古代ローマ帝国の腐敗を記した碑文 image by:Regional Museum of History-Veliko Tarnovo
古代ローマの石のモニュメントに刻まれた碑文が、ローマ帝国の腐敗政治の実情を暴いていた。この石碑は、ブルガリアにあるローマ遺跡近くで発見された。
その碑文には、皇帝に賄賂が支払われたことと、政治的な嘘が記されていた。この発見は、帝国に崩壊をもたらすことになった紀元3世紀の危機直前の重要な時代の歴史について、さらに理解が進む助けになった。
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古代ローマ都市遺跡で発見された石碑
1920年代、考古学者たちが高さ3メートルのこの石碑を発見した。発見場所は、ブルガリア北部の町、ヴェリコ・タルノヴォの北西18キロ地点にある、古代ローマ都市ニコポリス・アド・イストルム遺跡だ。
石碑は4つに割れていて、全体にギリシャ語で37行のローマ碑文が刻まれていたが、これまで解読はされていなかった。割れた破片が火災のせいで焼け焦げていたことが一因だった。
石碑に刻まれた重要なメッセージ
碑文学者のニコライ・シャランコフら、ブルガリアの研究チームは、最近になって碑文の調査を始め、石碑の破片を修復して、文章を解読することに成功した。
碑文は、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルス(紀元145〜211年)とふたりの息子たちから、ニコポリス・アド・イストルム市民に宛てた手紙の写しだった。
ローマの支配者からのこのような手紙は、非常に権威あるものとみなされ、市民が記念としたのだろう。
石碑は4つに割れていたが再び集められた image by:Regional Museum of History-Veliko Tarnovo
皇帝の賄賂と嘘を暴露した碑文
碑文の内容は、皇帝が市民に財政支援の礼を述べたもの。市は皇帝に寄付、つまり事実上の賄賂を送っていた。
シャランコフは、皇帝は賄賂を市民からの贈り物として扱うことによって、うまくごまかしたのだという。
セプティミウスが193年以降に皇帝になってから、賄賂は支払われている。彼は北アフリカの生まれで、暴君のコンモドゥスが暗殺された後、ライバルに打ち勝ち、単独でローマ皇帝になった。
問題の"賄賂"は、70万デナリの"寄付金"だったという。デナリは、3世紀後半まで流通していた、標準的なローマ銀貨のこと。この金額は今日の数百万ドル(数億円)に相当するという。碑文の中で、皇帝は"わたしは善意の市民から送られたこの金を受け取った"と言っている。
ニコポリス・アド・イストルムの人々は、セプティミウスに手を焼いていた。彼は、前を横切ったというだけでためらいもなく人を殺す人物だった。
市民は、セプティミウスのライバルのひとり、ペルティナックスが皇帝の座を得られるよう支援していたが、193年に彼は近衛兵団に暗殺されてしまった。寄付と称した賄賂は、皇帝の引き立てを得るための市民の苦肉の策だった。
ギリシャ語で書かれたローマの碑文には、賄賂の礼だけでなく、政治的な嘘も記されているという。
セプティミウスは、自分のことを偉大な哲学者で皇帝のマルカス・アウレリウス(在位161〜180年)の後継者だとしていた。
セプティミウスが皇位を継いで、193年から235年まで続いた独自の王朝セウェルス朝を打ち立てたのは確かだが、これは、まったくの嘘。
マルカス・アウレリウスとも、絶頂期にローマを率いたアントニヌス王朝ともなんの関係もない。アフリカ生まれのセプティミウスは、このような手紙を利用して、人々の前で自分の出自を正当化しようとしたのだと、シャランコフは言う。
建てなおされた石碑
image credit:Regional Museum of History-Veliko Tarnovo
ニコポリス・アド・イストルム都市の栄枯盛衰
石碑に刻まれた帝国ローマの碑文からは、ローマ帝国と初期のビザンティン帝国時代の都市、ニコポリス・アド・イストルムの歴史の裏を
見ることができる。
この都市は、皇帝トラヤヌス(在位98〜117年)が、ダキア戦争の勝利後に作ったとされている。ダキアはトラキア人の町で、敗北後、トラヤヌスによって彼の王国に併合された。ニコポリスは軍事の中心地で、ドナウ川の向こうに住んでいた部族からローマ帝国を守っていた。賄賂が功を奏したのか、町はセプティミウスの時代に繁栄した。
ニコポリス・アド・イストルム廃墟 image by:Klearchos Kapoutsis / WIKI commons
理由はわからないが、ニコポリス・アド・イストルムは、皇帝カラカラ(188〜217年)の時代にその庇護を受けられなくなった。
カラカラは、セプティミウスの後継者で、ローマ皇帝の中でももっとも邪悪で残忍なひとりだと言われている。カラカラは貨幣鋳造所を閉鎖し、貢納する代わりに一定の自治権が与えられるCivitas stipendaria と呼ばれる、地域コミュニティを剥奪した。これがニコポリス・アド・イストルムの衰退につながっ
た。
皇帝が暗殺されると、新しい支配者に敬意を表する大会を主催することで、再び、恩恵を得た。5世紀に、フン族のアッティラに攻め込まれ、7世紀には遊牧民族のアヴァールやスラブ民族に打ち負かされた。
結局、都市は見捨てられ、19世紀になって初めて考古学者が調査を始めた。この石碑に刻まれているのは、ブルガリアでこれまで発見されたローマ皇帝による手紙の中で、唯一完全に保存された本物の文章であることが判明した。現在、石碑はニコポリスに再建され、一般の人も訪れることができる。
References:archaeology / archaeologyinbulgaria/ written by konohazuku / edited by parumo
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コメント
1. 匿名処理班
記録されているからそれが真実とは限らない。
が、研究の一材料にはなる。
2. 匿名処理班
ローマ皇帝「おヌシもワルよのう」