現役プログラマーさん、ゲームのスタート画面の表示の仕方について、そのゲームのそのものが伝わるものであると力説、解説をしている記事が掲載(リライト記事)ゲーム作りにおいて、それだけ重要な意味合いがわかるというもののようですね。
ちょっと考えてみて下さい。 昨今の開発フローならば、タイトル画面の Push Start Button のアニメーション等というものはそもそも、タイトル画面やそれに類するアセットの中で、デザイナがつけたシーン情報として元々組み込まれている事でしょう。
なんの手違いか、はたまたタイトル画面だけ特殊な実装なのかどうかはさておくとして、ともかく、開発中後期のある瞬間において尚、Push Start Button はアニメーションしていなかったと仮定しましょう。
この時、チームでは一体何が起こっているのでしょう。
考えられるシナリオは、大きく、二つしかありません。
決裁権を持つコアメンバーの内、誰一人として、ビタ止まりのPush Start Button に対して何の違和感も持たず、そんな細かいことよりも少しでもゲーム本編を昇華しようという尊敬すべき奇跡の職人気質チームであったのか。
はたまた、忙しすぎて誰も手が回らなかったのか、です。
まあ、たいていは後者でしょう。
もうちょっと考えてみて下さい。
このPush Start Button を明滅させるコストを。
そのプロジェクトの設計状況にも勿論依存しますが、だからといって、手慣れた人なら十分とかそういうレベルでしょう。新人がやっても一日かかりますか?
たったこれだけのコストを割けない程に忙しいプロジェクトというものを、僕も勿論、沢山知っています。そういうプロジェクトの中に居た事も一度や二度ではありません。
しかしながら、どんなに忙しいとしても、タスクには優先順位というものをあてる事になるわけですから、こうしたアニメーションが欠落しているゲームのプロジェクトにおいては、誰の判断か、Push Start Button の優先度が落とされていたのでしょう。
一概には言えませんが、僕の価値観からするとこれは、ディレクションジャッジミスとしか言い様がありません。
こうしたゲームに相対してしまった時に、僕は、深く勘ぐってしまいます。
Push Start Button を明滅させるコストすら割く事の出来なかったこのゲーム。
これから始まるめくるめく冒険の中で、一体何度、不便で操作し辛く手触りの悪さに苛まれる事になるのだろうか……と。
時にそれは、大いなる取り越し苦労に終わり、タイトル画面で感じた不安などどこ吹く風となり、清々しい気持ちでエンディングを迎えることもあります。
しかしながら往々にしてその予感は当たり、冒険半ばで、そっとディスクをイジェクトする事になるのです。
UI(ユーザーインターフェイス)だけでゲームの本質を計る点に異論反論勿論認めは致しますが、UIは、その本質とユーザーを繋ぐ命綱です。
たかがPush Start Button 等と言うなかれ。
もしもその命綱を蔑ろにしているならば、その歪みは、タイトル画面にすら滲み出ている事だってあるのですよ。
丁寧なゲーム造りというものを是非、心がけていきたいものですね。
関連リンク
ゲームのタイトル画面とは何ぞや?というところからの考察になっており、ゲームを深く造詣を持つプログラマーさんの現役視点からの解説になっていますよね。