56鮫島るい(27)。ガングロメイクに全身タトゥー……清楚系が多い業界においてはインパクトのあるルックスだが、異色なのは外見だけではない。実は彼女は、高校で柔道日本一になった経歴の持ち主なのだ・・






元柔道日本一のギャルが「性風俗」でトップを獲ると決めたワケ


オリンピックで金メダルも狙えると言われていた逸材がなぜ女優になったのか。鮫島本人が人生を振り返る。

「柔道を始めたのは4歳のときで、妹は2歳から。高校で柔道を教えていた父に強制されて始めました。父は現役時代に全国3位止まりだったため、子供たちに日本一を獲らせるのが悲願でした。そのため、小さいときから猛練習の日々です。

 私は飲み込みが早かったのですが妹は違った。妹はいつも私と比べられて辛そうでした。でも父は、私か妹のどちらかが日本一になるまで、二人とも柔道をやめることを許してくれませんでした。だから中学2年くらいのときに、『私が日本一を獲ったら妹を柔道から解放してあげて』と、父と約束しました。

 それからは、日本一になるためますます柔道漬けの日々でした。朝は4時に起きて道場に行き、学校が終わってから夜は22時まで練習。友達と遊んだ記憶はありません。全ての時間を柔道に注いだ結果、ついに高校2年のときにインターハイで優勝することができました」


・鮫島るいさん


 インターハイで優勝し、父との約束を果たした鮫島。妹も柔道から解放され、そこでスッと気が抜けてしまったと言う。

「大学では普通の女の子らしい生活がしたかったんです。スカートを短くして、髪を染めて、ルーズソックスを履いて、みたいな。大学や実業団など強豪チームのスカウトは10以上ありましたが、その中で一番緩そうだった関西の大学に進学しました。

 その大学の柔道部の監督は、高校柔道のスターだった私をすごく可愛がってくれて、お小遣いをくれたりするんです。それを知った同期はいい思いをするはずがありません。そこからイジメが始まりました。SNSで悪口を書かれたり、平然と無視されたりしました」

 友達はまったくできず、憧れていた「フツーの女子大生」とは程遠い生活。かといって柔道への情熱もすでになかった。

「もう大学に通う意味ないなと思って1年くらいで退学し、地元の埼玉に帰りました。父もイジメは知っていたので、止めませんでしたね。

今度こそ女の子らしい生活を満喫するぞという思いで、毎晩都内のクラブに通い詰め。おカネがいくらあっても足りませんでした。そこで、何か手っ取り早く稼げるバイトとして友達に勧められたのが援助交際です。初対面の人とセ・・スするのはクラブで慣れていたので何の抵抗もなく、めちゃくちゃ稼ぎました」・・