「彼女は小学校の途中で児童養護施設に入っていて、高校を卒業するまでそこから通学していたんです。それを理由にイジメられることはなかったですが」・・
・3歳女児放置死、逮捕母も虐待被害 17年前の流血事件を児相元職員が語る
なぜ施設で育ったのか。沙希容疑者の人生が暗転したのは03年。彼女がまだ小学2年生の頃である。
当時の新聞記事を繙(ひもと)くと、〈小学2年生の長女(8)に暴行を加え2週間のけがをおわせたなどとして〉〈無職の母親(25)を傷害などの容疑で逮捕〉〈会社員の父親(25)も保護責任者遺棄容疑で逮捕した〉という。
この“長女”こそが幼き日の沙希容疑者だ。彼女の父親は高校卒業後にガソリンスタンドや自動車の修理工、タイヤ工場などで働き、母親は17歳で沙希容疑者を産んでいる。
各紙の記事では“平手で暴行”“数回殴る”といった表現に留められているが、虐待の実態は、はるかに陰惨かつ残忍なものだった。
・話題となっている 梯沙希容疑者の報道
中学時代の友人はこんな“告白”を聞いている。
「ある夏の日、沙希ちゃんと養護施設の駐車場に自転車を停めてダベっていたんです。その時、“なんで沙希ちゃんが施設に入ったのか”という話題になった。すると、彼女は自分の“傷”のことを話し始めました。彼女の両腕に細かな傷があって、それも10カ所どころではなく、無数に刻まれてる感じ。学校の夏服や体操服に着替えると、どうしても傷が目立ってしまう。リストカットの痕かなと思ってたんですけど、沙希ちゃんはこう言ったんです。“お母さんに包丁でやられたんよ”って。娘にそんなことをする母親がいることに衝撃を受けて“そうやっちゃ……”と返すのが精いっぱいでした」
さらに、“告白”は続いた。
「小学校の先生が家庭訪問に来た時は、沙希ちゃんの後ろでお母さんが包丁を隠し持ってたって。先生に余計なことを喋らないように、包丁を突きつけて脅されてた、と話してました」
わが子を、それも小学2年生の娘を実母が包丁で切りつける。明らかに常軌を逸した行為でにわかには信じ難い。
だが、悲しいかな、彼女が語った話は事実だった。
「ニュースで梯沙希という名前を聞いて“17年前のあの子なのか……”と。いまも信じられないし、胸を締め付けられる思いです」
苦しい胸中を吐露するのは“第一の悲劇”を知る児童相談所の元職員だ。
「彼女の担任から児童相談所に相談があったのは03年の5月頃でした。“生徒の体にあざがある。親から虐待されているかもしれない”という内容です。すぐに児童福祉士が家庭訪問を行いました。私も仕事帰りに彼女の自宅近くに足を運び、子どもの悲鳴が聞こえないか、ご近所に確認して回った。その時点では虐待に繋がる情報は得られなかったのですが、夏休みに入ると近所の人たちから少女の目撃情報が全く入らなくなった。しかも、2学期になっても彼女は一向に登校しない。これはのっぴきならない事態だぞと感じました」
児相は宮崎県警に事情を説明し、警察官と共に改めて家庭訪問を行った。
しかし、彼女の母親は、「子どもはここにはおらん、オジさんのところにおる」「いまは実家に遊びに行っとる」などと、誤魔化して彼らを追い返そうとする。
「そこで、警察がパトカーで実家や親族宅を回ってひとつひとつ潰していった。その上で、“もうここにしかおらん。女の子は自宅におる”と結論づけたわけです」
母親を説得し、ついに自宅へと踏み込むと、そこには見るも無残に痩せこけた沙希容疑者の姿があった。
食事も満足に与えられていなかったのか、あばら骨や腰骨がくっきりと浮き出ており、殴られた際についたあざも散見された。だが、それ以上に目を引いたのは、少女の全身に刻まれた何十カ所もの切り傷だった。母親が“しつけ”と称して娘の体を包丁で切りつけていたのだ。まだ新しい傷口からはダラダラと血が流れ、床に滴り落ちていた。多くの虐待事案に携わってきた児相職員も、血塗れの少女の姿を目の当たりにして慄然としたという。
「虐待でも包丁を持ち出す例はほとんどありません。結果論ですが、あの時に助け出していなければ少女の命が危なかった」・・
・連鎖を止めるためには、死しかないのか…
虐待してたお母さんはもちろん悪いんだけど…
それでも
可哀想だ。なくなった子供もこの虐待を受けてたお母さんも。
・虐待された事のない方たちからすれば
到底わかり得無いことだと思う
それほど幼少期の虐待は根が深い
だからと言って我が子をこんな目に合わして良いはずかない
