tt「何が恩返しかというのは今もわからないんですけど、僕は鹿児島の(自分の)番組に志村さんをゲストに呼んで、ここまで成長できましたという姿を見ていただくのが夢でした」・・





「それが僕にできる恩返しだと思っていたので。できなくなってしまったのが、残念で申し訳ないです。頭ではわかっているのですが、まだ信じられず、お墓参りをしたときに“もう志村さんはいない”とわかるんだと思います」

そう語るのは、新型コロナウイルスによる肺炎で3月29日に亡くなったお笑いタレントの志村けん(享年70)の愛弟子で、現在は故郷の鹿児島でご当地レポーターとして活躍している乾き亭げそ太郎氏(49)。90年代の多忙を極めた志村と7年間、365日ずっと傍らにいたのがげそ太郎氏だった。


「お前、ナメてんのか!」 志村けんが激怒した「忘れられない事件」 愛弟子が初告白

・げそ太郎氏



げそ太郎氏は、7年間の弟子生活の中で志村を激怒させたことが2度ある。1度目は前回記事の「 ファミレスで4時間怒られた 」事件。2度目は楽屋でのことだった。

「僕が27歳くらいのときに勘違いをして、髪の一部分を緑色に染めたことがあったんです。その緑の髪で志村さんを自宅まで迎えに行き、運転中は何事もなく、いつも通りテレビ局に着いて楽屋に入った途端、志村さんの表情が豹変したんです。『オイ、お前ふざけてんのか! なんだその髪は! その緑色の髪をしてサラリーマンや通行人の役ができるか? そんなヤツいないだろ。お前はどの役をやるつもりなんだ。自分がコントに出るときに、そんなリアリティのない髪色していてふざけてないか。黒く染め直してこい!』と、怒鳴られ、僕も『すみません』と何度も謝り、その日に髪を黒く染め直しました。本当に何も考えていない若気の至りでした」

・詳細は(source: 文春オンライン - 「お前、なんだその髪は!」志村けんの逆鱗に触れた“頭髪激怒”事件 愛弟子が涙で振り返った



・厳しさの中に優しさがある。
自らも叩き上げで苦労してきた志村けんらしい。
師匠のひと言ひと言が、今となっては宝物だね。

・師匠として厳しい面もありつつ、やはり優しさの塊のような志村さんだったんですね。
最後のドリフのエンディングの歌詞の一部がまさに志村さんとのお別れのように聴こえて心に刺さりました。

・げそ太郎氏の前回の記事は志村さんが亡くなった直後で売名行為の様に思えたけど、今回の記事は志村さんが在りし日の優しさが伝わってきて涙が出ました。

・志村さん、なんていい人で
いい師匠なんだろう。
本当にプロ中のプロの芸人だったんだな。

・理のある激怒
これは宝
志村さんの志を受け継いで 頑張って欲しい

・やっぱ一流はすごいです!
弟子へ指導できるって事は常に観察している。
弟子の両親への気遣いが出来る。回りのスタッフさんにまで色んな配慮ができる。
そんな一流の上司や先輩に巡り会いたい。

・これは志村さんと、げそさんの師匠と弟子の話だけど、これは理想の上司像でもある。
本人の成長のための厳しさ。その厳しさの中にある優しさ。
車椅子のお母様だったんですね。
母親想いですね。
自分の母親を思い出し、泣けてきます。

・志村さんはドリフの付き人っだった時免許がないのでいつも加藤茶さんの車に同乗させてもらい「どっちが付き人がわかんないじゃん」と言われたそうです。そして注さんがやめたとき長さんは他の人をメンバーにいれようとしたのですが加藤茶さんが断固反対して志村さんを入れたそうです。1回逃亡するくらいきつい下積みを経験してるからこそ厳しさと優しさをうまく使い分けできたのですね。

・げそ太郎さん、貴重な体験談を有難う。
本当のプロは、山のような努力を感じさせないんだね。努力して勉強して気遣いして・・・辛酸を舐め、積み上げた見聞からキラリと一滴の才能が絞り出されているのを痛感する文章だ。