー! 私そんないっつも間違えないってば! 3回に1回はちゃんと弾けるもん!」
友希那「…………」
ひまり「……あれ? 友希那さん、どうかしました?」
友希那「いえ……なんというか、心が少しざわつくというか……」
ひまり「大丈夫ですか?」
友希那「ええ、ありがとう。平気よ」
ひまり「心がざわつくって、どういう感じなんですか?」
友希那「上手く言葉に出来ないんだけど……ロゼリアの中じゃなくて、アフターグロウの子たちに囲まれて笑っているリサを見ると落ち着かない……ような感じかしらね。上原さんはそういう風に感じないの?」
ひまり「え? いえ、私は全然ですね」
友希那「そう……私がおかしいのかしらね……」
―さらに30分後―
つぐみ「……あっ!」ポーン
蘭「っと……」
つぐみ「ご、ごめんね? また間違えちゃった……」
巴「いんや、気にすんなって」
リサ「あれ、もう1時間も経ってたんだ。そりゃあ疲れて集中も切れてくるよね。ちょっと休憩にしよっか」
つぐみ「え、いえ、まだ私は……」
モカ「はーい、リサさんにさんせー」
蘭「だね」
つぐみ「うう……ごめんね、みんな」
巴「謝ることなんかないって。アタシもちょっと小腹が空いてきたし、休憩したかったからさ」
リサ「あ、それならさ、クッキー持ってきたからみんなで食べない?」
モカ「もしやリサさんの手作りの?」
リサ「そうだよ。口に合えばいいんだけど」
モカ「いやいや、合わないなんてことはないですよ~」
巴「ああ。音に聞くリサさんの手作りクッキーだもんな」
リサ「え、音に聞く……?」
巴「はい、よくあこが言ってるんですよ。リサさんと紗夜さんがクッキーを作って来てくれて、それがすごく美味しいんだーって。それだけでどこまでも頑張れる気になるって」
蘭「それをあたしたちも巴からよく聞いてるんで……」
モカ「湊さんも言ってましたねぇ。『無人島に1つだけ食料を持っていけるなら、私は迷いなくリサのクッキーを選ぶわ』って」
つぐみ「『私はまだまだですが、今井さんのものはお店顔負けの味よ』って紗夜さんも言ってましたよ。ウチのとどっちが美味しいですか、って冗談で聞いたら30分くらいずっと考えこんじゃってましたけど……」
リサ「そ、そうなんだ。そこまでハードル上げられるとちょっと困るけどなぁ……」
モカ「さーさーリサさーん、ぎぶみークッキ~」
リサ「ん、じゃあこれ。はいどーぞ」
モカ「わーい。早速いただきま~す」サク
つぐみ「ありがとうございます。頂きますね」サク
巴「いただきます!」サク
蘭「あたしも1つ貰います」サク
リサ「……どう?」
巴「おー、すっげーうまい!」
蘭「うん……聞いてた以上に美味しいかも」
リサ「そっかそっか。期待を裏切らないで済んでよかったよ」
つぐみ「ウチのお店で出せますよ、これ」
リサ「いや、それはちょっと褒めすぎだと思うよ?」
モカ「そんなことないっすよー、さっすがリサさん~」サクサクサクサク
ひまり「うー、みんないいなぁ~。私もリサ先輩のクッキー食べたいなぁ……」
友希那「…………」
ひまり「……友希那さん? なんだか怖い顔になってますよ?」
友希那「……リサのクッキー……思えばアレだって私だけのものだったのに……」
ひまり「あの……」
友希那「ロゼリアのみんなは別に……まったく気にしていないと言ったら嘘になるかもしれないけれどいいわ。けどアフターグロウにまで……」ブツブツ
ひまり(ひぇぇ……なんだかよく分からないけど友希那さんが怖い顔で色々呟いてるよぉ……)
――練習後 ファーストフード店――
リサ「今日は練習に混ぜてくれてありがとね、みんな」
モカ「いえいーえ~」
巴「むしろアタシたちの方がクッキー貰ったりしちゃってましたし、全然気にしないで平気ですよ」
つぐみ「そうですよ。色々気遣ってくれて、すごく練習に集中できましたから。ね、蘭ちゃん」
蘭「……まぁ、そうだね。いい刺激になったっていうか、リサさんとならたまにはいいかなって思いました」
リサ「あはは、蘭にもちゃんと認めてもらえてよかったよ」
モカ「もうちょっと素直な言葉を選べれば満点なんですけどねぇ、蘭も」
蘭「うるさい」
―少し離れたテーブル―
ひまり「…………」
友希那「…………」
ひまり(き、気まずい……)
ひまり(友希那さん、もう睨みつけるってくらい目つきが鋭くなってるし、何も喋らないし……)
ひまり(うぅ……私もあっちに混ざりたい……)
友希那「……なんなのかしらね」
ひまり「は、はいっ!?」
友希那「なんなのかしら、本当に」
ひまり「え、えと……何が……ですか?」
友希那「私の胸中を焦がすこの感情の名前よ」
ひまり「その、どんな感じの気持ちなんですか、それって?」
友希那「……言葉にするのが難しいわ。何かこう、大切なモノを目の前で奪われそうな焦燥感というか、手を伸ばせば届きそうなのに届かないもどかしさというか、今すぐにでもあの場に割って入りたいような気がするけどしたくないというか……」
ひまり「…………」
友希那「なんなのかしらね。無性にイライラしそうでしないような、居ても立っても居られないけど何もしたくないような……」
ひまり「うーん……?」
ひまり(確かに分かりそうで微妙に分からないなぁ……。あれ、でも確かそんな感じの気持ち、何かで見た気が……)
ひまり「……あっ!」
友希那「どうかしたの?」
ひまり(そ、そうだ……これってアレだ! 少女漫画で見たやつだ!)
ひまり(主人公の女の子が恋してる男の子が他の子と仲良くしてて、それですっごくモヤモヤしてて……それと同じやつだ!)
友希那「あの……」
ひまり(え、でもそれだと友希那さんはリサ先輩にって……!?)
ひまり(え!? ええー!? あ、いや、でもでも、確かにあの少女漫画でもそういう女の子同士でって話があったし……)
ひまり(キリっとしてて凛々しい友希那さんと、優しくて世話好きなリサ先輩が寄り添って……きゃーっ! なんかすっごく絵になるし素敵じゃん!!)
ひまり(これはもう、恋のキューピッドひまりちゃんの出番だよね!! そうと決まれば……)
友希那「上原さん? なんだか表情が百面相だけど、大丈夫?」
ひまり「はい、大丈夫です!!」フンス
友希那「そ、そう……?」
ひまり「……友希那さん」
友希那「な、なにかしら?」
ひまり「友希那さんが抱える気持ちの正体、分かりましたよ……」
友希那「え、本当?」
ひまり「はい。その気持ち、まさしく愛と呼ばれるものです!!」
友希那「あ、愛……!?」
ひまり「はい!! 友希那さんがもどかしくて焦るような気持ちを抱くのも、きっとリサ先輩を愛しているからです!!」
友希那「ちょ、う、上原さん、声が大きいわよ!?」
ひまり「あ、ごめんなさい。つい興奮して」
友希那「い、いえ……それで、その」
ひまり「愛ですよ、愛」
友希那「愛って……別に私とリサはそんな……」
ひまり「友希那さん、愛には色んな形があるんです」
ひまり「友達に接するものだって友愛ですし、誰かに優しくするのだって慈愛です!」
友希那「えぇと……」
ひまり「友希那さんが抱いてるものがどんな形なのかは分かりませんけど、でもリサ先輩への愛があるっていうことは間違いないハズ! リサ先輩のこと、好きですよね?」
友希那「好きか嫌いかで聞かれれば、それは確かに好きだけど……」
ひまり「なら今はそれだけでいいんです! あとは自分の思うように行動すればそれでいいんです!」
友希那「……そ、そう……なのかしら……」
ひまり「恋愛経験が(漫画とかドラマの知識で)豊富な私が言うんだから間違いありません!」
友希那「…………」
ひまり「さぁ友希那さん。あとは自分の気持ちに正直になるだけです」
友希那「正直に……」
ひまり「はい!」
友希那「……確かに、私はアフターグロウのみんなと仲良くしているリサを見てずっとモヤモヤしていたわ」
友希那「昔はずっと一緒だったのに、知り合いも増えて……優しくて頼りがいのあるリサのことだもの。みんなの人気者になるのは仕方がないこと……」
友希那「だけど、確かにそれは面白くない。私の目の前で……いや、それだけじゃない。私の知らない場所でリサが誰かに私に向ける以上の笑顔を見せているかもしれないなんて、そんなの我慢ならない……!」
ひまり「それです! その気持ちの赴くままに、身体を動かすんです!!」
友希那「分かったわ。……経験に基づく的確なアドバイスをありがとう」
ひまり「いえいえ! 私は愛の伝道師ですから! 全ての恋する乙女の味方ですからっ!!」
友希那「それでもありがとう。ちょっとリサと共に果てを目指してくるわ」
ひまり「頑張ってください、友希那さん!」
ひまり(ついに迷いを振り切ったんですね……! 凛とした後ろ姿からONENESSが聞こえてくるみたい……!!)
