新人剣闘士「もうすぐデビュー戦だ……緊張して吐き気が止まらない……オエッ」
剣闘士(大勢の観客の前で、剣を握って戦う……)
剣闘士(訓練はしっかりしてきたはずなのに……試合が近づいてきたら……)
剣闘士「オエッ!」
剣闘士(緊張して吐き気が止まらない……!)
剣闘士(逃げたい……今すぐ逃げ出したい!)
剣闘士(だけど、逃げたりしたら――)
オーナー「お前は今日がデビュー戦だったな」
剣闘士「は、はいっ!」
オーナー「剣闘士のデビュー戦ってのは花形イベントの一つだ。勝っても負けても盛り上がる」
オーナー「だが、まれに試合前の緊張感に耐えきれなくなって、逃亡する奴も出てくる。そうなると客も興ざめだ」
オーナー「いいか……もし、直前で逃げたりして試合を台無しにしてみろ……」
オーナー「絶対に許さねえからな! 逃げたら一生後悔すんぞ!」
剣闘士「もちろんです……!」
~
剣闘士(闘技場オーナーは元は強豪剣闘士で、体を壊して引退したものの、今も十分実力を備えている)
剣闘士(もし逃げたりしたら、あの人自ら制裁にくるのは間違いないだろう……)
剣闘士(逃げられない……!)
剣闘士(こうして待っているだけで、緊張感がどんどん高まっていく!)
剣闘士(冷や汗が引かない! 吐き気が止まらない! 鼓動が早くなる!)
剣闘士(ああ、俺はなんで剣闘士なんかになっちまったんだ。なまじ剣術に自信があったばかりに)
剣闘士(誰か……誰か助けて!)
剣闘士(お母さん、助けてぇぇぇ……!)
「おや、君は今日がデビュー戦かい?」
剣闘士「!」ビクッ
王者「おや、私を知ってるのか。光栄だな」
剣闘士「光栄もなにも……剣闘士として生きる者にとって、あなたの名は絶対ですよ!」
王者「どうもありがとう」
剣闘士(え、え、え? チャンピオンがどうして俺なんかのところに!? てか、なんでデビュー戦って――)
剣闘士「どうして俺が今日デビュー戦だって分かったんです?」
王者「分かるさ、その緊張具合を見ればね」
剣闘士「……あ」
王者「恥ずかしがることはない」
王者「剣闘士試合は使用武器が見直され、ずいぶん安全になったとはいえ、今なお死人が出る時は出る」
王者「命がけの戦いであることは間違いない。緊張するのは当然だよ。デビュー戦ならなおさらだ」
剣闘士「そうでしょうか……」
王者「ん?」
剣闘士「あなたなら、きっとデビュー戦も堂々としたものだったんじゃないんですか」
王者「そんなことはないさ。自分のデビュー戦など、今思い出すだけでも恥ずかしくなる」
王者「……」
王者「そうだ。せっかくだから、ある剣闘士のデビュー戦について話をしようか」
王者「地元じゃ負け無しの腕自慢、訓練所でも先輩たちを圧倒、当然デビュー戦なんか楽勝すると意気込んでたろうに」
王者「いざ当日になったら闘技場独特の空気に気圧され……」
剣闘士「気圧され……?」
王者「試合寸前で逃げてしまったんだ」
剣闘士「え……!」
王者「だが、一番怒っていたのは、そいつの対戦相手だった」
『俺のデビュー戦を汚すつもりか……絶対許さねえ!』
王者「という具合にね。せっかくのデビュー戦が不戦勝では、あまりにも味気ないからね」
剣闘士「あー、対戦相手も新人だったわけですか……」
王者「やがて、対戦相手は逃げた剣闘士を見つけることができた」
『てめえ、そこにいやがったか!』
『ひ、ひいいっ! なんで分かったの!?』
王者「しばらく追いかけっこが続くが――」
王者「腕を捻じり上げられ、こうやって恫喝される」
『来い! 試合場でブチ殺してやるから覚悟しな!』
『見逃してぇぇぇ……。負けでいいからぁ……』
王者「見逃してもらえるはずもなく、剣闘士はめそめそと闘技場に連れ戻された」
剣闘士「うーむ、俺がいうのもなんですが、悲惨ですね……」
王者「逃げた剣闘士はガタガタと震え、相手を見据える」
王者「試合を待たされて、殺気立つ観客たち」
王者「まして、相手はデビュー戦を台無しにされかけて怒り狂ってる」
王者「“自分はこの試合で死ぬ”……きっとそれぐらいのことを考えていたに違いない」
剣闘士「……」ゴクッ
『さあ、来い! この腰抜け野郎、大勢の前で叩きのめしてやるぜ!』
『う……うわああああああっ……!』
王者「逃げた剣闘士は、がむしゃらに攻め込んだ」
王者「悲鳴にも似た雄叫びをあげながら、対戦相手に剣を振るう」
王者「そして――」
剣闘士「どうなったんですか、その逃げた剣闘士は!」
王者「……」
剣闘士「え」
王者「不格好な勝利だったが、その剣闘士はデビュー戦を制することができた」
剣闘士「す、すごい……!」
剣闘士「それで、その彼はその後、どうなったんです?」
王者「どうなったかは、君の想像にお任せするとしよう」
剣闘士「……あ」
剣闘士「その時、逃げた剣闘士ってもしかして……!」
王者「……」ニコッ
王者「誰しも消したくなる情けない過去はあるものだ」
王者「だが、君には一生に一度しかないデビュー戦、悔いのないよう戦ってもらいたいな」
剣闘士「……はいっ!」
剣闘士(チャンピオン、ありがとう)
剣闘士(チャンピオンだって、試合から逃げてしまったことがあるんですね)
剣闘士(おかげで肩から力が抜けました)
剣闘士(俺は今日のデビュー戦、勝つにせよ負けるにせよ、全力で挑んできます!)
