3356現在開催中の第101回全国高校野球選手権大会。その歴史の中でも史上最高の守備の名手と言われた人物が11日放送のTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後6・30)に出演した・・





 常葉学園菊川(現常葉大菊川)OBの町田友潤さん(29)だ。

1年秋からレギュラーとなり、「2番・二塁」として07年センバツでは静岡県に29年ぶりとなる紫紺の大優勝旗をもたらすなど、2年春から4季連続甲子園出場。甲子園で66度の打球を処理(触球113)を記録、球際の強さや守備範囲の広さはピカ一で、「甲子園史上最高の二塁手」と呼ばれた。


・消えた天才


 高校時代に対戦経験のある楽天の浅村は、「天才です。あんな選手見たことない。レベルが違う。本当にすごかった」と話し、さらに、昨年、ゴールデングラブ賞を初受賞した西武・源田も、「体のバランスもすごいし、高校生の段階であんなプレーができるのはヤバイ」と称えている。

また、現役時代に守備の名手とされた宮本慎也氏、仁志敏久氏も同様に当時のプレーを絶賛した。




 町田さんは「自分の守備が試されている大会だと思った」と語り、将来はプロを目指していたと明かす。しかし、早大進学も1年で中退し、社会人野球のヤマハで4年間プレー。社会人では、難しい打球を完璧にさばいたはずが、肩の弱さからほとんどセーフになってしまう事態が起きた。

「送球が通用しないんじゃ…」「自分の存在価値がなくなってきたのか」と悩み、そのうち守備にまで悪影響が出てしまったという。守備を絶賛した宮本氏も「なんで二塁なのかな。本当にうまかったらショートをやる。投げるのに自信がなかったのかな」と疑問の言葉を投げかけていた。




 現在は障がい児学童保育施設「放課後等デイサービス グリーピース」の代表を務める。きっかけは、日本一となって菊川市へ凱旋した直後、偶然出会った親子連れから記念写真を頼まれた。会話をした少年は障がいを持っていたが、町田のプレーに勇気づけられている、と聞かされたことだった。

「いつか引退したら、この子たちに直接貢献できる仕事をしたい」と思い、現職に。「野球をやっていなかったら、この職には就いていなかった。野球と同じくらい夢中になっている」と笑顔で語った・・

(source: スポニチアネックス - 「甲子園史上最高の守備の名手」が球界から姿を消したワケ 「送球が通用しないんじゃ…」



・>>野球と同じくらい夢中になっている
やりがいのある仕事に就けているのは何よりの幸せ
もちろん、野球をやっていた当時は悩んだでしょうが、それも今の職に就く前の準備期間だったのかもしれませんね

・確かにあの映像集を観ると送球が?と思う部分があった。
宮本慎也が指摘していた「これだけ凄いのになぜセカンドなのか」「このレベルならショートやるはず」「セカンド、というところに何かあるのでは」と見抜いていたのはさすがだった。

・この番組を見て思ったことは、プロのスカウトはチャンとそう言うところも見抜いてるんだなと思いました。
甲子園での町田くんのプレーはよく覚えていますよ。
プロに行く逸材と思ってました。

・噂されている腰痛の話は一切出てこず、潔く限界を悟っていたのに好感が持てました。
それでも甲子園で見せたプレーが色褪せることはないし、静岡の誇りだと思います。

・町田は守備は勿論うまかったし打撃も結構打ててた。
ただ足の速さ、肩の強さ、打球を飛ばす力は天性のものが必要とよく言われる。
飛距離はまだ技術で伸ばせる術があるけど、足や肩は鍛えても筋肉や技術だけじゃなく骨格から大きく影響してるから中々伸びない…

・早稲田大学って甲子園のスターを潰す率が高いよな。
まあスターが入る率も高いんだろうけど。投手が酷使で潰れる以外にも、甲子園のスターともなると大学入学してからライバルからの、イビリ、やっかみも凄いからな。

・番組の中では早稲田からヤマハってなってるけど、あの紹介なら早稲田を卒業してからヤマハ行ったみたいに捉えられても仕方ない言い方だったよね。
それにしても早稲田はプロ注目だった高校生をプロに行けなくしたり、行ったとしても大した結果を残せなくなったりしてるよね。

・渡部さんら甲子園ファンは、今回の放送で納得した方もいると思う。
肩が強くないのは正直知らなかった。
プロ選手のえげつなさ、宮本コーチの着眼点の鋭さに驚いた回でした。

・常葉の二遊間酒井、町田は、いとも簡単に併殺打を取っていた印象が強かった。 酒井選手も亜細亜大学で1年生から試合に出ていたけど辞めてしまったね 2人とも同じ大学へ進んでいたら4年間二遊間は、安泰でもっと凄い選手になっていたかもしれない いい指導者に巡り合うかで合わないかで人生が変わってしまうんだな


・消えた天才。こんな高校生ほんまにおったんかい、、史上最高の内野手