―アフターグロウ+リサのテーブル―
つぐみ「なんだかリサ先輩と話してるとすごく落ち着くな……」
モカ「もういっそアフターグロウに来ちゃいます、リサさん?」
リサ「いやいや、それは流石に無理だってば」
友希那「その通りよ」
蘭「わっ!?」
巴「うぉ!?」
リサ「え、友希那? どうしてここに?」
友希那「今日1日、スタジオで練習しているところからずっとあなたたちを見ていたわ」
つぐみ「え、そうだったんですか……?」
蘭「全然気付かなかった……」
巴「ああ……」
モカ「ありゃ、ひーちゃんと湊さん、ずっと扉の窓から覗いてたのにみんな気付いてなかったんだ」
巴「気付いてたなら言ってくれよ」
モカ「めんごめんご~」
リサ「それでどうしたの、友希那? なんだかいつも以上に力強い目になってるけど」
友希那「リサ、あなたをアフターグロウの元へ行かせるわけにはいかないわ」
蘭「え、でも1日交換って言ってきたの湊さんじゃ……」
モカ「しー、なんだかいいところみたいだから黙ってた方がいいよー」
友希那「あなたはロゼリアに……いえ、もうそんな言葉で取り繕うのはやめにするわ」
友希那「リサ」
リサ「あ、うん、なに?」
友希那「あなたは私にとって必要不可欠よ」
リサ「……え?」
友希那「ロゼリアだとか、バンドだとか、そういうのを抜きにして……私の人生において、あなたという存在は一生欠かすことができないの。だから私の隣にずっといて頂戴、リサ」
リサ「え、ええ!?」
つぐみ「こ、これってプロポーズ……?」
巴「いや、そう聞こえるけど流石に違うだろ……?」
友希那「さぁ、共に往きましょう」
リサ「い、往くってどこに!?」
友希那「愛が呼ぶほうへ」
リサ「どこそれ!? ちょ、友希那っ、そんな急に手を取って引っ張んないでって……!」
友希那「心が呼ぶ方へ 翔けるパルス……」
リサ「なんでONENESS歌ってるの!? せめて行き先だけでも教え――……」
蘭「…………」
モカ「…………」
つぐみ「…………」
巴「…………」
モカ「……行ってしまいましたなぁ」
蘭「なんだったの、アレ……?」
巴「さぁ……?」
ひまり「ふふ……青春ってやつじゃよ……」
つぐみ「わっ、ひまりちゃん!?」
ひまり「はぁー、若いっていいなぁ……これぞ恋する乙女の青春だよねぇ、うふふ♪」
モカ「まーたひーちゃんがワケ分かんないこと言ってる」
巴「『若い』って……2人ともアタシらの先輩だぞ?」
蘭「……とりあえずどうすればいいんだろ、あたしたち」
モカ「まー、みんなでゆっくりお喋りして帰ればいーんじゃない?」
つぐみ「いいのかな……先輩たちを放っておいて……」
ひまり「大丈夫。きっと愛を謳って謳って雲の上だよ」
蘭「それ別れの歌じゃん……」
それからのち、友希那さんが色々暴走するようになってリサ姉も満更じゃなさそうにそれに付き合って紗夜さんとりんりんがあこちゃんの教育に悪影響だと頭を悩ませるようになるのは別の話。
おわり
明けましておめでとうございます。
そして新年早々こんな話を書いてすみませんでした。
今年もよろしくお願い致します。
羽沢つぐみ「出られない部屋」
※キャラ崩壊してます
――弦巻邸――
氷川紗夜「……はい?」
羽沢つぐみ「……え?」
弦巻こころ「出られない部屋よ!」
紗夜「あの、急に連れてこられてそんなことを言われても、理解が及ばないのですが」
つぐみ「ど、どういうことなの、こころちゃん?」
こころ「黒服の人たちが作ってくれたのよ! 入った2人がとーっても仲良くなるっていう素敵な部屋を!」
紗夜「えぇと……」
つぐみ「つまり、そこに私と紗夜さんで入ってってこと……?」
こころ「そういうことね!」
紗夜「……どうしてそんなものに私と羽沢さんが」
こころ「ちょうど2人でいたじゃない? それに花音が言っていたのよ。よく紗夜とつぐみが一緒にお茶してるって」
つぐみ「う、うん、よく一緒にウチでお茶はしてるけど……」
こころ「2人がもっともーっと仲良くなるなら2人も幸せだし、きっと世界中にも笑顔が増えるわ!」
紗夜「そんなバカな……私はともかく、羽沢さんをそれに付き合わせるのは申し訳がないですから、遠慮させていただきます」
つぐみ「そ、そうですね。私は別にいいですけど、紗夜さんに付き合ってもらうのは悪いですし……」
こころ「あら、そうなの?」
紗夜「ええ。私は別に構いませんが、羽沢さんが……」
つぐみ「はい。私は入ってもいいですけど、やっぱり紗夜さんが……」
こころ「んー、2人とも美咲みたいなことを言ってるし、きっと大丈夫ね! それじゃあ、あたしは出て行くわね!」
紗夜「はい?」
つぐみ「え?」
こころ「そこのモニターにお題が出るらしいわよ! それじゃあ!」ガチャ、パタン
紗夜「え、あの、弦巻さん?」
つぐみ「行っちゃった……」
紗夜「…………」
つぐみ「…………」
紗夜「……何かとても嫌な予感がするわね」
つぐみ「……紗夜さんもですか?」
紗夜「ええ。まさかとは思うけれど……」ガッ、ガッ
つぐみ「そのまさか……ですか」
紗夜「……ドアが開かない、わね……」
つぐみ「そう……なんですね……」
紗夜「…………」
つぐみ「…………」
紗夜「つまりこの部屋が」
つぐみ「何かをしないと出られない部屋……」
紗夜「はぁ……すみません、羽沢さん。弦巻さんのお願いを安請負したせいで変なことになってしまって」
つぐみ「い、いえいえ……私もこころちゃんに普通についてきちゃいましたし、紗夜さんのせいじゃないですよ」
紗夜「そう言って頂けると助かります」
つぐみ「はい。それよりも何かをしないとってこころちゃんが言ってましたけど、何をすればいいんですかね?」
紗夜「そういえばモニターにお題が出ると言ってたわね……」
つぐみ「モニター……アレかなぁ、なんだかこれ見よがしに目の前にボタンがある……」
紗夜「十中八九それね」
つぐみ「押さないといけない……んですよね、コレ」
紗夜「ええ、恐らく。とりあえずこうしていても仕方がないし、押してみましょうか」
つぐみ「はい」
紗夜「……どうしてこんなことになったのかしらね……せっかく2人で……」ポチ
つぐみ「紗夜さん? 何か言いましたか?」
紗夜「いえ、何でもありません」
モニター<ブゥン
つぐみ「あ、モニターに電源が入ったみたいですね」
モニター『 … … お題 』
モニター『相手の太ももに10分間顔を挟まないと出られない部屋』
紗夜「!?」
つぐみ「!?」
紗夜「えっ、まさか……これをやれと……!?」
つぐみ「え、えぇ!?」
紗夜「つ、弦巻さん、ちょっと説明してください!」ドンドン!
