image credit:Thilo Parg / Wikimedia Commons
およそ30年ほど前のことである。ふたりのドイツ人ハイカーが、アルプスのエッツ渓谷をハイキング中に怖ろしい光景に遭遇した。
信じられないことに、人間の凍った遺体を見つけたのだ。
のちに、この遺体は非常に状態のいい約5300年前の男性のミイラだったことが判明。アイスマン( エッツィ)と呼ばれ、数多くの研究がなされている。
偶然の発見ではあったが、先史時代に生きた人がどのような生活をしていたのか非常に貴重な事実を現代の私たちに提供してくれることになった。
特に研究者たちの興味をひいているのが、エッツィの「最後の日々」についてである。
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ミイラ化した遺体とともに発見された75種類のコケ類を研究
この数十年間、エッツィを数多くの研究者たちが分析し、わかったことをまとめて彼の最後の日々を推測してきた。
頭部の外傷、親指と人差し指の間の裂傷、左肩に矢じりの跡があることから、エッツィは暴力的な死を迎えたことがわかっている。
矢の傷が致命傷になり、彼は矢を受けてから数日で失血死したと思われる。
エッツィが発見されてからずっと彼を研究しているグラスゴー大学の考古学者ジャック・ディクソン氏は、エッツィの遺体とともに発見された75種類ものコケ類を分析する新たな研究を行った。
エッツィとともに氷に閉ざされていたコケ類の多くは、遺体のあった標高3210メートルの高所でも成長するものであることが知られている。
エッツィが発見された場所にたつ記念碑
image credit:Wikimedia Commons
絶命した場所までエッツィはどんなルートを辿ったのか?
そこで研究者の間では長いこと議論になっていたのが、エッツィが登っていたのは山の北と南、どちら側だったのかということだ。
ディクソン氏は、集めた証拠はエッツィがシュナルスタールの谷近くから登り始めたことを示していると主張する。
例えばエッツィの消化器官から微小なヒラゴケ科のコケも見つかったが、このコケはエッツィの遺体が発見されたような高所では成長できない。
このコケの分布と、遺体の近くで見つかったほかの低地に生息するコケを調べて、ディクソンはこれらのコケが見つかる可能性がもっとも高い場所は南側、シュナルスタールの谷だと断定した。
ここは、エッツィが絶命した場所に続く登り口だ。
つまりエッツィは最後の日々、標高600メートルから3210メートルまでかなり歩き回って登ったに違いない。
南チロル考古学博物館に展示されている復元されたエッツィの姿
image credit:Thilo Parg / Wikimedia Commons
シュナルスタール南側の標高の低いところから高地を目指したか
エッツィの消化器官から発見されたコケは、まるで栄養価のないものだった。
おそらく、エッツィはコケを食べ物として口にしたのではなく、襲撃を受けた後で傷を治す薬として摂取したと考えられる。
あるいはこのヒラゴケは、エッツィの胃から見つかったアカシカの肉を包んだものだった可能性もあるかもしれない。
研究者たちは、科学雑誌「プロス・ワン」に次のような論文を掲載している。
ヒラゴケや生態学的に似ているミズゴケのようなほかのコケの存在は、アイスマンが最後の旅で、南チロルのシュナルスタールを北へと登るルートをとったことを裏づけている。
彼の大腸から見つかったミズゴケが、彼が絶命する前の最後の数時間、シュナルスタールの南側の標高の低い場所にいたことを示している。
彼はそれから初めて登り始め、ついに3000メートル以上の高地で力尽きた。
エッツィが着用したとされる衣服の復元
image credit:Wikimedia Commons
道具や武器を修繕し新たなツールも作ろうとしていたことが判明
また、この研究からエッツィについてさらに詳しいことが追加された。
これまでに彼はブラウンの瞳をしていてとても歯が悪く乳糖不耐症で、冠状動脈性心臓疾患の危険が大きい遺伝的素因があり、おそらくライム病(ダニが媒介する感染症)だったことがわかっている。
去年、研究者たちはエッツィのベルトのポーチに入っていた6つの道具について分析した。
これらは、ほとんどが極小の石英結晶から成る硬い堆積岩であるチャートからできていた。
チャートは先史時代で道具を作るときによく使われた材料だ。
道具のいくつかは植物や柔らかい枝などを切るためのもので、丁寧に繰り返し研ぎ直された痕跡がある。
そのすり減り具合から、エッツィがたびたび自分の道具や武器をシカの角で修繕していたことがわかった。
ほかにも刃のついた原始ツールがあったが、これはまだ完成していなかった。おそらく、エッツィはこの道具を作っている途中で亡くなったのだろう。
象徴的な意味があるのかもしれないエッツィの短剣
image credit:South Tyrol Museum of Archaeology.
広範囲に渡っていた銅器時代の巨大な貿易ネットワーク
考古学的な証拠から、アルプス地方は銅器時代から巨大な貿易ネットワークに組み込まれていたことがわかる。
例えば、エッツィの持っていた斧の銅は、何百キロも南が産地のものだ。
刃のついた道具を作るために使われたチャートは、アルプス南部の70キロも離れた3つの異なる地域から採掘されている。
こうした発見は、この地域が巨大な貿易ネットワークの一部であったことを示している。
ひどく使い古した道具は、エッツィがこうしたネットワークから切り離されてしまった可能性を示しているのかもしれない。
エッツィを殺害した人物は誰だったのか、殺されるほどのいさかいの原因はなんだったのか?
現代のわたしたちが知ることはできないだろうが、エッツィとその最後の苦難の日々についてここまで詳しく知ることができるようになったのはすばらしいことである。
References:Plos one / Zme scienceなど / written by konohazuku / edited by usagi
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コメント
1. 匿名処理班
デス・ストランディングに出てきたからタイムリーな記事
2. 匿名処理班
日本も巨大な貿易ネットワークあったのは知られてるし
海を越えて中南米のペルーなど世界中を相手にし交流を
行ってたのは遺伝子検査で分かってる
小さい日本ですら交流あったのにアイスマンのいた国や時代で
交易やってないほうがむしろ不思議だってさ
3. 匿名処理班
まあ矢で射られ逃げ回っていたんだから、よい最後とはいえないよね。
コケだって口にするものがなくて食べたのかもしれない。
4. 匿名処理班
キャーッ、のび太さんのエッツィ !
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9.
10. 匿名処理班
むしろ村社会だった頃の方が交易は自由で、「ムラ」の強化版である「クニ→国」になってからの方が交易にも制限が課されたりして中世までどんどん専門化して閉じていったんじゃないかなぁ、と思う。
近世から近代に至る辺りで国の国たるアイデンティティみたいな物も熟成される中でまたぞろ外へ向き始め、蒸気機関から始まる産業革命でそれはもう決定的に世界中が範囲になった。