2019/09/08再編集
しかし、伝説で伝え聞いてたほど、すごい混雑でもないんだな。
今のほうが台数多いくらいじゃない?
爆発的なバイクブームの前だからな。
第二次ベビーブーム世代が免許を取るのが1987年。
一番混雑してたのは90年から94年頃。
なにもかも垢抜けていない感じ。
当時はネットなんてなかったから、こんなトコロがあることすら知ってる人は極限られてるだろうし
中標津から近いこの場所は、360度の地平線が見える場所として「とらべるまんの北海道」で取り上げられて、当時は知る人ぞ知る場所といった風情でした。周りが草原や畑の真ん中の丘陵地の頂上にぽつんと小さい展望台があるだけ。引き戸がついた八角形の建物で、外の階段から屋根の上の展望台に上がります。
1983年8月当時の開陽台は展望台を根城にする「展望台派」とテントを根城にする「テント派」に其々リーダーが居て、お互いの居心地のよさを主張して張り合っているというなんとも不思議な場所でした。私は訪問時、テントを持っていませんでしたので、展望台に赴いて宿泊したい旨を伝えると、夕方になって観光客が来なくなったら自分の場所を確保するように言われました。そして、それまで荷物は邪魔にならない場所に置くように、とも言われました。数ヶ月連泊していた「展望台派」リーダーはつい先ごろリーダーを卒業したとかで、新しい中心メンバーからはのんびりした空気が漂っていました。
「展望台派」が一般客に気を使っているように、「テント派」も展望台の近くに大量に張っていたテントを、地元の人たちからの意見で展望台からやや離れた場所に張りなおした直後だったと記憶しています。
星の無い夜は、やや離れた下のほうのテントの明かり以外、全くの闇夜。
連泊者が展望台の真っ暗な窓を指差しながら、そこに苦しそうな人の顔が映ることがある、なんて話を女の子を怖がらせようとまことしやかに登山用ローソクの元で語り、また他の旅行者からは「リヤカーで日本一週している奴を根室に近いどこそこで見た」なんて怪しい情報が飛び交います。夜11時頃に消灯、就寝となります。
早朝、朝日を見に展望台の上に上がります。朝の肌寒い風の吹くなか、北方領土も見える水平線から太陽が昇る様を望みます。連泊者も早朝から起きて展望台の上から日の出を見ています。これが一日の始まりであり、ほぼ全員参加のイベントなのです。私は1泊でここを去りましたが、こういう時間の過ごし方も良いなと思いました。
当時の開陽台
いいバイクだったよな…。しみじみ思う始業前。
ホライゾンじゃないよ。
FT400の限定仕様車、アスコットだよ。
シングルディスクで、エキパイが二本でしょ。
マッチ風髪型、アラレちゃんメガネ、北海道ツーリングにレーシングスーツ、
トレーナー、エプロンライダーw
大丈夫だ、
2、30年後に今の写真見られて、
「うわぁ バイク乗ってるしかもガソリンかよ www」
て言われるから w
裸なら許す
>カワサキのビクスク
kwsk
カワサキ、じゃねーぞ
この頃は駅寝が主流だったのかね
札幌駅でステーションビバーグとかいまじゃ考えられんね
※ ジオシティーズがサービス終了したためこちらに移転した模様
たったの10年だけど北海道ツーリングも様変わりしたと思う。
ガソリン携行缶もっとけとかピーク1がうんちゃらなんて話してたのを聞いて
北海道ってどんな秘境なんだって思ったからなぁ。
ガソリンスタンドの廃業が増えているから、ガソリン携行缶の必要性はアリだよ。
コールマンのキャンプ用ガソリンバーナー。
大通り公園にもバイクが結構止まってたな。
セイコーマート等見かけなくて、地元の店行けば期限切れの食品が普通に置いてあったり。
糠平の先の三国峠がダートだった。
90年頃だけど。
ライダーやチャリダー合わせて40~50人くらい居たんじゃないだろうか。
朝になるとみんな寝袋から半身を出して隣同士でボソボソ話をしたり
パンをかじって朝飯にしたり…
その前を通勤のサラリーマンが何事もないかのような顔をして歩いている
という今にしてみればかなりシュールな風景だったのを覚えている。
情報交換のために集まる=駅 だったのかな
この頃はキャンプ場もなかったのかな?
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