つぐみ「ふ、太ももに顔をって……えええ……!?」
紗夜「はぁ、はぁ……どれだけドアを叩いても反応がないわ……」
つぐみ「ええ……でも……それはまだ早いような……」
紗夜「ドアノブもビクともしない……弦巻財閥はこんなことにお金をかけていないでもっと社会貢献をすればいいのに……」
つぐみ「だけど……不可抗力だし……」
紗夜「……羽沢さん?」
つぐみ「はっ、はい!?」
紗夜「呆けていましたけど大丈夫……いや、大丈夫な訳がないわね。変な部屋に取り残されたと思ったらこんなふざけた言葉が出てきて……」
つぐみ「い、いえ……」
紗夜「はぁー……どうすればいいのかしら」
つぐみ「……あ、あの、紗夜さん」
紗夜「はい?」
つぐみ「その……やらないと出られない……んですよね、きっと」
紗夜「まぁ……ここには弦巻財閥の無駄に高度な技術がふんだんに投入されているでしょうから、恐らくは」
つぐみ「そ、それなら……するしかないですよね」
紗夜「え」
つぐみ「ふっ、不可抗力ですから! これはその、仕方ないことですから! やらないと出られないんじゃ私のせいで紗夜さんにもすっごく迷惑がかかっちゃいますし、仕方ないことですから!」
紗夜「え、いえ……羽沢さんというより弦巻さんに迷惑をかけられていて、私たちは被害者のような……」
つぐみ「細かいことはいいんです! だ、だから、その……」
紗夜「…………」
つぐみ「だ、だめ、ですか……?」
紗夜「……い、いえ……私は別に全然まったく構いもしないけれど、羽沢さんに面倒をかけるのは少し間違っているのではないかと」
つぐみ「大丈夫ですっ、私の方こそ紗夜さんに迷惑をかけてしまってもう申し訳ない気持ちでいっぱいなので気にしないで下さいっ」
紗夜「え、ええ、分かりました。それでは……」
つぐみ「えと……」
紗夜「太ももに顔を挟む……」
つぐみ「…………」
紗夜「…………」
つぐみ「あっ、あれじゃないですか!? ひ、膝枕みたいな!」
紗夜「ひ、膝枕……?」
つぐみ「流石に太ももに顔をっていうのはまだ早いですし、きっとそういうことですよ!!」
紗夜「そ、そう言われてみればそうねっ」
つぐみ「…………」
紗夜「…………」
つぐみ「あ、あのっ、紗夜さんさえ良かったら……私の膝……使っていいですよ?」
紗夜「え、えぇと、私は嫌な気は全然しないんですが、その、羽沢さんは嫌な」
つぐみ「大丈夫です!!」
紗夜「そっ、そうですか」
つぐみ「いつでも大丈夫です! 紗夜さんがソファに寝転がれるように端に寄りますね!!」
紗夜「ありがとうございます……でいいのかしら? それでは少し……失礼します」
つぐみ「はいっ」
紗夜(どれくらいの力加減で頭を乗せればいいのかしら……分からないけれど、ゆっくり乗せればいいかしらね)
つぐみ(さ、紗夜さんの綺麗な髪が私の膝をくすぐってる……わわわ、なんだかすごくいけないことしてるみたい……)
紗夜(ソファに身体を横にして……そっと、そっと)コテン
つぐみ「ふわぁ……」
紗夜「あ、ご、ごめんなさい、重かったかしら?」
つぐみ「いえっ、全然そんなことないです!」
紗夜「そ、それならよかった」
つぐみ(紗夜さんの程よい重さと温かさが私の膝に……)
紗夜(羽沢さんの服から微かに珈琲のいい香りが……)
つぐみ「…………」
紗夜「…………」
つぐみ&紗夜(どうしよう、想像以上に心地いい)
紗夜(何か言うべきかしら……僅かであるけど私の方が先輩ではあるし、ここは気の利いた言葉の1つでも……いや、でもなんて言えば? 羽沢さんの膝、気持ちいいですね……いえ、これだとヘンタイみたいな響きになってしまうわ……)
つぐみ(わー、わーっ、膝の上に紗夜さんの頭があるだけなのになんでこんなに幸せな気持ちになるんだろ!? すごくドキドキしてるし、なんだかクセになりそう……。紗夜さんはどう思ってるのかなぁ、あっちじゃなくてこっちに顔向けてくれないかなぁ)
紗夜(そもそも、そもそもの話、後輩に膝枕をしてもらうということが色々と間違っている気がしてならない。だけどなんだか懐かしい気持ちというか、母の胸に抱かれた気持ちというか父の背におぶさった気持ちというか、まるで春に吹く風のようにどこかノスタルジックで心地のいい爽やかな懐かしさが胸に去来しているから、少しくらい間違えてもいいのではないかという思いがないでもないわ)
つぐみ(紗夜さんは何を考えてるのかな。あれかなぁ、髪の毛撫でたりしたらやっぱり怒られるっていうか嫌な気分になっちゃうかな? でも撫でたいなぁ、紗夜さんに無防備に横顔を晒されて何もしないでいなさいなんて言われても無理だし、今ここにめん棒と耳かきがあれば絶対に私は耳かきしてただろうなぁ。こころちゃんに言えば用意してくれたりしないかなぁ)
紗夜(だけどやっぱり、こう、先輩として、風紀委員として、やっていいことと悪いことの判断はまだしっかり出来るわ。もしもこの状態で何か優しい響きの言葉を囁かれたり髪を梳かれたりなんかしたらもう理性がどこかへ旅立ってしまうだろうことは痛いほど分かるけれど、まだ大丈夫。流石に羽沢さんだってそんなことをしようだなんて微塵も考えてはいないだろうし、きっと私の理性はこの部屋を出るための10分の間で崩壊することはないはず。だからこのまま黙っていればいいんだ。この、心を解きほぐすような緩やかな温もりと珈琲の微かな優しい香りに身を委ねていていいんだ。不可抗力だから仕方のないことよね)
つぐみ(撫でたい。すごく撫でたい。緩いウェーブのかかった髪に指を通したい。柔らかくて気持ちいいだろうなぁ。膝にちょっと触れただけであんなにくすぐったくて気持ちよかったんだから、手でそれに触れられたら絶対にもっと気持ちいいだろうなぁ。でも流石に私が気持ちよくなるためだけに紗夜さんに触れるだなんてよくないことだし、そんなことを言って幻滅されたりなんかしたら今年一杯は立ち直れないだろうからちょっとなぁ。……でもこの情況がもう既に色々とよくないことだし、今ならちょっとくらいよくないことを重ねても神様は見逃してくれるんじゃないかな)
紗夜(ああ……一度仕方がないと受け入れてしまうとダメだ……なんだか瞼が重くなってきてしまった……マズイ、このままでは眠ってしまうわ。羽沢さんに膝枕されて眠るだなんて威厳や体面的な部分からしてあまり好ましくないことは間違いないけれど、それ以上にこの心地よさを与えてくれる時間を眠って過ごすことがものすごくもったいない。機会損失だ。仕方のないことなのだからいっそもうこの時間を楽しんでしまえという気持ちがあるから眠りたくない。それにあっさりと眠りに落ちる私を羽沢さんが見たらどう思うだろうか。きっと『部屋から出るために仕方なくやっていることなのに一人で眠るなんて、勝手な人だ』と思われてしまうに違いない。ここは耐え忍ばなければならない)
つぐみ(いっそ紗夜さん、寝てくれないかなぁ。もしも紗夜さんが瞳を閉じて穏やかな寝息を漏らしたなら……あー、やっぱりダメかも。うん、ダメだよ。私に身を預けて眠る紗夜さんが目の前にいたら、絶対髪の毛を撫でるだけじゃ終わらないもん。余すことなく髪の毛先までその感触を堪能したあと、そーっと紗夜さんの顔を動かして、私の方に向けちゃうもん。紗夜さんの無防備で可愛い寝顔を独り占めしちゃうよ、絶対。それは流石にマズイと思う。そんな顔を見せられたら私は何をしちゃうのか……想像できない。とりあえず写真撮っちゃうし、それで済めばいいけど、もしかしたらもしかしちゃう可能性がすごく大きい。高校生にそれはまだ早い……あ、でもひまりちゃんが「今時の女の子はそーいうものなの!」みたいなこと言ってたなぁ。じゃあいいのかな? いいんじゃないかな?)
ドア<カチャ
紗夜「おや……?」
つぐみ「うん……?」
紗夜「ドアから音がした……わね」
つぐみ「しました……ね」
紗夜「……気付かないうちに10分が経っていたのかしら」
つぐみ「……たぶん?」
紗夜「開いた……のかしらね」
つぐみ「もしかしたら……」
紗夜「…………」
つぐみ「…………」
紗夜「……一応、様子を見てきま」
つぐみ「いえ私が行きます」
紗夜「え、ですが」
つぐみ「大丈夫です。ちょっと紗夜さん、頭持ち上げてもらってもいいですか」
紗夜「あ、はい」
つぐみ「ありがとうございます。それでは……」スッ、スタスタ、ガチャパタン
紗夜「え」
つぐみ「…………」ガッ、ガッ
紗夜「あの」
つぐみ「ごめんなさい紗夜さん。開いてたんですけど、うっかりまた閉めちゃいました。開けて閉めちゃったんで、また鍵がかかっちゃいました」
紗夜「…………」
つぐみ「……だから、その……」
紗夜「……し、」
つぐみ「し……?」
紗夜「し、仕方がないですね。弦巻さんのお宅はドアもいい素材を使っていますからどれも重たいでしょうし、そういう時もあるわよね」
つぐみ「そ、そうなんです。ついうっかり」
紗夜「間違いというものは誰にでも存在しますからそれを責めるだなんてことは私には出来ません。これも不可抗力というものね」
つぐみ「そうです不可抗力ですこれは仕方のないことだったんです本当にごめんなさい紗夜さん」
紗夜「羽沢さんが謝る必要なんて微塵もありませんよこれは不可抗力であって致し方のないことですしそもそもの原因は弦巻さんにありますから私と羽沢さんがこの部屋で膝枕をするのも何も悪いことではありません」
つぐみ「ですよね!」
紗夜「ええ」
つぐみ「それじゃあ、紗夜さん」
紗夜「はい。また少し失礼します」
つぐみ「……あの、他意はないんですけど……今度はこっち側に顔を向けませんか?」