・なんだろなぁ。悲しいかな自分の周りでも虐待された子は同じ様なことしてるし、親が片親のところは子供も片親になってるのが多く思う。
簡単に同じことをするな、と周りは言うが当人からすれば『その育て方』しか知らないからそれが普通の育て方だと間違えた解釈をしてしまうのかなぁ。
・なんて悲しい事件なんだ
読んでて涙が出そうでした
包丁を触らないように台所に出れないようにしたってところが自身が虐待されてたことに繋がってるんじゃないかなって思った
・私は父親はアル中の暴力男、母親は中学卒で仕事かけもちで働きずくめ。母親の父はギャンブルで家庭を壊し、それは悲惨な幼少期だったらしい(近所のおばちゃん達談)。
だけど、身を挺して子ども3人を守り育て働きずくめで、大学まで出してくれた。いつも笑顔で、自分の作った味噌や梅を人に配ってた。
若くして病でなくなってしまったけど、うちは母が虐待の連鎖を止めてくれたんだな、て思う。
この記事読んで、なぜか会いたくて仕方なくなってきた。
・私の太ももにはカミソリで切られた傷跡とタバコで焼いた傷跡があります。また背中からお尻にかけて大きな火傷跡があります。すべて小学生〜中学生の頃に父親に付けられたものです。暴力は当たり前で睡眠もほとんど取れず食事は父親の気分次第でした。
現在、2児の母ですが子ども達を叩いたりしたことはありません。一度手をあげたら自分を止められなくなりそうで怖いのです。どうしてもイライラする時は人から隠せる自分の二の腕や太ももを傷付けてしまいます。
心療内科には20年以上お世話になっていますが、たぶん治ることは無いのだと思います。
子どもの頃のダメージは大人になってもずっと心を蝕みます。
・壮絶な生い立ちです。
想像以上の虐待。
愛情を受けずに育つと、
育て方が分からない。
死なせた娘に対して、愛情はあったし、
可愛がっていたんだろうけど、
根本的な所を知らずに大人になって
しまったんですね。
この人、本当に子供が死ぬとは
思っていなかったのかも。
・子育ては自分がしてもらった以上のことをするのはなかなか難しいことだと思います。
自分が母や父からどう育ててもらったか。多分この容疑者は普通がわからないのだと。
だからと言って殺していいとは思わないが、負の連鎖。
・3歳女児放置死、逮捕母も虐待被害 17年前の流血事件を児相元職員が語る
なぜ施設で育ったのか。沙希容疑者の人生が暗転したのは03年。彼女がまだ小学2年生の頃である。
当時の新聞記事を繙(ひもと)くと、〈小学2年生の長女(8)に暴行を加え2週間のけがをおわせたなどとして〉〈無職の母親(25)を傷害などの容疑で逮捕〉〈会社員の父親(25)も保護責任者遺棄容疑で逮捕した〉という。
この“長女”こそが幼き日の沙希容疑者だ。彼女の父親は高校卒業後にガソリンスタンドや自動車の修理工、タイヤ工場などで働き、母親は17歳で沙希容疑者を産んでいる。
各紙の記事では“平手で暴行”“数回殴る”といった表現に留められているが、虐待の実態は、はるかに陰惨かつ残忍なものだった。
・話題となっている 梯沙希容疑者の報道
中学時代の友人はこんな“告白”を聞いている。
「ある夏の日、沙希ちゃんと養護施設の駐車場に自転車を停めてダベっていたんです。その時、“なんで沙希ちゃんが施設に入ったのか”という話題になった。すると、彼女は自分の“傷”のことを話し始めました。彼女の両腕に細かな傷があって、それも10カ所どころではなく、無数に刻まれてる感じ。学校の夏服や体操服に着替えると、どうしても傷が目立ってしまう。リストカットの痕かなと思ってたんですけど、沙希ちゃんはこう言ったんです。“お母さんに包丁でやられたんよ”って。娘にそんなことをする母親がいることに衝撃を受けて“そうやっちゃ……”と返すのが精いっぱいでした」
さらに、“告白”は続いた。
「小学校の先生が家庭訪問に来た時は、沙希ちゃんの後ろでお母さんが包丁を隠し持ってたって。先生に余計なことを喋らないように、包丁を突きつけて脅されてた、と話してました」
わが子を、それも小学2年生の娘を実母が包丁で切りつける。明らかに常軌を逸した行為でにわかには信じ難い。
だが、悲しいかな、彼女が語った話は事実だった。
「ニュースで梯沙希という名前を聞いて“17年前のあの子なのか……”と。いまも信じられないし、胸を締め付けられる思いです」
苦しい胸中を吐露するのは“第一の悲劇”を知る児童相談所の元職員だ。
