werwre実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏が16日から17日にかけて自身のツイッターやYouTubeを更新。ウクライナに千羽鶴を運動を疑問視。折り鶴をおくるという行為について、「処分に困るとか受け取る側の気持ちより、良い事をしているという自分の気持ちが大事という自己満足」と指摘した。



・【画像】ウクライナ大使館「日本人から次から次へと謎の物体が送られて来ます…」


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・ひろゆき氏 折り鶴肯定派は「自己満足」「処分に困る」 ウクライナ千羽鶴運動に疑問



 YouTubeでもツイートの真意を説明。食べ物がない、寒いなど東日本大震災で被災して困っている人に、折り鶴を送ったら「なんだこれは」になる、という意見から始まり、ウクライナに対しても「お金だったら何か利用方法があるかもしれない。でも、処理に困る、なぞの紙切れを送られても、『うわっ、捨てづらいじゃん』みたいな。それ送ってくる送料とかあれば食い物入れてくれよ、って(なる)」と語った。

 さらに「(折り鶴をおくる人は)もらう側、人の気持ち、ウクライナの人の気持ちよりも、自分たちの気持ちがまず大事で。私たちは折り鶴をおくりたい→おくるのが正しい→受け取るのが正しい--(という考え)。要は送り側の気持ちが大事で、処分に困る、とか受け取る側の気持ちはどうでもいいんですよ」「おくる側より受け取る側の気持ちが大事なんじゃないですか」との意見を伝えた。






・ウクライナに折り鶴を送る文化があるかも考えるべき
通常の日常生活中なら平和文化交流だろうけど状況が違う
これだと善意の押し売りでしかない
日本でも神戸震災・東北震災や物流停滞で品不足があったと思うがその時必要だったのは折り鶴だったか
支援というのは相手に必要な物を差し伸べるべきであると思う
肯定派はこれが正しいことだから自分はこうしたいという自我が強い人だと思うが
逆に言えば相手の立場に立って考える事ができない人だとも言える


・例えば、自国が他国に侵略されて、家族や友達が犠牲になっていて、衣食住に困っていて、いつどこから敵国のミサイルが飛んでくるかわからない状況で、遠く離れた国から大量の紙で作られた謎の人形が届いたとする。どう思うか?という話。
折り鶴問題は東日本大地震の時に話題になったと思うが、あの時と違うのは、受け手には存在しない文化であるということですね。


・まあ物事にはいろんな側面があって、
物質的豊かさと心の豊かさっていう両方が必要ではあるんだけどね。
折り鶴って、日本文化の心の豊かさの部分なんだけど、
今それが必要かどうかを考えないといけないというのは、間違いないよね。


・今現在の豊かな日本にいて、鶴を折る事よりもっと直接的な支援ができるのに、あえて今千羽鶴を送る理由はないと思います。
身内の東日本大震災被災者が言っていました。気持ちはありがたいと思うけれど、現実として気持ちだけでは結局役に立たないと。
支援するのは自己満足の為ですか?
戦争が終わり、復興を目指す中なら気持ちだけでも相手の力になるかもしれないけれど、今現在のウクライナはそんな状況ではないと思います。