紗夜「……そうね。同じ体勢だと正式にカウントされないという可能性が非常に大きいからこれも不可抗力というものですから」
つぐみ「ですよね!」
紗夜「ええ」
つぐみ「それと、紗夜さんの髪を撫でてもいいですか?」
紗夜「私は羽沢さんに身を預けている立場ですから、羽沢さんの好きなようにしていただいて結構ですよ」
つぐみ「分かりました!」
紗夜「だけど……」
つぐみ「だけど?」
紗夜「……出来ればでいいので……優しくしてください」
つぐみ「任せてください!!」
その後、紗夜さんとつぐみさんがその部屋から出てきたのはもう陽が沈もうかという時間だったとさ
おわり
参考にしたつもりでした
診断メーカー
さよつぐは『相手の太ももに10分顔を挟まないと出られない部屋』に入ってしまいました。
50分以内に実行してください。
https://shindanmaker.com/525269
お誕生日おめでとうございます、つぐみさん。そしてごめんなさい。
○○しないと出られない部屋、という話を書いてみたいと前々から思っていました。
いざ書いてみたら何かが違う気がしました。いつかリベンジ出来たらいいなと思います。
山吹沙綾「出られない部屋」
※キャラ崩壊してます。
――弦巻邸――
弦巻こころ「ということなのよ!」
山吹沙綾「……え?」
市ヶ谷有咲「……は?」
こころ「紗夜とつぐみ、とーっても幸せそうだったの! だからあなたたちにも入って欲しの」
沙綾「えぇっと……?」
有咲「話は分かったけど、なんでそれに私と沙綾が……」
こころ「香澄が言っていたわよ? 沙綾と有咲はどう見ても好き同士なのに、全然素直じゃないんだー、って」
沙綾「ええ……?」
有咲「弦巻さんに何言ってんだあのアンポンタンは……」
こころ「じゃあそういうことだから! 楽しんでいって頂戴!」ガチャ、パタン
沙綾「……行っちゃった」
有咲「ていうか楽しんでいって頂戴って……まさか?」
沙綾「…………」ガッ、ガッ
沙綾「……ドア開かないし、そのまさかっぽいね」
有咲「マジかよ……この部屋がそうなのかよ……」
沙綾「うん……」
有咲「はぁ……」
沙綾「…………」
有咲「…………」
沙綾「えぇと、どうしよっか、有咲」
有咲「どうしようもこうしようも……出るためにはやるしかねーじゃん」
沙綾「まぁそうだよね。なんだっけ、モニターの前のボタンを押すんだっけ」
有咲「みたいなこと言ってたなぁ」
沙綾「モニターの前のボタン……アレかな。これ見よがしに置いてある」
有咲「それだな。どんなお題が出てくるか知らないけど……まぁあの真面目な紗夜先輩と羽沢さんがすんなり出来るようなもんが出てくるんだし、無理難題が出る訳じゃないだろ」
沙綾「……でもつぐみ、紗夜先輩が絡むとたまにおかしくなるんだよね」
有咲「え、マジで?」
沙綾「マジで。紗夜先輩と出かける時はすごい気合入ったおめかししてるし、羽沢珈琲店に紗夜先輩がいると笑顔が5割増しで輝くし」
有咲「マジかよ。次から羽沢さんを見る目が変わりそうだよ……って、今はそれはどうでもいいか」
沙綾「そうだね、とりあえずぱっぱと押して部屋から出ないと。香澄たちを待たせる訳にはいかないし」
有咲「まぁまだ蔵練(蔵で練習の略)まで3時間くらいあるけどな」
沙綾「それでも一応ね? それじゃあ押すよー」ポチ
有咲「ん」
モニター<ブゥン
モニター『 … … お題 』
モニター『虫歯があることを白状しないと出られない部屋』
沙綾「虫歯?」
有咲「え」
沙綾「虫歯があることを白状って、なんだかびっくりするくらい拍子抜けだったね」
有咲「そ、そ、そう……だな」
沙綾「……有咲?」
有咲「な、なに?」
沙綾「まさかとは思うけど……」
有咲「な、なんだよその目は?」
沙綾「私は虫歯はないよ。有咲は?」
有咲「あ、ああある訳ねーだろ、そんなガキじゃねーんだから……は、はは……」
沙綾「でも、部屋の扉開かないみたいだよ?」
有咲「……なんでだろーなー? 不思議だなー」
沙綾「…………」
有咲「…………」
沙綾「ちょっとあーんしてみて、有咲」
有咲「な、なんでだよ!?」
沙綾「いやほら、確認しないと」
有咲「い、いやいや! だったらまず沙綾の方から……」
沙綾「いいよ。口開けるから見てみて」アーン
有咲「…………」
沙綾「ありふぁ?」
有咲「あ、ああうん、すごく健康的な歯だな」
沙綾「ん、ありがと。じゃあ次は有咲だね?」
有咲「…………」フイ
沙綾「有咲ぁ? どうして顔を背けるのかなぁ?」
有咲「い、いや……ほら、なんてーか……な? 口の中って自分でもあんま見るもんじゃねーし、そういうとこ見られるのちょっと恥ずかしいっていうか……」
沙綾「私は見せたのに?」
有咲「そ、それは……ていうかまずそこだよ! 沙綾は恥ずかしくなかったのかよ!?」
沙綾「別に有咲にならいいかなって私は思うよ」
有咲「なっ、なんだよそれっ!」
沙綾「そのままの意味だけど」
有咲「意味深だよ! ちゃんと想像してみろよっ、無防備に口を開けて、口の中を全部見られるって!」
沙綾「うーん……確かにそう考えるとちょっと恥ずかしい……かも?」
有咲「だろ!?」
沙綾「でも有咲、それを私にやらせたよね?」
有咲「うぐ……」
沙綾「有咲、恥ずかしいことは私にやらせるのに自分はやらないんだ。酷いなぁ」
有咲「べ、別に私は強要してねーし! 沙綾が自分から開いたんだろ!?」
沙綾「有咲が開けっていうから開いたのに……恥ずかしかったなぁ、有咲に口の中全部見られたの……」
有咲「ちょ、そ、そんな風に言うなよ」
沙綾「だから今度は私の番だよね?」
有咲「……え?」
沙綾「今度は私が有咲の口を開いていい番だよね?」ズイ
有咲「いや、ちょ、ち、近くねーか沙綾?」
沙綾「近くない近くない。これも仕方のないことだから。ほらほら、早くしないと練習に遅刻しちゃうよ?」
有咲「いや、だからってこんな……!」
沙綾「往生際が悪いなぁ。それなら……えい」ギュム
有咲「なんで私の顔を両手でホールドすんだよ!?」
沙綾「だって有咲、逃げるし」
有咲「に、逃げてねーって!」
沙綾「じゃあちゃんとこっちに顔向けて、お口あーん出来る?」
有咲「…………」
沙綾「有咲?」
有咲「……そ、それは……恥ずかしいから……やっぱ無理……」
沙綾「…………」ゾクゾク
沙綾「ふ、ふふ……」
有咲「……さ、沙綾? なんか、笑顔が怖くなってない?」
沙綾「気のせいだと思うよ?」
有咲「気のせいか……? なんかすげー嫌な予感がするけど……」
沙綾「気のせい気のせい。別に、有咲の恥ずかしがってる顔が素敵だなぁとかもっと意地悪したいなぁとかそのあとすごく優しくしたいなぁとか全然思ってないよ」
有咲「ぜってー気のせいじゃねーだろ!?」
沙綾「さ、有咲。お口あーんしよ?」
有咲「だ、だからそれは恥ずかしいんだって!」
沙綾「ダメだよー、ちゃんと見せてくれないと。虫歯があるって白状しないと出られない部屋なんだから」
有咲「だ、だから……はっ、そうか!」
沙綾「ん?」
有咲「私、実は虫歯があるんだ! ちょっと昔に出来たやつだけど!」
ドア<カチャ
有咲「開いた! ほら、今ドアから音した! だから沙綾、ちょっと離れ――」
沙綾「気のせいじゃない?」
有咲「気のせいじゃねーよ!」
沙綾「私には聞こえなかったなぁ」
有咲「嘘つけ!」
沙綾「まぁ確かに有咲の言う通りドアは開いたかもしれないね。でもさ、有咲の口の中に虫歯があることは確実だよね?」
有咲「い、いや、まぁそうだけど……」
沙綾「よくないなー、それはよくない。ちゃんとどこにあるか確認しないと」
有咲「ど、どうして沙綾がそんなこと確認するんだよ!?」
沙綾「有咲のこともっと知りたいから、かな?」
有咲「んなっ……」
沙綾「ねぇ有咲。有咲のこと……恥ずかしいところも隠したい場所も、全部見せて欲しいな」
有咲「ちょ、そんな……」
沙綾「私に見せるの、嫌?」
有咲「や、やめろって……そんなの……」
沙綾「嫌なら振りほどいて欲しいな」
有咲「……ぅぅ」
沙綾「振りほどかないんだ? 有咲、本当は見せたいんだ?」
有咲「耳元でそんなこと囁かないでくれ……違うんだよ……」
沙綾「何が違うの? 恥ずかしいんだよね? 恥ずかしいのに、でも嫌じゃないんだよね?」
有咲「それは……」
沙綾「ふふっ。やっぱり有咲、すっごく可愛いなぁ」
有咲「…………」フイ
沙綾「こーら。ちゃんとこっちに向いてないとダメだよ? ほら、怖くないよ。大丈夫だよ。ね? 痛いことはしないから、有咲の顔を見せて欲しいな」
有咲「……わ、分かったよ……」
沙綾「ちゃんとこっち向けたね。えらいえらい。それじゃあほら、あーんして?」
有咲「……そ、それは」
沙綾「やっぱり恥ずかしい? それなら……私が開けてあげよっか?」
有咲「いや、それはもっと恥ずかしい……や、やめろって……頼むから、私の口元に指を這わせないで……」
沙綾「やめてほしい? やめてほしいなら、ちゃんと態度で示して欲しいなぁ」
有咲「……どうすりゃいいんだよ」
沙綾「私の顔を見て、嫌だって言ってくれたらいいよ。有咲が本当に嫌がることはしたくないから」
有咲「…………」
沙綾「言えない? そっかぁ、言えないんだ。有咲も本当は嫌じゃないんだ? 恥ずかしいだけで、本当は嬉しいんだ?」
有咲「う、うるせー……沙綾なんてキライだ……」
沙綾「ふふ、ごめんね。イジワルしすぎちゃったね」
有咲「……知るかっ」
沙綾「本当に可愛いなぁ、有咲は。さ、それじゃああーん、しよっか?」
有咲「…………」
沙綾「大丈夫だよ。有咲がちゃんとあーん出来るまで待ってるから。もう急かさないよ。ゆっくりでもいいんだよ」
