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「とある本を読んで『自分は何人もいる』ことに気付いて目からうろこが落ちた…」海外の反応:らばQ
2020年02月02日 22:03

「とある本を読んで『自分は何人もいる』ことに気付いて目からうろこが落ちた…」海外の反応

 

いろんな自分
「自分」とはいったいどんな人間なのでしょうか。

本を読んでいて大きな気づきがあったという文章が、海外掲示板で話題となっていました。

「自分」は何人もいたと言うのです。

Who am I? from r/Damnthatsinteresting

「あなたのいろんなバージョンが、あなたの知り合いの全員の心の中に存在する」

とある本を読んで目からうろこが落ちた。
主人公は誰も彼のことをわかっていないと気が狂いそうになっていた。だけど「自分」はあなたの中にしか存在しない。だから自分自身でさえ本当にそれが誰かわからない。
出会った人、愛し合った人、道で目を合わせた人、そうした全員が1つのバージョンの「自分」を作り出す。母親、父親、兄弟、同僚、近所の人、友人らが作り出したバージョンの「自分」は、あなたが作り出した「自分」とは違う。人々の心に何千バージョンもの「自分」が存在する。そしてあなたにとっての「自分」は、「誰か」ではないのである。


考え出すと自分が誰か見失いそうになりますが、他者の見ている「自分」と自分自身が思う「自分」はかなり違うということですね。

海外掲示板のコメントをご紹介します。

●存在というものに恐れを抱きながら叫ぶんだ。「私は誰?」と。

↑私はジャン・ヴァルジャン だ。
(※レ・ミゼラブルの主人公)

●ルイジ・ピランデルロ著
「Uno, Nessuno e Centomilla」(1人、それは誰でもないか10万人か)“One, No One and One Hundred Thousand”
読むべき本だね。

●自分でよくわかってるのは、オレはデブの負け犬だってこと。

↑おお、オレはおまえか?

●それは人の認識で「あなた」を定義出来たらの話だね。
自分は意識のある実存物である。それしか証明はできない。そしてその証明さえ自分にだけしか通用しない。
他者からの認識はすべて違うが、それのどれも私を定義はしない。
結論:(多くとも)1人の私。

↑そうだね。とあるチョコレートのブランドに対して、人々が違う意見を持っているからと言って、それぞれのレシピが違うわけではない。
量子の粒子のように、人は観察されたときだけ存在するわけではない。ひとりでタイピングをしていて、誰も見ていなくとも、それでも自分の性格は存在する。

↑観察せずに存在することを証明できるかい?

↑1人でいて、お腹が減ったことはない? あるいは退屈だとか、疲れたとか、笑ったとかは? 誰もいないときに大をもよおしたとかは? だから、誰も周りに人がいなくとも存在はする。本当の疑問はいったい他の全てがどこに存在するかである。

●相対主義……。

●シンジがこれをエヴァンゲリオンで言ってた。

●興味深い。これで誰も同じ虹を見ないということを思いだした。(見る者の角度により変わるから)

●これは一般的に知られていることではないの?


自分の知る自分が一番正しいと信じたいところですが、他人から見た違うバージョンの自分たちも知りたくなりますね。

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