303 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/03/28(日) 23:51 ID:oaOwLHet [1/2]
桜の咲く頃、毎年思い出す。
4つ違いの姉がお産のために里帰りってことで家にいたので、
夜中に産気づいた時に、俺が車で産院に連れて行くことになった。
義兄は時間的に来る方法がなく、俺は運転手兼メッセンジャーって格好で、
とりあえず母と一緒に付き添うことにした。
夜勤の看護婦さんに「感心ね。よく勉強しとくのよ」と言われて恥ずかしい。
まず準備室ってとこに入り、陣痛間隔が縮まって来るのを待つ。
お腹に小さい心音マイクを付けて機械で間隔を測っているんだけど、
陣痛が来ると機械の表示を見るまでもなく分かるんだ。
とたんに姉が歯を食いしばり、目をぎゅうっと閉じて、ベッドの頭の所の鉄棒を
握った手にもの凄く力が入る。鉄製のベッドがきしむ。
食いしばった歯から声が漏れる。目に涙がにじむ。
何回目かに、掌から血が出て来た。唇からも血が流れていた。爪と歯が当たるせいだ。
汗と血をそっと母が拭いてやる。爪は切っといたんだけどね、と母。
本人は掌や唇に怪我していることに気付かないそうだ。


304 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/03/28(日) 23:52 ID:oaOwLHet [2/2]
(303より続く)
分娩室に移動して3時間くらいたった。
俺はずっと何かに、姉を守って下さいとただ祈っていた気がする。
やがて、外で待つ俺に姉の悲鳴と、それに続いて産声が聞こえ、
赤ちゃんが生まれたことがわかった。
医師が出て来て「母子ともに健康です。女の子です。おめでとうございます」と告げ、
母が何度もお礼を言った。もう夜明けだった。
分娩室から出て来た姉の顔を見て俺は驚いた。姉の顔には血の気がなかった。
青白い頬に涙が流れた跡が、分娩の苦痛を物語っていた。
しかし姉は微笑んでいた。母が、よくやったわね、と姉の手を撫でた。
授乳を終え(とりあえず含ませるらしい)、ベッドに横たわった姉の指先に、
さっき掌を傷つけたせいで血がこびり付いているのを、
母に言われてウェットティッシュで拭いてやった。
姉の手は、氷のように冷たかった。姉の体は、がたがた震えていた。
出産の激しい疲労と出血でそうなるのよ、と母が教えてくれた。
姉は、なんだか知らない人のように見えた。俺の知らない若い母親の顔だった。
間もなく義兄が父と産院に到着。俺は母を連れて家に戻ることにした。
産院の庭のちょうど満開の桜が、朝の光の中、静かに花びらを散らし始めていた。
姉の青ざめた微笑みと、氷のような手の冷たさを俺は一生忘れないだろう。






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