有咲「…………」
沙綾「頑張れるかな? 頑張れるよね? 有咲はやれば出来る女の子だもんね。しっかり出来るまでちゃんと見守ってるからね」
有咲「……あ、あーん……」
沙綾「えらいえらい。ちゃんとあーん出来たね。それじゃあ、ちょっと確かめさせてもらうね?」ナデナデ
有咲「ふあ……」
沙綾「虫歯さんはどこかなぁ。可愛い有咲を苦しめる悪い子はどこかなぁ」
有咲「…………」
沙綾「あ、見つけた。右の奥歯だね。磨きづらいところに出来ちゃったんだ」
有咲「……うぅ」
沙綾「大丈夫だよ。恥ずかしくないよ。歯を磨いてたって、大人だって虫歯は出来るんだから。ちゃんと治しに行こうね?」
有咲「…………」
沙綾「あ、もしかして……歯医者さんが怖いのかな? 大丈夫だよ。そうしたら私が一緒に行ってあげるから。怖いことなんてないよ。大丈夫。私がちゃんと見守ってるからね?」
有咲「……うん」
沙綾「有咲はいい子だね。えらいえらい。恥ずかしいのに頑張って見せてくれてありがとね。もうお口閉じて平気だよ」ナデナデ
有咲「ん……」
沙綾「さ、それじゃあ……」
有咲「あ……」
沙綾「次はこころから歯ブラシ借りてきて、有咲の歯磨きしてあげるよ」
沙綾「もう二度と有咲を苦しめる虫歯が出来ないように、歯も舌も、口の中の隅々まで、全部綺麗にしてあげるからね?」
有咲「…………」
有咲「……うん」
沙綾「素直な可愛い有咲も大好きだよ」
有咲「私も……沙綾のことだいすき……」
このあとめちゃくちゃ歯磨きした。練習には遅刻した。
おわり
参考にしました
診断メーカー
ありさーやは『虫歯があることを白状しないと出られない部屋』に入ってしまいました。
120分以内に実行してください。
https://shindanmaker.com/525269
リベンジのつもりでした。普通に惨敗しました。関係ありませんけど化物語の歯磨きするシーンが好きです。本当にごめんなさい。
湊友希那「雑談」
――ファミレス――
湊友希那「…………」
氷川紗夜「…………」
友希那「この前」
紗夜「はい」
友希那「本を読んだの」
紗夜「どんな本ですか?」
友希那「猫を乗せたタクシーの物語よ」
紗夜「ああ、小さな頃にドラマを少し見た覚えがあります。三毛猫を助手席に乗せて営業するタクシーの話ですね」
友希那「ええ、それね。それで思ったんだけど……猫って可愛いわよね」
紗夜「そうですね。動物というのは基本的にみんな愛くるしいですから、癒されますね」
友希那「紗夜は犬の方が好きなのよね」
紗夜「ええ。ですが、可愛いものを嫌いな人はそうそういないですから、猫も好きですよ」
友希那「そう。私も、猫の方が好きだけど犬だってそれなりに好きよ」
紗夜「はい」
友希那「…………」
紗夜「…………」
友希那「動物と言えば」
紗夜「はい」
友希那「アニマルセラピーってあるわよね」
紗夜「ありますね」
友希那「医療の場にも可愛い動物が活躍しているということは、私たちもそれを取り組むべきなのではないかしら」
紗夜「と言うと?」
友希那「いつぞやかに、スタジオに戸山さんを連れてきたじゃない?」
紗夜「ああ……猫のあとに連れてきた時の」
友希那「ええ。だから私たちも、猫と一緒に音楽――」
紗夜「湊さん」
友希那「……ごめんなさい。私のミスだわ」
紗夜「いいえ」
友希那「お詫びにポテトでも頼むわね」ピンポーン
紗夜「お詫びであればそれを断るのも湊さんに失礼ですしお言葉に甘えさせて頂きます」
ウェイトレス「ご注文をお伺いします」
友希那「大盛りフライドポテトを1つと、ドリンクバーを2つお願いします」
ウェイトレス「かしこまりました」
友希那「飲み物をとってくるわ。紗夜は何がいいかしら」
紗夜「……ウーロン茶をお願いします」
友希那「コーラとかじゃなくていいの?」
紗夜「何故、そのようなことを聞くんですか?」
友希那「いつもポテトを食べている時は炭酸を飲んでいるような気がしたからよ」
紗夜「そうですかそれでは湊さんの親切心を裏切る訳にもいきませんからコーラをお願いします」
友希那「いえ、別にウーロン茶でも」
紗夜「コーラでお願いします」
友希那「分かった。それじゃあ行ってくるわ」
紗夜「…………」
紗夜「湊さん、よく見ているわね……」
友希那「お待たせ」
紗夜「いえ。ありがとうございます」
友希那「…………」
紗夜「…………」
友希那「話を戻すけど」
紗夜「はい」
友希那「可愛いものっていいわよね」
紗夜「ええ、そうですね」
友希那「紗夜は何か飼ってみたい動物はいない?」
紗夜「一番は犬……ですが、鳥もいいんじゃないかと思います」
友希那「へぇ、鳥」
紗夜「はい。場所も取りませんし、インコは歌を覚えたりしますから」
友希那「…………」
紗夜「これくらいはセーフでは?」
友希那「……そうね。セーフにしましょう」
紗夜「よかった」
友希那「小鳥も確かに可愛いわね」
紗夜「ええ。この前、ネットでこんな動画を見つけました」スッ
友希那「なになに……音に合わせて歩くオカメインコの動画……」
紗夜「はい。飼い主さんがおもちゃの太鼓を叩く音が好きらしくて、ご機嫌で机の上を歩き回る動画です」
友希那「見てみても?」
紗夜「是非」
友希那「ちょっとスマホ借りるわね」
紗夜「どうぞ」
友希那「…………」
紗夜「…………」
紗夜のスマホ<トコトコトコトコ...
友希那「……ふふ」
紗夜「可愛いですよね」
友希那「ええ。叩くのをやめると足を止めて『やめるの?』という風に飼い主さんを見つめるところなんか、とても愛らしいわ」
紗夜「そうですよね。私も飼うならこんな小鳥がいいですね」
友希那「あまり気にしていなかったけれど、確かに小鳥という選択肢もいいわね」
紗夜「でしょう?」
友希那「……あら、この紗夜のお気に入りリスト……」
紗夜「なにか?」
友希那「……いえ、なんでもないわ。ありがとう、スマホ返すわね」
紗夜「どういたしまして」
友希那(お気に入り動画にやたらと『ツグミの鳴き声』とか『ツグミの生態』とかあったけれど……鳥が好きなだけよね)
紗夜(そういえばこのお気に入りリスト、思わず登録したツグミの動画がたくさんあったわね……まぁお気に入りなのに間違いはないし、湊さんも変な邪推はしないでしょう)
友希那「…………」
紗夜「…………」
ウェイトレス「お待たせしました。大盛りフライドポテトでございます」コトッ
友希那「どうも」
ウェイトレス「ごゆっくりどうぞ」
友希那「どうぞ、紗夜」
紗夜「ええ、頂きます」
友希那「まぁ私も食べるんだけど」
紗夜「…………」モグモグ
友希那「……そういえば」モグモグ
紗夜「湊さん、食べながら喋るのはお行儀がよくありません」
友希那「そうね」
紗夜「…………」モグモグモグモグ
友希那(流石紗夜……ポテトを食べるペースが異様に早いわね。なんだか取りづらいわ)モグ、モグ
紗夜(湊さんはあまり食べないのかしら。なら全部頂いてしまいましょう)モグモグモグモグ
紗夜「……ごちそうさまでした」
友希那「…………」
紗夜「湊さん? どうかしましたか?」
友希那「いえ……ポテトってこうやって食べるものだったか少し考えていて……」
紗夜「ポテトは冷める前に食べるのが礼儀だと思いますが」
友希那「そういうことじゃなくて、例えば……リサとあこが私たちのようにポテトを食べているとするじゃない?」
紗夜「はい」
友希那「そうしたら、こう……お互いにポテトをつまみながら、色々なことを話すと思うの」
紗夜「そうですね。宇田川さんと今井さんならそうするでしょうね」
友希那「私の印象では、そういう方がファミレスのポテトの正しい食べ方のような気がするのよ」
紗夜「なるほど。確かにそれも一理あるかもしれません」
友希那「でしょう?」
紗夜「ですが、湊さん」
友希那「何かしら」
紗夜「食事の作法というのは国や文化、宗教によって千差万別です。それでもそれらの根幹にあるのは食材への感謝に違いありません」
友希那「そうね」
紗夜「であれば、宇田川さんや今井さんは話のつまみとして食べることが一番の感謝だとしていて、私と湊さんは美味しいうちに食べることを一番の感謝だとしている。ただそれだけの違いです」
友希那「……そうなのかしら」
紗夜「はい。誰が正しくて誰が間違っている、なんて定義すること自体が間違いなのです。全員がポテトに対してそれぞれの信念と正解を持っているんです」
友希那(そんなに高尚な話だったかしら)
紗夜「これはきっと音楽にも――」
友希那「紗夜」
紗夜「……すみません。少し興が乗り過ぎました」
友希那「いいのよ。気持ちは分からないでもないから」
紗夜「お詫びと言っては何ですが、ドリンクバーのおかわりを持ってきます」
友希那「じゃあ……温かいココアを」
紗夜「分かりました」
友希那「…………」
友希那「……紗夜って時々、とても饒舌になるわよね」
紗夜「お待たせしました」
友希那「ありがとう」
紗夜「いえ」
友希那「…………」
紗夜「…………」
友希那「そういえば」
紗夜「はい。先ほど言いかけた言葉ですか?」
友希那「いいえ。……あれ、さっきはどんな話をしようとしていたんだっけ……」
紗夜「たまにありますよね、そういうことも」
友希那「ええ。モヤモヤするんだけど、思い出してみれば本当に下らないことだったりするのよね」
紗夜「分かります。私はあまりないけれど、日菜がよくそんなことを言ってきますから」
友希那「へぇ、日菜が。確かに簡単に想像できるわね」
紗夜「はい。よく私の部屋に来ては『なに話そうとしたか忘れちゃった』と言って、そのまま部屋にずっと居座ったりしますから」
