fe3豪雨災害に見舞われた熊本県人吉市では、創業112年の老舗うなぎ店「上村(うえむら)うなぎ屋」が浸水した。観光客らが行列をつくることもある人気店。創業以来守ってきた「秘伝のたれ」が、泥水とともに流れた。





・百年継いだ「秘伝のたれ」流失 熊本・人吉のうなぎ店



 「見る影もなくなっちゃったね」。9日朝、泥水が床一面に広がる一室で、店を切り盛りする上村恵子さん(68)がため息をついた。5日前まで厨房(ちゅうぼう)だった場所には、作業台や食器が散らばっていた。

 上村さんは4日午前7時ごろ、自宅から従業員4人と店の様子を見に向かった。着いた途端、ひざ下まで濁流が流れ込んだ。「扉閉めて!」。従業員の叫び声が響くなか、水は扉を突き破った。慌てて3階に避難したが、数分で2階の床上30センチほどにまで達した。


・上村うなぎ屋



 水が引き始めた午後3時ごろ、1階に下りると、たれが入った鍋はひっくり返り、中身が流れ出して空っぽになっていた。水槽を泳いでいた約200匹のうなぎは大半が逃げたり死んだりし、残っていたのは3匹だけだった。

 上村さんの夫で、3代目店主の由紀穂(ゆきほ)さん(70)は家の浸水で店にたどり着けなかった。店内を見たのは5日昼。「涙も出ない、言葉も出ない。笑うしかなかった」

 店は由紀穂さんの祖父が1908年に始めた。午前7時に店に入り、仕込む。毎日200匹のうなぎをさばき、昼には恵子さんの手作り弁当を2人で食べるのが数十年来の日課だった。

 たれは祖父の代から受け継がれた店の宝。鹿児島や宮崎産のうなぎを炭火でじっくり焼き上げ、仕上げにさっと塗ることで、甘じょっぱい味になる。地元客や観光客に人気だった。





・鰻屋の秘伝のタレは、戦時中空襲にあった時でもタレの入ったかめだけは抱えて避難したと何かの本で読んだことがあります。お店にとっては命なんだなと思いました。流されてしまったタレは戻りませんが、新たなタレを作りまた100年以上受け継いでいってほしいと思います。

・何かで科学的に分析されていたけれど、100年前からの秘伝のタレでも継ぎ足しで使っている以上、既に1年ものに置き換わっているらしいよ。要するに100年続いている事実の方が大切。味はすぐに再現できると思います。

・その店で作る鰻の蒲焼きはなぜか美味しいのだと思う。
仕込み方、蒸し方、焼き方。
タレは新しくなっても、きっと美味しい。

・消費者としては何も気にしない。
おいしく鰻を捌いてくれて伝統の味を楽しませてくれれば良い。
そのタレを守ろうと命を危険にさらすことはしないで欲しい。

・ここは毎日行列ができる鰻屋です。美味しいし本当に人気が高い。
残念でしょうがない。
負けずにこれならも頑張ってほしいです。

・13年前から毎年通っていた者ですが、とにかくショックです。
座席予約ができないお店なので、基本軒下に並ぶしかないのですが、夏の暑い日でも私も含め、お客さんは行列を作って並んでいるのを覚えてます。
ゼロスタートになると思いますが、これからもファンとして通い続けて応援させていただきます。

・子供の頃、人吉に住む叔母夫婦は子供がいないせいか、夏休みの度に呼んでくれて毎年の様に訪れた地です。
私は今に至るまでウナギはそれほど得意ではないのですが、ウナギ好きの叔父はウナギが良かろうが?ウナギ食べたかろうが?と、いつも連れて行ってくれたのが近所にあったうえむらさんでした。今では叔父も叔母も鬼籍に入り、懐かしい思い出のお店の惨状には、胸が張り裂ける思いです。

・大阪から鹿児島に帰省した折に鰻食べたいね…となると、えびのから人吉に抜けて「うえむら」さんの鰻を食べに行かせていただきました。
鰻丼がもの凄い美味しさでした。今年はGWにコロナで帰省出来ず鰻を食べに行く事も出来ませんでした。
今年は色々と大変な年になってしまいました。どうかまた食べさせて下さい。

・個人的な思い出ですが、小さい頃からお世話になり、転職で上京する前に家族にご馳走したのが最後でした。ご飯の上にも下にもうなぎがあり、白焼きも絶品でした。このお店に勝るうなぎ屋はないと思っています。