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祝!ドリームキャスト21周年!『何故ドリームキャストは失敗したのかを考察してみたというコラム記事』(リライト記事) - [ゲーム]セガ系関連記事

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祝!ドリームキャスト21周年!『何故ドリームキャストは失敗したのかを考察してみたというコラム記事』(リライト記事)



何故ドリームキャストは失敗したのかを考察してみたというコラム記事。楽しんだ人には思い出深いハードで、自分も一番思い入れが強いハードなんですが、なぜ失敗に至ったのかというものですね。



■ドリームキャストはコストパフォーマンスも重視されたバランスの取れたハードだった
1998年にリリースされたドリームキャストは、PS2にも搭載されていなかったテクスチャー圧縮機能や、ポリゴンを出すだけなら300万ポリゴンは本当に出たと当時のセガの中川氏が語っていたことからハッタリではないハードで、又、故大川会長によって、鶴の一声でインターネットが搭載され、先進的なネットワークゲームを構築したり、初のフルカラーテクスチャーゲーム機でもありました。


■ドリームキャストの盛り上げ方は賛否両論、自分は反対だった
ドリームキャストのキャンペーンの陣頭指揮を執ったのは今をときめくAKB48をプロデュースしている秋元康氏で、100億のマーケティングキャンペーンを大川氏から託され、これをビジネスとして、自分のやりたかったこととある種の『実験』をしていきます。まず、ドリームキャストには自虐的なCMを自ら展開、湯川専務とジャニーズの滝沢くんを起用、話題性を持たせることに成功したものの、マスコミからはマイナス要因として映ります。そして、残った金で『チェキ娘』というアイドルグループを誕生させ、番組まで作ったものの失敗、負の連鎖が始まります。




■そもそもサターンとPSで覇者が分かれた中、ドリームキャストに期待する人が少なかった
元々ドリームキャストが成功するためには、昔で言うVHSとベータ、HDDVDとブルーレイのような関係性がサターンとPS1ではありました。サターンを買ったお子様やゲーマーはPS1に対し、負け組のレッテルを張られ、そして、もうセガのハードは買わないという現実が渦巻いていました。そんな中、ドリームキャストが出た中で、PS2が満を持して発表された際、ドリームキャストが大きなかけをして1万円値下げした(大川会長が指示)して、破滅の道へ突き進んでいきました。


■ロンチにドリームキャストの製造が落ち込み、機会損失を最後まで巻き返せなかった
これはセガらしい話で、どこか抜けているんですよね。完璧なセガは今までなく、メガドライブでは512色中64色というのが大ネックになり、サターンでは、2Dを切れず、3Dポリゴンも10万ポリゴンとPS1にみずをあけられ、そして、今回のドリームキャストでも生産体制に問題があり、これが他社の教訓にすらなる出来事を生み出し、CMで湯川専務が常務に降格ということをしても、結果は戻らず、PS1でFF9などが発売されて、それで十分と判断されてしまったのが痛かったですね。


■初のフルカラーテクスチャーゲーム機でセガやサードパーティーのソフトの発売が延びに延びたのが痛かった
とにかく、ロンチで出す予定だったソニックアドベンチャーも12月下旬のギリギリのタイミングまで延び、それ以外のタイトルもサードを含めて伸びまくったため、ハードがあれどソフトがないという現状に至ってしまい、すっかり熱が冷めてしまいます。シェンムー発表会など話題性はあったものの、いわゆる『わかる人はわかるゲーマー好みのハード』という領域から脱せず、期待したほど人気が高まりませんでした。

■サードの支援が少なく、セガ単体で切り開く必要性が高かったのが逆風になった
コナミ、ナムコ、KOEI、スクウェアなど、ドリームキャストにはこうした大手サードのタイトルがほとんど出ていません。超有名な話として、大川会長がナムコの社長にソフトを作ってほしいと直談判してソウルキャリバーが実現したのは有名ですが、そうでもしないとソフトが集まらなかったですね。サードはすっかりSCEにビジネスの軸を持っていたため、それからセガに対して、冷遇していた現実があり、海外で比較的好調に売れていたものの、EAはスクウェア資本が入っていたため、ソフトを結局最後まで出しませんでした。


■結局値下げが足かせになり自滅、博打を打ったが外れてしまった
結果論になりますが、今の任天堂が値下げを極力しないように、セガは値下げをして、それが逆ザヤを1万円生み、結果倒産寸前にまで至ります。ソフトは子会社のビジュアルコンセプト社が(現2kゲームズ)が海外でスポーツゲームが売れまくっていて、ソフト面では収益を上げていたものの、セガの経営センスが無かったこと、PS2に押されて国内で苦戦していたこと、ハードの生産がストップしていたことを日経にかぎつけられ、情報統制を破ってフライング発表をしたことでセガがハード事業から撤退を決めました。




■結局誰が悪かったのか?
これは基本、会社という立場なら入交社長や大川会長でしょうが、個人的には大川氏に依存する部分が大きかったと思います。秋元氏を起用したのも大川氏ですし、インターネットを本来搭載しない予定だったのを無理やり乗せたり、1万円値下げも大川氏の指示です。ISAONETでインターネットビジネスの将来性を考えていたのはわかりますが、時期尚早で、任天堂の宮本氏は時期が来ないとビジネスにしないと明言していますし、とにかく先ほども書いたようにわかる人にはわかるというハードとゲーム、そしてセガ自体もそういう会社でしたね。責任を取らせるために、分社化制にしたと大川氏は語っていましたが、試みは成功していたものの、その後大川氏が死去、今のサミーの里見氏が事実上の買収をしてから、完全にハード復活の芽は絶たれました。


結局一番悲しんだのはセガをずっと応援してきたファンだよね。当時は大ショックだったなぁ。その気持ちは今も残っていますね。

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1 Comments

    

不利な状況はセガサターンの時からでしたからね、リッジレーサー、FFⅦがプレステに有利な方向へ、サターン派は片身が狭かったです

2019/11/27 (Wed) 17:57 | EDIT | REPLY |   

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