友希那「それは最初から紗夜に構ってもらいたいだけなんじゃないのかしら?」
紗夜「そうでしょうか? 日菜のことだからパッと思い付いたことをスッと忘れているだけのような気がしますけど」
友希那「それもあるとは思うけれど、やっぱり一番は紗夜と一緒にいたいってことだと思うわよ」
紗夜「……言われてみるとそんな気もしてきますね」
友希那「ええ。日菜だって気が済めばすぐに自分の部屋に戻るでしょうし」
紗夜「いえ、あの子の気が済むまで、と言っていると夜が明けていたりしますから」
友希那「そうなの?」
紗夜「はい。この前の休日は日菜も私の部屋で寝ていました」
友希那「仲が良いわね。いいことだと思うわよ」
紗夜「ええ。ただ、別に同じ部屋で寝るのは構わないのですが……」
友希那「何かあるの?」
紗夜「たまに寝ぼけて私のベッドに潜り込んでくるのはどうかと思います」
友希那「別に姉妹ならいいんじゃないかしら?」
紗夜「大人しくしているならいいんですけど、大抵強く抱き着いてきて寝苦しい思いをするので……」
友希那「ああ、紗夜がたまに眠そうにしている日があるのはそのせいなのね」
紗夜「そこだけ直してくれれば特に文句はないのですが……寝相は言っても直すのが難しいでしょうから、半ば諦めていますね」
友希那「そうね。姉として受け入れるしかないわね」
紗夜「はい」
友希那のスマホ<ピッ
友希那「あら?」
紗夜「おや?」
友希那「もう動画撮影のタイマーが作動したわね」
紗夜「ええ。案外早かったですね」
友希那「ふふ、音楽の話題を禁止してもしっかり雑談が出来ていたわね」
紗夜「はい。もうそれなりに付き合いも長いですから、これくらい簡単ですね。あとはこれを今井さんに見せれば……」
友希那「リベンジ達成ね。あの子ってば、音楽の話題を禁止したら私たちが何も話せないと思ってる節がまだあるものね」
紗夜「まぁ、お互い少しルール違反をしそうでしたけど」
友希那「それくらいは目を瞑ってくれるわよ」
紗夜「そうですね。一応もう少し動画を撮っておきますか?」
友希那「そうね。ぐうの音も出ないほど完璧な雑談をリサに見せてあげましょう」
紗夜「はい」
……………………
――後日 CiRCLE・スタジオ――
スマホ<ソウネ、アネトシテウケイレルシカナイワネ
友希那「どうかしら、リサ?」
紗夜「私と湊さんだって、音楽の話題を禁止されてもこうして雑談が出来るんですよ」
今井リサ「……ふ、ふふ、そうだね」
友希那「……? どうしてそんな笑っているのかしら?」
リサ「いや、なんていうか、ちょっとね?」
紗夜「私と湊さんの想像ではもう少し驚いたり褒めたりするものだと思っていましたが」
リサ「褒められると思ってたんだ……ふふ……」
友希那「何がそんなにおかしいのかしらね?」
紗夜「さぁ……?」
リサ(いきなりドヤ顔でスマホ渡されて、こんな動画見せられたらこうなるよ)
リサ(2人とも生真面目すぎて微笑ましいっていうか……)
リサ(黙々とポテト食べ続ける紗夜とそれを見てちょっと呆然としてる友希那とかすごく小動物っぽくて可愛いし……思い出すだけで口がにやけそうだよ)
リサ「うんうん、2人ともやれば出来るんだね。すごいすごい」
友希那「これくらい当然よ」フンス
紗夜「ええ、湊さんの言う通りです」フンス
リサ「すごい得意気……ふふ、かわいい……」
友希那「リサ?」
リサ「あ、ううん何でもないよ。……あれ、続きの動画もあるんだ?」
紗夜「あっ、それは」
リサ「どれどれ、こっちは……」
友希那「ちょっとリサ、そっちは……」
スマホ<ソウイエバ、サヨトコンナニチカイコトッテナカッタワネ...
リサ「え」
スマホ<ソウ...デスネ...デモ、ワルイキハシマセン
リサ(ファミレスの席に隣同士で座って、なんか肩と顔を寄せ合ってる……?)
友希那「そ、そっちはまた別件になったから、違うやつだから」
紗夜「そ、その通りです。それはNGというかお蔵入りというか、そういうのですから」
リサ(しかもなんか2人とも慌ててる……)
スマホ<ソウネ。タマニハ...イイワネ
友希那「リ、リサ? そろそろスマホを返してくれないかしら?」
紗夜「え、ええ。その先は特に面白いこともなにもないですから、見ても何もないですよ?」
リサ「……もうちょっと見てみたいなぁ」
友希那「それはダメよ、断固拒否するわ」
リサ「そこをなんとか――って、紗夜? どしたの、アタシの後ろに立って?」
紗夜「……それを見せる訳にはいきません」ガシッ
リサ「えっ」
紗夜「湊さん、私が今井さんを捕まえているうちに早くスマホを」
友希那「ナイスプレ―よ、紗夜」スッ
リサ「ああ、取られちゃった」
友希那「まったく……人が嫌がることをしてはいけないのよ、リサ」
紗夜「ええ、その通りです。それにあれは一時の気の迷いですから」
リサ「……一時の気の迷いって、2人で何してたの?」
友希那「…………」
紗夜「…………」
リサ「友希那? 紗夜?」
友希那「……それは」
紗夜「……私と湊さんの秘密です」
リサ「……そうなんだ」
リサ(めっちゃ気になる。今度友希那の部屋に泊まりに行ってこっそり見てみよ)
友希那(あのリサの顔……何かよからぬことを企てているわね)
紗夜(湊さんの手、意外と柔らかいのよね……って、私は何を考えているのかしら……)
そんな三者三様の思惑が入り乱れる練習に、りんりんとあこちゃんが首を傾げることになるのでしたとさ。
おわり
おまけ
――ファミレス――
友希那「さて、もう一度動画撮影を開始したけど……何か話題ってあるかしら?」
紗夜「……そういえば」
友希那「何かあるのね?」
紗夜「はい。最近、白金さんから電子書籍を勧められました」
友希那「電子書籍って、あの、スマホで本が読めるっていう?」
紗夜「それですね。今は月額で読み放題のサービスもあって、なかなか種類も豊富みたいです」
友希那「へぇ……ネットってすごいのね」
紗夜「パソコンで世界中の人と一緒にゲームが出来るくらいですから」
友希那「それで、何か面白い本があったのかしら?」
紗夜「面白いかどうかは別ですけど、ネット通販の最大手が提供している月額読み放題サービスで、よく実用書などを読みます」
友希那「実用書……」
紗夜「それで、今回の目的に合った『会話が15分以上続けられるようになる漫画』というのを昨日読んできました」
友希那「そんな本まであるのね」
紗夜「湊さんも読んでみませんか?」
友希那「そうね。作曲――ええと、これからの人生において何かの糧になるかもしれないから」
紗夜「では折角なので一緒に読みましょうか」
友希那「そうしたら……私が紗夜の隣に行けばいいかしらね」
紗夜「ええ、お願いします」
友希那「それじゃあ、ちょっと隣に失礼するわね」スッ
紗夜「はい、どうぞ」
友希那「それで、これが電子書籍というものなのね」
紗夜「指先一つでページが捲れますし、場所も取らないのでなかなか便利ですよ」
友希那「へぇ……」
紗夜「ただ、白金さんは『小説なんかはやっぱり本という媒体で読みたい』と言っていましたね。私もそれには共感が出来ます」
友希那「確かに、紙の匂いや感触っていうのもいいものね」
紗夜「はい。ああ、話が逸れましたね。それで、これがその会話が続くという本です」
友希那「ふむふむ……会話は気持ちのキャッチボール……」
紗夜「ええ。難しくああだこうだと考えるより、相手を見て、相手と自分の気持ちを合わせることが大事のようです」
友希那「なるほどね……それにしても」
紗夜「はい?」
友希那「やっぱり2人で1つのスマホを覗き込むのは少し窮屈ね」
紗夜「そうですね。タブレット端末なんかがあればもっと読みやすいのでしょう……けど」
友希那「……けど?」
紗夜「いえ……なんというか……言葉にするのが難しいのですが……湊さんが近いな、と」
友希那「そういえば、紗夜とこんなに近いことってなかったわね……」
紗夜「そう……ですね……でも、悪い気はしません」
友希那「そうね。たまには……いいわね」
紗夜「……ええ」
友希那「…………」
紗夜「…………」
友希那「つ、次のページに行きましょうか」スッ
紗夜「え、ええ」スッ
友希那「あ」
紗夜「あ」
友希那(紗夜と手が……)
紗夜(湊さんと手が……)
友希那(普段ギターを弾いているところを見ているけど……やっぱり紗夜の指って綺麗よね……)
紗夜(いつも力強くマイクを握って歌っているけれど……湊さんの手、柔らかいわね……)
友希那「ご、ごめんなさい、紗夜」
紗夜「い、いえ、こちらこそ……」
友希那「…………」
紗夜「…………」
友希那(……マズいわね)
紗夜(何を話したらいいか分からなくなってしまったわ……)
友希那(……でも)
紗夜(……けど)
友希那&紗夜(何故だか沈黙が妙に心地いい……)
おわり
白金燐子「おとぎ話」
とある世界にとても大きな大陸がありました。その大陸では昔に戦争が起こり、多くの人が剣を手に取って戦い、死んでいきました。
その大陸の中央都市からやや北西に外れた街のさらに外れに、一人の物書きがいました。
彼女は物心ついたころから天涯孤独の身で、必要な時以外には他人と関わらないようにして、息をひそめるように静かに暮らしていました。
街に住む人々は物書きを「さびしい人間だ」と言って、哀れんだり蔑んだりして、奇異の目を向けていました。
物書きはそれらの言葉や視線にただただ嫌悪感を抱いていました。
『人には人それぞれの生き方や考え方があるし、誰にどう思われていようとわたしの人生には関係ない』
生活に必要なものを買いに街へ出るたび彼女はそう思って、人々の言葉や目から逃れるように、いつも早足で用件を済ませては自分の家に帰りました。