「彼女の担任から児童相談所に相談があったのは03年の5月頃でした。“生徒の体にあざがある。親から虐待されているかもしれない”という内容です。すぐに児童福祉士が家庭訪問を行いました。私も仕事帰りに彼女の自宅近くに足を運び、子どもの悲鳴が聞こえないか、ご近所に確認して回った。その時点では虐待に繋がる情報は得られなかったのですが、夏休みに入ると近所の人たちから少女の目撃情報が全く入らなくなった。しかも、2学期になっても彼女は一向に登校しない。これはのっぴきならない事態だぞと感じました」
児相は宮崎県警に事情を説明し、警察官と共に改めて家庭訪問を行った。
しかし、彼女の母親は、「子どもはここにはおらん、オジさんのところにおる」「いまは実家に遊びに行っとる」などと、誤魔化して彼らを追い返そうとする。
「そこで、警察がパトカーで実家や親族宅を回ってひとつひとつ潰していった。その上で、“もうここにしかおらん。女の子は自宅におる”と結論づけたわけです」
母親を説得し、ついに自宅へと踏み込むと、そこには見るも無残に痩せこけた沙希容疑者の姿があった。
食事も満足に与えられていなかったのか、あばら骨や腰骨がくっきりと浮き出ており、殴られた際についたあざも散見された。だが、それ以上に目を引いたのは、少女の全身に刻まれた何十カ所もの切り傷だった。母親が“しつけ”と称して娘の体を包丁で切りつけていたのだ。まだ新しい傷口からはダラダラと血が流れ、床に滴り落ちていた。多くの虐待事案に携わってきた児相職員も、血塗れの少女の姿を目の当たりにして慄然としたという。
「虐待でも包丁を持ち出す例はほとんどありません。結果論ですが、あの時に助け出していなければ少女の命が危なかった」・・
・連鎖を止めるためには、死しかないのか…
虐待してたお母さんはもちろん悪いんだけど…
それでも
可哀想だ。なくなった子供もこの虐待を受けてたお母さんも。
・虐待された事のない方たちからすれば
到底わかり得無いことだと思う
それほど幼少期の虐待は根が深い
だからと言って我が子をこんな目に合わして良いはずかない
・なんだろなぁ。悲しいかな自分の周りでも虐待された子は同じ様なことしてるし、親が片親のところは子供も片親になってるのが多く思う。
簡単に同じことをするな、と周りは言うが当人からすれば『その育て方』しか知らないからそれが普通の育て方だと間違えた解釈をしてしまうのかなぁ。
・なんて悲しい事件なんだ
読んでて涙が出そうでした
包丁を触らないように台所に出れないようにしたってところが自身が虐待されてたことに繋がってるんじゃないかなって思った
・私は父親はアル中の暴力男、母親は中学卒で仕事かけもちで働きずくめ。母親の父はギャンブルで家庭を壊し、それは悲惨な幼少期だったらしい(近所のおばちゃん達談)。
だけど、身を挺して子ども3人を守り育て働きずくめで、大学まで出してくれた。いつも笑顔で、自分の作った味噌や梅を人に配ってた。
若くして病でなくなってしまったけど、うちは母が虐待の連鎖を止めてくれたんだな、て思う。
この記事読んで、なぜか会いたくて仕方なくなってきた。
・私の太ももにはカミソリで切られた傷跡とタバコで焼いた傷跡があります。また背中からお尻にかけて大きな火傷跡があります。すべて小学生〜中学生の頃に父親に付けられたものです。暴力は当たり前で睡眠もほとんど取れず食事は父親の気分次第でした。
現在、2児の母ですが子ども達を叩いたりしたことはありません。一度手をあげたら自分を止められなくなりそうで怖いのです。どうしてもイライラする時は人から隠せる自分の二の腕や太ももを傷付けてしまいます。
心療内科には20年以上お世話になっていますが、たぶん治ることは無いのだと思います。
子どもの頃のダメージは大人になってもずっと心を蝕みます。
・壮絶な生い立ちです。
想像以上の虐待。
愛情を受けずに育つと、
育て方が分からない。
死なせた娘に対して、愛情はあったし、
可愛がっていたんだろうけど、
根本的な所を知らずに大人になって
しまったんですね。
この人、本当に子供が死ぬとは
思っていなかったのかも。
・子育ては自分がしてもらった以上のことをするのはなかなか難しいことだと思います。
自分が母や父からどう育ててもらったか。多分この容疑者は普通がわからないのだと。
だからと言って殺していいとは思わないが、負の連鎖。
親に愛されなかった子供が自分の子供を愛するということ理解できないのかも