asrrrこの動画でのやりとりがニュースとして報じられると……、
「“搬送中に仲間がスマホで写真撮ったりしたら言われても仕方ない”“動画を回す余裕あるならタクシーで”“なんでもチャンスと思ってるだろう”などと、一転してシルクロード側にも問題があったのではないか、というような指摘も見受けられます。」・・



・フィッシャーズが医療従事者の「簡単に救急車呼ぶな」に反論も、搬送時に「カメラ回すから」“迷惑系”な裏側



というのも彼は、1月5日に《シルク、呼吸できなくなって救急車に乗ることに。》というタイトルで搬送された当日の様子を動画投稿しているのですが……」

 と、ウェブメディア・ライターが指摘する動画を確認すると、喉の痛みを訴えたことから始まり、熱が上がって「発熱相談センター」に電話したりと、症状が悪化する様を撮影するシルクロードの姿が。そして深夜、扁桃腺の腫れにより呼吸がしづらくなったことで、救急隊員に搬送される様子までもが収められている。この時は、駆けつけたモトキがカメラを回していたのだろう。


・話題となっている フィッシャーズの問題



・フィッシャーズが削除した救急車の動画






そして場面は切り替わって病院から帰宅後、喉の痛みもすっかり落ち着いたのか。非常時には「救急安心センター事業」に相談することや、《「緊急だと思ったら、ためらわずに119番通報を」って書いてある》と、救急車を呼ぶことをためらわないように視聴者に呼び掛けたのだった。

 前出のライターは「万が一のこともあり、彼が救急車を呼んだことに間違いはない」としながらも、

「その医療従事者から注意を受けたことも同情はします。ただ、救急搬送時にカメラを回すことはやはり非常識ですし、それこそ院内でも動画を撮って迷惑をかけていたのでは、とも思わせかねません。もしも医療従事者から“迷惑系ユーチューバーがいたずらに救急車を呼んだ”と勘違いされたのならば、これは言われても仕方がない。

 彼らユーチューバーにとって日々のネタ探しは欠かせないと聞きますし、ハプニングが起きれば再生回数を増やすチャンスとばかりについカメラを回したくなる気持ちもわからないではない。でも、今回ばかりは撮影は自粛すべきだったのかも」・・



・フィッシャーズ、動画撮りながら救急車呼んで怒られたら逆切れ


・4年前にも救急搬送



・生死に関わる危機的な状況なら動画撮影なんてするなよというほうが筋が通ってますね。

・動画を回していたんだったら、もう何をもっともらしいことを言ってもダメでしょ。この一定数のヤバい信者の擁護コメントをもし世論だと勘違いしてたらYouTubeを見ている一般の人も当のこのYouTuber達も怖い。

・結局はYouTuberは再生回数が全てだからね。本当にそんなこと言われたかどうかもわからないしね。

・救急搬送時、撮影していたのは呼び出した友人で、自分ではないと反論していたけどさ。
その友人、この人が生きるか死ぬかの現場で、突然撮影を始めたわけじゃないでしょ?
救急車を呼ぶ前に自分から、救急搬送の様子を撮影してくれと頼んでたんじゃん。
その後は自分で編集もして、数本の関連動画を投稿。
「これは若い子のための注意喚起の動画」と言いつつ、全部しっかり収益化。
ネタ扱いされても文句言えんて…

・これだけ有名なユーチューバーでも若者以外にはテレビに出てる二流芸能人以下の知名度だろうからな。誰か知らず、何カメラ回しとんねんの気持ちも分かる。

・買う前に刺身食うみたいな人と同じ系統だよね結局、コンビ名も刺身だし

・日本のYouTube界では大成功している訳で、常にカメラを回すことが当然の生活の中で、一般的な感覚が少し麻痺してしまっていたのかなと。
成功して常に持て囃されても天狗にならないって難しいことなんだと思います。

・正直フィッシャーズ前は好感持てて良く見てたけど最近はネタが切れてきて再生数を稼ぎたい感が強い動画が多くなって見るのやめました。迷惑系YouTuberとは違うと思ってたのにただただ残念。

・わざわざ動画まであげて"傷つくわ"とかゴチャゴチャ言っといて、"炎上するかも"って言われたら即削除はさすがにダサい(苦笑)

・体調が徐々に悪くなる様子を撮り続け、救急搬送されるとこまで撮ってるってことは最初から「ネタにしよう」と思ってたと思われちゃうよね。
まず、基本的に救急搬送ってネタにするようなものじゃない。


・医療者です。おそらくネットで調べて、急性喉頭蓋炎かな、と思ったんでしょうね。急性喉頭蓋炎は確かに短時間で窒息死する危険が高いので一刻を争います、命の恐怖を感じたのは確かでしょうし、救急車呼んだのは間違ってないと思います。ただカメラ回すのは、対応する医療者からすると、明らかに不快です、ふざけるな、と怒鳴りたくなると思います。あなたが、そこが理解できるかできないか、それだけだと思います。