そしてひとりの家で本を読み、ペンを手に取っては自分の空想を紙上につづって、それを売り物にして生きていました。
裕福な暮らしではありませんでしたが、物書きはほどほどに幸せでした。
人間は最低限の関りだけで生きていけるから、この先もずっとこうして生きて、そしていつか誰にも知られずに死んでいくんだろう。
そう思っていました。
ある秋の日でした。
家の窓から穏やかな風に揺れる木の葉を眺め、ぼんやりと物思いに耽っていると、ドンドン、とドアをノックする音が聞こえました。
太陽は西へ陰るころで、こんな時間に誰だろうか、と思いながら、物書きは玄関の扉に向かいます。
閉めていたカギを開けてドアノブを下ろし、少しだけ扉を開いて、その隙間から外をうかがいます。そこには自分のあごほどまでの背丈をした少女が立っていました。
「すいません、旅をしているんですけど……街の宿がいっぱいで、今晩泊めていただけませんか?」
ぐるっと一周つばのある帽子を被り、背中に大きなカバンを背負った少女は明るい声でそう言いました。
物書きは一番に、『どうしてわたしの家を訪ねるのだろうか』と思いました。
彼女の家は街の外れも外れで、ともすれば人々からは同じ街に住んでいるとは思われていない場所にありました。うっそうと茂る林も近くにあって、滅多なことでは人も寄りつかない場所です。
街の宿がいっぱいであっても、ここに来るまでにいくらでも民家があっただろうに。
「実は、どこの家も、私みたいに宿からあぶれた人でいっぱいだって言われちゃって……」
物書きの考えていることが分かったのか、旅人だと自称した少女はバツが悪そうに頬を掻いていました。
それ見て、物書きは少し考えました。
このまま少女を見過ごせば、きっと野宿をすることだろう。彼女は旅人だと言っているし、出で立ちからしてそれは嘘ではないはずだから、そういうことには慣れていそうだ。きっと断っても問題がない。
しかし少女を見過ごせば少し寝覚めの悪い思いをするだろう。街の人々とは全く違った少女の無垢な瞳がよりそういう思いを募らせる。
そのふたつのことを天秤にかけてから、ため息を吐き出して、物書きはこう言いました。
「ひと晩だけなら……どうぞ」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
物書きの言葉を聞いて、旅人の少女はパッと笑顔になりました。
それに少しだけ落ち着かない気持ちになりながら、彼女は少女を家に招き入れました。
「泊めてもらうので、なにか私の荷物で欲しいものがあればどうぞ。本当はお金がいいんですけど、あんまり持ち合わせがなくて……」
少女が物書きの家に入り、荷物を置いて、一番に口にした言葉がそれでした。
「別に……」
物書きは少女の荷物を一瞥もせずにそう答えます。
「いえいえ! 旅は道連れ世は情け、持ちつ持たれつが長生きの秘訣だって師匠が言っていましたから、遠慮せずに!」
「…………」
遠慮ではないんだけど、と言おうとしましたが、それも面倒になったので、物書きはさっさと少女の荷物から何かを貰ってしまおうと思いました。
しかし彼女の荷物は、おそらく旅で使うのであろう携帯用の日用雑貨や飲み水、日持ちのする食料といったものばかりでした。それを貰うのは少しだけ心苦しいし、そもそも自分にとっては必要がないものだと物書きは思いました。
「さぁさぁ!」
そんな物書きの胸中を知らず、少女は楽しそうな表情で急かしてきます。彼女はまた小さくため息を吐いてから、頭に思い浮かんだ案を口に出しました。
「……では、話を」
「はなし?」
「はい。わたしは物書きなので……あなたの旅の話を聞けば、それを元にした話を思いつくかもしれませんから」
「そんなものでいいんですか?」
「あなたにとっては“そんなもの”でも、私にとっては財産になるものかもしれません。あなたの持つ水や食料が私にとって“そんなもの”であるように」
「分かりました!」
少しだけ皮肉を込めた物言いをしましたが、少女はまったくそれに気づいていない様子で、「うーんと……」と考えるような仕草をしました。
それを見て、街の人間に対するような物言いはこの子にしないようにしよう、と物書きは思いました。
それから少女は、自分の生い立ちと旅をしようと思ったいきさつを物書きに話し始めました。
少女は元々、大陸の北の方の国で生まれたこと。
十年前に起こった戦争で両親が亡くなったこと。
そこから孤児院で過ごして、そこの院長……少女いわく「師匠」に生きる術を教えてもらったこと。
そして、幼い頃に母親が読み聞かせてくれた絵本のように、世界を旅してみようと思ったこと。
「絵本……ですか?」
「うん! もうずっと昔のことだから、絵本の名前も思い出せないんだけどね。えっと……」
気づいたら見た目相応の幼い口調になっていた少女は、あごに手を当てて言葉を続けます。
「青い鳩が病気のお姫様のために、魔法の木の実を採りに行く話なんだ。それでね、そこで他の鳥とか虫とかに会って話をするの。その中の、鳥……だったかな?」
少女はコホンと咳ばらいをして、
『自分たちは見えている世界の中だけを生きてるんだ。だから、出来るだけ広い世界を知っていた方がいいに決まってる』
と、澄ましたような声を作って言いました。
「その鳥がそういう風なことを言ってて、私も『確かにそうだなぁ』って思っててね? 世界中を見て回ろうって決心したの」
「……そう……ですか」
「だからね、師匠に旅の心得とか技術とかを教えてもらって、二年前に孤児院を旅立ったんだ」
「…………」
少女はニコリと笑って、何の迷いも後悔もなさそうにそう言いました。
物書きはそれになんて言葉を返せばいいのか分かりませんでした。
自分とは似ているようで正反対な少女がただまぶしく見えました。
それからも少女は話を続けていきます。
北の国の孤児院を出て、まずは中央都市に向かったこと。
そのまま中央都市を通り過ぎて、東の国へ行こうとしたら、正反対の西の国に向かっていたこと。
自分と同じような旅人と、少しの間だけ一緒に旅をしたこと。
その時に、悪い人間に騙されてお金を盗まれたこと。
それでも旅人と協力して、悪い人間をこらしめてお金を取り戻したら、近くの村の人々に感謝されたこと。
その旅人が村の人間と恋に落ちて、そこでずっと暮らしていくと決めたこと。
身振りや手振りを交えて、嬉しかったことも悲しかったことも、楽しかったことも大変だったことも、少女は全部を明るい声で話しました。いつしか物書きはその話に没頭していました。
自分が知らない世界のことを、この幼げな少女はずっとよく知っているんだ。
自分が空想の中で知った風にしていることを、肌で感じて知っているんだ。
そう思うと、少女の話はこの世界のどんな書物よりも輝いている素敵なものに感じました。
「ふわぁ……」
旅の話を続けていた少女があくびをして、物書きはすっかり夜が更けていることに気づきました。
「ごめんなさい、長々と話をさせてしまって」
「ううん、私も楽しかったから大丈夫だよ」
「ご飯を食べてもう寝ましょうか」
「あ、それなら私の食料を……」
「いえ、それには及びません」
荷物に手を伸ばした少女を物書きは制しました。
「え、でも」
「こんなに素晴らしい話を聞かせてもらったんです。これ以上あなたから何かを頂いても、わたしから返せるものがありません」
「そうなの?」
「はい。だから気にしないでください」
「分かった! えへへ、ありがとうございます!」
少女は無垢に笑顔を浮かべてお礼を言いました。物書きは、むしろこちらこそ、と思いながら、晩ご飯の支度を始めました。
そしてご飯を食べ終えると、空き部屋を少女にあてがい、物書きも自分の部屋で眠りにつきました。
翌朝、物書きがキッチンで朝ご飯の準備をしていると、眠たそうな目を擦りながら少女がやってきました。
「おはよーございまーす……」
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「久しぶりのお布団だったからぐっすりだったよー……」
まだ半分夢の世界にいるようなやわやわとした口調で言われて、物書きは少し笑ってしまいました。
こうして朝に誰かと挨拶を交わすのはいつ振りだろうか。そんなことを考えながら、彼女は言葉をかけます。
「旅人なのに朝が弱いんですね」
「んー……師匠にも他の旅人にもよく言われる……」
「外に井戸の水を汲んでありますから、ご飯の前に顔を洗ってきてくださいね」
「はーい」
間延びした返事を残して、少女は玄関の方に向かっていきました。
強心臓というか能天気というか……どちらにせよ、ああいう性格の方が旅人に向いているんだろうな。
そんなことを考えながら、物書きは朝食の支度をすすめました。
朝食もとり終わり、少女は大きなバッグを簡単に整理すると、それを背負いました。
「寝床だけじゃなくてご飯までお世話になっちゃって……本当にありがとうございました!」
「いいえ、気にしないでください。わたしがやりたくてやったことなので」
もう出発の時間でした。それにさびしさを感じて、物書きは少し驚きました。ほんのわずかな時間で、あれだけ人を嫌っていた自分が心を許すなんて……と思いました。
「これからどこへ向かうんですか?」
物書きは、さびしさをごまかそうとする気持ちと、別れの時間を長引かせたい気持ちが半々にまざった言葉を少女へ投げかけました。
「西の国には行ったから……今度は南の方の国に行こうかなって思うんだ」
少女は昨日から変わらない、迷いのない明るい声でそう言いました。
