何を書いても構いませんので@生活板82
中1の時に突然母と父に呼ばれ今へ行くと
「この家にお母さんは必要か?」と聞かれた。
母は専業だったし、家事が苦手で最初は頑張ってたんだけどながら家事が多くて、
食べながら洗濯干したりテレビ見ながら茶碗を洗ったりして一つの家事をやるのに
1時間かかるか途中でやってる事を忘れる。
「この家にお母さんは必要か?」と聞かれた。
母は専業だったし、家事が苦手で最初は頑張ってたんだけどながら家事が多くて、
食べながら洗濯干したりテレビ見ながら茶碗を洗ったりして一つの家事をやるのに
1時間かかるか途中でやってる事を忘れる。
テレビ見ながらやるから水出したまま手が止まってたり、
全然汚れが落ちてなかったり
洗濯は朝ドラが始まると洗濯機のそばを離れてそのまま忘れて昼まで放置。
だから結局父がやるか私がやるか、
それもだんだん面倒になって来て
小学校高学年位から最初から自分でやるようになった。
全然汚れが落ちてなかったり
洗濯は朝ドラが始まると洗濯機のそばを離れてそのまま忘れて昼まで放置。
だから結局父がやるか私がやるか、
それもだんだん面倒になって来て
小学校高学年位から最初から自分でやるようになった。
自分の茶碗が汚れてる事もないし、
お茶飲もうと思ったら湯飲みが無いとか体操着も乾いてないとか
皺々って事もなくなったし快適だった。
そんなんだから我が家のマスコット的なポジションで
いつもコタツの中でゴロゴロしてた母。
家に必要かと言われたら居なくても問題なかったので
「え?別に大丈夫だよ」と答えたと思う。
嫌いとかではなかった、
単純に必要かどうか聞かれて友達と旅行へ行きたいのかな?って思って
「居なくてもいい」って答えたと思う。
そしたら翌日から母が居なくなってた。
と言っても「旅行行ったのかな?」とか考えてるうちに1ヶ月ぐらいが経ったんだけど、
本当に居なくても良かったみたいで何も気にする事なくそのまま月日が経った。
高校入試ぐらいの時に、あーあれは離婚するって事だったんだと初めて気がついた。
今思うと薄情だなと思うけど。
お茶飲もうと思ったら湯飲みが無いとか体操着も乾いてないとか
皺々って事もなくなったし快適だった。
そんなんだから我が家のマスコット的なポジションで
いつもコタツの中でゴロゴロしてた母。
家に必要かと言われたら居なくても問題なかったので
「え?別に大丈夫だよ」と答えたと思う。
嫌いとかではなかった、
単純に必要かどうか聞かれて友達と旅行へ行きたいのかな?って思って
「居なくてもいい」って答えたと思う。
そしたら翌日から母が居なくなってた。
と言っても「旅行行ったのかな?」とか考えてるうちに1ヶ月ぐらいが経ったんだけど、
本当に居なくても良かったみたいで何も気にする事なくそのまま月日が経った。
高校入試ぐらいの時に、あーあれは離婚するって事だったんだと初めて気がついた。
今思うと薄情だなと思うけど。
310: 名無しさん@おーぷん 19/12/10(火)10:11:11 ID:ig.qf.L3
お母さん、家事もそうだけど家事以外でも家族に関わる姿勢が無かったんだろうね
311: 名無しさん@おーぷん 19/12/10(火)10:31:37 ID:LO.kf.L1
>>310
外でたのでID変わってたらごめんなさい。
多分小学生までは母を必要としてた気がするんだ、
授業参観や運動会来てもらおうと必死だったから…。
でも寝てて起きれなかったってボサボサの髪の毛で言われた事があって
その時多分凄く泣いたんだよね。
それ見て父が「お父さんも行きたいからお父さんにも行事教えて」って言ってくれて
(プリントを母に渡してたから)その次は父と母が来てくれたんだけど
そのうち母は来なくなって、行事関係も父に言うのが当たり前になったって感じ。
それ以降も母を求めてたけどきっかけは運動会で使うナフキンに
アイロン掛けて持ってくるようにって言われて(多分小2ぐらい)、
でも案の定出来あがってなくてアイロン台の上に放置されてたんだよね。
母を急かそうとしたけど朝ご飯作ってて、
今声掛けたら朝ご飯食べれないって子供ながらに思ってみように真似で
アイロン掛けたのを切っ掛けに、なんだ出来るじゃんって思って。
それからなるべく自分の用事は自分でやるようになってくうちに
それが当たり前になって。
母の事は多分好きだったけど、
自分が成長するにつれておっちょこちょいなペットみたいな感覚として
扱ってたと思う。
外でたのでID変わってたらごめんなさい。
多分小学生までは母を必要としてた気がするんだ、
授業参観や運動会来てもらおうと必死だったから…。
でも寝てて起きれなかったってボサボサの髪の毛で言われた事があって
その時多分凄く泣いたんだよね。
それ見て父が「お父さんも行きたいからお父さんにも行事教えて」って言ってくれて
(プリントを母に渡してたから)その次は父と母が来てくれたんだけど
そのうち母は来なくなって、行事関係も父に言うのが当たり前になったって感じ。
それ以降も母を求めてたけどきっかけは運動会で使うナフキンに
アイロン掛けて持ってくるようにって言われて(多分小2ぐらい)、
でも案の定出来あがってなくてアイロン台の上に放置されてたんだよね。
母を急かそうとしたけど朝ご飯作ってて、
今声掛けたら朝ご飯食べれないって子供ながらに思ってみように真似で
アイロン掛けたのを切っ掛けに、なんだ出来るじゃんって思って。
それからなるべく自分の用事は自分でやるようになってくうちに
それが当たり前になって。
母の事は多分好きだったけど、
自分が成長するにつれておっちょこちょいなペットみたいな感覚として
扱ってたと思う。
http://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1575084538/
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