wetretre今回の密着取材で、両親の反応について向けられた田中は「母は言ってなかったんですけど、1年前に亡くなっていて。まぁあんまり…すぐ、言わなかったんですけど」と唐突に切り出した。






・アンガ田中、最愛の母への思い明かし涙止まらず 昨年亡くなる前に伝えられなかった“ありがとう”



 母の死を伝えられなかった理由について「去年亡くなった直後に、言うことでちょっと気持ちがズンってなっちゃうのがね。バラエティーで仕事する以上は気持ちが沈むとなかなか仕事にならなくて。気持ちの整理がつかないとちょっと言えないなっていうのも一つありましたね」と明かした。

 昨年2月に母から電話で「がん」であることを伝えられたという。「希少がんであんまり治療方法がないみたいな。だからちょっと余命1年くらい。長くて2年だろうと」と振り返った。病名は「神経内分泌がん」で、がんの中でも1、2%だという稀な病だった。








 「がん発覚してから頻繁には連絡は取ってたけど、その期間に帰れてない。コロナ禍ということもあって、なかなか実家に帰るのも世間的にも余計な移動するなみたいなのがあって。その期間会えていないのが恨みましたねコロナを」と新型コロナウイルスの流行により地元・広島に帰ることもできず、母に会うことも難しかった。

 母は「十分生きたから」と延命治療はしなかった。希少がんにより、治療法が確立していなかったが田中は「何か方法ないかなと。合間見て国立がん研究センターとか、そういうところに電話したり、直接行ったり」と、母の現在の治療のレントゲンなどを持って行くなど動いていたことも明かした。




 同年5月10日に「母が倒れた」と兄から電話で伝えられ「次の日に広島へ帰る」と伝えた田中。だが、2時間後に再び兄からの電話で母が亡くなったことを知らされた。当時については「実感がその時は湧かなかった。“信じられない”という感じ。こればっかりはちょっとね、予想つかなかった。余命1年っていったら本当に1年あるような気がしちゃうんですけど、そうじゃないっていうのがね、もっと感じればよかった」と涙を浮かべた。

 翌日に帰省した田中は「ショックがきましたね」と母の顔を見て実感が湧き「もうちょっと何かしてあげられなかったかなみたいなことは思いました」と振り返った。母へ伝えられなかったことがあるのか聞かれると「いや…そうですね…“ありがとう”っていうことですよね」と声を振り絞り「生きてる時に“ありがとう”って言ったら“死んじゃうのかな”って感じになるから言ってない」と感謝を伝えきれなかったことが心残りだとして涙が止まらなかった。