その姿に少しだけ迷ってから、
「もし……もしもまたこちらの方に戻ってくるのなら、いつでもわたしのところを訪ねてください」
と、少女に告げました。
「いいの?」
「はい。あなたの旅の話の続きが……聞いてみたいので」
「それくらいだったらお安いご用だよ! えへへ、それじゃあ頼りにさせてもらっちゃうね!」
本心を半分隠した言葉にやっぱり少女は明るい声と笑顔を返してくるのでした。
「それじゃあまたね!」
「ええ。道中、気をつけて」
「ありがとっ!」
ぶんぶんと大きく手を振って、少女は出発しました。
物書きはその後ろ姿が見えなくなるまで、それを見送りました。
それからというもの、少女は旅の途中に物書きの家に寄って、それまでの旅路を話すようになりました。
物書きは、少女がいつでも自分の家に入れるようにと、合いカギを作って少女に渡しました。
中央都市に近いため交通の便もいい物書きの家は、どこへ行くのにも寄りやすい場所にあったことも、旅人の少女には幸いでした。
物書きもたまにフラリと訪れる少女の話を聞くのが好きで、彼女が訪れている間だけはペンを置き、物語をつづる側ではなく楽しむ側になりました。
少女の話はいつも不思議な魅力に満ちていました。
どんなものでも明るい声で語られる話は物書きの心を強く打って、いろいろな感動を与えてくれました。
そうして過ごしていると、まるで鳥が空を翔るように季節は早足に巡っていきました。
気がつけば初めて出会ったときのように秋になっていて、その季節ももう過ぎようかという頃に、少女は物書きの家にやってきました。
そしていつものように物書きに旅の話をして、もうほとんど少女のものになってしまっている部屋でひと晩を過ごしました。
「次はどこへ行くんですか?」
「今度は東の国かな。そこに行けば、この大陸で行ってない場所もほとんどなくなるし」
「そうですか。気をつけてくださいね」
「うん! いつもありがと!」
翌朝、いつものように言葉を交わして、物書きは少女を見送りました。
少女を送り出してからひと月後のことでした。
物書きは街へ買い物に出かけました。
そして日用品や食料を買った帰りに、のんびりと書店を覗いていると、ある絵本が目につきました。
どこかで聞いたことがあるような題名だな、と思い、その場で少し考えていると、ハッと気づきました。
『そうだ、あの子が話していた絵本だ』
ちょうど一年ほど前に少女が話していた絵本の内容とタイトルが重なりました。
あの子はタイトルを忘れてしまったと言っていたけれど、きっとこの絵本が彼女のきっかけになった話なんだろう。
そう思った物書きは、その絵本も買って帰ることにしました。
次にあの子が来てくれたら、一緒にこの絵本を読もう。それまでわたしが読むのは我慢しよう。
まるで幼い子供のようにワクワクしながら、物書きは家路をたどります。
その途中、顔見知りの行商人に声をかけられました。
「どうも、物書きさん」
「こんにちは」
物書きは足を止めて、軽く会釈しました。それからニ、三言、他愛のない会話を交わします。
旅人の少女と接しているうちに、いつの間にか彼女も街の人々に対する嫌悪感をなくしていて、普通に話が出来るようになっていました。
あの子のおかげでずっと世界が広くなったな。こんな風に自分に色々なものを与えてくれたあの子が、買った絵本を見て喜んでくれたらいいな。
そう思うと、物書きの顔には小さな笑みが浮かびました。
「そういえば、聞いたかい?」
「何をですか?」
と、行商人が改まったように声を潜めました。その様子に不穏なものを感じて、物書きもささやくように小さな声で返事をしました。
「どうにもな、東の国できなくさい動きがあるみたいなんだ」
「え……」
東の国。そこは旅人の少女が今向かっている場所だ。
心臓がキュッとするような感覚をおぼえながら、物書きは先をうながします。
「……何かあったんですか?」
「行商仲間に聞いたんだが、ここ一週間くらい、東の国の関が閉じられているんだ。うわさじゃあ、なんでもクーデターが起こって内戦状態なんだって」
「…………」
行商人の言葉が耳の深くまで突き刺さり、物書きは何も言葉を出せませんでした。
まるで自分が自分じゃないみたいな感覚がして、話もそこそこに、彼女はフラフラとした足取りで家に帰り着きました。
それから絵本以外の荷物をキッチンのテーブルに放り出して、家の窓から、東の空を見つめました。
たそがれた空は、東の方からだんだんと暗い色が迫ってきていました。行商人から聞いたうわさ話が頭の中で何度も繰り返されました。
『どうかあの子が無事でいてくれますように』
絵本をギュッと抱きしめながら、物書きはただそう祈りました。
そうしているうちに春になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
物書きは絵本を大事に抱えて、毎朝東の空へ祈りをささげました。
つぎに夏になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
雨の日も風の日も、物書きは東の空へ祈りつづけました。
やがて秋になりました。
旅人の少女はまだ戻ってきません。
風のうわさで、東の国のクーデターが失敗に終わり、内戦がおさまったと聞きました。
そして冬になりました。
一年経っても、旅人の少女はまだ戻ってきませんでした。どれだけ祈っても、姿を見せてくれませんでした。
物書きは、ひとりの家でぼんやりと考えごとをしていました。
こうしてひとりぼっちで一年を過ごしたことが、何十年ぶりにも思えました。
ずっと暮らしてきた自分の家がやけにがらんと広く感じられて、それがさびしくて、旅人の少女のことを考えると胸が張り裂けそうでした。
一年前の冬の日からずっと少女の無事を祈り続けましたが、まだまだ彼女は帰ってきません。
もしものことを考えてしまい、物書きの瞳には冷たいしずくがたまっていきます。
どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。
底冷えのする部屋で、いつしか物書きはそんな自問自答を繰り返していました。
あの子と出会ってしまったから、ひとりがこんなにさびしいと知ってしまった。
あの子と出会ってしまったから、誰かと一緒にいることがあんなに温かいと知ってしまった。
いっそ出会わなければよかった。
そうすれば、わたしはひとりをさびしいと思うこともなく、誰かのぬくもりを知ることもなく、狭い世界の中で、さびしい幸福を感じて生きていけたのに。
そう思ったとたん、物書きの瞳にたまったしずくはとうとうこぼれ落ちてしまいました。
旅人の少女と出会わなかった自分が、今こうしてひとりでいる自分よりもずっとさびしく思えてしまって、涙が止まりませんでした。
物書きは机につっぷし、声をころしてすすり泣き、いつしか泣き疲れて眠ってしまいました。
ふと目を覚ますと、物書きの肩には毛布がかけられていました。
寝起きのぼんやりとした頭で、泣きはらした瞳を指で軽くこすりながら、物書きは考えます。
こんなもの羽織っていたっけ。
眠りに落ちる前のことを思い返すと、机につっぷしたままいつの間にか眠っていた、という記憶しかありませんでした。
そこで物書きは一気に目が覚めました。
彼女はいつも、家にはカギをかけていました。そのカギを持っているのは、この世界にふたりしかいませんでした。
物書きは椅子を蹴飛ばすように立ち上がって、慌ただしい足取りでキッチンへ向かいました。
すると、
「あ、おはよー! あんなところで寝てると風邪ひいちゃうよ?」
と、椅子に座って荷物を整理していた旅人の少女が、何でもないように言ってきました。
その姿を見て、声を聞いて、物書きの瞳からはまたボロボロと涙がこぼれました。そのまま少女に近寄って、無垢な姿をギュッと抱きしめました。
「ど、どうしたの? 怖い夢でも見たの?」
少女はちょっと困ったように言いました。それに物書きは首を振って、嗚咽まじりに声を出します。
「ううん……東の国で内戦があったって聞いて……あなたが心配で……」
「あ……そっか。心配させちゃってごめんね?」
「大丈夫……こうして無事に帰ってきてくれたから……」
鼻をすすりながら、震える声で物書きは言いました。
そんな彼女の頭に、旅人の少女は手を伸ばして、優しく髪をなでました。
「えっとね、戦争が終わるまで、物も人も通れなかったんだ」
少女はいつもよりもずっと柔らかい声で、今回の旅のことを物書きに話しました。
ちょうど少女が東の国に入ってすぐのころに、クーデターが起こったこと。
いつまでも続きそうな内戦に嫌になった凄腕の旅人たちみんなと協力して、王国軍をかげながら助けたこと。
内戦はおさまったけど、たくさんの人が死んでしまったこと。
それでも自分たちは生き延びて、またいろんな人たちと関りを持てたこと。
その話が終わるころには物書きの涙も止まり、少女から離れ、テーブルをはさんだ席に座って言葉を交わし合います。
「そうだったんだ……。怪我はしなかった?」
「大丈夫! えへへ、こう見えて私、けっこう強いんだよ!」
「そっか……そうだよね。ずっと旅をしてるんだもんね」
ニコッと笑って力こぶを作って見せる少女に、物書きは穏やかな笑みを浮かべました。
自分の世界にこもり、ただ祈ることしか出来なかったわたしと違って、この子はいつでも自分から世界を広げて、変えることが出来るんだ。
その姿がまぶしくて、自分よりもずっと強い少女に、物書きは少しだけさびしい気持ちになりました。
けれどそのさびしさは、ひと