係官「次がお前の試合だ。入場しろ」
係官「観客へのパフォーマンスも怠るなよ。剣闘士の仕事は戦うだけじゃない」
剣闘士「はいっ!」
実況『続いて登場するのは、今宵がデビュー戦の新人剣闘士ィ!』
実況『果たして初戦を勝利で飾れるか!? それとも洗礼を浴びてしまうのかァ!?』
剣闘士「……」スチャッ
実況『おおっ、剣を高らかに掲げ、観客にアピールしております! これは余裕か、はたまた虚勢かァ!?』
ウオォォォォォォ……!
相手「ふん、デビュー戦にしちゃ妙に落ち着いてるじゃねえか」
剣闘士「落ち着いてる? とんでもない……今にも吐きそうだよ」
相手「へっ、誰だってそうさ。手加減はしねえぜ!」
剣闘士「望むところ!」
実況『いよいよ試合開始です!』
審判「始めっ!!!」
剣闘士(訓練でやってきたことを……全て出し切る!)
剣闘士「行くぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」ダッ
…………
……
……
剣闘士「いてて……」
係官「おめでとう」
剣闘士「あ、ありがとうございます……。こっちも肩にいい一撃もらっちゃいましたけど……」
係官「さすがに相手にも意地がある。無傷で勝たせてはもらえんだろうさ」
係官「デビュー戦の勝率ってのは意外と低くない。とはいえ、いい戦いぶりだった」
係官「オーナーもお前と少し話をしたいそうだ。あとで会いにいってこい」
剣闘士「オーナーが……? 分かりました!」
オーナー「おう、来たか」
剣闘士「あの……俺になんの用で?」
オーナー「そう怯えんな。ねぎらいの言葉でもかけてやろうと思っただけだよ」
オーナー「さっきの試合……見てたよ」
剣闘士「!」
オーナー「やるじゃねえか」
オーナー「正直いって、お前は逃げ出すか、あるいはろくに戦わず降参するタイプだと思ってた」
オーナー「だが、あの戦いぶり……俺の予想をいい意味で覆してくれたぜ」
オーナー「ほう、あいつと?」
剣闘士(そういえばオーナーはチャンピオンと同世代で、剣闘士時代からの知り合いだったっけ……)
オーナー「なに話したんだ?」
剣闘士「緊張して吐きそうになってる俺に話しかけてくれて、それで緊張がほぐれて……」
オーナー「なるほど、そんなタネがあったってわけか。ククッ、あいつも物好きなことしやがる」
オーナー「あの試合の話をしたのか! あいつめ……!」
剣闘士「え?」
オーナー「あいつのデビュー戦の対戦相手は俺だったんだよ。ったく思い出したくもねえ過去だ」
剣闘士「そうだったんですか!」
剣闘士「だけど、さすがチャンピオンですね。一度は逃げたけど、試合には勝っちゃうなんて……」
オーナー「は? なにいってんだお前?」
剣闘士「え?」
剣闘士(チャンピオンの話じゃ、勝ったのは逃げた方のはず……)
剣闘士「じゃあ逃げたのって……」
オーナー「俺だ。試合直前で吐きそうになって、つい逃げちまった」
オーナー「俺は今でもあのことを悔いてるから、お前らにも口を酸っぱくしてこういうんだ」
オーナー「逃げたら絶対後悔するってな」
オーナー「あいつだ。あの野郎、逃げた俺をぶちのめしてデビュー戦を華々しく飾るつもりだったんだろうが」
オーナー「追い詰められたネズミは猫にだって噛みつくっていうだろ?」
オーナー「あの試合……ヤケクソになった俺は、あいつをボコボコに叩きのめした」
オーナー「あいつ、俺の反撃に面食らって、泣き出すわ、土下座するわ、散々だったぜ」
剣闘士「えええ……」
オーナー「しっかし、その辺をぼかして話すあたり、あいつは相変わらずきたねえ野郎だ! 今度会ったらネタにしてやる!」
剣闘士「……」
剣闘士(誰しも消したくなる情けない過去はある、か……)
王者(さっきの彼、デビュー戦を白星で飾れたみたいだな。いいなぁ……)
王者(それに比べ俺のデビュー戦は今思い出しても……ううう……最悪すぎる……)
王者「あーっ! もうっ! この記憶消したいっ!!!」
― 終 ―
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